ただなんとなく急いでいた。だから全然悪気なんてなかったし、攻撃の意志なんかこれっぽっちもなかった。ただふらふらと飛んでる小虫を避けて通るのが面倒で、ちょっと驚かしちゃうかもしれないけどギリギリすれ違うくらいで避ければいいだろうくらいに思っていた。同じように翼やくちばしを持つ他のポケモンなら格好のエモノとして襲ったかもしれないけれど、オドリドリの好物は花のミツ。そんなヤバンな趣味はない。
ええと、だから、つまり、その……
ごめん?
いや、ほんと。
どうしよう、これ。
アタシは途方に暮れていた。
ごめんねーって一言残してさっさと飛び去ってしまえばよかった。そう、それが正解。そうすべきだ。すべきだった。
でも、なんかイヤな音とか感触がして、つい急停止してしまった。止まって、振り向いて、ああー、それが失敗だった。だってもう、見ちゃったらさすがに、知らないふりとかできないじゃん。ああ、なんで振り向いちゃったかなあアタシ。
そこには、すごくちっちゃなポケモンがいた。
アタシも決して大きい方じゃないと思うけど、ホントちっちゃいポケモンだった。アタシの足よりちっちゃいくらい。だからつい踏んづけちゃいそうで、そんなことしたらトドメだなあって想像してすぐやめた。アタシはヤバンじゃないんだから。
薄い黄色で、おしりが白。なんかふわふわもこもこしてる。顔も白くて、目がくりっとしてておっきい。口はこれ、なんていうの、口吻? トゲ。とりあえずトゲ。
あーフェアリーだ。見た感じがいかにも。でもそんなフェアリーが、似合わない地面に這いつくばってぴくぴくしてる。憐れすぎる。
そうなってる理由は一目でわかった。翅だ。翅がない。いや、ホントはあったんだ。でも、もう背中についてない。ぶちっと、とれた。原因は、アタシ。
避けきれるって思ったんだよ? でもほら、虫ポケモンの翅って透明で、しかもすっごい速さでぱたぱたしてるから、よく見えなくて……あーだからごめんってホント、そんなつぶらな目で見てぷるぷるされたら堪らないじゃん。カンベンして。
アタシはとれた翅を拾い上げた。薄くて脆くて、よくこんなんで飛べるなって思う。えっと、でもほら、思いの外そんなに傷ついてなくない? そりゃ確かにちょっと欠けてるしなんか折れてるような気もするけど、まだほら、背中にくっつけたら使えるかも、なんて……ダメかないけないかなまじでこれ。
アタシはダメ元でそっと翅をフェアリーちゃんに近づけた。ああー待って怯えないで手元が狂うから。アタシの手は翼でしかもむだにひらひら広がった形をしてるから、ちゃんと持ててるわけじゃないんだよ。そーっと、そーっと。
でも、運命ってやつはイジワルだった。
絶妙なタイミングで風が吹いた。ばたばたと翅がはためいて飛んでいっちゃいそうで、アタシは慌てて押さえようとして……ばりっ、と。致命的な音がした。オドリドリのアタシなんかが、器用な手のあるポケモンの真似なんかしようとしたのが間違いだった。ごめんなさい。思い上がってごめんなさい。でも、もう遅かった。ぱりぱりと崩れてしまった翅は、風に乗ってどこかへ飛ばされてしまっていた。
詰んだ。これ詰んだ。
どうしよう、ホント。
荒野を抜けて、砂漠とか寒そうな山とかを横目に、ニンゲンの村は避けて通った。そこらのポケモンに道を聞きながら、初めての土地をおっかなびっくり進んでく。出会うポケモンには、そろって変な目で見られてる気がした。アタシに後ろめたいことがあるから、勝手にそう思ってるだけかもしれないけど。だって背中に、翅のないフェアリーを背負ってるから。
フェアリーちゃんは、アブリーっていうポケモンだった。アタシは最低限の責任として、この子を棲み処まで送り届けるために、近くにいたポケモンに話を聞いた。そしたらどうやら、フェアリーちゃんのいた場所とアタシの目的地は同じだった。これって運命?
