追憶――南の孤島にて

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作者:円山翔
読了時間目安:28分

 目を開けると、朱紅(あか)い空が僕の眼に映った。ところどころに浮かんだ白いはずの雲も、スポンジが空にこぼれた絵具に染まったような色をしていた。

「綺麗だな……」

 お世辞ではなく、心からそう思った。同時に、体が小刻みに震え始めた。気づけば、来ている服はびしょ濡れで、ほのかに潮の香りがした。船で移動中に嵐に遭い、船から落ちてしまった。たまたま流れてきた小さな流木につかまって数日間海を漂い続け、いつの間にか気を失っていたはずだが、どこかに打ち上げられたようだ。

――寒い……このままでは風邪をひいてしまう――

 どうにか体を起こそうと彼は身じろぎするが、どうにも動かない。体が鉛になったかのようだった。手を腰元に伸ばすと、ベルトにつけたボールに触れる。少しではあるが、確かにカタカタと揺れている。

――よかった、無事で――

 ボールをベルトから外す。顔のあたりにボールを置くと、中から心配そうな顔が覗いていた。リオルと、トゲピー。僕が卵から孵したポケモンたちだ。僕は大丈夫だとでもいうように、弱弱しくではあるが微笑んで見せた。

 不意に、明るかった僕の視界が影で覆われた。首だけを動かし、再び空を見るような体制をとる。

 そこには、二人の人間が立っていた。一人は女性、一人は男性。歳は、十代後半といったところだろうか?夕焼けをバックに立っているからか、二人の表情はよくわからない。

 二人は僕を見、僕の頭の横に置かれたボールを見ていた。

「お願い……」

 僕は重たい腕を動かして、二つのボールを持ち上げた。僕を見下ろす二人に、ボールを掲げるようにして差し出す。

「この子たちを、抱いてあげて……ずいぶん冷えているはずだから……」

 二人は顔を見合わせ、それから同時に少年に頷いて見せた。よく見えないのに、何故か二人がにこりと笑ったような気がした。

 僕は安心して、ボールのスイッチを押した。中からリオルとトゲピーが飛び出し、二人の腕の中に納まる。リオルは男性に、トゲピーは女性に抱かれ、心地よさそうに目を細めた。もともと人懐っこかった二匹は、初対面の二人に早くも心を許したかのようだった。が、少しだけ不思議そうな顔をしていた。

――ああ、まぶたが重い――

 眼がゆっくりと閉じていく。なぜだろう。リオルとトゲピーを預けた二人の姿が、少し歪んだように見えた。が、意識が朦朧としていた僕には、その光景が何故か美しいとさえ思えた。意識が途切れるその瞬間まで、僕は二人に見入っていた。



 誰かが僕の顔をぺちぺちとたたいている。人の手ではない、肉球のような感覚。

 僕ははっとして体を起こした。

 倒れていた時は重かった体が、今はすんなりと起き上った。濡れていたはずの服も、すっかり乾いているようだった。

 僕が起き上がると、少し遅れて嬉しそうな鳴き声が両隣から聞こえた。

 気を失う前に誰かに預けたはずのリオルとトゲピー。僕が意識を取り戻したことを喜んでいるようだ。

「ありがとう……」

 二匹の頭をなでてやると、二匹は嬉しそうにすり寄ってきた。もともとポケモンは人間より低い体温を持っているが、リオルもトゲピーも普段の体温とほとんど変わりがない。海水による冷えは収まったようだった。

 僕は二匹を抱きかかえて、あたりを見回した。どこを向いても、青い空と碧い海の境界線が見える。少年は小さな島にいるのだと、その時はじめて気づいた。

 島には何種類もの木が生えており、それぞれの木の実がたわわに実っていた。木はそれなりに大きく、緑色の葉は、時折吹くやさしい風に揺られている。南の地方だからか、気候は比較的暖かい。寂しささえ我慢できれば、そこは楽園のような場所だった。

 傍らのリオルが何かに気付いたように振り返り、僕の袖を引く。少年が振り返ると、トゲピーを抱いてくれた女性が歩いて来るところだった。その細い腕にはいくつかの木の実を抱えていた。僕の前まで来ると、抱えていた木の実を差し出してくれた。少年の握りこぶしよりも少し大きい、青い木の実。オレンの実だ。

「ありがとう」

 礼を言って受け取ると、女性はにっこりと笑って、リオルとトゲピーにも同じ木の実を差し出す。一口かじると、まず柑橘類独特の酸味が、そして徐々に甘みや渋み、苦みが口いっぱいに広がった。まだ体がそこまで大きくない僕は、それひとつで腹が満たされるのを感じた。女性も僕の隣に腰掛け、持ってきたオレンの実を齧る。

 木の実を食べ終わってしばらくすると、今度はリオルを抱いてくれた男性が少年の背後から歩いてきた。隣に座っていた女性は男性に気付くと、立ち上がって彼と並んだ。

 僕も立ち上がって、二人のほうを向く。二人は何かを示しあうように顔を見合わせると、頷きあって僕のほうを向いた。

『……君は私たちを覚えているかい?』

 僕の頭の中で、男性のものらしき低い声が響いた。

 咄嗟のことだったので、目を丸くして驚く。が、以前にもこんなことがあったのか、すぐに落ち着きを取り戻す。もっとも、よく覚えていないけれど。少し考えて、首を横に振った。

