15-Connection

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作者:円山翔
読了時間目安:16分
もちごめさんのキャラクター、パーシャさんとリウィン君、absoluteさんのキャラクター、スズカさんをお借りしました。
また、ふゆなみさんの「海辺の汽車に乗れ」第七話「奇術師のあかし!」の展開を継がせていただきました。
ありがとうございます。
 日時計の広場でのショーが無事に幕を閉じた日の夜。カデンツァはムメイの姿を借りて、宿泊施設の椅子に腰掛けていた。ムメイは既に窓際のベッドの中で寝息を立てている。カオルは「所用があるので」と言い残し、ファントムとフォーゼを連れて出かけているためここにはいない。ロンドとココロはカオルがいないのをいいことに、二匹でムメイとは別のベッドを一つ占領していた。

 カデンツァの頭の中ではまだ、後悔が渦を巻いていた。
 とりもどきを連れた考古学者と行動を共にしていた金髪の青年を試すために映し出した夢が、その青年とムメイの心を傷つける結果に繋がってしまったこと。ムメイはノートの字で気にしないでと伝えてくれたが、優しい気持ちの奥に傷の痛みをしまい込んでいることくらい、カデンツァには手に取るように分かった。分かったからこそ、カデンツァは今苦しんでいる。
 ムメイは喋れない。カデンツァは心を読める。そんなふたりがスムーズに会話をしようと思えば、必然的に心の中で行うことになる。そのことが今回は災いしたのだ。発していい言葉とそうでない言葉があるように、読んでもいい心と読むべきでない心、映してもいい夢と映すべきでない夢があるということを、カデンツァは身をもって体験した。

『眠れないの?』

 ベッドに横になっていたはずのロンドが椅子の背に手をついて、背後からテレパシーで呼びかけてきた。

『うん』

 返事をして振り返れば、ロンドはムメイと同じ学校にいた頃の少女が成長した、人間の姿をしていた。ロンドの隣にはココロが立っていた。赤いつぶらな瞳が心配そうにカデンツァの顔を覗き込んでいた。

『結局、いいことって何だったの?』
『あの歌の楽譜を今ここに持って来ているの』

 姉が何を言っているのか一瞬理解が遅れた。ロンドに手渡された楽譜を見て、ムメイに見せてしまった「悪夢」に登場した歌だと分かった。
 人間の言葉で綴られた歌詞は、旅立つ少年少女に勇気を与えるような意味のものだった。にもかかわらず、ムメイの心の中で聴いたその歌は悲しみを帯びていた。
 悔やんでも悔やみきれない自責の念が湧きあがって、カデンツァは顔をしかめた。

『この歌が悪夢じゃなくなれば、あなたは悪夢を見せたことにはならないわ』
『でも、どうやって』
『ココロが歌ってくれる』

 心の中でロンドの声を聞いて、ココロは静かに頷いた。胸元の赤い角がぼんやりと輝いていた。

『なんか悪いよ、本当に悪いのは僕なのに』
『ココロが望んだことだから』
『でも』
『カデンツァ』

 ロンドはカデンツァの前に回り込んで、その両肩に手をやった。俯き気味の赤い瞳をしっかりと見つめて告げる。

『カオルが言っていたって。誰もが精一杯のやり取りをして、心を交換して繋がり合っているんだって。ムメイが言葉を話せても、私たちが心を読むことができなくても、私たちの中身は変わらないって』

 カデンツァは何か言いたげに口を開いた。だが、その口から言葉が紡がれることはなかった。

『確かに、私たちは人の心を読めるわ。読めない人やポケモンよりも簡単に、意思の疎通ができてしまう。そのせいで、今日みたいに自分が犯した間違いに気付くことだってある。でもね』

 一度言葉を切ったロンドは、うつむいたままの弟の首に腕を回した。忘れかけていた温もりがカデンツァを包み込んだ。人間には及ばない体温でも、凝り固まった心を溶かすのには十分だった。そのままの体勢で、ロンドはカデンツァの耳元で囁いた。

