雨の日の「日常」

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作者:空風 灰戸
読了時間目安:26分
 私がそのマリルに出会ったのは、この家に引っ越してから数週間経ったときに発見した洞窟だった。

 新しく引っ越してきた家の近くには、天井の高さが異なる洞窟がある。おそらく天井の高い部分はイワークが、天井の低い部分はディグダもしくはダグトリオが掘ったものらしい。ディグダもしくはダグトリオが掘った横道があるため、複雑な道を形勢しているが、天井の高い部分が中央の道だとわかっているので、わかりやすい洞窟だった。

 洞窟内は暗く、懐中電灯であたりを照らしながら、手当たり次第に横道を入っていくが、どうやらこの洞窟はほとんどが行き止まりらしかった。横道すべてを確かめても行き止まりになっていたので、私は天井の高い道を進む。

 奥に進んでも、反対側からの光は見えない。それどころか、だんだんと冷気が漂い、その冷気を風が私に押し付けてきていて寒い。

 ――ピチャ。

 水が跳ねる音がした。足元を懐中電灯で照らしてみると、ところどころ水たまりができている。

 ――と。

 明かりに何か青いものが映った。その青いものをさらに照らしてみると、そこには洞窟には似つかない青い丸い形をしたものがあった。

 それがマリルだった。

 マリルはその時怪我をしていた。なぜ怪我をしていたのかはわからないが、その場所に水たまりができていたところから、他のポケモンたちとバトルをしていたのではないか。みずタイプのマリルは通常このような洞窟には生息しないからだ。代わりに、この洞窟から少し離れたところに川があり、そこに生息しているはずだ。

 私はマリルを家まで連れて帰り治療をしてやった。あいにく私はトレーナーではないから、ポケモンを治療するための道具を持っていなかったが、きのみならいくつかあった。あいにく昨日はずっと家にいたので私自身が食べてしまったが、普段はデッサンの練習用に購入しているもので、雨の日にはこのきのみで絵を描く。

 私は雨の日に家にこもって絵を描くから、外にでることはない。

 なぜなら、雨が嫌いだからだ。



 私がここに引越しをしてきたのは、原点回帰のためだった。私は風景画を描く画家なのだが、最近成果が芳しくなかった。もともと、自然に囲まれた田舎に住んでいた私が都会に住んだのがいけなかった。都会に住んでいては思った時に描けないし、何より描くために郊外に出かけなければならない。その郊外に行くという行動自体で疲れてしまい絵を描くのにも身が入らない。

 このままではいけないと思い、私は田舎住まいに戻ることに決め、今の家に引っ越した。

 しかし、引っ越した家は実家ではない。実家は何年も前に、私の両親とともに嵐でなくなった




 マリルの怪我はたいしたことはなかった。念のため町まで車を出して、ポケモンセンターで見てもらったが少し待っていたら、元気になって戻ってきた。

「バトルをして怪我をしたようですね」と、マリルを見てくれた女性は言った。「何か物理的なダメージを受けてしまったんだと思います。心当たりはありますか?」

「ああ、いや、私のポケモンではないのでわからないですが……」

 と言いつつも、やはりそうだったと思った。あの洞窟に住むいわタイプか何かのポケモンに攻撃を受けたのだろう。ひとまずなんともないということだったのでよかった。



「お前の家にお帰り」と、私はマリルに言った。

 ひとまず私の家まで戻り、マリルを車から下ろした。マリルは、どうしたのかという問いかけるように私を見るのでそう言ってやった。

 怪我は大したことはないわけだし、マリルを自分の家に返してやるのがよいだろう。私自身がその家に連れて行ったほうがいいのかもしれないが、マリル自身は私をまだ信じ切っておらず、緊張していたのがわかったからそうしなかった。信じていない他人に自分の家を知らせるとも思えない。

 マリルは予想通り、あの洞窟がある方角へ歩き出した。川からはずれているが、あちらに家があるのだろう。

 マリルが無事見えなくなると、家に戻り画材を取り出した。一昨日の写生をした場所がなかなか綺麗だったので、今日は同じ所の周辺でよいポイントを探そうと洞窟の方向へ向かった。この日の天気はよく、写生を描くにはもってこいの日だった。

