ニンゲンとポケモンの世界

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作者:影丸
読了時間目安:37分




 ボクは、自転車の上で生まれた。
 もちろんその時は自転車なんてものは知らなかったし、そこがどこで自分がなんなのかもよくわかっていなかった。
 ボクはタマゴの殻の上から、びゅんびゅん流れてく景色を眺めた。それが初めて目にする世界の姿だった。
 ボクのタマゴを持っていたのは、やたらと暖かいポケモンだった。大きな翅でバランスをとりながら、短い脚で器用にタマゴを抱えるそれは、ウルガモスというポケモンだった。

 ほどなくして、ボクが生まれたことに気づいたらしい。自転車が止まって、それを動かしていた生き物が、ボクとウルガモスのいる荷台を振りむ向く。それが初めて見るニンゲンだった。

 ニンゲンは、ウルガモスがそうだったように、無表情にボクをみた。そしてボクにはなにも言わず、ウルガモスに短く指示して、ウルガモスも慣れたように従った。自転車を片付け、ウルガモスに掴まれて飛ぶ。わけもわからないまま移動して、着いたのは大きな建物だった。建物に入ると地下への階段があって、大きな四角い乗り物が並ぶひらけた空間に出た。けれどニンゲンは乗り物などには目もくれず、そこにいた別のニンゲンに話しかけ、ボクを見せた。そのニンゲンはボクのことをやはり無表情にじろじろと見て、「まずまずの能力をもっていますね」と言った。ニンゲンは疲れたようなため息をついて、ボクを画面のついた箱のような機械の前に連れてきた。ニンゲンが機械を操作すると、ボクはその場からいなくなった。機械の中に入ってしまったのだ、とぼんやり理解する頃には、ボクの意識はまどろんでいて――そこからのことは、覚えていない。




 目が覚めたとき、そこは外だった。
 妙に薄暗くて、重たそうな雲が空を覆っていた。
 あのときにみた建物とか乗り物とか、そういうものはなくなっていた。代わりに、ひどく散らかった瓦礫とか、ばらばらになった機械の残骸とかが散乱していた。それらをみていて気がついた。建物とか乗り物は、なくなったんじゃない。ぎざぎざした形の瓦礫は、階段だったものの一部だ。向こうの大きなぼろぼろのかたまりは、横倒しになった乗り物だった。

 なにもかもが壊れていた。ぴかぴかしていたはずのものは、煤けて黒くなっていた。全部がばらばらで、ぼろぼろだった。
 そして、ニンゲンはどこにもいなかった。

 あれから、どれくらい経ったんだろう?
 ボクが機械の中にいる間に、いったいなにがあったんだろうか?

 周りには、ボクと同じように戸惑った様子の、ボクと同じ姿をした生き物がたくさんいた。そう、ボクはその時初めて、自分がどんな姿か知った。ボクが見るボクの手足、それと同じものをもったポケモンたち。丸っこい体に大きな口。鋭い歯。ボクはフカマルというポケモンだった。
 ボクと同じ姿のポケモンは、ちょっと数えきれなかったけど、三十匹くらいいたように思う。他の種類のポケモンもいて、やっぱりそいつらも、三十匹くらいいるようだった。ボクたちがなにがなんだかわからずにいると、唐突に大きな吠え声が聞こえた。注目を集めようとするような声で、その通りボクらはその声の方に注目した。

 ――諸君、気分はどうだろうか。キミたちは、ニンゲンの作ったパソコンという装置で、機械の中に取り込まれていた。だがキミたちは解放された。我々がそうした。我々はニンゲンに反旗を翻した。この町にニンゲンはもういない。我々にニンゲンはもういらない。だが、まだ我々の戦いは終わらない。そう、ニンゲンを根絶やし、真の自由と解放を得る時まで!

 そいつは、そんなようなことを声高に話した。難しくていまいち意味が分からなかった。他のポケモンたちもそうだったらしく、みんな戸惑ったようにきょろきょろしていた。

 ――諸君、我々は仲間を集っている。共に戦う仲間たちをだ。キミたちはニンゲンに虐げられた。身勝手な目的のために強引な方法で生み落とされ、その生に意味さえ与えられずに、不要なものとして機械の中に押し込められた。許されざる蛮行だ。志を同じくする者よ。ニンゲンの愚かしさを理解する者たちよ。我々と共に戦おうではないか!

