Guardian Angel of Fire : Ⅰ

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作者:きとら
読了時間目安:21分
登場人物一覧
 フラット・・・ミアレシティの路地裏に住む野良バクフーン♂
 ラファエル・・・マチエールの事務所で保護されている野良ドーブル♂
 マチエール・・・ミアレシティの平和を守る心優しい少女


 ポケモントレーナーとの出会いは、俺たちを変える。俺たちの運命を。俺たちの性質を。
 それが良いことか、悪いことか、俺には分からない。一つだけ言えるのは、俺は変わったということだ。

 カロス地方、ミアレシティ。その路地裏が俺の居場所。レンガに囲まれた狭くて薄汚い道路。ここに太陽の光は届かない。高い建物に囲まれているおかげか、いつだって日陰だ。俺はこの日陰が好きだった。
 ここに住む連中もみんな俺と同じだった。日の下を歩けない日陰者たち。明るいミアレの街並みに馴染めない、はみだし者たち。そのせいか、ここでの諍いごとは絶えない。毎日のように誰かが傷つき、倒れていく。だが助けようなんて思わないことだ。手を差し伸べれば、その手は食いちぎられるだろう。誰にも何にも関わらず生きていくことが、ここでの一番賢い暮らし方だ。
 あくまで持論だが。

 俺が路地裏に腰を下ろして、何日が過ぎただろうか。何度目の夜を迎えたか、もう覚えていない。
 朝が来ても夜が来ても、俺はずっと動かず、一言も発しない日々を過ごした。ここで死ぬつもりだった。もうすべてがどうでもよくなっていた。俺は変わったんだ。変わってしまったんだ。
 ぐぅぅ。
 腹が情けない音を出して、俺に食事の必要性を訴えかける。いいんだ。もう要らない。お前も俺なら、もう大人しくしておけ。

「おい、こいつ腹空かせてるぞ」

 ちょうど俺の前を通りがかった派手な頭と格好の人間の子供たちが、目の前で立ち止まった。いかにも素行の悪そうな連中だった。
 彼らはへらへらと笑いながら、俺の周りを取り囲んだ。

「これ誰かのポケモンかな?」箒頭の少年が言った。
「捨てられた奴に決まってんだろ? 野生のバクフーンがこんなところにいるかよ」一回り体格の大きな少年が言った。
「見て、あの目つき。チェルシー、こわ〜い」目の周りが黒い少女が言った。
「ああ……でも俺は嫌いじゃねえな、こういうの」

 腕っ節の強そうな大きい少年がモンスターボールを握り、そして俺の顔面に向かって投げた。当然無視するつもりだった。どうせボールに囚われたとしても、すぐに出てくることは簡単だ。
 だが心とは裏腹に、体が真っ先に反応してしまった。当たる寸前、俺はボールを掴み、握りつぶした。ぐしゃり。ボールの破片が散らばる。
 やってしまった。若干の後悔とともに、それまで地面に伏せていた視線を上げると、案の定。

「……あ?」

 200円のボールを無駄に費やされた少年が、顔中に青筋を立てていた。
 周りの少年少女がけらけらとはやし立てる。

「ぎゃは、ちょーダサ〜い!」
「あーあもったいねー!」
「ツヨシクンもマジになるなって、おいおい」

 少年ツヨシは煽りを受けてすっかりやる気になっていた。腰につけたモンスターボールを3つ取って放り投げる。ポンポンポンっ。耳障りのいい炸裂音とともに、ワルビアル、ドリュウズ、アバゴーラを繰り出した。
 3匹は俺を囲み、低いうなり声と鋭い睨みで俺を威嚇した。

「へへへ。お前ら、ちょっと遊んでやりな」

 ツヨシが得意げに命じるその脇で、他の少年たちはクスクス笑っていた。

「可哀想に、あのバクフーン死ぬんじゃね?」
「いいじゃん、これも旅の醍醐味って奴だし。出会いと別れ、的な?」
「ぎゃはは! それ意味ちげーし!」

 3匹は腕を回したり、深呼吸をしたり、拳を握りしめている。戦う心構えが整った瞬間に襲ってくるつもりだ。
 俺はゆっくりとまぶたを下ろした。ここで終わるのもいいかもしれない。元々死ぬことに意義を見いだすつもりもなく、ただ運命が俺を終わらせる時を待っていただけだ。チンピラトレーナーとそのポケモンにリンチにされて死んだなんて、少し屈辱的ではあるが。
 いいさ。好きにしてくれ。

