お手本の「ド」

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作者:しろあんさん

 とある家の一室。小さいながらもリビングウッドでできた小洒落た部屋には、小さなテーブルにソファとタンス、そして二台のグランドピアノが設置されていた。
 その片方のピアノのトムソン椅子に腰掛けているのは、14歳ほどの少年。
 少年は姿勢を整え、そっと右手の親指をドの位置、薬指をファの位置に置くと、一呼吸置いてからゆったりとしたメロディーを最初の三小節だけ奏でた。

「ストップ、やっぱり最初のドが少し強すぎますね」

 少年の隣に立っていた大らかな印象の女性が、そう指摘した。その女性の両手にはひねこポケモンのニャビーが抱きかかえられている。

「出だしは弱起ですから、もう少しやさしめに鍵盤を押してみてください。そしてそこから音を広げていく。もう一度」

 少年はこくりと頷いて、もう一度同じメロディーを演奏し始めた。
 しかし今度は出だしのドの音が消え入るような音になってしまい、次の音に繋がらない。慌てて少年は弾きなおすが、今度のドは無機質な音になってしまった。

「難しいな……」

 何度かそのようなミスを繰り返した後、少年がそっと呟いた。

「出だしの音を弾く際に、まずは腕にゆるみをつけてからゆっくりと入ってみるといいですよ。こんな風に」

 そういうと女性は抱きかかえていたニャビーをそっとソファの上に降ろし、もう一台のグランドピアノで少年にお手本を見せ始めた。
 その出だしのドは滑らかで柔らかく、次の音には僅かな緩急がついている繊細な演奏だった。そして女性はそのまま楽譜の六小節目までのワンフレーズをゆったりと、表情豊かに弾き上げた。

「ほぇ……すごい。でも先生、その出だしの微妙な力加減が上手くいかないんですよ」
「それはきっと親指の力だけでドの音を調整しようとしているからですよ。そうするよりも腕のゆるみから入って、猫の肉球のように柔らかいタッチで演奏するイメージをつければきっと上手くいきます」

 女性は鍵盤に手を置いて、腕の力を抜く動作を繰り返し見せながら少年にそう指南した。

 ──ぷるるるるるるっ

 ちょうどその時、家のリビングの方から固定電話の着信音が鳴り響いた。

「あらごめんなさい、ちょっと電話にでてきますね。その間に練習しておいて良いですよ」
「分かりました」

 そうして女性は急いで部屋を出ていき、ピアノの部屋には少年と一匹のニャビーだけが取り残された。

「うーん……こうかな……?」

 少年は先ほど女性に言われた腕にゆるみをつけるという動作の練習を始める。力を抜き、軽く両腕を回すような動きを何度か繰り返すが、その動きはどこかぎこちなく、ただ単に余計な動作となっていた。

「にゃぶ」
「わわっ、いつの間に」

 忍び寄る動きでいつの間にか少年の膝の上に飛び乗っていたニャビーは、少年の瞳をじっと見つめて一鳴きする。

「この子の名前ってなんだったっけな……?確か、ミロンだっけ、メスのニャビー」

 少年はトムソン椅子を軽く引き、ニャビーを持ち上げて立ち上がった。ニャビーの体は軽くて柔らかい。

「うにゃぶ」
「猫の肉球のように柔らかく……」

 少年はニャビーの前足を軽くつまみ、肉球の部分を鍵盤のドの部分に当てて音を鳴らしてみた。

 ~♪

「あ。……綺麗な音」

 少年は何かを感じ取ったのか、何度もニャビーの肉球でドの音を鳴らした。

「ふふっ、面白いかも」

 楽しくなってきた少年はそのまま肉球で、ファ、ミ、ファ、ソの順番で音を鳴らしていく。

「うに゛ゃあぅ」
「いだッ!?」

 突然ニャビーが少年の手に噛み付き、颯爽とその場から抜け出した。少年は手を押さえながら逃げ出したニャビーの方を睨んだが、ニャビーは威嚇するでもなく平然とソファーの上に寝転がった。

「どうかしましたか?」
「あ、先生。……いや、なんでもないです」
「そうですか。それじゃあもう一度演奏してみましょう」

 部屋へと戻ってきた女性は少年を椅子に座るよう促し、少年もそれに従った。
 椅子に座ってから噛まれた手を軽く振るい、一度楽譜に目を通した。そして鍵盤に手を添え、頭の中でリズムを刻み、一呼吸置いてからそっと演奏を始める。

 ~♪

 表情豊かでゆったりとしたメロディ。何となくコツを掴んだ少年は、少しだけ顔に笑みを浮かべながら六小節目までを弾き上げた。

「良いですね、良くなってます。それじゃあ次の小節も続けて弾いてみましょう」

 演奏を聞いていた女性も軽く頷きながらそう言った。
 少年はちらりとニャビーの方に視線を向ける。ニャビーはそれには気づかず、気ままにソファの上でグルーミングをしていた。

「はい、分かりました」

 少年は噛まれた手をもう一度だけ軽く振るい、曲の続きを演奏し始めた。

こんにちは、しろあんです。
このお話は私の習っているピアノの先生から聞いた体験を元にして書いています。(ちょっと話を変えてますが)
なんでも、その私の先生の先生はとっても厳しい方で、納得するまで何度も弾き直すように言っていたのだとか……
まぁ、猫は天性のピアニストって言いますから(?)ねこっぽいポケモンの中にはピアノが上手な子もいるかもしれませんね。ちなみに、この少年はまだピアノを始めてから半年ちょいぐらいという設定です。
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   作品サブカテゴリ: ピアノ  短編