『仕方ないわ、兄さん。私たちが会ったのはもうずいぶん前のことよ』

 今度は女性の声がした。同じく、頭の中で。

『君はシンオウ地方から引っ越してきた。そうだな』

 男性は僕に尋ねる。僕は頷いて肯定の意を示す。

『そこで、私たちは一度、あなたに助けてもらったのだけれど』

 はて、そんなことがあっただろうか。僕は考え込んで、思い出せなかった。

 と、僕の胸元から淡い光が漏れた。そこには透き通った小さな水晶があった。

 僕が首にかけているペンダントについていたものだった。何処で手に入れたのだろう?

「これ……」

『助けてもらったお礼に、私からあなたに渡したの』

 女性は遠くを見るような目で僕を見た。

『大雨の日だった。大けがを負った私たちに、手を差し伸べてくれた』

 僕の記憶の中で、何かが蠢いていた。その時の記憶だろうか。

『心優しい君を、邪険に払いのけようとした』

 今度は男性の声が言う。何かを思い出しそうなのに、それは黒い靄のように心を覆っている。

『それなのに、君は追われていた私たちを家に匿ってくれた』

 女性の声が続ける。ペンダントの光が、徐々に強くなる。だが、二人の話していることらしき思い出は、浮かんでこない。僕は自分の貧弱な記憶力を恨んだ。

『そう自分を責めることはないわ。さっき言った通り、あなたがまだ小さい頃だもの』

「でも、その頃からずっとつけていたペンダントなら、覚えているはずだよ。僕は、これを何時、何処で手に入れたのか。それすらもわからないんだ」

 僕はペンダントを手に取り、俯くしかなかった。久しぶりに会った友達に、覚えていないといった時、こんな風には言ってもらえなかった。ただ「酷い」と切り捨てられて、そのままその友達とは話さなくなった。

『あの日からずっとそれを身に着けていたなら、そのペンダントがおぼえているはずよ。ペンダントを、額に当ててみて』

 女性の声が、僕に優しく促す。言われるままに、僕はペンダントを額に当てる。

 すると、不思議なことが起こった。ペンダントの光が、周りのものすべてを飲み込むかのようにあふれ出した。あまりの眩さに、僕は思わず目を閉じてしまった。光は周りの空間から切り離すように、僕を包み込んだ。






 目を開けると、雨が降っていた。が、不思議と僕は濡れていない。

そこは僕がかつて住んでいた家の上空だった。何故か僕は空に浮かんでいる。

 扉が開いて、中から一人の幼い少年が出てくる。黒いランドセルを背負い、「行ってきます」と家の中に声をかけ、傘をさして歩き出す。それはまだ小学一年生の僕だった。目の前に僕がいることには気づいていないようだった。

(これは記憶の世界なのか?でも、誰の?)

 僕は彼の後をついていった。一人だけ家が離れていたせいか、一緒に学校に行く友達はいなかった。それでも、代わりに、少年の僕が通ると、草むらや茂みからポケモンが出てきて、少年の僕の隣を歩いていた。ビッパ、ムックル、コリンク、コロボーシ。少年の僕は、出てくるポケモンたちに「おはよう」と声をかける。ポケモンたちは嬉しそうに鳴いて、少年の僕の周りを駆け回る。

 そんなポケモンたちも、自分の住処から遠くへ離れることには抵抗があるらしく、出てきた場所から少し離れると、また元の場所へ戻っていく。

 その中で二匹だけ、少年のもとを離れないポケモンがいた。オスとメスのラルトス。見た感じ、少年の僕のことをかなり慕っているようだった。

「いつもありがとうね。ラル、ルル」

 少年の僕は、二匹のラルトスに笑顔で言った。オスがラル、メスがルルという名前らしい。二匹の角が、やさしい光を帯びていくのがわかる。少年の僕の、やさしい心を映しているのだろうか?

(そもそも、あのころ僕はあんなに優しかったっけ?)

 疑問に思っていると、ラルとルルが何かに気づいたように、表情をこわばらせる。ガサガサと、近くの茂みが揺れたと思うと、一匹の白いポケモンが風のように飛び出してきた。

 そのポケモン――アブソルが少年の前まで来ると、ラルとルルは怯えたように少年の僕の後ろに隠れる。が、少年の僕はアブソルを見て、

「どうしたの?」

と一言。アブソルは前足を少年の僕に差し出し、何かを訴えるかのようにじっと見つめている。少年の僕は何かに気付いたのか、その場にしゃがみ込むと、背負っていたランドセルを開けて、中から何かを取り出した。スプレー式の傷薬だ。それを差し出されたアブソルの前足に吹きかける。どうやら前足をけがしていたようだ。