 ポイントを見つけて写生を続けること数時間。

 日が傾き始め、そろそろ切り上げようとしたとき、ふと前の茂みが動いたのに気づいた。なんだろう、と思い少し動いた茂みを見ていると、一箇所だけ半月の形をした青いものが見えた。と思っていると、さらにその半月の形をしたものは横に動き、マリルの姿が現れた。

 その時、私とマリルの目は合い、マリルははっと茂みの中に隠れてしまった。

「あ、待って!」

 ぱっと立ち上がりマリルの後を追ったが、その後マリルを見つけることは出来なかった。



 その日から私が絵を描いていると度々、マリルの姿を見ることがあった。しばらくの間はマリルと話そうと近づいたりしていたが、その度にマリルは逃げ出してしまう。気になって仕方がなかったが、逃げ出してしまうマリルをこれ以上怖がらせるようなことはできないので、近づくことはやめた。そのかわりに、時々目が合ったときは微笑んでマリルを怖がらせない様にしている。

 そんな日々が続いていたときのある日。その日は雨だったので、きのみを相手に家でデッサンをしていた。雨の日は家から出ることが無いので、描けるものはきのみだけなのだ。室内を描くことはできるが、室内は私の生活感が丸出しの見苦しいものが出来上がるだけだから描かない。きのみなら好きなように配置できるし、一口にきのみといっても様々な種類のきのみがあるから、変化のある絵を描ける。

 ふっと窓の外を見る。しとしとと降りしきる雨が、木々の葉に落ちていく。雨の景色を描こうとは思わない。今でこそ克服したが、雨を見るだけで私は体調が悪くなることがあり、今でも雨を見ると心が落ち着かない。そんな雨の景色をどうやっても描けない。

 と、窓の外に急にマリルの姿が現れた。このときちょうど外を見ていたので私とマリルの目はぶつかり合い、マリルは驚いて窓枠の外側に消えてしまった。

「マリル!」

 すぐに立ち上がり窓を開ける。今の消え方では、身長の足りないマリルは窓の下に落ちたに違いなかった。案の定そうだったようで、マリルは倒れていた。

「大丈夫か?」

 マリルは恥ずかしそうに微笑み、大丈夫だというように鳴き声を出した。

 私は手を差し伸べる。マリルは私の手を見、私の顔を伺う。

 私は微笑んだ。マリルを安心させるために。

 マリルは少しためらい、私の手をとった。



 その日から、晴れの日は写生の最中、雨の日は家で、私とマリルは毎日会うようになった。

 人見知りの壁がなくなるとマリルはなかなか快活な子であるのがわかった。写生をしている日には、私の周りを走りまわったりするし、雨の日はデッサン用のきのみを食べてしまう。快活というより、もはやいたずら坊主だったものの、一人暮らしの私には楽しい毎日になった。

 どうやら、このマリルは私が絵を描くのに興味を持っているらしい。私ポケモンに絵の良さがわかるのかはわからないが、絵を見るときはとても真剣な目をしている。自分の目で見ているものが別の所にあるのが不思議なのかもしれない。

「僕は普段風景画しか描かないけれど、いつか君のことも描こうか?」

 そうマリルに言うと、マリルは嬉しそうにうなずき微笑んだ。




 あの嵐の日、私は朝から絵を描きに外に出かけていた。普段から晴れた日の風景を描くのが好きだったから、曇りの日や雨の日の風景を描くことは殆ど無かった。ただその日に限って、たまにはこんな天気の悪い日の風景を描いてみたい、と思って出かけていた。

 曇天の空模様の下でざわめく木々、冷たい風。晴れの日とは全く違うこれらの要素を描くのが楽しかった。とても楽しくて時間を忘れてその風景を描いていた。やっと気づいたのは、キャンバスに雨粒が落ちてきたせいだった。降りだした、と思った瞬間にはすぐに大雨が訪れてすぐ近くにあったくぼみの中に雨宿りした。

 雨はさらに強く降り、数分後には数メートル先が見えないぐらいの土砂降りになってしまった。晴れの日の穏やかさと暖かな木漏れ日とは一転して、木々のざわめく音と雨が降る音が不協和音を奏で、冷たい風と吹きこむ雨が体温を奪う。心身ともにすり削られていくこの状況に私はもう泣き出していた、と思う。