 そいつが腕を広げて吠え声をあげると、両脇にいたポケモン、シュバルゴとゴルーグも腕を振り上げた。 後ろには強そうなポケモンが大勢いた。そいつらが一斉に声を上げるので、びりびりと空気が震えるみたいで、小さなボクたちは委縮した。空の分厚い雲まで少し震えたように思えた。
 そいつの姿は、どこかボクたちフカマルに似ていた。大きな口と、鋭い歯。けれど丸っこいボクらと違ってすらりと背が高く、全身に力強い筋肉がバランスよくついていた。ガブリアスという、ボクたちフカマルをうんと強くつくりかえたようなポケモンだった。
 だからだろうか。戸惑っていたフカマルたちの中から、一匹、また一匹と、ガブリアスの率いるポケモンの群れに加わるものが現れた。他の種類のポケモンたちも、続々と群れに加わっていく。そうしてボクらの半分以上が仲間になると、ガブリアスは満足そうにもう一度吠え、ポケモンたちを率いていった。

 ボクは、いっしょに行かなかった。ガブリアスの暗い目つきがなんだか怖くて、そんなふうになりたいとは思わなかった。

 他の残ったポケモンたちも、次第に別れ、ばらばらにどこかへ去って行った。ボクも、ぼろぼろになったニンゲンの町をさまよった。
 行くところもないし、やることもない。ガブリアスはボクらに意味が与えられてないと言ってた。それがどういうことかよくわからなかったけど、ニンゲンのいなくなったニンゲンの町にひとりぼっちでいるボクには、確かになんの意味もないように思えた。

 ふと、壊れた建物の奥から物音がした。
 だれもいないと思っていたボクはびっくりして転がりそうになったけれど、踏みとどまって音の方を見た。だれの姿も見ないので、ボクはゆっくりと、物音のした方に近づいた。そして、瓦礫の裏に、その子をみつけた。
 すらりと細い手足をもつ、ボクより体は大きいけれどどこか非力そうな生き物。ニンゲンだった。
 そのニンゲンは、ボクと目が合うと「ひいっ」と短い悲鳴を上げて、泣き出しそうな顔をこわばらせた。ボクが生まれたときにいたニンゲンよりも、いくらか小さい。身につけているものは煤けているしあちこち擦りむいているらしかったけど、大きなケガはないみたいだった。
 この町にもう、ニンゲンはいないとガブリアスは言っていた。だとしたらこの子は、どうしてここにいるのだろう。小さいから見つからなかったのだろうか。うまく逃げて隠れていたのかもしれない。

 どうしていいかわからないボクがまた一歩その子に近づくと、その子は再び悲鳴を上げた。ボクもびくりとしてしまう。この声は苦手だ。自分がどうしようもなく悪いやつみたいな気がしてしまう。
 ボクがそろそろと近づくと、その子も後ろに下がろうとした。でもすぐに背中が瓦礫にあたって、逃げ場をなくした。
 どうしよう。別に怖がらせたいわけではないし、まして捕まえて食べようなんて思えない。確かにお腹は減っていたけど、その細い手足が一瞬おいしそうに見えたのは、なんだか気味の悪いことに思えた。
 そっと、細い足に触れてみた。びくんと強張って、その子は顔を引きつらせた。そのまま動かず、震えながらボクを見ている。ボクもその子のことを見ている。なんだかおかしな感じがした。

 少しの間そうしていると、どうやらその子も、ボクがその子を傷つけるつもりがないのがわかったらしい。震える手で、おずおずとボクに触れようとして、でもやっぱり手を引っ込める。
 ボクは、怖いのだろうか。そうかもしれない。だって口は大きいし、歯も鋭い。
 でも、ボクだって少し怖かった。だってにょきにょきと細長いニンゲンの手足は、きっと簡単にボクを捕まえるだろうし、走ったらすぐに追いつかれるだろう。それでもボクは、このニンゲンの子に興味があった。それはボクが、ニンゲンのところで生まれたからなのかもしれない。

 その子の手が、ようやくボクの頭に触れた。びくりと震えた手の感触は、とてもとてもやわからかった。やわらかくて、あったかい。そういえばここは、少し寒い。あったかいのは好きだ。だからその小さな手が、なんだか好きになれそうだった。

「きみは、悪いポケモンじゃないの?」

 震えて、掠れた声だった。ボクはその子の顔を見上げる。

「きみは、わたしたちの味方のポケモン?」

 どうだろう。別にボクは悪いやつではないと思う。でも、ニンゲンの味方かはわからない。ニンゲンの味方が、いいことなのかもわからない。

「わたし知ってるよ。昔はたくさん、わたしたちの味方のポケモンがいたって。わたしたちのために、戦ってくれるポケモンがいたって。あなたは、そういうポケモンなの?」

 戦う? ニンゲンのために?
 あのガブリアスと、言ってることが反対だった。
 でも、そういえばあのウルガモスは、ニンゲンの言うことを聞いていた。
 ボクは、どっちだ。どっちかじゃなきゃいけないのかな。