本当はもっと高いところを飛べば楽なんだとは思う。飛べるアタシがわざわざ地上の道に沿っていくなんてばかばかしい。でも、ほら、今は背中にこの子がいる。もし落っことしたらと思うと、ね? トドメはさしたくないんだって。
でも本当はわかってる。翅を失ったフェアリーちゃんが、きっともうひとりでは生きていけないんだってこと。
でもさ、さすがにアタシじゃどうにもできないもん。この子だって、面倒みてもらうなら仲間の方がいいに決まってる。だからせめて、そこまで。お願い、それで許してよ。
潮風香る砂浜を抜けて、ようやくそこは見えてきた。アタシは思わず、息を呑む。ここへきた目的とか、背負ってきた子のこととか、つい忘れかけた。
真っ赤だった。燃えてるみたいに真っ赤な花が、一面に咲き誇っている。決して不快じゃない、けれど力強い花の香りが、ここを別世界に思わせた。
アタシは自分の翼を見る。グラデーションをつくる紫の羽が、飾り気のある形に広がっている。一枚、嘴で抜き取った。綺麗すぎる色の羽。名残惜しいとは思わなかった。やっぱり、アタシなんかには似合わない。
でもここなら。この力強い香りの花なら、アタシを変えてくれるのかな。
背中のフェアリーちゃんを下ろした。もうアタシには怯えていない。細い足でもぞもぞと這って、アタシにすり寄ろうとした。
キミ、警戒解くの早すぎるよ。
アタシはちょっと可笑しくなって、抜き取った自分の羽を、フェアリーちゃんの背中に差した。パステル色のもこもこに、品のある薄紫。キミの方が似合ってるね。その羽じゃキミは飛べないけどさ。
アタシは紅い花の一輪に近づいた。うまい具合にミツがみつかる。くれないのミツ。花を傷つけてしまわないようアタシはそっと嘴をつけ、一口飲んだ。
体がかっと熱くなる。内側から作り変わってくみたいな、自分が自分じゃなくなるみたいな感覚が怖い。でも受け入れた。変われるのならなんだっていい。なんの価値もない役立たずのアタシを、生まれ変わらせてくれるのなら。
むずむずした感じが治まって、変化が終わったんだとわかった。体が熱い。新しいすがたのせいなのか、胸が高鳴っているからか。
自分の翼を恐る恐るみた。花の色と同じ紅。形も違う。躍動感っていうのかな。前のお上品な形より、力強くてしっくりくる。
これなら。
これなら、もしかしたら。
緊張しながら、ステップを踏み出す。翼を掲げる。脚を、翼を、振れ。舞え。目を閉じる。もっと。思うままに。感じるままに。どうだ。どうだ。アタシは、踊れてーー
ーーくっ、くくくっ
押し殺すような声が、聞こえた。
アタシははっとして、目を開ける。花の陰に、紅い羽のオドリドリがいた。きっとここに棲んでるやつだ。そいつが、羽で口元を押さえて、くつくつ笑いを堪えている。
途端にかああっと熱くなった。さっきまでの熱さとは別物。顔からは火が出そうなのに、胸の奥がぞっと冷たい。
気付けば、アタシはポーズをとったままだった。片足を上げ、翼を広げて。それがどうしようもなく不格好だと、今さら気付いた。恥ずかしくて恥ずかしくて、アタシは慌てて体を縮めた。やめて。見ないで。お願いだから。
調子に乗った。変わった自分に。
でも違ったんだ。
変わったのは見た目だけ。中身はなにひとつ変わってない。
アタシは、踊れないオドリドリ。
なんの価値もない、惨めで役立たずなオドリドリ。
本当はすぐにでも逃げ出したかった。今すぐこの場所を飛び去って、どこか知らないところで泣きたかった。
だけどアタシは残念ながら、ここにきたもうひとつの理由を忘れてなかった。アタシはフェアリーちゃんを抱えて、仲間を探した。
他のポケモンに見られる度に、指をさされて笑われる気がした。見ないで。お願い。どうかさっきのことは忘れて。惨めで恥ずかしくて、アタシは顔を俯けて歩いた。これじゃフェアリーちゃんの仲間を見つけるどころじゃない。わかってるけど。いなくなりたい。今すぐ、ここから。
それでもアタシは、歩いて、アブリーやアブリボンを見かける度に、勇気を振り絞ってフェアリーちゃんのことを聞いた。だけどいくら探しても、この子の家族も友達も、だれも見つかることはなかった。
♯♯
ーーヨコセ ヨコセ
ーークワセロ ヨコセ
やめろ、くるな、くるなって!