 気づいた時には数メートル先は見える程度に雨がやんでいたが、雷が鳴り出していた。

 ――帰りたい。

 家までの距離はそう遠くない。この雨の中でも、走っていけば帰れる。しかし、せっかくこれまで描いた絵のあるキャンバスを濡らしたくなかった。

 結局私はこの場所で雨が止むのを待つことにした。帰りたい、そんな気持ちを抑え、私はキャンバスを雨から守りぬいた。




 この日は雨だった。しかも、ただの雨ではなく、台風が接近していたことによる大雨だった。

 ――この雨だとさすがにマリルも来ないな。

 というのも、私はマリルにそう言い聞かせていたからだ。

 みずタイプのマリルはこのような大雨はむしろ喜ぶだろう。しかし、私は嵐の恐ろしさを知っているから、何があっても嵐の日には来るなと念を押していた。もちろん、マリルがこの大雨の中どうするかまではわからないが、そこまで制限させるほど力はない。あくまで、マリルは野生のポケモンで私のポケモンではないのだから。

 けれど、私のところには絶対に来るなと言い聞かせた。これは私のエゴかもしれない。けれど――。

 窓が音を立てる――と同時に窓に一瞬の光がよぎり、数秒後に雷が鳴り出す。台風がかなり近づいてきたようだ。

 私は立ち上がり窓に近寄る。これからこの場所を通過していく台風が繰り出す光景を見たくないからだ。木々がざわめき揺れるその光景は見るに耐えれない。

 ――と。

「マリル!?」

 私は窓を開けた。一気に私は吹きつける雨に濡れてしまうが、そんな私を気にもせずマリルは室内に入ってくる。

 私はすぐさま窓を閉める。マリルはマリルが来たときようにおいてあるタオルの上に乗っていた。

「マリル! 大雨の日には家に来るなって言っただろう!」

 私はマリルを叱りつけた。が、人見知りなくせにマリルはそれを気にもせず、私に微笑み返す。

 マリルは背を向けて、この家の玄関まで走る。マリルはドアノブを指差し、いかにも扉を開けろと言わんばかりだ。

 この時私はかっと頭に血が登った。私はマリルを片手で持ち上げ、もう片手で扉を開ける。

「約束を守れない奴はもう二度と来るな!」

 そう言って私はマリルを外に放りだし扉を閉めた。




 気づいた時、私は病院のベッドの上だった。

 話を聞くと、両親が嵐になっても帰ってこない私を心配して捜索隊を導入して探してくれたらしい。捜索隊が私を発見したときは、体を震わせて衰弱した状態だったらしい。そんな状態でも私はキャンバスを抱き抱えたままで、そのキャンバスを離そうとしても離せなくて、そのまま病院に送られたという。

 起き上がり、ふと窓のほうを見る。そこに暖かな太陽光はなく、空は黒雲で閉ざされていた。

「おお、やっと起きたのねえ」

 声が窓の反対側から聞こえた。振り向くと、隣家のおばさんがいた。

「体は大丈夫? もう寒くない?」

 大丈夫と答えた。おばさんはそのまま看護師を呼びに行った。

 それから数日間、隣家のおばさんがずっと私の面倒を見てくれた。まだ子供だった私だが、なぜ両親が来てくれないのか不思議になってきたので、おばさんにそのことを尋ねると、ただはぐらかすだけだった。しかし、何度も問い詰めるように尋ねると、おばさんは観念したように、だがトーンを下げ泣き出しそうな声で教えてくれた。

 ――あなたのお父さんとお母さんは、あの嵐で亡くなってしまったのよ。



 両親がなくなった原因は私にある。私を探していて両親は亡くなったのだ。

 捜索隊を出したのは両親で、両親も私を探してくれていた。両親は、危険だからという理由で大勢で同じ所を探していたのに不満だったらしく、勝手に捜索隊から離れて自らで私を探しに出たらしい。そのすぐあと、つきだした丘から滑り落ちて亡くなったとのことだった。あの数メートル先も見えないほどの土砂降りの中、足元を見誤ったというのが結論だった。

