この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
自分の長編小説Blazerk Monster の物語終了後のお話になりますので、そちらを読んでいる方向けです。
ダチというニックネームをつけられ、大太刀と呼称されたオオタチの、最後のお話
その獣は、数日間しばらくぶりの自由を味わっていた。
自分を連れ回すあいつは最近よく餌を前にしてもダメだと言ったり、変に手加減して戦うよう自分に言い聞かせていたりして、ちょっとめんどうになっていた。
でも、そんなあいつは真っ黒な炎に焼かれた。最後に自分に向けて手をひらひらと振って、炎の中で呻き苦しんで多分灰も残さず死んだ。
だから、獣は逃げた。逃げて自由になって、とりあえず餌を食べることにしたのだ。ちなみに、この思考は獣にとってあくまでなんとなくそんな感じの気持ちになったという心模様であり、一瞬一瞬の心象を切り取ったものである。
――ママを返して!
――返して!
――かえして!かえしてかえして!
町の中、ニンゲンが餌を食べるところの近くならどこでもネズミがいるものだ。それを知っている獣はやたら多くの残飯を持って帰ろうとするラッタと呼ばれるそれを背中から一閃、残飯もろとも脳と尾の近くの排泄器官を除いて平らげた。するとまだ幼い紫色のポケモン――コラッタ達が、亡骸になった母親と自分を見ながら泣きわめく。
その獣はポケモン図鑑などによればコラッタを好物とし追い回して喰らうとされる。だがその獣は強く、また今は食後であるため一々追い回して食べる気にはならない。
獣は立ち上がる。二メートル近く、体のほとんどが胴である彼の直立姿勢はニンゲンに見下ろされるよりはるかに威圧感がある。それはコラッタ達にも伝わり、喚き声が止まる。だが退こうとはしない。怨みの籠った目で、自分を見つめる。今までその獣が受けてきた怨みの万分の一にも満たない憎悪を向けられた獣の行動は、致命的にシンプルだった。
まず自分の口を思いっきり大きく開け、中の牙を見せる。そして適当な、一番近くのコラッタを一瞥し……
蛇のように自身の長い体をうねらせ、叩きつけるように一匹のコラッタを口の中に収める。あまりの速さに呑まれたコラッタは何をされたのかわからず悲鳴をあげた。周りのコラッタも悲鳴を上げる。
そして口の中のコラッタを。ニンゲンがガムでも噛むように頬を動かして噛み、わざとらしく尻尾だけ口から出して弱っていくのを見せつけ、魚の小骨を避けるように器用に急所を避けて『口の中で』嬲り殺す。
――痛い!
――なにこれ、やめて!
――死んじゃうよおおおおお!!
――いやっ、いぎっ……!
――いや……
――ぁ………………………………
時間にすれば、わずか十秒にも満たない間に行われた、必要な食事ですらない嗜好の為の殺し。最後にわざとらしく喉を鳴らして嚥下し、一匹の子ネズミを胃の中に収めた。それは周りのコラッタ達に悍ましい恐怖を植え付け蜘蛛の子を散らすように消えていった。
そんな行為をした獣にとって、別に自分が残虐な行為をしたとか、殺すことが楽しいなんて心模様はまったくない。ただ殺す時にああいうことをすると周りは勝手に怯えて逃げるし。一々相手をしなくていいことを知っているから。別に食べたくもないものを食べた。それだけだ。
うるさいのがいなくなったところで、人目につかない路地裏でひと眠りしようと思ったところで。
「見つけたぞ。この惨状……『ドードリオの魂百まで』とはよく言ったものだ」
背の高いニンゲンが、大きな乗り物に乗って自分に意識を向けていた。乗り物の後ろに載っていた赤くてとげとげした鬣と牙を持ったポケモンが自分の前へ立ちはだかる。
その獣は、さっきのような遊びとは違う、とぐろを巻いていつでも飛び掛かり、または居合切りを放てる体勢を取った。こいつらは、強い。
「俺はお前に恨みがあるわけじゃない。だが俺は、この地方を守る四天王としてお前を野放しにするわけにはいかない。『泣いてギャロップを斬る』つもりでお前を始末する……ッ!!」
ニンゲンの口上など意味が分からないし構うことなく、カウンターの構えを見せる赤い狼にこちらから斬ってかかる獣。2メートル近い胴長の体全体を丸めてから全力で加速させる尻尾は、さながら柄以外すべてが刃となった日本刀の如く切れ味を持って襲う。ラッタだって、キュウコンだって、ゾロアークだって、メタモンみたいな軟体生物だろうが一刀で切り捨ててきた。が。
「護る、からの……『破砕の一閃<<ブレイククロー>>』だ!!」
――応ッ!!
両腕をクロスさせ、赤い狼は獣の斬撃を受け止める。もしわずかでもガードの位置を違えば片腕だけで受け止めたその腕を切り落とさせだろう。だが凌がれ、右腕で鋭い岩を纏った腕が自分の余計に食べた胃袋を直撃する。獣の体が吹き飛ばされ、痛みに耐えきれず見るも無残な残骸と化したコラッタを胃液と一緒に吐き出す。
赤い狼の身体は固い、おまけに技術を持っている。そう判断した獣は接近戦を選ばず、遠くの間合いから大きく息を吸った。胴長の体がアートバルーンのように空気で膨らんでいく。赤い獣がまた防御の姿勢をとるが、関係ない。
獣が轟!!と一気に吐き出す。破壊的な音は、近くの窓ガラスを粉砕させ、赤い狼とそれに指示を出すニンゲンの体を叩き、踏ん張る足を後退させた。だが、吹き飛ばすには至らない。
「オオタチの特殊攻撃能力でここまでの破壊力を出すとはな……やはりお前とはこんな形ではなく、千屠のやつと一緒にいるときに正々堂々戦ってみたかったが……」
背の高いニンゲンは拳を握り、獣の主だったあいつの名前を呼んだ。怨みや怒りではない。獣とは違う本当の蛇を連れたあの体の弱いニンゲンが向けた優しさとも違う。獣の知らない感情だった。
獣は、もういないあいつが自分の知らない気持ちを向けられるのを嫌ってか、今度は影の爪をまっすぐに伸ばし体を貫こうとする。しかし。
――墳ッ!