アタシは飛びながら逃げていた。でも背中に乗せたフェアリーちゃんを落とさないように、あんまり乱暴な飛び方はできない。下は海だ。落としたらきっと助けられない。
ーーヨコセ ヨコセ
ーークイモノ ヨコセ
やーめーろー! この子はアンタらのエサじゃない!
襲い来るキャモメを必死に避けて、避けて、避けまくる。反撃はできない。そんなことしたらフェアリーちゃんを落としてしまう。
急降下してくるキャモメをかわして前に出ると、目の前に大口開けたペリッパーが待ち構えていた。このやろうアタシごと飲み込むつもりか。慌てて急旋回したら、背中の感触がふわっと離れた。ぞっとして振り向くと、宙を舞うフェアリーちゃんにキャモメが口を開けて迫っていた。
こんの、やろう!
アタシは思いきり体当たりして、キャモメの顎を蹴り上げた。ぎゃあぎゃあと白い羽を撒き散らして騒ぐキャモメを尻目に、なんとかフェアリーちゃんを背中でキャッチ。
本当は嘴でくわえた方がいいのかもしれない。けれど万一力加減を間違えて、これ以上フェアリーちゃんを傷つけるのはイヤだった。
アタシは必死で飛んで飛んで、やつらがようやく諦める頃には、次の島が見えていた。
ーーそいつはまた、とんだ目に遭ったもんだなあ!
アタシの悲惨な冒険譚を、いとも快活に笑い飛ばしてくれたそいつを八つ当たりの憎しみを込めてアタシは睨む。けれどそいつはまるで意に介した様子もなく、陽気に骨を回し続けた。
頭だけやたら頑丈そうなそいつはガラガラ。疲れ果てて砂浜に倒れ込んだアタシに、食べ物を恵んでくれたポケモンだった。
アタシたちが辿り着いたのは、ニンゲンが管理するビーチらしい。ナマコブシを放り投げるニンゲンの子どもの目を避けながら、ガラガラは自分が働く場所に案内してくれた。そこならアタシみたいなオドリドリもいるから紛れ込んでも怪しまれないということだったが、来てみてアタシは後悔した。
そこはリゾートホテルとかいうらしく、ガラガラがいたのはそこの娯楽施設。つまり、ダンスのステージだった。
ーーなかなかイカスだろ? ちいと賑やか過ぎもするが、ニンゲンだらけなのも慣れちまえばなんてことねえ! なによりここにゃあソウルがあるぜ! オレサマのダンスでニンゲンもポケモンも熱狂するのさ!
一舞台終えてきたばかりのガラガラは、それはもう暑苦しく語ってくれた。そういうのやめて。アタシは心からうんざりする。
ーーこの島じゃオドリドリはふらふらがスタンダードだが、オマエと同じめらめらした連中のチームもあるぜ! ヤツらのステージはなかなかだ! オマエも参加してみたらどうだ?
