つばさが外へ出ると。
喫茶シルベの前で、すばると炎の鬣を持つ馬の姿があった。
馬がつばさの姿に気付けば、静かに歩み寄って。
その鼻面をつばさの頬へと押し付ける。
これは彼女なりの挨拶なのだ。
直にあたる鼻息が荒く、あたたかい。
「ほたるちゃん、久しぶり」
つばさが彼女の首筋を撫でれば。
ぶるる、といななく、馬ことギャロップ。
彼女は、すばるの旅において欠かせない存在。
長距離を移動することもあるすばるの旅にとって、彼女の脚はとても助かっているのだ。
ギャロップの炎の鬣に触れても。
不思議と熱さは感じることもなく、火傷を負うこともない。
不思議なものだな、とつばさは常々思う。
と、腕の中の茶イーブイが、ギャロップを見上げていることに気付いた。
大きく見開かれた彼の瞳が、きらきらと輝いているようにも感じた。
もしかしたら、このギャロップの鬣に魅せられているのかもしれない。
「カフェ、ほたるちゃんに乗せてもらう?」
そう問いかけると。
彼の身体が、ぴくりと少し跳ねた。
―――え……でも……
ちらりちらりと。
つばさとギャロップを交互に見て。
それから最後に。
伺うような視線をすばるに向けた。
どこか遠慮気味なその視線。
ギャロップはつばさのポケモンではない。
すばるのポケモンなのだ。
つばさの言う通り、本当にいいのだろうか。
「カフェが乗りてーならいいぞ。な、ほたる?」
すばるが隣のギャロップに問えば。
もちろんっ、とでも言うような。
ぶるるっ、という元気な声が返ってくる。
「おいで、カフェ」
すばるが茶イーブイへ手を伸ばす。
それに一瞬、びくりと驚いた茶イーブイだったが。
ちらっとつばさを見上げ、つばさが一つ頷けば。
すばるの方へ、おずおずと前足を伸ばした。
「よいしょっ」
茶イーブイの前足が届く寸前。
彼はふわりと浮き上がった感覚に包まれた。
すばるが抱き上げたのだ。
自分を支えてくれる腕の強さ。
そこに、つばさとは違った力の強さを感じた。
つばさよりも力強くて、つばさよりも太い腕。
けれども。
つばさと同じ、あたたかな感じ。
この人もつばさと同じなんだ。
そう思ったら、こわいというものも吹き飛んだ。
―――すばるおにいちゃんっ!
にへっと笑う茶イーブイに。
突然、名を呼ばれたすばるは一瞬驚いたが、すぐに。
「おう、何だ?」
と、笑って返した。
すばるはそのまま茶イーブイをギャロップの頭部へ、ちょこんと乗せてやる。
落ちてしまわないようにと、ひしっとしがみつく茶イーブイ。
けれども。
いつもと違う高さの目線に、彼は瞳を輝かせる。
―――すごおおーいっ!