 そして、このとき雷が落ちたという。私の家はその雷に直撃しなくなった。

 一晩にして私はすべてを失った。あの日、私が絵を描きに出かけなければこんなことにはならなかった。それは違う、と誰もが私に言ってくれたが、今でも私のせいだと思っている。けれど、両親を自分が追いやったということを事実として受け入れるにはまだ私は子供だった。

 だから、少しでもその事実を軽くするため、雨を嫌いになった。少しは雨のせいだ、そう自分に言い聞かせ自分を守っている。




 窓に吹きつける雨がだんだんと強くなる。雷もカーテン越しに閃光してから音が鳴るまでの間隔がだんだんと短くなっていく。

 ――マリルは大丈夫だろうか。

 かっとしてしまいマリルをこの大雨の中に放り出したのをいまさらながら後悔していた。

 あの時は、この台風迫る大雨の中でやってきたマリルに腹を立ててしまった。マリルを失いたくない、そう思って絶対に来るなと言い聞かせていたのに、私のそんな気持ちも知らないで、悪びれもしないマリルに対してひどく腹を立ててしまった。そんな気持ち、マリルに話してないからわかるはずもないのに――。

 窓がガタガタと常に揺れる。雷も数秒の間をおかずに鳴りだしている。

 だんだんと不安になる。

 あれほど怒ったこと私をマリルは見たことがない。私にあんな態度を取られた人見知りのマリルの心境を考えてしまうとさらに不安になる。泣きべそをかけてふらふらと歩いているマリルの姿が脳裏をよぎる。

 ――探しに行ったほうがいいのか……?

 しかし、この大雨の中でるのは危険だというのはマリルにも言えるが私にも言えるのだ。私の体は中腰で止まってしまう。

 探したほうがいいのか? それとも探さないほうがいいのか?

 かつて私を探しに出た両親のように探したほうがいいのか。それとも、危険を顧みたほうがいいのか。

 私を探した両親はその後に亡くなった。それにマリルはみずタイプだ。こんな雨の中では大丈夫だろう。逆に雨に耐性のない私が外に出るほうがよっぽど危険だ。

 窓のほうを見る。かかっているカーテンで外は見えないが、カーテンが少し揺らいでいる。

 ――と。

 カーテン越しに閃光がよぎった瞬間、雷鳴が轟いた。

 脳裏にあの日の光景がよぎる。脳内で形成した両親の最後の光景を――。

 マリルと過ごしたあの楽しい日々を――。

 ――行かなきゃ……!

 私は家から飛び出した。



 雨の日に出かけない私は傘を持っていない。いやそんなのはこの風だ、何の意味もない。

 ずぶ濡れになりながら雨の中をマリルを呼びながら駆け抜ける。衣服に既に染み込み切った水と、向かってくる雨風に足は重くなる。

 雷は依然と鳴り続ける。先ほどの雷は落ちており、木が倒れている場所がある。この場所はくまなく探したがマリルはいなくてほっとする。しかしまだ危険はまだ回避されていないから安心はできない。

 マリルがどこに行ったかわからない。それにこの雨の中では視界も悪く、音もうるさい。跳ねる泥の音すらも聞こえない。私は出せる限りの叫び声でマリルを呼ぶ。

 ――どこに行ったんだ、マリル!

 私の足が止まる。手を膝につけ呼吸を整えるが、整えている呼吸のさなかにも雨は私に振り付け呼吸を整えさせるのをやめさせようとする。

 どこに行ったんだろう。マリル自身の住処に帰ったんだろうか。そうだといいが、と思うものの自分の目で確かめない限り安心ができない。しかし、私はマリルの家がどこにあるのか知らなかった。このへんに他のマリルが生息しているのも知らない。

 ――もしかして、あの洞窟か……?

 私とマリルが最初に出会ったあの洞窟。もしかしたらマリルはあそこにいるかも知れない。そう遠い距離でもないし、雨宿りなどするにはよい場所だ。何事も無ければあそこにいるかも知れない。

 一度行くだけの価値はある。それにあそこはマリルが以前倒れていた場所だ。危険な所でもある。

 洞窟に向かって、それを阻止させようとする雨を振り切り、重たい足を鞭打たせるように走りだす。



「マリルー! いるか!?」

 私の声が洞窟に反響する。――しかし、マリルの返事はない。

 ――ここにはいないのか……?