死んでもゴメンだソウルやろう。
アタシははっきりとそっぽを向く。
ただでさえニンゲンには会いたくないのに、見世物になって同族と踊るなんて考えられない。ステージの上で恥をかく自分を想像しただけでめまいがした。ありえない。
フェアリーちゃんはといえば、楽しそうにステージを見ながら、口吻をきのみに突き刺してちゅるちゅると美味しそうにすすっていた。ニンゲンのオンガクなんてわからないけど、フェアリーちゃんはリズムにのって体を左右に揺らしている。アタシにとってはやかましいだけのこの喧騒にもすっかり馴染んだフェアリーちゃんを見て、考えずにはいられなかった。
もし、アタシがこの子の翅を奪ってなければ。
この子はきっと、みんなといっしょに踊っていたんだ。
こうなったのはわざとじゃない。もちろんただの偶然だ。でも。
これじゃあまるで、アタシが。
踊れなくて惨めなアタシが、この子まで引きずり落としたみたいだ。
アタシは頭を振って、その考えを否定した。否定したかった。だってそんなの、あまりにも。
ガラガラはまだ、やれあのダンサーはサイコーにクールだとか、あのパフォーマンスにはシビレただとか、火のついた骨を振り回しながら暑苦しく語り続けていた。どうでもいいけど、その火をフェアリーちゃんに近づけたらひっぱたこう。
助けてくれたコイツには悪いけど、今晩休んだらここを出ていく。アタシはそう心に決めた。
これ以上こんなところにいたら、頭がおかしくなりそうだった。
この島の花園も、フェアリーちゃんの故郷じゃなかった。もとよりちっちゃなフェアリーちゃんが、ひとりで他の島へ渡るなんて考えにくい。わかってはいたけど、他に手がかりなんてないんだもん。
けれどひとつ、花園の近くにあった牧場をみて、別の可能性に思い当たった。それは奇しくも、アタシのよく知る可能性。というより、なんで最初に思い付かなかったのか。それはきっと、考えたくなくて無意識のうちに遠ざけていたんだ。
アタシもフェアリーちゃんも、それぞれの島にある花園で暮らす種のポケモンだ。だけどアタシ自身は、花園で生まれたわけじゃない。花園で暮らしたこともない。
アタシが暮らしていた場所を、アイツはポケリゾートって呼んでた。そこにはアタシと同じような、役立たずたちがたくさんいた。
アタシはニンゲンの元で生まれた。生まれてすぐにある島の奥へ連れていかれて、アイツは他のニンゲンとなにか話した。生まれたばかりのアタシにはなにがなんだかわからなかったけど、ジャッジって言葉だけが妙に耳に残っていた。
最初アイツは喜んでいて、アタシにも優しくしてくれた。美味しいポケマメを食べさせてくれて、たくさん撫でて可愛がってくれた。だからアタシも、アイツのいうことを聞いてもっと褒めてもらおうとした。はじめは弱くてなにもできなかったけど、隣で強いポケモンが戦ってくれて、そうしてるうちにアタシもちょっとずつ強くなれた。
けれどある日、ある技を指示されたときから、全部が変わった。
アタシにその技はできなかった。何度やってもダメだった。アタシはオドリドリとしては、致命的な欠陥品だったんだ。
アイツは他のポケモンのダンスをアタシに見せた。オドリドリならそれを見れば、真似して自分もできるはずだって。でもやっぱりダメだった。
アタシは踊れないオドリドリ。
なんの価値もない、惨めで役立たずなオドリドリ。
その日からアタシは、ポケリゾートとかいう小さな島に連れて行かれて。それから二度と、アイツは構ってくれなくなった。
その島はアタシたち役立たずの掃き溜め。
楽園という名のゴミ置き場。
それでもそこにいた連中は、きのみを育てたり洞窟からガラクタを見つけてきたりと、毎日健気に働いていた。
アイツのために。アイツのために。
そうしていれば、いつか構ってくれると思ってたのかな。きっとこいつらは知らないんだ。アタシが踊れないとわかったときの、アイツの顔を。
島の連中が気持ち悪かった。
だからアタシは、黙って島を飛び出した。
でもさ、きっと気づきもしないんだろうな。役立たずが一匹いなくなってるなんてこと。
島を出て、アタシはどうするつもりだったんだろう。
すがたを変えれば、踊れるようになるかもって。それでもし踊れたら、そしたらーー
だけどアタシは、うすもものミツでも踊れなかった。すがたが変わって、でも今度は他のヤツに見られないように、隠れて踊ってみようとした。ふらふらと体を揺らしてみたけど、すぐにつまずいて思いきり転んだ。それからしばらく、自分の惨めさに耐えられなくなるまで、不細工で不格好な踊りを試した。
フェアリーちゃんだけが、それを楽しそうに見ていてくれた。不思議とフェアリーちゃんの前では、恥ずかしいとは思わなかった。
フェアリーちゃんがねだるから、アタシは前の紅い羽と新しい薄桃色の羽をフェアリーちゃんに差してあげた。こんな羽じゃ飛べやしないのに。フェアリーちゃんは嬉しそうに体を揺らした。やっぱりどれも、フェアリーちゃんの方が似合っていた。
♯♯
アタシはほとんど惰性のように、次の島へとやって来ていた。この島の花園にフェアリーちゃんの仲間がいるとは、さすがにもう考えてない。
だけど他にどうしろっての?