『あなただけじゃない。私たちみんなが、間違いを犯しながら生きていく。間違いに気付くか気付かないかなんて問題じゃない。だから、間違うことを恐れないで』

 ロンドはカデンツァから離れると、ココロに視線を向けた。ココロは一つ頷いて、カデンツァの手を取った。カデンツァの荒んだ心を洗い流して塗り替えていくように、ココロの喜びが、幸せな心が流れ込んだ。自分の状態を相手に伝えて同じ状態にする能力、シンクロ。テレパシーは使えなくとも関係ないと言わんばかりの能力だった。

『ねえ、いい場所を見つけたの。あなたにとっても、ムメイにとっても』

 ロンドはそう言って、カオルが置いて行った鞄から何かを引っ張り出した。いくつかの付箋が挟まった手のひらサイズのそれは、サート地方のガイドブックだった。ロンドは付箋の一つを頼りにページをめくって、カデンツァとココロに見せた。
 開かれたページの中ほどに、とあるビルの地下にある喫茶店が紹介されていた。雰囲気のいい店内に、人当たりのよさそうなオーナーの写真。何よりカデンツァが目を奪われたのは、色とりどりのポフレが山積みにされた写真だった。

『そっちはカデンツァの。それから、こっちはムメイの』

 食べ物の写真を前に、途端に目を輝かせるカデンツァに苦笑しつつ、ロンドは店内の写真の一枚を指さした。暖色系の明かりに照らされた、黒いグランドピアノがそこに写っていた。

『ここのオーナーさんに伴奏をしてもらって、ココロに歌ってもらうの』
『オーケーしてくれるかな?』
『明日、マジックショーの間に私たちだけでここに行ってお願いをするつもり。カオルには許可をもらっているわ』
『じゃあ……』
『ええ。あなたの好きなもの頼んでいいわ』

 幸いにもムメイは目を覚まさなかったのだが、思わず喜びの声を上げたカデンツァを二人……いや、二匹がかりで制したことは、取り立てて言うべきことでもないだろう。





    *





 その日、喫茶「波の家」には奇妙な客が訪れていた。
 年若い男女とサーナイト。それだけなら、周りにいる客と何ら変わりはない。だが、注文を取りに行った時には全てメニュー表を指さして行い、頼まれた飲み物とポフレを運んでいった時も、笑顔で会釈をしただけ。そこにいた二人は一言も喋っていないのだ。不思議なお客もいるものだと思いながら、波の家のオーナー、パーシャは他の客の注文を受けたり、店を出る客の会計をしたりとせわしなく動き回っていた。いつもはパーシャの肩に載っているか、パーシャと同じく店内をせわしなく駆け回っているデデンネのシナモンが、この日はやけに長い間、その机に居座っていた。





【お願いがあるんです】

 それは閉店間際のこと。他のお客が帰っていった後もずっと店にいて、しかし一言も喋らなかった茶髪に黄色い目の女性が、いきなりノートの字を見せてきた。喋らなかったのは、そもそも声が出せなかったからなのだと気付いたパーシャは「何でしょう?」と笑顔で尋ねた。

【この曲を知っていますか?】

 女性は持っていた鞄の中から一枚の楽譜を取り出して見せた。パーシャ自身歌ったことも伴奏をしたこともある、よく知っている曲だった。

「まあ、この曲は……卒業式でよく歌われる歌ですね。この歌がどうしました?」

 パーシャの問いに、女性は一緒に来ていた男性を示しながらノートの字を見せた。焦げ茶色の髪に、開いているのか閉じているのか分からない細い目に赤い瞳。左目の下には小さな泣きぼくろがあった。手作りのポフレを持って行った時には喜々として真っ先に飛びついた彼は、今は何か思いつめたような表情をしていた。

【今度、この子によく似た男の子を連れてきます】
【その時にこの曲を弾いてほしいんです】
「それはまた、どうして?」

 ページをめくる手が止まった。次に書いてあることを伝えるべきか否か、判断しかねているようだった。ややあって、女性は重い手つきでページをめくった。

【彼は、私と同じで声が出せないんです】
【この曲は、彼と私が通っていた学校の合唱コンクールで歌う曲でした】
【歌うことのできない彼はピアノ伴奏を、私は指揮をすることになりました】
【でも、クラスにはそれほど乗り気でない人もいて】
【その人たちのおかげで練習はまともに進みませんでした】
【歌いたくなかった人は、歌えない彼と私を揶揄するように恨み言を溢していました】
【本番は、それはひどいありさまで】
【ピアノを見るたびに、彼はその時のことを思い出してしまうのです】