そんな感嘆な声に。
「だろ?」
と得意気なすばるの声。
そんな彼らにつばさの頬が緩む。
緩んでから、はたと気付く。
自分にとっては当たり前過ぎて気付かなかったそれ。
なぜ、彼にそれが聴こえているのだろうか。
「ねえ、ちょっとすばる?」
疑問を含んだつばさの声に、すばるは振り向く。
「んー?」
「カフェの声、聴こえてるの?」
「声って、思念の声か?」
「そう、あんたが呼び始めたその声」
思念の声とは、すばるが呼び始めた呼び名だ。
つばさとりん。すばるとふう。
それぞれは奥底の深いところで結び付いている。
そしてそれは、りんとふうが持つ特性、シンクロに大きく影響を及ぼす。
互いの真相心理に深く干渉するそれは、互いの意志を交わすことを可能とする。
だから、つばさ達はりん達と会話のようなことが出来るのだ。
それを、すばるは”思念の声“と呼び始めた。
「まあ、聴こえてるな」
肩をすくめて答えるすばるに、つばさは怪訝な顔をした。
「何で、すばるにも聴こえてるの」
つばさがりん達を除く、ラテ、カフェ、イチの声を聴くことが出来る理由。
それは、りんの特性シンクロの影響力があるから。
通常のシンクロは、シンクロを持つ者とその結び付きが強いパートナーのみ。
だが、りんの場合。
これは彼の血筋にも関係しているのだが、彼の血筋は念の力を濃く受け継ぐ血筋のようで。
さらに、彼は月のような存在。
月は太陽の輝きを得て、己が輝くもの。
りんにとっての太陽はふう。
そしてまた、りんとふうの結び付きも強いもの。
生まれもった彼女の強すぎる念の力は、その結び付きを通して彼に流れ込む。
流れ込んだ力は、念の力を濃く受け継いだ彼にもよく馴染んだのだ。
それが、通常よりも広範囲でシンクロが作用している要因。
別段、つばさがラテ達の言葉を解しているわけでも、その逆でもない。
りんと結び付きが強い者同士が彼を通じて、シンクロのような作用を受けているに過ぎない。
だからつばさは、ラテ達の声はりんほどはっきりと鮮明に聴くことは出来ていない。
それでも、互いにコミュニケーションを取るには十分過ぎるほどには、聴こえている。
そうであるはずなのに。
なぜ、すばるにも声が聴こえているのか。
それが解せなかった。
「それは、ふうがエスパータイプでりんが悪タイプだから、かな?」
「…………ああ。念、か」
すばるの言葉で、何となく閃いた気がする。
「そ、念だな。ま、これは俺の見解だけど……」
そう前置きをして、すばるは言葉を続けた。
要するに。
ふうはエスパータイプ。
そのため、念のコントロールも用意なのだ。
一方のりんは悪タイプ。
エスパータイプの技を扱う分には十分。だが、念のコントロールとなれば、それは不得手なのだ。
だから、りんのシンクロ効果は駄々漏れで。
それに加え、通常よりも強い力を秘めた念の影響を直に受けている。広範囲に、その影響が及んでしまっているのはそのためだ。
「だから、ふうは念の力を抑えてつつ、それを扱ってんだ」
「じゃあ、ふうちゃんはわざわざ、すばるとカフェ達が、意思を交わすことが出来るようにしてくれてるってこと?」
「ん、そーいうことだな」
「ほうっ」
つばさの呟きは、思わずもれた感嘆の息だった。
「ふうの生まれもった力が強いおかげだな」
何度も言っているが、特性のシンクロは、その特性の持主と結び付きのあるパートナーのみに影響を与える。
りんの場合は、ふうから受ける念の影響で、シンクロ効果を広範囲に及ばせている。
そしてふうの場合は、エスパータイプ特有の念の力で、結び付きのあるパートナー、すばる以外の人との意思と交わすことを可能としている。
これが、つばさとふうが意思を交わすことが出来ている理由。
さらに応用することによって、本来は意思を交わすことが出来ないはずの、すばるとカフェ達が出来ている理由になっている。
「つまり、ふうちゃんがすごいってことね」
目頭を押さえながらつばさが呟く。
ここまでくるともう、訳がわからなくなりそうだ。
というか、訳がわからない。理解が追い付いていない。
「ま、みんな不自由なくコミュニケーション取れてるってことで」
すばるが苦笑する。
つまり細かいことは気にしなくて。
「いいんじゃねーか」
と言ってから、すばるがつばさへ手を差し出した。
突如のことに、なに、とつばさは困惑顔。
「あるばとイチ探し、行くぞ」
にひっと笑うすばる。
「え、まさか、乗馬……?」
