かみなり様の隠し事

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作者:円山翔
読了時間目安:15分

この作品は小説ポケモン図鑑企画の投稿作品です。

1.
 空には暗雲が立ち込めていた。今にも一雨来そうな空を通り越して、天変地異でもあったのではないかと思うほどだった。ゴロゴロという音が聞こえ始め、そこかしこでピカピカと稲光が見えた。
 親からよく言い聞かされて育った子らは、急いで家に駆けこむことだろう。しかしながら、物好きな子供は存在する。この状況で喜び勇んで外を駆けまわるタケル少年もその一人だった。
 タケルがこんな天気の中に飛び出していったのには訳があった。天候によって出会えるポケモンが変わるということを知っていたためであった。晴れが好きなポケモン、雨が好きなポケモン、雪が好きなポケモン、砂嵐が好きなポケモン、暗いところが好きなポケモン……という具合に、数を挙げればきりがない。
タケルが普段外に出られるのは安定した天気の時だけ。同い年の子らなら、親がそうさせることだろう。それはすなわち、安定した天気の日に出会えるポケモンは知っているが、荒れた天候の時に出会えるポケモンは、まだ自分の目で見たことがないということになる。いくら危険だと分かっていても、好奇心旺盛なタケルを突き動かすには、十分な理由だった。
 そんなこんなで、タケルは長靴を履き、小さな傘を差して外を歩いていた。無論タケルの親は引き留めようとしたのだが、タケルは引き留められる前にさっさと出て行ってしまったのである。とても危険だし、恐ろしさもある。それに帰ったら確実に雷が落ちるだろう。しかし、それよりも見たこともないポケモンに出会うワクワクの方が今は勝っていた。
 突如、雷光がタケルの視界を覆った。ほとんど同時に聞いたこともないような爆音が、彼の耳を劈いた。タケルの目の前に、狙ったかのように雷が落ちたのだ。あまりの衝撃に、タケルの心臓は喉から飛び出しそうになった。幸いにして気を失うことはなかったが、タケルの全身はしばらく震えっぱなしだった。
 そして、タケルの前に「かみなり様」が姿を現した。

2.

「かみなり様」は鬼だった。頭には紫の角が一本。白い立派な口ひげと後ろ髪。上半身はよく鍛えられた肉体。下半身は白い雲に包まれており、その後ろから尻尾のように管が伸びていた。管には見るからに痛そうな棘の突いた黒い球がいくつもついていた。
「かみなり様」の正体は、ボルトロスというポケモンだった。
 ボルトロスは腕を組んだままタケルを見下ろし、物々しく言った。
「こんな天気の悪い日に外へ遊びに出るとは。悪い子はへそを取ってやらねばならんなあ」
 怖い顔で「ぐわっはっはっ」と笑えば、それで大抵の子は怯えて逃げ出すか、ポケモンを持っていれば繰り出して挑んでくるか。そのどちらであれ、やることは身を翻して姿を消すのみ。
 しかし、タケルはそのどちらでもなかった。目をキラキラと輝かせ、ボルトロスを見つめていた。
「おーい、聞こえとるか。君がよい子なら、早く家に帰ることだ」
「よい子じゃないからいいよ」
「いや、よい子でなくても帰りなさい。危ないから」
「嫌だ。こんな日にこうして出歩いたから、珍しいポケモンに出会えたんだもん」
「言うこと聞かないとへそを取ってやるぞ」
「取れるもんなら取ってみなよ」
 「かみなり様」の威厳はどこへやら、服を捲ってへそを出したタケルに、ボルトロスは困り果ててしまった。
 実はこのボルトロス、先代から「かみなり様」の地位を受け継いだばかりとあって、まだ人間のあしらい方を十分に習得していなかったのである。そこへタケルのようなのをぶつけたらどうなるか、火を見るよりも明らかだった。
「いいかい、雷は恐ろしいのだ。ポケモンは平気だが、人間が食らえば一瞬で真っ黒こげだぞ」
「いいよ。その代わり、俺と遊んでよ」
 何を言ってもタケルは聞こうとはしなかった。これにはボルトロスもどうしようもない。
「……わしはもう帰るから、君ももう帰りなさい」
 タケルを諭すように言ってから、ボルトロスはタケルに背を向けて勢いよく飛び上がった。

3.