 俺の耳に、ドリュウズの爪が風を切る音が聞こえてきた。

 刹那、何かが砕ける音がした。俺は目を見開き、ドリュウズの下顎を蹴り上げていた。ドリュウズは口から血を撒き散らしながら盛大に宙を舞った。
 くそったれ、またこうなってしまった!
 癖というものはそうそう抜けてはくれないらしい。長年培ってきた戦闘経験が、危機察知能力が、過敏なほどの反射神経が、俺の体を乗っ取って衝動のままに動かしてしまう。

 ドリュウズの体が地に落ちる前に、ワルビアルが牙を研ぎ澄まして俺に飛びかかり、その反対側からはアバゴーラが張り手のように前足で殴りかかってきた。
 俺はとっさにアバゴーラの前足を絡め取り、柔術の要領でアバゴーラの巨体を投げ飛ばした。その先にはワルビアルが口を開けていた。アバゴーラの硬い甲羅に牙が刺さる。ガチン。可哀想に、牙の方にヒビが入った。
 続いて、受け身をとって起き上がったドリュウズが両手の爪を突き出し、ドリルのように回転して襲いかかってきた。確か技の名前は見た目通り、《ドリルライナー》とか言ったか。俺は右手に真っ赤な炎の塊を携えて、正拳を突き出し、彼ご自慢の爪を真正面から叩き割った。ドリュウズは吹き飛び、レンガの壁に叩きつけられた。

 と、その時、俺の背中に衝撃が走った。アバゴーラが水をまとい、《アクアジェット》の突進攻撃をかましてくれたのだ。これは痛い。思わず歯を食いしばってしまった。
 しかし俺は勢いに負けることなく踏みとどまり、逆にアバゴーラの一撃を受け止めた。奴の足が地面に着くと、すかさず俺は振り返り、《炎のパンチ》を奴の顔面に浴びせた。奴のタイプは水と岩。もちろん相性は最悪だ。しかしそれがアバゴーラにとって良かったことかは疑問だ。
 二発、三発と俺の拳がアバゴーラの側頭部を殴りつける。頭蓋が砕ける嫌な音も聞こえる。最後の四発目を鼻先に叩き込んで、ようやくアバゴーラは動かなくなった。俺の手に灯った炎も消えた。

 あとは牙にヒビが入ったワルビアルだが、俺が奴に振り返ると、甲高い声で短く悲鳴をあげた。
 そのまま視線をトレーナーたちに移せば。

「ひっ」
「や、やめ……」

 心底震え上がっていた。
 子供たちは恐れをなして、次々に逃げ出した。先ほどまで得意になっていたツヨシも声と手を震わせて、3匹のポケモンを置いて一目散に走っていった。その背中にワルビアルが切なそうに吠えていた。
 俺は、ただ目を細めて眺めていた。

 正しいこと。悪いこと。俺にはその判断が難しい。これらは人間が作り出した概念だからだ。ただ、一般に言う『正しいこと』をすれば気分が良くなることは確かだ。
 しかし、これはどうだろうか。絡んできたチンピラを叩きつぶした。その結果、一人のポケモントレーナーの貧弱な本性を露わにさせ、そのポケモンたちとの絆を断ち切ってしまった。ツヨシとかいう子供は、ひょっとしたら後で思い出したかのようにワルビアルたちを迎えに来るかもしれない。しかし、ワルビアルたちはもう二度と彼を心底信じることはできなくなるだろう。
 これで、良かったのだろうか……。

 俺はトレーナーを呼び続けるワルビアルから目を逸らして、静かに路地裏の奥へ消えた。


(彼が、そうなのか?)

(君を疑うわけではない。しかし、彼が本当に我々の仲間として相応しいかどうか)

(実力は申し分ない。問題は彼の心と、それから覚悟だ)

(そこまで彼を見込んでいるのなら、ひとつ試してみないか?)