だって、もしも。
もしも本当にフェアリーちゃんが、アタシと同じ生まれだったら。飼い主のニンゲンをみつけたとして、今のこの子を見たらどうなる?
きっとこの子も役立たずになる。
そんな思いはさせたくない。
全部アタシのせいでこうなって、全部アタシの身勝手だ。
ごめん。ごめんね、フェアリーちゃん。
それでもフェアリーちゃんは一度もアタシに恨み言なんて言わないまま、楽しそうに体を揺らした。
なんだかそれを、見ているのがもう苦しくなった。
アタシはフェアリーちゃんを木の上に隠し、ひとりで食べ物を探しに出かけた。
すぐにそのことを、死ぬほど後悔するなんて知らずに。
戻ってきたとき、フェアリーちゃんはいなかった。
アタシは最初、どこかへ遊びにいったのかと思った。だけどすぐそれを否定した。そんなことできるわけがないんだ。だってあの子の翅は、アタシが奪ったんだから。
細い足で歩くのは苦手で、ほとんど自分ひとりでは移動できないはずだった。
そんなフェアリーちゃんが、いなくなるってどういうこと?
答えはおのずと決まっていた。
島を渡ったときのキャモメたちの喧騒が、悪夢のように頭に浮かんだ。
フェアリーちゃん。
フェアリーちゃん。
フェアリーちゃん。
アタシは必死であの子を探した。草の根を分けて、木の枝を蹴散らして、近くのポケモンを締め上げもした。何匹目かをひっぱたいたとき、ようやくあの近くで騒ぐポケモンを見たヤツがいた。だけど遠くから見かけただけで、フェアリーちゃんのことは知らなかった。暗くなるまで探しても、フェアリーちゃんはみつからなかった。
疲れ果てて眠ったその夜、アタシは悪夢をみた。無邪気で無防備なアブリーをみつける。ちっちゃいけど美味しそうな獲物だ。そうっと近づくと、どうやらそいつには翅がない。逃げる心配がないとわかると、一気に近づいた。身動きもできず、ただ怯えることしかできないあの子の、口吻を折り、毛をむしり、目をえぐり、肉をついばみ、体液をすすりーー
目が覚めたとき、アタシは全身震えていた。鳥肌が治まらず、顔を覆って泣き喚いた。
どんなに怖かっただろう。どんなに苦しかっただろう。
アタシのせいで。
アタシがあの子の、なにもかもを奪った。
アタシは自分の翼をみて、羽を全部むしりとってしまいたくなった。そうだ、こんな、なんの役にも立たない羽。アタシが飛べなくなればよかった。あの子にこの羽があればよかった。そしたらあの子は、自由に飛んで、きっと素敵に踊っただろう。なのにアタシは。なんの役にも立たないのはアタシだ。
ごめん。ごめんね。ごめんなさい。
だけどどんなに謝ったって、あの子はもうどこにもいない。
アタシは、ふらふらと島を歩いていた。
もうなにもかもどうだってよかった。
そうだ、このまま、だれか強いポケモンでも現れて、あたしをひとのみにしてくれればいい。ううん、うんと痛めつけて、残った骨はゴミみたいに捨ててくれればいい。だってもともと、アタシは掃き溜めにいたんだから。
岩だらけの荒野を歩いて、ふと岩壁に小さな穴があるのをみつけた。特になにも考えないまま、アタシはその穴を潜り抜けた。
一面、やまぶき色が広がった。
眩しくって目を覆った。
甘くて、ほんの少しぴりっとする香りがぼんやりしていた目を覚まさせた。
ああ、なんだろうこの皮肉。
結局、たどり着いてしまった。
眩しい眩しい花園に、アブリーたちが飛んでいた。優雅に、楽しそうに舞う妖精たち。黄色い羽のオドリドリもいた。奇しくもその色は、アブリーたちとおそろいだった。
なんでこんなものを見せるの?