 さて、タケルから逃げるように飛び立ったボルトロスであったが、何やらいつもより体が重い。振り向いてみれば、尻尾の付け根をタケルがひっつかんでいるではないか。歯を食いしばって耐えているが、あんまり勢いよく飛んだので、唇がひっくり返りそうになっていた。
 慌てて速度を落とすと、タケルはぜえぜえ言いながらもにんまりと笑って見せた。
「こら! そんなところ掴むもんじゃあない! 手を放しなさい!」
「今放したら死んじゃうよ」
「そうだけども! 君が降りられるところまで降りるから」
「かみなり様のうちに連れて行ってよ。そしたら放してあげる」
「うちに来たっていいことないぞ。雲の上だから君は立つことも座ることもできないし、雷雲だからどこに触れても感電してしまう。分かったら帰りなさい」
「嫌だ。かみなり様と遊ぶんだい」
「……口の減らない子だよまったく」
 観念したボルトロスは、自分の住処とは全く逆の方角へ、ゆっくりと飛んだ。

 ワクワクしながら待っていたタケルだったが、次第にその表情が曇っていった。ボルトロスが飛んでいるのは、随分と見慣れた場所だった。本当にこんなところに住んでいるのかという疑念が強くなっていく。
 やがてボルトロスは高度を落とし始めた。
「なんだよ! 俺んちじゃんか!」
とタケルは喚いた。せっかく遊んでもらえると思ったのに、自分の家に連れてこられただけだったのだから。
 尻尾を掴む手に力を籠めるタケルをよそに、ボルトロスはタケルの家のインターホンを押した。
「はーい」
と声がして、扉が開いた。タケルの母が顔を出し、その表情が凍り付いた。
「この子のお母様ですか?」
「え、ええ。そうです私がタケルの母でございます」
「お宅のタケル君が、私についてくると言って聞きませんでな。こちらで一晩厄介になるわけにはいきませんか」
 伝説のポケモンが突然押しかけてきて、泊めてくれという。突撃隣の晩御飯さながらの光景に、タケルの母は目を白黒させた。

4.

 ボルトロスが自宅に泊まるとあって、タケルは大喜び。ボルトロスの周りにへばりつき、肩によじ登り、やりたい放題だ。
 一方、タケルの母はというと。最初こそ驚いたものの、来た者はみな客。急いで追加の晩御飯を準備して、食卓に並べた。
「ほら、タケルも落ち着いて食べなさい。かみなり様が食べられないでしょう」
「いやいや、お構いなく。食事は済ませてきましたのでね」
「そうでしたか。普段は何を召し上がるので?」
「雷です。今日みたいに雷雲が発達した日はごちそうですよ」
「それは困った。うちでは電気は御出しできませんの」
「ですからお構いなく」
「それにしても、かみなり様は礼儀がしっかりしているのですね。うちのタケルもあなたを見習ってほしいものです」
「子供は元気が一番です。お宅の子はちと元気が過ぎるかもしれませんが」
「ええ、もっと言ってやってくださいな。私が言っても聞きやしないものですから」
「大変ですなあ。こら、好き嫌いはするもんじゃないぞ」
 ボルトロスは皿に避けられたピーマンを、箸を器用に使ってタケルの皿に戻した。
「いいじゃん、かみなり様のけちー」
「食べないと遊んでやらないぞ」
「……ちぇ」
 タケルは渋々ピーマンを口に入れ、心底苦そうな顔をした。ぐわっはっはっ、とボルトロスは笑った。
「えらいぞ。そうやって慣れていけば、いずれ食べられるようになるさ」
と、玄関の扉が開く音がした。タケルの母は箸を止めて、声の主を出迎えに行った。
「ただいま」
「おかえりなさいあなた」
 帰ってきたのはタケルの父。眼鏡をかけているが、タケルによく似た顔をしていた。その顔が、部屋に入るなりタケルの母同様に固まった。
「どうも、お邪魔しております」
「どうも、タケルの父でございます」
「パパ、かみなり様だよ」
「そうか。お前またとんでもない方を連れてきたもんだなあ!」
 そう言って笑うタケルの父を見て、この家の人々は順応が早いなあとボルトロスは思うのだった。

5.

 タケルの父はボルトロスに酒を勧めたが、ボルトロスは
「今日は息子さんとの約束がありますでな、またの機会にさせていただきます」
と丁重に断った。酒は好きだが、今日はタケルの気を晴らすためにこうして厄介になっているのだ。タケルをそっちのけで酒に溺れる訳にもいかない。
 晩飯を済ませてタケルは風呂に入り、早々に出てきてボルトロスを部屋へ連れ込んだ。
 さて何をして遊ぼうかと思案するタケルに、
「早く寝なさいよ」
と、居間からタケルの母は言う。いつものことだ。
「はーい」
と、タケルは答えた。もちろん、守る気なんて更々ない。
「相撲でもするか」
 ボルトロスは両手を床について構えた。よーし、と意気込んでタケルも構える。そして「のこった」の掛け声も待たずボルトロスの顔めがけて飛び掛かった。虚を突かれてのけぞるボルトロス。それでも両手でタケルの胴体をひっつかみ、優しく床に降ろしてやった。
「こらこら、フライングだぞ」
「かみなり様強そうだもん。俺なんていちころでしょ」
 タケルは何度も飛び掛かる。それを、ボルトロスは受け止めてひっくり返す。
「初めから諦めるもんじゃないぞ。君も本当は強いかもしれん」
「強くないよ」
 何度目になるかわからない特攻の後、タケルは仰向けに寝かされたまま言った。ぜえぜえと息を吐くタケルとは対照的に、ボルトロスにはまだ余裕があった。
「こんな天気だと外へ出るなって言われるし、まだ十歳になってないからポケモンだって持たせてもらえない。今だってかみなり様にやられ放題だったでしょ」
「いや、君は強い子だよ」
とボルトロスは言った。
「このわしにこうして挑んできたのだ。その勇気は誰にも劣らない」
 勇気と無謀を履き違えちゃあいかんがの、と締めて、ボルトロスはタケルをベッドに放り投げた。
「よい子はもう寝る時間だぞ」
「よい子じゃないから」
「ならばこれから良い子になればいい」
 そう言って布団を掛ければ、タケルはおとなしくなった。

6.