(もうじき、ちょうどいい事件が起こる。そこで彼の真価を確かめよう)






 悪い噂が広まってしまった。自ら蒔いてしまった種だ、仕方ない。
 ついこの間まで俺の住処兼死に場所だった路地裏は、今は街のギャングに占拠されている。子分をコケにした野良ポケモンを見つけ出して八つ裂きにしたいのだろう。
 それ以外にも問題がある。やたらと強いバクフーンがいるという噂が広がったせいで、俺はささやかなお尋ね者になってしまった。腕試しがしたいバトルマニアや野心を持ったポケモントレーナーも俺に興味を示したらしい、その珍しいバクフーンを探し回っていた。
 野良ポケモンたちの間でも名が売れた。自分たちをいたぶって楽しむ人間たちに手痛い仕返しを与えてやったと聞いて、彼らの俺を見る目が変わった。俺が奴らの前を通り過ぎれば、挨拶されたり食べ物を分けてくれたりする。もちろん丁寧にお断りした。

 ゆっくりのんびり、座って死ねるものだと思っていた。しかし神様はそれをお許しになってくれなかったらしい。
 俺は人目を避けるように、路地裏を彷徨った。足が重い。体がだるい。目がかすんできた。
 そして、俺はとうとう倒れた。
 静かだ。もう戦いに反応しなくていい。誰かに気を使わなくていい。俺は、俺のために最期の時間を使うことができる。

 死の間際に自らの生涯を省みる。ことはなかった。
 仰向けにごろんと転がり、目にうっすらと空を映す。汚れた壁に囲まれた空を。穏やかに流れていく白い雲。荒れた毛並みを撫でるそよ風。
 ここは良い世界だった。ただ、良い世界で必ずしも良い物語が紡がれるとは限らない。俺のパートナーがそうだったように。
 もうすぐ彼に会える。そしたら何と言おうか。もう一度会えて嬉しいとか、間に合わなくてすまなかったとか。我ながら笑えてくる。どのツラ下げてそんなことを言えばいいんだ。

 もう自分を嘲り笑う気力もない。まぶたが重い。眠くなってきた。
 そろそろ終わりの時間だ。
 あの世で彼に何を伝えるかは、会ってから考えよう……。






 暗い闇が、俺を支配する。
 そこに一筋の光が生まれた。明るくぼやけた、希望の光。もう二度と拝めないと思っていた。俺は善良とは程遠いところで生きてきた。光にふれる資格はとっくに捨てていた。
 なのに、俺は手を伸ばしてしまった。たとえ闇の中で生きていても、俺は求めずにはいられなかった。届かないと分かっている。とっくに諦めてさえいる。それでも、もし光に手が届くならば……俺は、二度とそれを手放さないだろう。
 光は、俺に応えた。

「あ、起きた?」

 人間の少女の声。
 俺は目をこすり、しばたたかせた。ぼやけていた視界が徐々に鮮明になってきて、やっと気づいた。俺は仰向けに寝転がったまま、部屋を照らす照明に向かって手を伸ばしていたのだ。
 力なく手を垂らして、ため息とともに脱力する。ここはどう考えてもあの世じゃない。
 照明の光を遮り、少女の顔が俺を覗きこんだ。

「よかった! もう目覚めないんじゃないかって心配したよー」
「ふんにゃ〜」

 少女の肩に乗っているニャスパーが鳴いた。
 俺が体を起こそうとすると、少女の手が俺の肩を押さえた。

「待って。起き上がるならゆっくり、ゆっくりね」

 赤いソファの上で、俺は言われるがままにそっと起き上がった。
 ここは広い部屋の一角、敷居に区切られている。小さなテーブルを挟んだ向かい側には、椅子に座ったドーブルが俺を観察するように眺めている。部屋の環境は悪くない。植物や人間のいい香りが漂っていて、室温も快適な温度に保っている。
 少女はやや色黒で、髪は黒色、癖っ毛が強く、モコモコと綿毛のようにボリューミーで、後ろ髪は二つに分けていた。背丈は高くなく、この年頃の人間の少女よりやや低めといったところだろうか。襟のあるワイシャツの上に薄紫色のセーターを着ていて、知的で清楚な雰囲気が漂っている。
 ウォーターサーバーから水を汲んで、粉薬を混ぜている。途中どの薬を選ぶかで迷っていた。その仕草から見て、ややそそっかしい性格のようだ。肩のニャスパーが指差した薬を選んだ。
 俺は彼女から受け取ったコップを握り、ぼんやりとその水面を眺めた。