「ねえ、もしそうなら、戦ってよ。あいつら、やっつけてよ。おかあさんたちに、ひどいことしたの。みんな、どこにいるかわからないの。生きてるのかもわからない。もし生きてても、きっとわたしのこと、もう死んだって思ってる。だからだれも助けに来ないの。このままじゃわたしも死んじゃうと思う。だってポケモンたちは敵だって。みつかったらひどいことされるって。ねえ、だから戦ってよ。わたしのために戦ってよ」

 その子は一気にそう言った。震えて、掠れた声で。泣きそうな声で。もう、とうに泣き疲れているような声で。ボクに触れる手が、かたかたと震えてる。なんだかそれがイヤだった。
 ボクは一歩その子から離れた。
 さっきのガブリアスと同じだ。この子が言っているのは、きっと同じことだ。
 あの、暗くて怖い目を思い出す。ああいうのは、イヤだ。

 ボクはそろそろと後ろに下がる。ニンゲンは怖い。この子はボクを捕まえるのだろうか。そしたらボクはこの歯で噛むのか。あの細い腕を。気味が悪くなって、ボクは後ろを振り向いた。イヤだ。逃げよう。
 そのとき、後ろから手をのばされた。捕まる。振りほどこうとすると、「いたっ」と悲鳴が聞こえた。それでも腕はボクに巻き付いて、抱き寄せられた。ぎゅっと力強く捕えられる。たまらずボクは口を開けた。

「ごめん!」

 突然その子はそう言った。腕を噛んでしまう寸前だった。

「ごめん。戦ってなんて言ってごめん。いい。戦わなくていいから、ひとりにしないで」

 ぎゅうっと、強く抱きしめられた。ボクは痛くなかったけれど、その子は痛そうに腕をこわばらせて、それでもボクを放さなかった。その子の腕に、じんわりと赤い血がにじむ。血の匂い。鼻について、ちょっとクセになりそうな匂い。でも、なんで触れただけで?
 その時になって、やっと気が付いた。すべすべしてやわらかいこの子と違って、ボクの肌はかたくてざらざらしているらしい。この子にとっては、きっと触るだけで痛いのだ。それでもその子は、ぎゅっとボクのことを放さない。

 ボクは、抵抗するのをやめた。その子のやわらかい肌が、それ以上傷ついてしまわないように。間近で香る血の匂いが、頭の中をひりひりさせる。これは、よくない。歯がうずくような気がして、なんだか怖い。
 それよりもボクは、このあったかさに身をゆだねたかった。寒さを遠ざけてくれるような体温のぬくぬくに、心がとけていくみたいだった。




 拾ったきのみには、歯形がついていた。どんなポケモンが食べたのだろう。きっとグルメなヤツだ。だってこんなに食べられる部分が残っている。味が気に入らなくて捨てたんだろう。
 だけどボクには都合がよかった。ボクは木を登れない。きのみのなる木をみつけても、ボクでは手が届かない。だからこうして、落ちているきのみを拾うしかない。
 ボクの短い腕では、一度にたくさんは持っていけない。それでもなんとかふたつ抱えて、ボクはきのみを持って帰る。途中でばからしく思ったりもした。わざわざ苦労して運ばなくたって、ここで食べてしまえばいいのだ。でも、そうはいかないのだった。だってこれは、ボクひとりで食べるものじゃないから。

 近くに他のポケモンがいないのを確認してから、ボクは岩陰にもぐりこむ。狭い隙間を抜けると、すぐに空間が広がった。
 ボクたちの隠れ家は、小さな洞穴。ボクにとっては十分だけれど、ニンゲンは少し背伸びしたら頭をぶつけてしまいそうな広さだ。けれど入口は目立たないし、うまい具合に岩の隙間から光も入って、そこそこ明るい。

 ボクが入ると、洞穴の奥で縮こまっていたあの子が、びくりと震えるのがわかった。けれど入ってきたのがボクだとわかると、安心したようにそろそろとやってくる。この子はボクが出入りするたびにこんな調子だ。洞穴はどこにもつながってないから、奥にいたって意味なんかないのに。ボクは少し呆れてしまう。

 この隠れ家をみつけてから、この子はほとんど外へ出ない。外のポケモンを怖がっているのだ。あの町でどんな目に遭ったのかわからないけど、この子は本当にボク以外のポケモンは見たくもないみたいだった。
 だからボクがこうやって食べ物を運んでくる。なんでわざわざそんなことをしてあげるのか自分でも不思議に思うことがあるけど、気が付いたら当たり前みたいになっていた。

