ポケモンのタマゴ

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作者:黒糖
読了時間目安:8分
 「ポケモンストーリーテラーカーニバル」という企画のテーマB(「波音」「マスク」「神経衰弱」を用いた三題噺)に投稿した作品に加筆修正を加えたものです。
 さながら神経衰弱で裏を向いているトランプの札とでも言うべきだろうか。ポケモンのタマゴは皆同じ模様と形をしている。どれをとっても変わらず無機質なその容貌からは、どのような内面を秘めているかは知る由もない。実際にかえしてみるまでは分からないのである。神経衰弱は一度返した札は皆に見られ、記憶に残るだろう。ならば、ポケモンのタマゴはどうだろうか。孵った瞬間を誰も見ていなければ、誰の記憶にも残らない。
 これは、私の過去の恥ずべき行いを記した懺悔の文である。


 話は、私が十歳になる誕生日の前日にまで遡る。ポケモントレーナーを目指す者にとって、この「十歳の誕生日」には大きな意味がある。一般的に、人がポケモンの命を預かるに相応しいと判断される日である。それと同時に、ポケモンマスターを目指していた私にとっては、待ち望んでいた日でもあった。
 私はこの運命の日をアローラ地方で迎えることとなった。アローラ地方は私の故郷から遠く離れている。私が旅に出ることを両親が寂しく思い、最後に二泊三日の家族旅行をしたいと言ったのである。

 船で何時間揺られていただろうか――船内ではぐっすり寝ていたので全く分からないのだが――アローラ地方に到着した頃には日が沈みかけていた。船から降りるとすぐに潮の香りと波音が私たちを歓迎してくれた。アローラ地方は海に囲まれた島々の街なのだ。
 私たちはアーカラ乗船所から少し歩いたところにある「ホテルしおさい」に泊まることにした。 部屋は広く、大きな窓からは夕焼けに染まった美しい海が眺められた。私は部屋に入ってすぐに、大きなベットに飛び込み、非日常感を楽しんでいた。今日は、明日に備えて早く寝なければならない。しかし、私は船の中で寝ていたためか、興奮のためかなかなか寝付けなかった。
 深夜零時を回り、私は一つ歳をとった。両親は私の誕生日を祝い、プレゼントを渡した。――ポケモンのタマゴだ。アーカラで預かり屋をやっている両親の知人からもらったタマゴで、何が生まれてくるかは知らないらしい。私はこのプレゼントをとても喜んだ。どんなポケモンが生まれてきても大切に育てようと心に決めた。また、そのタマゴを抱いて布団に潜ると、不思議と気持ちが落ち着き、すぐに眠りについた。

 目が覚めると、朝になっていた。今日は一日中アローラ地方を満喫する予定だ。勿論タマゴも一緒である。アローラは比較的暑く、道行く人は皆軽装をしている。この地方では大人も日常の悩み事や、抱えている苦悩から解放され、子供のように楽しんでいるのだ。
 観光していた当時の私が最も驚いたことは、住人の移動手段にポケモンが用いられていることだ。人がポケモンの上に乗って移動する。人とポケモンの信頼関係があってこそ為せる文化だろう。私も色々なポケモンに乗ったのだが、その中でもマンタインサーフが印象に残っていた。私はマンタインに乗って様々な島を巡り、様々なアイテムを買い、様々な出会いをした。
 あっという間に日が沈み、私たちはホテルしおさいに戻った。私は部屋に戻るや否や眠ってしまっていた。勿論傍らにはタマゴを抱えている。夜が更けていく……。

……おや?

 突然タマゴが動き出し、表面にヒビが入った。私は目を覚まし、タマゴの様子を静かに見守っていた。外はまだ暗く、様子はあまりよく見えなかったが、タマゴからポケモンが生まれようとしていたことはわかった。私は胸が高鳴った。

 タマゴが かえって ????が うまれた!