 となるとどこにいるのだろう。何事かに巻き込まれているのか……?

 依然として振り続ける大雨。鳴り響く雷。だんだんと不安がよぎっていく。

 ――マリルにあんなやり方で追い払わなければよかったのに……。

 全ては私が悪い。子供の頃両親をなくなったのも私のせいなのだ。私のせいなのだ。私があの日に絵を描きに行かなければよかったんだ。あの時、私はマリルを追い払ったのがいけないんだ。こうなると少し考えればわかるはずなのに。

 本当は雨が嫌いなんじゃない。本当は僕自身が嫌いなんだ。

 ――と。

 水が跳ねる音が反響した。わずかだが、大雨の音とは違う、水が滴り落ちるときの音だ。

 それ以降その音は聞こえない。しかし、その男は洞窟の奥から聞こえた音に違いなかった。そういえば、私とマリルが出会った時、洞窟の周辺は濡れていた。マリルが何かしらみずタイプのわざを使っていたからだろう。

 ――この音はマリルが使ったみずタイプのわざによるものだろうか。

 私は洞窟の先に進みだす。懐中電灯など持ってきていない。明かりもなく、進む先には何も見えない。

 しかし、水が滴り落ちる音はだんだん大きくなっていく。行く方向はこっちで合っているはずだ。

 やがてその滴り落ちる音が変わってきた。滴り落ちる音は変わらないが、水で何かを洗っている時のような連なる音がするようになってきた。その音が最高潮に達してきた時――。

 一瞬だが、この洞窟に光がよぎった。

 と、同時に目に映ったものは、マリルの姿だった。

「マリル!」

 私はマリルがいた場所に走り寄る。既に洞窟内は暗く何も見えないが、私はマリルを抱きしめることができた。

「マリルごめん、僕が悪かったんだ。あんなふうに追い出してしまった僕が悪かったんだ、ごめん」

 ふっと頬に何かが触れる。マリルの手だろうか。私を慰めるように、その触れているものは頬を撫でている。

 それはとても暖かかった。



 マリルは私の腕からするりと抜け出した。と、何か私に伝えたがっているようで何か言っているが、位からジェスチャもわからず意味が取れない。次の一瞬の光を逃せない。

 そもそも、この洞窟になぜそんな光があるのか不思議だ。このずっと鳴り響いている音もわからない。マリルがみずタイプのわざを使っているわけでもないのにこの音があるのはなぜだろうか。

 と、そのとき光がよぎった。私ははっと顔を上げた。

 その一瞬で見えたのは、雨だった。




 あの台風の日から数週間が経った。

 あの一瞬で見えた雨。あれはそのとおり「雨」だった。

 洞窟の中に雨が降ることはない。しかし、どうやらこの洞窟のその場所には「雨」が振るような光景になる仕組みがあるらしい。詳しく調べたわけではないが、どうやら大まかに仕組みはこういうことらしい。

 この洞窟の場所の上の部分には穴がある。といってもそれほど深い穴ではなく、ちょっとしたくぼみのような穴だ。その穴の底は開閉可能らしく、に一定の重さがかかると落とし穴のように開き、下に落ちる仕組みになっている。その下の部分は再び床になっているがそこには小さな穴が点在している。くぼみに雨水が一定量たまると、雨水はその下に流れ込み、底に開いている小さな穴から洞窟に雨のように水が流れこむ、といった仕組みになっているようだ。

 これなら晴れた日に光は差し込まないが、雨の日の雷なら光が差し込む。しかも、雨になるには常に底が開いていることが重要なので、あの日のように大雨でない限り洞窟内に「雨」は降らない。せいぜい、地面に染み込んだ水が洞窟内に流れこむだけだ。

 なぜこんな仕組みがなっているのかはわからないが、この仕組みはいろんな所にあるらしく、この洞窟が全部の道で行き止まりになっているのがなぜかがわかる。

 いわタイプのイワークにこの水は耐えられないものだったに違いない。住処にしようとしてこの洞窟を掘ったのだとしたら、この水はイワークにとって耐えられるものではない。それにディグダやダグトリオが作ったと思われる洞窟だって同じ事だ。雨の日に、苦手な水から避けようとしているのに住処に水が入ってきたらたまったものではない。