 歯形の残る食べ残しのきのみを、ボクたちは分け合ってもしゃもしゃと食べた。こんなのは全然ましな方だ。なにも見つからないときだってあるし、腐りかけを食べたりもした。あの時は食べた後が大変だった。もちろんボクよりもこの子がだ。突然真っ青な顔をして、げーげーと吐いて、うーうーと苦しそうに唸っていた。死んじゃうんじゃないかってボクも慌てた。治す方法を探しに行こうとすると、心細そうにボクのことを掴んだ。ボクの肌で手が傷つくのも構わずに、怖い、ひとりにしないでと泣いた。あのときはボクも怖かった。どうにかしなきゃいけないのに、どうしていいかわからないことがあんなに怖いんだと初めて知った。

 いつまでこうしていられるだろう。
 この子は日に日に元気がなくなっている気がする。ボクは洞穴暮らしが快適だけど、ニンゲンはそうもいかないんだろう。だけどこの子が外を怖がってる限り、どこにも行けない。

 だけどそんな洞穴暮らしは、突然否応なく終わりを告げた。

 ――なんだあ、オマエら。

 ぼこん、と地面が盛り上がって、そいつはいきなり現れた。
 本当にある日いきなりだった。安全だと思ってた洞穴の中に、入り口からですらなく、そいつは穴を掘ってやってきたのだ。

 ――こんなところで、なにやってんだあ。ここはオレサマのねぐらだぜえ。

 なにを言うんだ。ボクたちはここに何日も棲んでるけど、オマエは今日初めて見たぞ。
 けれどそいつ、大きく尖ったツノとツメをもつドリュウズは、なんでもないことのように言い返してくる。

 ――そらオマエ、ここはオレサマが二番目くらいに気に入っているねぐらだからなあ。しばらくは一番の方にいたから、いつの間にかトンネルが埋まっちまってたんだろ。だがここらの地中はオレサマの縄張りさ。こんな丁度いい洞穴はなかなかないんだぜえ。悪いがオマエらにゃやれねえなあ。

 勝手なことを。でも、ドリュウズはボクより大きくて力もずっと強そうだ。力の弱いヤツと強いヤツがいたら、強いヤツの思い通りになる。当たり前のことだった。

 ――まあオマエだけなら、いさせてやらんこともねえ。でも、ニンゲンはダメだあ。ここにニンゲンの匂いがつくってだけでも虫唾が走るぜ。今すぐ追い出さないっていうなら、オレサマがこのツメで引き裂いてやる。

 そういえば、あの子は。
 振り返ると、まあわかってはいたことだけど、あの子は洞穴の隅でがたがたと震えていた。

 ――オマエ、なんでニンゲンなんかといっしょにいられる。いや、オレサマもなあ、昔はそうだった。ニンゲンの言うことを聞いて戦ってた。でも、戦ってるときはまだよかったんだ。本当にイヤだったのは、あれさ。パソコンだとかボックスだとかいう、ヘンな機械に入れられるときさ。なんたらボールってのも窮屈だったが、あれはもっと、本当に気味がわりい。感覚が消えて、なにもわからなくなる。なにか別のものになっちまうような、自分がいなくなっちまうような感じだ。なあ、わかるか。それを何度も繰り返した。必要な時だけ引っ張り出されて、要らなくなったら機械に入れられる。おれはそれがイヤでイヤで、だから少しでも長く外に出てられるように、必死で戦った。なあ、わかるか。必死だったよ。でも、ニンゲンはそれが当たり前みたいな顔してやがる。

 間延びしていたドリュウズの話し方が、熱を帯びてくる。その視線が、あの子の方をちらちらと向いている。まずい、と思った。

 ――今はポケモンは危険だってんで、ニンゲンはポケモンを手放してるらしいな。おかげでオレサマも自由になれた。だからってニンゲン狩りする連中とつるんで、ニンゲンを追い回して戦うのなんか面倒だ。だってオマエ、そりゃニンゲンの言いなりになって戦ってるのと何が違う? おれはもうニンゲンなんかと関わりたくねえ。ああそうだ、関わるのはごめんだ。だからなあ、こんなとこにまで現れるっていうなら、おれはまたこのツメを、穴を掘る以外のことに使ったって仕方ねえんだぜ。ニンゲンの血はくせえけど、居座られるよりいいよなあ?

 やばい。やばいやばいやばい。
 洞穴の中でさえぎらぎらと光るツメとツノ。そしてそのツノの下には、あの暗い目。この目は、ダメだ。イヤだ。

 ボクは急いであの子を引っ張った。あの子は怯えきっていて、ボクの意図にすぐ気付かない。なにしてるんだよ。早く逃げなきゃ。
 ドリュウズがツメをがちがちと鳴らす。待ってよ。出ていく。出ていくから待って。
 仕方なくボクはざらざらの手であの子をひっかいた。痛みではっとしたらしい。ボクが連れ出そうするのに気付いて、あの子も洞穴の外へ這って出る。
 最後にドリュウズともう一度目が合う。暗い目をしてボクらを見ている。がちんがちんとツメを鳴らす。ボクはすぐに洞穴を出た。