 予想していなかった答えに、パーシャは思わず息をのんだ。赤目の男性の顔が苦痛に歪んだ。女性は静かに目を伏せて、ノートの続きを見せた。

【このサーナイト、ココロは、テレパシーを使うことができません】
【ですが、歌を歌うことはできます】
【この曲の伴奏をお願いしたいのは、ココロの歌を彼に届けたいからなのです】
【この歌は本来悲しいものではありません】
【悲しいのは思い出だけ】
【それを、ココロの歌で伝えたい】
【彼を過去の呪縛から解き放ちたいのです】

 伝えたいことはすべて伝えたと言わんばかりに、女性はそこでノートを伏せた。

「なるほど……分かりました。この曲なら過去に何度か弾いているので、伴奏をする分には問題ありませんよ」

 そう答えたものの、パーシャはこの判断が果たして正しいものなのか分からなかった。
音楽は言葉と同じく、聴く者によってとらえ方は変わってくる。良くない思い出の絡み付いた曲は、聴く者の心を蝕んでしまいかねない。

「折角ですから、ココロさんの歌の練習をしませんか?」

 だからこそ、半端ではいけないとパーシャは思う。短い期間で思い出を払拭できるほどの歌を完成させなければならない。

「私は少々厳しいですよ。ついてこられますか?」

 ココロは胸に手を当ててお辞儀を一つし、パーシャにも聞こえる声ではっきりと鳴いた。





「もう遅いので、そろそろ終わりにしましょうか」

 八時を回った時計の針を確認して、パーシャはピアノの蓋を閉めた。いくら地下にあるといっても、夜間にピアノをかき鳴らすのは気が引けた。

【連れて来る子には内緒にしておいてください】
【それから、その子にもピアノを弾かせてあげてもいいですか?】
「ええ。大歓迎です」

 ノートの字に笑顔で応えると、サーナイトがパーシャの手を取った。途端に、パーシャの胸中に何か暖かいものが流れ込んで来た。サーナイトの喜びを表すように、胸の赤い角が柔らかい光を帯びていた。

「あなたは……」

 サーナイトが手を放した後も、心に満ちた温かい気持ちは消えなかった。パーシャはサーナイトに何かを伝えようとした。だが、うまく言葉にならないまま、気持ちだけが心の奥に沈んでいった。

【今日はありがとうございました】
「またいらしてくださいね」
「で~でね~!」

 名残惜しそうに店を後にする二人と一匹を、シナモンと共に見送ったパーシャは、女性から受け取った楽譜に目を落とした。
 パーシャが一度弾き語りをして見せた後、二回目には拙い歌声ながらも完璧にメロディーラインを辿り、指摘した部分は一度で修正してみせたサーナイトを見て、パーシャは驚いていた。音感や上達の速さだけではない。その透き通った歌声を聴いた時、そして最後に手をつないだ時、ほとばしる熱意と、聴く者を暖かく包み込む優しさが伝わってきた。心の中に秘めていた不安が、とろけていくような感じがした。

「あの子たちならきっとできる。そんな気がするわ。ねえ、シナモン」
「んね!」

 にっこり笑って返事をしたシナモンが、パーシャの頬に自分の頬を摺り寄せた。





    *





 ロンド、カデンツァ、ココロが宿泊施設に戻った時には、ムメイは既に窓際のベッドで眠っていた。代わりにカオルが三匹を出迎えた。

「お帰りなさい。どうでしたか?」
『あのお店のポフレ、すっごくおいしかったよ!』
『店長さんも協力してくれるって』
「それはよかった」

 カオルはベッドの中で静かに寝息を立てるムメイに目をやった。枕元では、スリープに変身したメタモンのフォーゼがムメイを見張っていた。カオルはロンドたちがやろうとしていることを知っている。ムメイには内緒にしてほしいというロンドの願いから、彼女たちが帰ってくるまで待つと言ったムメイを無理矢理眠らせたのだった。