これはアタシへの罰なんだろうか。
そうかもしれない。アタシが役立たずでさえなかったら、あの子といっしょにたどり着けていた本当の楽園。この光景は、アタシがアタシのせいでなくした、アタシとあの子の夢なんだろうか。
泣く資格なんかあるわけがないのに。
涙が溢れて止まらなかった。
「おー、いるいる」
後ろの岩壁、その穴の方から、声が聞こえた。
アタシは耳を疑った。そんなわけないと思いたかった。
「さーて、どれを捕まえようか、と。ん?」
怖くて、それでも振り向かずにはいられなかった。
アイツと、目が合った。
「あっれー、へんなの。こんなところにふらふらスタイルのがいるなんて。おもしろいや、こいつにしようか」
ああ、やっぱり。
アタシのことなんて、覚えてないか。
それとも気がつかないだけか。すがたが変わってしまったから。
ううん、そんなの、どっちでもいい。
「いけっ、ボーマンダ! 捕まえるから、手加減してよね!」
アタシは逃げようと背を向けた。行く手を炎が遮った。
ーー恨みはないが、おとなしくせえよ。すぐに済むけえ。
アタシはそのポケモンを見た。青くてでっかいドラゴンだった。かつてアタシの隣で戦ってくれて、いつかこんな風になりたいと憧れもしたすがただった。
「ボーマンダ、ひのこ!」
わざと弱めの技が来る。アタシを痛めつけすぎないために。
アタシは必死で逃げ回った。何度もかすって、羽に火がついては慌てて消した。
やだ。
いやだ。
捕まりたくない。
また役立たずだってわかって、あんな顔されるのなんか絶対ゴメンだ。
「ボーマンダ、よく狙って! りゅうのいぶき!」
あれに当たったら痺れてしまう。アタシはいっそう慌てて避けた。
やめて。助けて。お願いだから。
だけど逃げ切れるわけもなく、アタシは火花を散らす青い炎に包まれた。全身が痛い。びりびりが身体中を貫いて、アタシはやまぶき色の花を撒き散らして倒れ込んだ。
幸い痺れは残らなかった。でも、もうダメだ。昨日からなにも食べてない。疲れてもう動けない。
だれか。
だれか、助けて。
「おっ、仲間を呼ぶかな? いいね、もっと強いヤツ出てくるかも」
助けて。
だれか。
お願い、助けて。
いくら呼んでも、だれも来なかった。黄色のオドリドリたちはアタシを遠巻きに眺めているだけ。関わりたくないというように。
ああ、そっか。
アタシは仲間じゃないもんね。
よそ者で、踊れもしないオドリドリなんて。
そんな役立たず、だれも助けたりしないよね。
「なーんだ、仲間来ないじゃん。じゃあいいや、捕まえちゃえ!」
アイツがモンスターボールを構える。
やだ。いやだ。もうあそこには戻りたくない。
役立たずでごめんなさい。
でも、お願い。だれか、助けてーー
「おっ?」
アイツがボールを投げる手を止めた。
アタシの前に、別のポケモンが現れたから。
「へーっ、この島にいるなんて珍しい! しかも、なんか、普通と違くない?」
そのポケモンを、アタシも見た。
ちっちゃいポケモンだった。
淡い黄色で、首にリボンみたいなひらひらを巻いていた。細い両手をまっすぐ広げて、アイツに立ちはだかっていた。
その背中には。
「変な色の翅! 紫と、紅と、桃色? なんかちょっと光ってて綺麗!」
透明で薄くて脆そうな翅。だけど確かにアイツの言うとおり、うっすらと色がついていた。光の当たり方で、そう見えるだけなのかもしれない。でもその色は、まるで。
あの子が、こっちを振り向いた。
ああ。
あああ。
うそ。だって、そんなこと。
あの子は、嬉しそうに微笑んだ。フェアリーだ。みた感じ、いかにも。
フェアリーちゃんだ。
「よーし、こいつ捕まえるよ! ボーマンダ!」
いけない、フェアリーちゃんに火の粉が迫る。アタシは咄嗟に目を閉じた。でも、あの子の悲鳴なんか聞こえなかった。
アタシは恐る恐る目を開けて、そして目を見開いた。
踊っていた。ひらひらと。楽しそうに、嬉しそうに。
まるでひのこさえいっしょに踊っているかのように。振り撒かれる火にイタズラでもするように、そのまわりをくるくると舞い踊る。アタシはすっかり目を奪われた。なんて、きれいなんだろう。
「くっ、ボーマンダ、よく狙ってよ!」
ボーマンダの顔にも焦りが見えた。いくら手加減した技とはいえ、明らかに自分より弱い相手にこうも当てられないなんて。
フェアリーちゃんは踊りながら、そっとアタシに手を伸ばした。
いっしょにおどろう!