 少しでもドリュウズから遠ざかるように、日が暮れかけた山道を走る。
 がちがち。がちんがちん。
 ドリュウズのツメ音が耳に残って追いかけてくるみたいで。振り切るように、ボクらは夢中で走り続けた。




 その町は、丘の上から見えた。
 まだ壊されていないみたいで、建物がちゃんと残っていた。

 ドリュウズの洞穴を逃げ出してから、ボクらは疲れきっていた。他のポケモンに出会わないように逃げ隠れしながら、行くあてもなく移動し続けた。もちろんだれにも見つからなかった訳じゃないけど、たいていのポケモンはボクらを遠巻きに眺めるだけで、近づいてこようとはしなかった。ドリュウズのように、関わりたくないってことかもしれない。それでもポケモンがいるとわかるだけで、あの子はひどく怯えていた。寝る場所も、一休みする場所さえ探すのが大変で、ボクらはどんどん疲れていった。

 だからその町をみつけたとき、やっとあの子の顔に明るさが戻った。思えば出会ってから今まで、明るい顔を見たのは初めてだったかもしれない。

 ボクは正直怖かった。
 あそこにはきっとニンゲンがいるのだ。ボクよりずっと大きくて、長い手足をもつ生き物が、たくさんいるのだ。できれば近付きたくなんかなかった。でもあの子がふらふらする足で駆け出してしまって、ボクはついて行くしかなかった。

 町に近づくと、ニンゲンたちが何かやっていた。四角い岩を積み上げている。それがぐるりと町の周りを覆うように続いていた。

 ニンゲンのひとりが、ボクらに気付いた。少し驚いた顔をして、あの子と、ボクを順にじろじろと見た。難しいものを見るような、しわの寄った顔をしていた。警戒されてるんだとわかった。
 そのニンゲンが近づいてくる。あの子よりずっと背が大きい。腕や足も太い。ボクは少し後ずさった。

「なんだ、きみは。どこからきた」

 そのニンゲンが低い声で言った。あの子よりもずっと掠れていて、聞き取りにくい声だった。

「この町の子じゃないね。そのポケモンは、なんだ。きみのか」

 ボクのことを聞かれている。やっぱりポケモンは嫌われてるんだ。ボクを見る目つきですぐにわかった。

「きみはもしや、隣町の子か。ポケモンに町ごとつぶされたそうだな。少し前に、逃げ込んできた者たちがいたよ」

 その言葉を聞いて、あの子は目を大きく開いた。

「あ、あの、あの、じゃあ、もしかして、おかあさん、いますか。おとうさんは。いますか。わたしの」
「さてね。だが、会ってみればわかるだろう。生きているのか」

 あの子は首を横に振った。わからない。わからない。そう呟いてぽろぽろと涙をこぼしていた。

「とにかく、町に入りなさい。探してみるといい。だが――」

 そのニンゲンが、ボクのことを見る。まずい。逃げなきゃ。しかし気付くと、別のニンゲンが近づいていた。そいつはボクの後ろに回った。

「まて。そいつ、ひとの言うことを聞くんじゃないのか。きみ、どうなんだ」

 あの子は、戸惑ったようにボクとニンゲンを交互に見る。どう答えていいかわからないって顔だった。

「そいつがおれたちの言うことも聞くなら、使えるぞ。おい、おまえ、こっちへこい」

 ニンゲンがボクに手をのばす。ボクはとっさに距離をとる。ニンゲンがむっとして、尚もボクを捕まえようとする。ボクは素早く動けない。きっと逃げられない。イヤだ。捕まるのはイヤだ。戦わされるのもイヤだ。ボクはあの子の方を見た。あの子もボクを見ていた。助けて。ねえ、助けてよ。ボクは声を出して、あの子の目を見て、必死に訴えた。

 だけど。
 あの子は、目を逸らした。

 そうしてるうちに、ニンゲンの手がボクを捉えた。ボクは慌ててその手に噛みつく。ニンゲンは悲鳴を上げたけど、すぐに手を振り下ろしてボクを地面にたたきつけた。そしてボクが起き上がる前に、近くにあったロープを持ってきて、ボクをぐるぐる巻きに縛った。苦しくて、ロープに噛みつこうとしたけどダメだった。顔も頭もぐるぐるにされて、すぐに口も開けなくなった。苦しい。助けて。あの子を見る。目が合う。だけどやっぱり目を逸らされた。どうして。どうして。今まで、いっしょにいてあげたじゃないか。食べ物を探してあげたじゃないか。だけどあの子は、ボクを見てはくれなかった。