「毒なんて入ってないよ」

 少女は言った。

「それ、ポケモンセンターのジョーイさんがくれたお薬。エイヨーシッチョーに効くんだって。ほらほら、飲んで飲んで」
「にゃにゃっ」

 少女とニャスパーに急かされて、俺は迷った。
 助けてもらおうだなんて思っていない。俺は死を待つだけの身だ。しかしここで彼女たちの好意を無下に扱うのも悪い気がする。
 ちらりと彼女たちを見やると、真剣な眼差しが二つ刺さった。どうやら俺が飲むまで凝視を続けるつもりらしい。
 参った。俺の負けた。観念して俺はコップの水を飲み干した。

「マチエールー、警察のお客さーん」と、彼女たちの後ろでパンクな格好の少女が言った。
「分かった、今行くー」マチエールと呼ばれた少女はそう返して、俺にニッコリと微笑んだ。「そのまましばらく大人しくしててね」
「ふにゃー」

 そう告げて、マチエールたちは敷居の外に消えた。
 なにやら向こうから話が聞こえてくる。依頼がどうの、悪い奴らがこうの。俺はピクリと黒い聞き耳を立てる。

(そんなに彼女のことが気になるかね?)

 不意に、向かいに座っていたドーブルが俺にポケモンの言葉で語りかけてきた。
 声色から察しても冷静沈着なことは分かる。もっとも、いきなり俺に話しかけることが賢いこととは思えないが。
 俺は見向きもせず、ぶっきらぼうに言った。

(あんたには関係ない)
(そう言うな、ともにマチエールさんにお世話になった身だ。少しは仲良くしようじゃないか)

 俺は無視して、向こうのマチエールたちの会話に集中した。
 人間の言葉は聞き慣れている。その意味もほとんど分かる。何度か、人間の言葉を喋れるようになろうと練習したことがある。それらが上手くいかなかったことは、俺が今ポケモンの言葉しか話せないことから察してもらいたい。
 とにかく、俺は盗み聞きをしていた。会話の意味は、概ねこんなところだ。

 最近、夜間のプランタンアベニューの近辺で人を襲う野良ポケモンが出没している。そのポケモンは非常に狡猾で動きが素早く、音も立てずに背後から忍び寄って、人間に斬りかかるのだと言う。
 犠牲者は4人。一晩につき1人ずつ増えている。いずれも死には至っていないが、背中に深い切り傷を負っている。
 警察と賞金稼ぎがポケモンの特定と捕獲に乗り出したが、遠くで影を捉えるのが精一杯で、その追跡はおろか種族の特定にも至っていないのが現状である。
 マチエールは言った。
 任せてください! ミアレシティの平和を守るため、全力でお手伝いします! と。

(さて、君はこの事件をどう思う?)

 絵筆のような尻尾をふよふよと左右に揺らしながら、ドーブルは言った。
 俺は再びソファに寝そべり、目を閉じて答えた。

(どうでもいい。彼女たちが外に行ったら、俺もここを出ていく。それで終わりだ)
(本当にそうだろうか?)
(……なぁ、あんた)

 俺は片目を開けて、ドーブルを睨みつけた。

(俺はあんたに興味などないし、話したいとも思わない。だからあんたも、俺を見習って、俺のことを放っておいてほしい)
(君がそう望むなら、仰せのままに)

 やがて、話を終えたマチエールとニャスパーが戻ってきた。

「ごめんね君たち、あたしたちこれからお仕事なの。ここを自分の家だと思ってくつろいで待っててね。帰ったらポケモンフーズをあげるから、いい子にしててね」
「にゃにゃっ!」
「分かってる、分かってる。もこおの分もちゃんとあるよ」

 ニャスパーをなだめながら、マチエールは再び敷居の向こうに消えた。
 しばらくごそごそと物音がしてから、黒くピチピチのスーツとフルフェイスのヘルメットに身を包んだ人間が、ニャスパーと仲間の少年少女を連れて部屋を出て行った。






 賑やかだった部屋が、一気にしんと静まり返った。明かりは一応ついているが、外から差し込む夕焼けの光が強く、部屋の中を橙色に染める。それが余計に寂しさを際立たせる。
 ドーブルは唐突に言った。

(彼女がここに戻ることはもう二度とないだろう)

 俺は思わずカッと両目を見開き、飛び起きた。
 ドーブルはわざとらしく驚いて続けた。

(おやおや、何か気に障ったかな?)
(どうしてお前にそんなことが分かる?)
(理由などどうでも良いじゃないか。君は今からここを出ていく。また路地裏を彷徨って、死を待つだけの運命だ。今日、君がここでマチエールの運命と絡みあったのは奇跡に等しい確率だが、それももう終わりだ。君と彼女は、無関係なのだから)