そう言っているんだと思った。
アタシは、おずおずと翼を伸ばして。
そっと、フェアリーちゃんの手に、触れた。
そこから先は、夢中だった。
気づいたらアタシは立ち上がってて。
足はステップを踏んでいた。
体が羽になったように軽くて。
ひらひらくるくると体が舞った。
アタシがアタシじゃないみたいで。
だけど今まで生きてきていちばん、アタシがアタシになった気もした。
舞い踊りながら、ときどきフェアリーちゃんの手とタッチする。舞い散るひのこを避けるんじゃなくて、いっしょに踊る。フェアリーちゃんのやろうとしていることが、まるでひとつになったようにわかる。
火を吐くボーマンダさえ、いつの間にか焦りが消えて楽しそうに見えてきた。
ボーマンダをみて、ふと思った。フェアリーちゃんが新しい姿になれたのは、もしかしたら。昔アタシが、ボーマンダの隣で強くなれたみたいに。だとしたら。
ああ。
アタシは。役立たずじゃなかった。
少しずつステップが速くなる。なんだか力もわいてくる。身体中に元気が溢れてくる。今なら、なんだってできそうだ。
「くっ、なにこれ? こんなに舞われたら、さすがにやばいよ……!」
アイツが悔しそうに言って、ボーマンダをボールに戻した。戻る直前、なにか言おうとしたように見えた。聞こえなかったけど、優しい顔をしてたと思う。
もう一度だけ悔しそうにこっちを見て。アイツは穴から帰っていった。サヨナラ。きっともう会うことはないだろう。
フェアリーちゃんが、踊りを止めてアタシの前に降りてきた。薄くて脆そうな翅はまだきらきらと色を変えていて、すごくフェアリーちゃんに似合っていた。
フェアリーちゃんが、やまぶき色の花を指さす。ひらりと花のそばに降りていって、それをアタシに差し出した。
アタシはそのミツを、そっと飲む。体の中がぱちぱちして、みるみる元気がわいてきた。変化したアタシは、今まででいちばんアタシだと思った。
アタシは以前のフェアリーちゃんのおしりみたいにふわふわになった翼を広げて、足を上げて大きく跳ねた。フェアリーちゃんもアタシのまわりをひらりと回った。おそろいの色になった自分の羽が、なんだかすごく眩しかった。
ふと、遠巻きに見ていたオドリドリやアブリーたちが、そろそろとこっちに近づいてきていた。なんだ、今さら。アタシはついそっぽを向きそうになって、フェアリーちゃんと目が合った。フェアリーちゃんはにっこり微笑み、そしてぱっと両手を広げた。
みんな、いっしょにおどろうよ!
アブリーやオドリドリたちが集まってきた。
仕方ないなあ。フェアリーちゃんがそうしたいなら。
アタシはぽんぽんの翼を掲げて、ぱちっとダンスの合図をした。