これは、私が夜道を歩いていた時の話です。
あまりにも時代錯誤な光景を見て、私は思わず立ち止まってしまいました。
小さな街灯の明かりの中に、紫色の布を掛けた机を置いて、その向こうでゴチルゼルが椅子に腰掛けていました。漫画によく出てくる、重要人物だったりそうでもなかったりする占い師のようでした。しかし、辺りに他の人やポケモンは見当たりません。人通りが多いとはいえない道で、ゴチルゼルはなぜ座っているのでしょう?
「なにやってんのそんなとこで」
気になって仕方がなかった私は、ゴチルゼルに問いかけました。
ゴチルゼルは何も言いません。数時間前に見た、澄んだ空のような色の瞳で、まっすぐに私を見つめていました。私がキッと睨み返しても、ゴチルゼルは目を逸らそうとはしません。自分から目を逸らすのが嫌で、私はしばらくゴチルゼルを睨み続けました。
やがて、ゴチルゼルの瞳から、涙がじわりと滲み始めました。
「は?何泣いてんの?」
私は再び問いました。しかし、ゴチルゼルは相変わらず何も言いません。ポケモンが人間の言葉を喋れないのはよくあることなのですが、この時の私は、何も言わずにただ私を見つめ続けるゴチルゼルに腹が立っていました。小さな明かりの中で私とゴチルゼルの二人きり。私がゴチルゼルを泣かせてしまったようで、そのことを責められている気がしたのです。私はついにゴチルゼルから目を逸らして、足早に立ち去ろうとしました。
コツ……コツ……コツ。
ひた……ひた……ひた。
聞き慣れない足音に振り向くと、ゴチルゼルは腰掛けていた椅子と机をそのままに、私の後をついてきていました。私が足を止めると、ゴチルゼルも止まりました。
「何でついてくんの」
私は尋ねましたが、ゴチルゼルは何も言わず、空色の瞳で私を見つめるばかりでした。このまま待ち続けてもらちが明かないので、私はまた歩き始めました。
コツ、コツ、コツ。
ひた、ひた、ひた。
少し歩調を早めたつもりでしたが、ゴチルゼルの足音は止まりません。
「ついてこないでよ」
コツコツコツコツ。
ひたひたひたひた。
更に足を早めても、ゴチルゼルはついてきました。
「いい加減にしてよ!」
気味が悪くなって、私が駆け出そうとした時でした。
いつの間にそんなに近付いたのか、ゴチルゼルが背後から、ふわりと私を抱きしめました。私が抵抗するのも忘れるほどに、優しい抱擁でした。
思わず足を止めてしまった私の目の前を、血の色のように真っ赤な自動車が通り過ぎていきました。
その一瞬だけ、時間がひどくゆっくりになったように感じました。バクバクと弾む心臓の音が、嫌にうるさく聞こえました。ゴチルゼルに抱きしめられたまま、私はしばらくの間、茫然と立ちすくんでいました。
気付いた時には、私は私の部屋のベッドの上に横になっていました。自分の足でこの場所に帰ってきた覚えはなかったのですが、確かにそこは私の部屋でした。誰かが連れて来てくれたのでしょうか?私の頭には、私を死の運命から救ってくれたゴチルゼルの姿が浮かびました。
後で知ったことなのですが、ゴチルゼルは星の位置や動きから未来に起こる出来事を予知できるんだそうです。おそらく私は、そのとき私が車にはねられて死んでしまう未来を予知してしまったのでしょう。そんな未来を見てしまったからこそ、あの時涙を流していたのでしょう。
もしもあのまま歩き続けていたら。彼女の制止を振り切って、走り出していたら。私は今、ここにはいなかったのでしょう。
それから何度か、私はあの道を通りかかりました。ゴチルゼルが占いの店を構えていたあの道。もう一度あのゴチルゼルに会ったら、あの時ちゃんと言えなかったお礼を言おうと思って、わざわざあの道を選ぶのです。
しかし、私があのゴチルゼルの姿を見ることは、二度とありませんでした。