 目が覚めた時、ボクは真っ暗な場所にいた。夜になったのかな。でも、その割には星も見えない。
 いや、高いところに四角く切りとられたように少しだけ明るいところがあって、そこから遠く夜空が見えた。それでわかった。ここは、どこか建物の中だ。暗くて、冷たい。たぶん狭い。
 冷たいのはイヤだな。力が抜ける。
 ボクは平らな岩みたいな感触の、硬い床に座り込んだ。

 体のあちこちが痛かった。
 もうロープは解かれてるけど、よっぽど強く締め付けられたみたいで、太い筋のような痛みが体中に残っていた。

 寒いところだった。本当に力が入らない。体が芯までかたまりそうだ。
 あたたかさが欲しくて、ボクはあの子の姿を探した。寒い時は、あの子にくっつくと安心した。でも、いくら見回してもいなかった。
 そうだ。あの子は、ニンゲンのところへ戻った。ボクは要らなくなったんだ。

 ――やあ、辛気臭い顔してるねえ。

 不意に明るくなって、ボクは振り返る。さっきまで夜空が見えていた窓が、やたらと明るくなっていた。でも、朝が来たわけじゃない。ポケモンがいたのだ。

 ――キミ、捕まってるんだねえ。こんなところにいるってことは、この町にモンスターボールはもうないのかな。都合いいねえ。

 そのポケモンには見覚えがあった。ボクが生まれた時、いちばん最初に見たポケモン。大きな翅のある、ウルガモス。
 キミは、あのときのウルガモスなの? ボクを知ってるの?

 ――ううん? 知らないよお。キミのことは初めて見たさ。別のウルガモスと間違えてるのかい。ああ、そう、ワタシはウルガモスなんだよねえ。偵察、向いてないよねえ。ほら、ワタシって明るいからさあ。昔はニンゲンに、タイヨウみたいだって言われてたんだよお。今はがんばって火を出さないようにしてるけどさあ、難しいよねえ、加減。偵察とか、向いてないよねえ。

 偵察。それって、なんのことだ。キミは、どこから来たんだ?

 ――ああ、そう。それねえ。大事なこと、伝えなくちゃねえ。ワタシたち、夜明けに、この町壊すんだあ。ここ、かなりニンゲンいるからねえ。ポケモン追い出して、壁なんか作ったりしてるしねえ。ポケモン、いっぱい集まってるよお。ひどい目に遭って、ここを出てきた子たちもいるんだあ。キミはさしずめ、利用されるために捕まったのかなあ。自分たちでポケモン追い出しといて、いざいなくなったら不安になって、また捕まえて。ばかみたいだねえ。

 ねえ、出して。ここから出してよ。寒いんだ。助けて。

 ――そうしたいけど、無理だねえ。頑丈そうだし、まだ派手なことするなって言われてるしねえ。でも大丈夫。夜が明けたら、強いポケモンがわんさか来るよお。こんな檻カンタンに壊してくれる。そしたら、ワタシがあっためてあげるよお。ほら、こんなふうにねえ。

 ウルガモスが翅をばさりと動かすと、火の粉が散ってボクにあたった。あっちち。確かに寒いって言ったけど、急に火をぶつけるなんて危ないじゃないか。

 ――まあ、のんびりまっててよお。もうすぐ、ニンゲンはみんないなくなる。みんな、みんな、真っ黒に燃やしてあげるからさあ。あ、おなか空いてる? ニンゲン食べれる? そしたら焼き加減、ちょっと食べるとこ残るようにしといてあげるよお。それじゃあ、またあとでねえ。ばーいばーい。

 それだけ言うと、ウルガモスはばさばさ羽ばたいて行ってしまった。羽ばたくたびに火の粉が舞ってるけど、あれで本当に見つからないようにしてるんだろうか。

 ボクは、ウルガモスの言ったことを頭の中で反芻する。もうすぐ、ポケモンが攻めてくる。ボクは助かる。ニンゲンはみんないなくなる。
 みんな。みんな。そう、みんなだ。
 あの子の顔が頭に浮かんだ。前の町では生き残ったみたいだけど、今度もそうとは限らない。だって、ウルガモスはみんな燃やすって言った。だれひとり逃がさないつもりなんだろう。きっとあの子は助からない。

 どうして、こんなことを考えるんだろう。
 だって、もういいはずじゃないか。あの子は、ニンゲンのもとへ戻ったんだ。ボクは要らない。だからボクもあの子は要らない。それでいいはずなのに。

 ニンゲンは、ひどいことをするんだ。
 そうだ。生まれたときにいたあのニンゲンだって、ボクをモノみたいに扱ってた。なんの意味もない、なんでもないモノみたいにだ。そして機械に入れられて、気付いたらこんなことになってた。あれから、どれくらい経ったのかわからない。もしかしたらものすごく長い間、ボクは機械の中にいたのかも。あの時のニンゲンも、ウルガモスももういないくらいに。でも、そうなのかどうかさえわからないんだ。