「そっ」
掴んだつばさの手を引いて、すばるは彼女をギャロップの鞍へ先導する。
つばさはおそるおそる足場へと足を置き、思いきって踏み込んだ。
すると、ふわりと腰を持ち上げられ、気が付いたら鞍に股がっていた。
「あ、乗れた」
乗馬などの経験がないつばさは、難なく乗れたことに呆気にとられる。
「だろ?」
というすばるの声は、すぐ後ろから聞こえて。
振り向けば、つばさの後ろへ乗り込んだ彼がいた。
「今のほたるは、二人乗りも平気だかんな」
すばるの言葉に反応したように、ギャロップがいなないた。
「んじゃ、頼むな。ほたる」
すばるが手綱を一つ振れば、ぶるるとギャロップが鳴く。
かっかっ、と石畳に蹄を打ち付ける音を響かせながら、彼女は駆け始めた。
*
蹄の音を聞いたとき。脳裏に。
栗色の髪と桔梗色の瞳を持つ、あの青年の顔が浮かんだ。
それだけで、自分を苛つかせる彼の顔。
だから、自分は彼が嫌いだ。
でも、つばさが彼のことを想っているのを知っている。
それが気に入らない。
つばさが彼のことを想っているとかは関係がない。
自分が大好きなつばさが想っている相手なのだから。
嫌いになることなんて出来ない。
でも、自分は彼が嫌いだ。
つばさに想われているのに、それに応えるような素振りをみせない彼が嫌いだ。
だから、彼の顔なんて見たくなかった。
それであの時。
彼の友達であるギャロップの蹄の音を聞いた時。
気付けば、呼びかけるつばさの声を無視して飛び立っていた。
それを、今更ながらに後悔する。
―――うう、ごめんなさい……つばさちゃん……
ファイアローから発せられた声音は。
今にも地に落ちてしまいそうな程に弱々しかった。
ばさりと一つ羽ばたき、飛翔を続けていた。
―――それに、お野菜持ってきたままだし……
嘴で咥えたままのバッグ。
その中には、つばさ達と八百屋で買い込んだ野菜がある。
―――ごめんなさい、つばさちゃーんっ!!
瞳を潤ませながらの謝罪の言葉。
それを落としながらの急旋回。
方向は喫茶シルベ。
早く戻って謝らなければならない。
つばさの言葉を無視してしまったこと。
野菜を持ち逃げしてしまったこと。
急げ急げと急かす気持ちが、羽ばたきをより力強いものにする。
羽ばたき一つ、速度を上げた。
その時だ。
ファイアローの視界の端で、何かが引っかかった。
一瞬それを捨て置いて過ぎ去ろうと思った。
けれども、何かがそれをやめるようにと胸中で説いた。
だから、過ぎてからまたもや急旋回。
くるりと方向を変えて、街の大通りへ向かう。
街の大通り、その中間に位置する街の大広場に、どしりと構える一本の巨木。
街で暮らす人々の憩いの広場ともなるそこに構える巨木は。
今は街の華として飾り付けられている。
そうだ、祭りが近かったな、と。
その巨木の幹へと降り立ったファイアローは思い出す。
春を告げる、春告げ祭り。
そのため、巨木を飾る装飾は、春を意識したものばかりだ。
春らしい色合いの淡い赤、青、黄などの電飾。
そして、金と銀の丸型オーナメント。
それらが巨木を何巡もしている。
ただ。ファイアローが巨木を見上げる。
その視線の先は、巨木の先端に向けられていて。
そこで鎮座するのは、今も電飾と一緒にちかちかと輝く一番星。
巨木の先端に星。
それは、イベント違いではないだろうか。
一瞬脳裏に、雪化粧をした巨木のてっぺん。そこで輝く星が浮かぶ。
まあ、いいか。
そう片付けて、彼は視線を戻した。
―――ねえ、そこで何してるの?
声をかけてみた。
視線の先に在ったのは、明らかに祭りのための装飾ではないそれ。
幹に垂れかかる青い胴長に、首もとと尾には蒼の珠を飾る。
一番目を惹き付けるのは、まるで翼のような純白の両耳。
それが、ぱたぱたと動いた。
ぱちっと音が聞こえそうな程に勢いよく持ち上がったまぶたから、すぐに潤み出した瞳を見つけた。
ようやく出会えた見知った顔に、ハクリューはようやく安堵できたのだ。
にゅっと動き出すと、胴長のそれをファイアローの身体へ一巡させて。
きゅっきゅっと小さな声をもらしながら、自身の頬と彼のそれを擦り合わせた。
それだけで、何となく彼は察した。
―――えっと。とりあえず帰ろうか、あるばちゃん
そんな彼の言葉に、彼女は確かに頷いた。
作中にて本作におけるシンクロ設定の解説を入れたつもりですが、難しいですね。その、まあ、要するに、便利だねってことで!!汗