 誰がこんな仕組みを作ったのかはわからない。いろいろな文献で調べて有力な解釈は地盤が弱まるのを防ぐためと思われるが、実際どうなのかはわからずじまいだ。

 しかし、この仕組みが私を救ったことは確かだ。

 マリルはこの光景を私に見せたかったらしい。マリル自身はこの光景が好きらしく、私にこの光景を絵にしてもらいたかったのだと考えている。あの大雨の中ならばこの洞窟に振り続ける「雨」は、とても魅力的な光景だったからだ。

 だから、マリルはあの日、私の言い聞かせたことを無視して私をこの場所に連れてこさせたかったんだろう、と私は思う。

 何れにしてもマリルがどう考えていたかはわからない。けれど、私はそう言っているんだと確信している。



 あの日以来、私はちょくちょく雨の日にも出かけるようになった。まだ遠出するようなことまではできていないが、傘を購入し、雨の日になると時々あの洞窟へマリルとともに行く。マリルが望むように、あの洞窟の中の「雨」を描くために。

 私の生活サイクルは変わった。けれど、それは悪くない生活サイクルだ。

 その新しい日常をこのままずっと続けていくことが、これからの僕の使命のようだ。




あとがき
 二〇〇九年に書いた「五本の尻尾」以来、実に二年半ぶりの作品になります。

 二〇一〇年十月に物書きの引退を宣言したのですが、実はちょくちょくそれ以降も思い立っては執筆をしたりしていました。ですが、ストーリーの構想をしていざ執筆に入るとそこで筆が止まってしまう。筆が進まないものだから最終的には諦めてしまう――というのを繰り返していました。

 そんな中でこの作品を書くことができたのは「雨をテーマにショートショートでも何でもいいから書きたい」と思ってストーリーの構想も何もなく自由奔放にできたからです。

 しかし、この公開している作品はその時にできたものではありません。大筋は大体同じですが、ストーリー構成がない分「なぜそうなるの?」と思われる部分が多かった作品だったため、大筋を基に肉付けをして出来たのがこの作品です。もともと、マリルもニョロモで、ニョロモをチョイスした理由はニョロトノが雨に関係するからというだけしかなかったので、意味あるようマリルに変更しました。

 どうでもいいですが、今の私には短編を書くときにストーリーなしで小説を書き、それを基に肉付けしていく執筆方法にすれば今後も書いていけそうな気がします。断筆宣言は何だったのかというところではありますが。

 ――そんなこんなで完成したこの作品は、画家である「私」がマリルと出会い、トラウマのある雨を克服していく、というお話です。

 もともと、雨をテーマにした時に寒々しい雨とは裏腹に「心温まるストーリー」を書きたいなあと思っていて出来た形がこれでした。最初は、「僕」の雨嫌いがニョロモと出会いだんだん好きになっていく心温まるお話なんて思ったのですが、私にそんな作品を書くことは出来なかったです。日常的にそういうお話を読んでいないせいでしょうか。

 もともとこういうジャンルは苦手なので書けているか悩ましいところですが、ブランクがあっての作品としてはまだ良い方なのではないかと自負してます。

 お気づきの方も多いと思うのですが、ほのぼのジャンルを目指したくせに少しばかり伏線張ってます(結果としてはひどいものかもしれませんが)。あと、マリルをチョイスしたのも理由があります。洞窟に池などがないのにみずタイプがいるというこの環境に理由を持たせることができるとしたら、暗いフラッシュを使わなければいけないスリバチやまに生息するマリルなのかな、と。スリバチやまには水があるので必ずしもそうとは言い切れません。ですが、陸上で生活できるみずタイプというのと、もともとニョロモを主体に書いていた作品だったのでマリルだと書きやすいというのもありました。

 こじつけだと思われたらそれまでですが、こういった理由付けをして、出来る限り意味のないものは書かない小説が私は好きです。といいつつ、意味のないものがあったりするのはまだ私が未熟だからですが。

 次にいつ書くことになるかはわかりませんが、久しぶりに書けて楽しかったです。あと、読んでくださった皆様に感謝です! ありがとうございました!

 初 版:二〇一二年四月二十九日

 公開版:二〇一二年六月十六日

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