 俺は何か言い返そうとした。何か言ってやりたかった。だが、何も出てこなかった。
 ゆっくりと口を閉じていく。そうだ、俺には関係ない。俺は生きることを放棄した。何が起ころうとも、どうでもいいことだ。そのはずだ。
 ドーブルは言った。

(私は君の過去を知っている。理由や方法などいちいち聞かないでくれたまえ、今はどうでもいいことだ)

 ドーブルは淡々と続ける。

(皮肉にも、今の状況は君の過去によく似ている。運命の別れ目だ。もしも君がパートナーの危機を知っていれば、君は今もポケモンGメンでパートナーと共に活躍していたことだろう。君の唯一の過ちは、君が今でも自分を責め立てている通り、いくつもあった危険の予兆、そのサインを見逃してしまったことだ。そのせいで君のパートナーは死んでしまった。君の無知の代償を、彼が払わされる羽目になってしまった)

 前にドリュウズの爪が迫った時と、同じような衝動が俺を動かした。赤いソファを離れ、ドーブルに飛びかかり、その首を握りしめる。
 椅子が倒れる。壁に叩きつけられ、首を絞められて、苦しそうな鳴き声を発する彼を、どうやって殺してくれようか。このまま窒息死させるか、いっそ《炎のパンチ》で顔を焼き、地獄の苦しみを与えて、俺を挑発したことを後悔させてやろうか。俺の頭にあるのはそれだけだった。
 ドーブルは途切れ途切れに言った。

(だっ、大事な誰かを……自分のせいで失った苦しみを、知っているのは、君だけじゃないぞ! 私もそうだ!)

 俺の真っ赤な怒りが、急激に冷めていく。ゆっくりとドーブルの首から手を離した。
 ドーブルは床に伏せて何度も咳き込み、ようやく落ち着いた頃に起き上がった。

(私も大いなる過ちを犯してきた。そのせいで、大事な人間を……パートナーを失ってしまった。だから君が抱えている自責の念も、無力感も、私には理解できる)
(お前は誰だ? 俺に何を望んでいる?)
(私が誰かは、まだどうでもいい。大事なのは野良ポケモンの我々を助けてくれたマチエールが、今、重大な危機に瀕しているということだ。そして、それを知っているのは私と君だけだということだ)
(だったらお前が助けに行けばいいだろう、俺を巻き込まないでくれ)
(あいにく私は危機を察することはできても、戦闘能力に乏しい。今しがた君が私を殺しかけても、私にはどうすることもできなかった。戦う力が必要だ。志を同じくする仲間が)
(それが、俺だと?)
(そうだ)

 何なんだ、一体。
 俺の中で言い知れない焦燥感が募る。こんな感覚は久しぶりだ。しかし、新鮮な感覚に浸っていられる余裕はない。
 こいつは何故か俺の過去を知っている。もちろん、俺にドーブルの知り合いはいない。いやに不気味な奴だ。それに、なんだか少し生意気だ。
 考えながら部屋の中をうろうろと歩き回る俺に、ドーブルは言った。

(私はパートナーを失ったあの日、救いたい者を救えないあのもどかしさをもう二度と感じないよう、諦めずに立ち上がることを心に誓った。それを実行するための仲間を探し回った。そして、君を見つけた。頼む、私に力を貸してくれ。私と共に立ち上がってくれ)

 すがるように懇願する彼から、俺は目が離せなかった。
 離せないはずだ。俺はドーブルを見て、頭にはかつての相棒の姿を思い描いていた。彼の言葉が、まるで聴こえてくるようだった。


 俺たちポケモンGメンは、すべての人とポケモンを救うヒーローだ。
 絵空事のように聞こえるかもしれない。だが、俺たちにはそれを現実にできる力がある。
 この力を正しく使うんだ。悪を倒し、正義を果たせ。人やポケモンの命と笑顔を守るために。
 たとえ俺たちの身に何が起ころうとも、誰も俺たちの存在に気づかなくても、己の正義を信じろ。そうすればどんな暗闇の中でも、進むべき道が見えてくる。

 頑張ろうぜ、フラット。


 あぁ……頑張るよ、レイ。頑張ってみる。
 だからもう少しだけ天国から見守っていてくれ。大罪を犯した俺にも、まだ正義を果たすことができるかどうか、試してみるよ。

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