 ニンゲンとポケモンが争う世界。
 その前がどうだったのかなんて、生まれてすぐ機械に入ったボクにはよくわからないけど。
 ドリュウズの話を思い出す。そうだ、ボクだって同じ目に遭った。ニンゲンを嫌って、憎んだっていいはずなんだ。夜明けに攻めてくるやつらといっしょに、ニンゲンを滅ぼしたっていいんだ。

 心が暗くなっていく。澱んで、どろどろしたものが流動してる。暗い澱みに、心がじわりと満たされていく。なんだかとても、楽になれそうで。体中の隅々まで、そのまま染まってしまいたくなる。

 ウルガモスの残した火の粉が、床でちろちろと燃えていた。すぐにも消えてしまいそうな火。それを見つめると、揺らめく火の中になにかが映った。
 暗い目だった。暗くて、怖い目だった。
 あれは、ガブリアス? ドリュウズ? それとも――ボク?

 がちゃん!

 突然大きな音がして、ボクはびっくりして飛び起きた。心臓がばくばくと跳ねていた。
 ぎぎいい、と耳障りな音がして、部屋の壁から光が漏れた。どうやら入口が開いたらしい。でも、どうして?

「あ……」

 目が合った。あの子だった。あの子が、扉から顔を覗かせていた。
 そろりそろりと、部屋に入ってくる。ボクに近づく。ボクは、黙ってあの子を見上げた。あの子も黙ってボクを見ていた。けれどごくんと喉を鳴らすと、そっとしゃがんで、ボクに手をのばす。その手が震えているのがわかった。初めて会った時と同じだ。怖がっている。ボクを? そうか、さっきボクがニンゲンを噛んだから。
 だけどあの子は、震える手でボクに触れた。ボクもその手を噛まなかった。やっぱりあの子は、少し痛そうに顔をしかめた。だけど構わず、ボクを抱き寄せた。ぎゅうっと、強く抱きしめた。

「よかった。会えた。ごめん。ごめんなさい」

 あの子の腕に、血が滲む。血の匂いがする。ざわりと心の奥が波立つ。だけど。
 ボクも、ボクの手をあの子に伸ばした。抱き返すように。ボクの短い腕では、とても届かなかったけれど。

 そうだ。ボクは、こうしてほしかった。
 生まれたとき。生まれて初めてニンゲンを見たとき。
 本当はこうしてほしかったんだ。
 それを、この子がくれたんだ。このあったかさを、くれたんだ。
 あんなに寒くてかたまってしまいそうだった体は、気付いたらぽかぽかになっていた。

「あのね、聞いたの。きみのこと。捕まえて、戦わせるつもりだったけど、やっぱり危ないからショブンしようって。大人たちが話してたの。おかあさんもおとうさんもいなかった。知ってるひとなんかいなかった。だれも話なんて聞いてくれない。悪いポケモンじゃないって言おうとしたのに。だから探したの。会えてよかった」

 あの子は夢中でボクに話した。それから、またごめんって繰り返した。でも、いいんだ。そんなこと、いい。
 ボクは、このまま腕の中にいたいのを我慢して、もぞもぞと這い出した。いたっ、と言ってあの子もボクを放してくれた。ボクはあの子の手を引いた。扉の外へ。早く。早く。

「どうしたの。どこへ行くの」

 早くしないと夜が明ける。そうしたらポケモンが攻めてくる。みんな燃やすと言ったウルガモスを思い出す。早くしなくちゃ。
 あの子も、ボクの意図をわかってくれたみたいだった。ボクに続いて、部屋を出る。狭い道が左右に伸びている。あっち、とあの子がボクを促す。建物の外に出る。

 外はまだ暗くて、ニンゲンも歩いていなかった。ほとんどの建物の明かりが消えてる。今攻めてこられたら、きっとだれも気付かないだろう。
 ボクらはとにかく、建物の少なそうな方を目指した。あの子も町の地形をちゃんとわかっていないみたいで、どこが町の出口かはわからなかった。走る。走る。ひたすらに走った。何度も迷って、行き止まりもあった。空の端っこが白くなっていた。
 走って、走って、そうしてようやく、出口が見えた。町を覆っている壁だ。壁の切れ目はすぐ見つかった。夜の闇は消えかけていた。

 ――あれれえ、そんなところでどうしたのお。

 ばさり、ばさり。火の粉をまき散らしながら、そいつは舞い降りた。もう少しだったのに。もう少しで町を出られたのに。

 ――出られたんだねえ。よかったよかった。でもねえ、そこにいるニンゲンの子はなんだい? キミ、ニンゲンの味方になっちゃったのかなあ。

 そんなの、どっちだっていい。ポケモンとか、ニンゲンとか。もうたくさんだ。
 ウルガモスは、表情のよくわからない顔をゆがめているみたいだった。笑っているのか、怒っているのかわからない。