 タマゴからポケモンが現れた。暗かったため、色や形はよく分からなかったが、触ってみるともふもふとした感触と、生き物特有の温もりと鼓動が伝わった。
 次の瞬間、ポケモンが私の手からこぼれ落ちた。――逃げ出したのだ。私はすぐに明かりを点けて部屋中を見回したが、ポケモンらしき姿はない。両親はまだ眠っている。見渡すと、部屋の扉が開いていることに気付いた。ポケモンは外に逃げ出したのかもしれない。私は明かりを消し、部屋の外を探した。この時、私がバックを持って出たのは、慌てていながらも、心のどこかに冷静さのようなものがあったからにほかならないだろう。
 私はロビーに出て、姿も分からないポケモンを探し回った。このままではせっかく両親から貰ったプレゼントを台無しにしてしまう。最初のポケモンを逃がしてしまった私を、両親はどう思うだろうか。ふと時計を見ると、もう少しで両親が目覚める時刻だ。このままではまずい――。そして、私の心の片隅に眠っていた悪徳が目を覚ました。私はホテルから飛び出し、すぐ近くの4番道路に走った。草の中に入り、闇雲にポケモンを探し回る。空はうっすらと明るくなり始めていた。

あっ! 野生の ドロバンコが 飛びだしてきた!

 幸いにもレベルはさほど高くない。私はポケモンを持っていなかったが、バッグからモンスターボールを取り出し、全力でドロバンコに向かって投げつけた。昨日の観光の間に買っておいたモンスターボールだ。こんなことに使うとは思ってもいなかったが、買っておいて良かったと思った。
 モンスターボールの揺れが止まり、私はドロバンコをゲットした。間違いなく、私の「最初のポケモン」である。正直なところ、このドロバンコに対する愛着は微塵もない。無事にやるべきことを終えたという冷酷な喜びを胸に、私は部屋に戻った。
 部屋に戻ってしばらくすると、両親が目を覚ました。私は、疲れているのを悟られないよう息を殺しながら、わざと無邪気な声を出して言った。
「見て、夜の間に昨日もらったタマゴが孵ってドロバンコが生まれたよ!」
両親はとても喜んでいた。これで大丈夫だ。と私は思った。誰も不幸にならない。誰がなんと言おうとこのタマゴから生まれたのはドロバンコなのである。私のついた嘘は、透明な水の中に黒いインクを落としたように広がり、心の中に自然と溶け込んでいった。

 今日は朝からホテルを出て、船で帰る予定だ。私はあれ以来、一刻も早くこの街から出てしまいたいと思っていた。帰りの荷物を纏めていると、ベッドの下に小さな影が見えた。イーブイだ。恐らくあの時のタマゴから生まれた個体だろう。イーブイは不思議そうな表情でこちらを見つめている。冷静に考えれば、何故先にベッドの下を探さなかったのか不可解だったが、今更後悔してももう遅い。
 私は両親の目を盗み、素早くイーブイを捕み、雑にバッグに詰め込んだ。その後、トイレに行く振りをして、イーブイを4番道路に逃がしてやった。このときの私の素早い判断力と手際のよさは今でも信じられない。

 私は船に乗り、アローラに別れを告げた。私はこの旅で10歳の誕生日を迎え、確かに「大人」になったのである。後で調べて分かったことだが、4番道路には野生のイーブイも生息しているらしい。私が逃がしたイーブイもこの環境に適応し、元気に育っているだろう。誰も困っていない。しかし、私の心には少なからず罪悪感があった。
 もし私が両親に正直に話したら、両親は本当に私のことを非難していただろうか。本当にベッドの下で見つけたイーブイを逃がす必要があったのだろうか。今になって様々な後悔の念が浮かんでくる。今更真実を話すつもりもないが、この気持ちをどこかにさらけ出したいと思い、この文を残した次第である。

 私は今も、ドロバンコを連れて旅を続けている。実を言うと最近は、この一件を思いだし、非常に憂鬱になってしまう。夜も眠れなくなり、食事も喉を通らなくなった。寝るときにアイマスクを付けても、真っ暗な視界の中にあの時のイーブイの不思議そうな表情が映り、感傷的になってしまうのだ。医者に相談したところ精神的に病んでしまっているらしい。病名は「神経衰弱」なのだと。

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