赤い狼は易々と弾き落した。本気で守るに値しないと言わんばかりに腕で払いのけたのだ。
「確かにお前は強い。オオタチはサポート向けのポケモンだと言われるしそう思っていたが、お前は普通のそれとは『ルナアーラとルナトーン』だ。入念に研ぎ澄まされた殺意と刃の恐ろしさは本来俺のルガルガンでも危うかっただろうが……」
ニンゲンが何か自分に向けて言う。なんとなく、ただ強いと思っているわけではないのだと感じた。
このままでは勝てない。あいつの指示がいる。そう直感した獣は、思わず後ろを振り向いた。
「やはり鋭く強い太刀ほど、日々の手入れや振るう確かな技術がいるものだな。……それがよくわかったよ」
当然のことながら、千屠と呼ばれたあいつは自分の後ろにいなかった。自分の刃を的確に振るい、敵を斬るための指示を出すあいつはもうこの世にいなかった。獣の毛並みは、胴長の縞模様すらわからぬほどに血と砂と脂で汚れている。獣が食事をするたびに、汚れた体をタオルで拭いてくれたあいつを自分は見捨てて逃げてきたのだった。
「終わりにするぞ……Z技だ、ルガルガン」
ニンゲンの腕にはめたリングが輝く。獣は怖くなってその場から逃げ出そうとした。あいつは守るが早いがスピードが自分より早いとは思えない。今ならまだ逃げられる、という心模様が獣を支配した。
「『蒼き月のZを浴びた岩塊が……滅びゆく運命を決定する<<ワールズエンドフォール>>』!!」
最後の一撃は、赤い獣から飛んでは来なかった。
逃げようとする獣を上から押しつぶさんと、獣の何倍もの大きさと重さを持つ岩塊となって自分に降り注がんとしていた。
だがそれでも、獣は己の運命を諦めなかった。あれなら『斬れる』。かつて川の水を丸ごと氷のボールに変えて自分を引きつぶそうとしたあいつを粉砕した時のように、切り裂くことができる。
獣は自分の体を丸め、発条の要領で大きくジャンプした。そして自分の切れ味が最大に生かせるタイミングであいつが指示を出せば、この岩を粉砕することだって造作もない。
あいつが、指示を出せば――
今からでも自分の後ろに現れ、獣の名とともに技を宣言してくれれば――
この名を呼んで、激励してくれれば――
自分の名前って、なんだっけ……?――
そんなことが、起こるわけなかった。
タイミングを掴めず無理やり振った一撃は、岩肌を絵筆のように柔らかい尾が撫でただけだった。無論岩は粉砕等されず獣は押しつぶされ、地面に激突する瞬間、獣の心を占めたのは。
――もーダチは忘れん坊だなー。これから事あるごとに呼ぶから、忘れないでよ、ねえ俺のダチー
ああ、そうだった。そんな事を思い出して、獣の意識は途切れた。
「……危険生物の駆除、完了だな」
この地方の四天王である男、玄輝は倒れて伸びたオオタチをしばらく見つめていた。意識はなくなったのに、殺意や敵意をぐしゃぐしゃに丸めた瞳は未だ見開かれている。
どんな大岩だろうと、あれはあくまで倒すためのポケモンの技だ。戦闘不能にしても、潰れた死体にすることはない。通常のトレーナーとそのポケモンは、そういう領分を持ってバトルに臨むのが当たり前だからだ。あの千屠とこのオオタチは、例外というわけだが。
だが、今は倒しておしまいというわけではない。野生のポケモンとは違い、このオオタチは放っておけば必要のない命を大量に殺め、果ては人間社会にも悪影響を及ぼすことは明白だ。だから、四天王である自分がチャンピオンの命を受け駆除に乗り出したのだ。
「ルガルガン、よくやった。褒美に後でモモンジュースを奢ってやろう」
ルガルガンがオオタチの意識不明を確認し、ボールに戻る。ここからは、人間である自分の仕事だ。玄輝は懐から透明な薬品が入った注射器を取り出す。医者でもない彼には専門外の道具だが、いちいち医者の所へ持っていく余裕があるほどこのオオタチは優しいポケモンではない。
「じゃあな……来世では、真っ当なトレーナーの手持ちになれよ」
月並みな台詞だが、それくらいしか言える言葉はない。このオオタチの持ち主は屠殺……いわば家畜などに余計な苦しみを与えず一撃で殺すことを元々の仕事としていたらしい。それに付き従ったポケモンは、その流儀に則って駆除すべきだ。玄輝がそう言ったからこそ今この注射器を使う。
首筋に打たれた注射器の薬品。苦しみを与えず命を絶つ劇薬が、オオタチの中に入っていく。開かれた丸い目はゆっくりと閉じられ――普通に眠るオオタチのように、体から力が抜け屍となった。
玄輝はその体をバイクの後ろに載せ、走り出す。チャンピオンは、ならその死体はそこで捨てたりせずにきちんと埋葬したいと頼まれたからだ。
「お前がどんな気持ちで主と死に別れたのかは知らねえ。だがせめて……墓場くらいでは一緒になるんだな」
それが人間の生活圏を荒らしうる危険な元トレーナーの手持ちへの、せめてもの情けだった。