 ――やめときなよお。すぐに大勢押し寄せてくる。もうそこまで来てるんだよお。ほら、足音が聞こえるよねえ。地響きみたいで、すごいねえ。

 ぐにゃりと歪んだ顔をして、ウルガモスが降りてくる。あの子が「ひっ」と悲鳴を上げる。

 ――言ったよねえ。みんな燃やす。ニンゲンはみんな。もちろんその子も。キミがもしその子を連れて逃げるなら、他のやつらが来る前にワタシが燃やす。その時はキミも燃やすよお。ニンゲンだけ狙うのは面倒だからねえ。

 ウルガモスの読みづらい目が、ボクを見ている。ばさりと羽ばたき、火の粉が舞い散る。そのときだった。
 ボクの前に、影が落ちた。見上げると、あの子が立っていた。タイヨウみたいなウルガモスの前に、それを遮るようにして。両手を広げて立っていた。

「こ、この、この子にっ、ひっ、ひどいことっ、しないでっ」

 震えていた。声も体も。泣いているみたいだった。なのにその子はボクの前に立ったまま、まるでボクを庇うみたいに。

 ――なんだい、この子は。ニンゲンが、ポケモンを庇ってる。なんでかなあ。どうしてかなあ。おもしろいねえ。おもしろいねえ!

 やばい!
 ボクはとっさに跳んで、あの子の服を咥えて引き倒した。一瞬前まであの子の頭があった場所を、炎の塊が通り過ぎる。熱風がぶわりと肌を撫でる。

 ――キミも、その子を庇うんだねえ。どうしてだろう。なんでなのかなあ。ニンゲンはあんなにひどいことをしたのに。あんなに痛いことをしたのに!

 よく見ると、ウルガモスの翅はボロボロだった。あちこち穴も開いていた。暗い時には気が付かなかった。やわらかそうなお腹にも頭にも、ばっくりと傷跡がついていた。その穴や傷を埋めるように、炎が揺らめいて翅を、体を覆っていく。

 ――なんでかなあ。どうしてかなあ。ねえ、キミい、教えてよお。なんで、どうして今さらニンゲンなんかとお!

 それはまさしくタイヨウだった。めらめらぎらぎらと、なにもかも焼き尽くすタイヨウの化身。

「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。怖いけど。怖いけど、でも、わたし、もうきみから離れない。だって、だって」

 ああ、そうさ。どうしてかなんて、わからない。わからないけど、きまってる。だって。

「わたしが、きみに出会ったから」

 ボクが、キミに出会ったから。

 ウルガモスが聞き取れないような叫び声をあげて、炎の塊をまき散らす。ボクらはそれを走って避けた。だけど一発がボクを掠める。熱い。やけどしたみたいだ。じくじくと痛い。あの子が慌ててボクを抱える。ダメだ。止まるな。ボクは必至で周りを見る。そして見つけた。ボクは短い腕を精一杯伸ばして、それを指す。

「えっ、あれ、自転車? で、でも、わたし、のれないよ!」

 ボクは構わず自転車を指す。早くしなくちゃ。ウルガモスが迫る。
 あの子も迷ってる暇はないとわかったみたいで、倒れていた自転車を起こす。誰にも使われていないのか、あちこち錆びてボロボロだった。あの子がボクを前かごにのせて、自分もまたがる。ぐらぐらと揺れて、倒れる。ボクもかごから投げ出される。あの子が泣きそうな顔をする。諦めないで!
 あの子がもう一度自転車にまたがる。ふらつくタイヤを、ボクは無理矢理支えた。自分の体が小さいことを、こんなに恨めしく思ったことはない。それでもボクは短い腕を限界まで伸ばして、自転車を押した。

 自転車が走り出す。あの子が泣きそうな顔で振り返る。ボクは荷台に飛び乗って、あの子の背中にしがみつく。がたんがたんとタイヤが転がる。
 幸いすぐ先が下り坂だった。歪んだタイヤをがたがた揺らして、だんだんスピードが上がっていく。ウルガモスの叫び声が聞こえた。どんどん遠ざかっていく。悪いね、ボクらはもう止まらない。
 ニンゲンの町も、ウルガモスも、ポケモンたちの地響きも。なにもかもが遠ざかる。ボクらは振り返らなかった。

 びゅんびゅん景色が流れていく。あの子といっしょにそれを見ている。
 どこまで行けるかわからない。どこへ行けばいいかもわからない。
 だけど、このままいっしょに行こう。行けるところまで、どこまでも。




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