「人間にもポケモンにも、休息は必要ですから。あなたたちも、もうおやすみなさい」

 ムメイの枕元に置いてあった二つのモンスターボールを、フォーゼが放り投げた。赤い光線がカデンツァとココロに飛んで、二匹はボールの中へと吸い込まれた。
 二匹が眠りにつくのを確認して、フォーゼは二つのボールをそっと枕元に置いた。それからカオルのベッドの上にあった自分のボールの開閉ボタンを押して、自らもその中に身を落ち着けた。 

『カオルもたまには休まないと』
「ふふふ、それもそうですね」

 カオルは空いたベッドに腰掛けると、薄ら笑いの白い仮面に手を掛けた。
 音もなく外れた仮面の下から現れたのは、身内にも滅多に見せない、色白で整った女性の顔だった。
ロンドはカオルに向かい合うように椅子に座って、テレパシーで語り掛けた。

『ひさしぶりね。カオルが素顔を見せてくれるのは』
「考えてみれば、私はこの仮面にとり憑かれているのかもしれません。あるいは、私はただ、彼と同じで臆病なだけなのかもしれませんね」

 うっすらと笑みを浮かべて、カオルはやや自嘲気味に呟いた。雪のような肌には、普段の飄々とした様子からは想像もできないほど暗い影が差していた。

「師匠が姿を消した日、この仮面が残されていました。頼れる大人はいない、信用できるポケモンはあなたたちだけ。いつしか、この仮面を外してはならない、素顔を見せてはならないと思うようになっていました」
『でも、ムメイが来た時には仮面をしていなかった』
「あの時は、あの出会いが転機になるかもしれないと思ったからでした。そしてその通りでした」

 カオルは再び、向かい側のベッドに視線を投げた。
 色白で中性的、泣きぼくろと少し垂れた眉のせいで悲しげな印象を持たれがちな顔。そこに弱気な性格も相まって、お世辞にも男らしいとは言えない。それでも、やって来たばかりの彼を一目見た瞬間に、カオルは彼の中にあらゆる可能性を見た。

「良くも悪くも、ムメイさんは私を変えてくれました」

 ここに至るまでの五年間で、カオルは幾度となくムメイの優しさに触れた。
 それは甘さとも呼べる優しさだった。
 それは支えと呼ぶにはあまりにも脆く儚い優しさだった。
 しかし、それは時に、強さと呼べる優しさだった。
 相変わらず泣き虫の彼は今、着実に前へと進んでいる。
 そんなムメイを見ていると、自分も向き合うべきことに向き合わなければならないと思えた。大切なものを失ったのは自分だけではないことを、カオルはよく知っている。

「そろそろ、ハイドを呼ばなければなりません」

 重々しい口調でカオルがその名を口にした途端、ロンドの顔に不安の色が広がった。カオルが師匠から受け継ぎ、カオルの師匠がいなくなった日からボールの中で姿を隠して、呼びかけても出て来なくなったポケモン。カオルがサート地方に連れてこなかったポケモンだった。

『あの子は……もう大丈夫なの?』
「大丈夫であることを信じるばかりです。彼の能力はこれから先、必要になってきますから」

 カオルは一つだけ残った空のモンスターボールを手に取って、開閉ボタンを押した。赤い光線を浴びてボールの中に吸い込まれていくロンドに、聞こえるか聞こえないか分からない小さな声で「Good night」と呟いた。
 ロンドがボールに入ったことを確認して、カオルはその身をベッドに投げ出した。それまでため込んでいた疲れが、カオルの意識を眠りの谷に引きずり込もうとしていた。

「Hide and Seek……どちらが欠けても成り立たない、ですか……」

 自分に言い聞かせるように呟いたカオルは、静かに目を閉じた。
重苦しい感慨が滲む顔を隠すように薄ら笑いの仮面を被る。
意識を闇に預ければ、そこはもう夢の中だった。
ここから自作品、「響け歌声 届け心の声」に繋がります。

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