 部屋の電気を消した後も、タケルはしばらく眠れなかった。空を黒雲が覆っているせいか、窓の外は暗いままだった。
「ねえ、かみなり様」
 タケルが話しかけると、ボルトロスは閉じていた瞼を開いてタケルの方を見た。暗闇の中でわずかな光を受けて、その黄色い目は光って見えた。
「まだ起きていたのか」
「うん、眠れないんだ」
「そうか」
 無理もない、とは言わなかったが、まだ興奮しているからなのだろうとボルトロスは思った。自分に立ち向かってくるほどに元気な子だ。その心の内にどれほどのエネルギーを隠し持っているか、わかったものではない。
「いつかさ」
と、タケルは言った。
「いつか、俺がトレーナーになったらさ。真剣勝負してくれる?」
 それは、安請け合いするには難しすぎる問いだった。
「約束はできんなあ。わしらは、イッシュを豊かにするために存在するのだ」
 風神が風を運び、雷神が雨を運ぶ。そうして集まった風と雷のエネルギーを、地神が大地に溶け込ませ、豊穣を呼び込む。古くからの言い伝えだ。その過程で、強すぎる風雨は時に命を奪いうる。雷神ボルトロスは風神トルネロスと共に、人々に恐れられる定めにあるのだ。
 ここから先、ボルトロスがどこへ行くかもわからない。誰かに捕まってしまうかもわからない。タケルがトレーナーになる時まで、生きている保証もない。
 反対に、タケル自身がトレーナーになるまで生きている保証だってどこにもないのだ。今日のように、好奇心だけに従って生きていては、いずれ危ない目に遭いかねない。
 しかしボルトロスは、この少年の夢を摘んではならぬとも思った。
「君がトレーナーになって、わしの前に立ち塞がったならな」
 それがボルトロスにできる、最大限の譲歩だと思った。
「約束、だよ」
と言い残して、タケルは目を閉じた。間もなく、穏やかな寝息が聞こえ始めた。
「せめて、それまで死ぬんじゃあないぞ」
 タケルの寝顔を心に焼き付け、ボルトロスは目を閉じた。

7.

 翌朝。タケルが目を覚ますと、部屋にはもう誰もいなかった。居間に降りて両親に尋ねると、
「かみなり様なら遅くにお礼を言って出て行ったよ」
と父は言う。タケルが眠った後、遅くまで酒を飲んでいた父に会っていったのだ。
「一緒にお酒飲まなかったの?」
「きっぱりと断られた。まだこれからやることがあるんだって言っていたよ」
「ふーん」
 心底つまらなそうにタケルは言った。
 せめてタケルが起きて学校へ行くまでの間、側にいてほしかった。自分のわがままに付き合ってくれたお礼も、まだ言えていないというのに。
「父さん。母さん。俺、トレーナーになるよ」
 決意のこもった声でタケルは言った。
「強いトレーナーになって、かみなり様に会いに行くよ」
 自然と口から洩れた言葉に、父は
「そうか」
と答えた。父も母もなぜとは問わなかったし、ダメだとも言わなかった。ただただ、息子が目標を掲げたことが嬉しかった。
「じゃあ、まずはご飯をしっかり食べないとね。さあ、ちゃちゃっと食べちゃいなさい」
「うん!」
 湯気が立ち上る白米とみそ汁に、タケルは手を合わせた。

 玄関を出ると、空は綺麗に晴れ渡っていた。昨晩までの雷雲が嘘のようだ。ボルトロスが言っていた「やるべきこと」とはこういうことだったのだろうか。
 今日もどこかで、かみなり様は雷を降らせていることだろう。そう思うと、俄然やる気が湧いてきた。他の誰かに横取りされる前に、強いトレーナーにならなければならない。そのためには、やらなければならないことが山積みだった。
「行ってきます!」
 家の中の両親に向かって、タケルは元気に叫んだ。それから「いってらっしゃい」の声も待たずに飛び出した。
 学校のみんなに自慢してやろうかとも考えたが、やめた。このことはタケルとかみなり様だけに秘密にしておこう。そう、心に誓った。
「タケル君、嬉しそう」
クラスメイトの一人が言った。
「うん、ちょっといいことがあったんだ」
と、タケルは返した。

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