 もう一度ランドセルを開けて、今度は白い包帯を取り出す。それを傷の部分に巻いて、しっかり結ぶ。それで満足したのか、アブソルは少年の僕に一つお辞儀をして去っていった。

「大丈夫。あのアブソルも友達だよ。ちょっと前にテンガン山で会ったの。優しい子だから、安心して」

 少年の僕は、怯えているラルとルルの頭をなでながら言う。二匹が落ち着きを取り戻したのを確認してから、少年の僕はまた歩き出した。

 そこで世界が歪んだ。風景が真っ黒な闇に吸い込まれていく。代わりに、別の風景が僕を包む。



それは何処かの茂みの中だった。かなり低い位置に視点があった。寝転がってでもいるのだろうか?近くにはあの島で出会った男性が、傷だらけで倒れている。

「あいつらはどこだ」

「そう遠くへ入っていないはずだ。探せ!」

 何処かでいくつかの男の声がする。足音が近くまで来て、心臓が跳ね上がる。どうやら僕は足音の主に追われているようだ。足音は近くで止まり、それから通り過ぎる。少しだけ安心する。

 ガサガサと茂みの向こうから音がする。見上げると、さっき見た二匹のラルトスが少年の僕を引っ張ってくるところだった。

「どうしたの、二人とも……って、大丈夫!?」

 僕に向かって声がかけられる。今見ているのはあの女性の記憶なのだと、その時わかった。僕は今、女性の視点でものを見ているのだ。だが、最初の記憶は何故空から見下ろす形だったのだろう?
考える間もなく、僕の頭の中で声がする。

『来るな、人間!』

 おそらく、あの男性のテレパシーだろう。目の前にいる少年の僕に向かって言っているのだろうか?

「ひどいけがだ……早く手当しないと!」

 少年の僕は傘をラルに預け、ランドセルから何かを取り出そうとする。

『やめろ!』

 さっきよりもきつい男性の声。同時に男性から念の力が放たれ、少年の僕の体が吹き飛ばされる。少年の僕は抵抗できず、近くの木に叩き付けられる。

『兄さん!その子はさっきの奴らの仲間じゃないわ』

 今度は女性の声。おそらく、隣に倒れている男性へ向けて言っているのだ。

 木にぶつかった少年の僕はすぐに立ち上がって、最初に立っていた場所にいた二匹のラルトスを手招きした。

「あの二人を僕の家に連れて行って。テレポートなら見つからずに済むはずだから。さっきの奴らは僕がひきつける」

 ラルとルルが頷いたのを確認して、少年の僕はポケットから小さな笛を取り出して吹く。音はしなかったが、何処かから何かが近づいてくる足音がする。

 茂みの奥から、最初の記憶で出会ったアブソルが出てきた。少年の僕がアブソルに何か言っている。アブソルはこくりとうなずくと、少年の僕を背にのせて何処かへと走り去っていく。

 ルルが僕のほうへ、ラルが男性のほうへ歩み寄る。

 ルルが手を握ったのがわかった。そこから空間が捻じ曲がっていく……
 


 捻じ曲がった空間が元に戻った時、僕はルルと一緒に最初の家の前にいた。続いて、隣に、男性とラルと男性が降り立つ。テレポートでここまで来たようだ。

ルルが念力を使って扉を開く。中には誰もいなかった。小さな家だった。二人掛けのソファと木のテーブル、奥にはキッチンスペースのようなものがある。

『ここは、あの子の家ね』

 女性の声がルルに尋ねる。ルルはこくりと頷く。そのまま僕の手を引いて、中へと入る。ラルも、男性を中へと引き入れようとするが、男性は動かない。

『何故あの人間を信用する?あの人間も、あいつらの仲間かもしれないだろう?』

『あの子はあの鞄を背負っているのだから。まだあいつらの仲間になんてなれないわ。それに、さっきのアブソルも、このラルトスたちも、あの子を信用している。あの時あなたはいなかったけど、あの子はアブソルのけがの治療をしてあげていたの』

 少年の僕を疑う男性に、女性が反論する。

『さっきも言ったけど、ここはあの子の家。今朝通りかかったけど、ここには彼一人しか住んでいないわ。他の人間が住んでいる形跡も、気配も、読み取れなかった。私は、あの子を信用してもいいと思うの。』

 男性の目にはまだ疑いの色が残っていたが、女性の言葉に折れたのか、ゆっくりと家に足を踏み入れた。ラルが後から入ってきて、念力で扉を閉めた。

 ラルとルルが、男性と僕の手を引いて階段を上る。二階は少年の僕の部屋のようだった。背の低い横広の戸棚が一つ、押し入れと思しきスライド式の扉、勉強机と椅子が一つずつある以外は、これといって目立つものはない。ラルとルルは押し入れを開け、中から布団を三枚取り出す。部屋の隅から順番に敷いて、僕と男性に示した。

『使ってもいいのか?』

 男性の声が尋ねる。ラルとルルが同時に頷く。戸棚から救急箱を取り出そうとするラルを、男性が引き止めた。

『大丈夫だ。眠れば傷はよくなる。』

 ラルとルルは顔を見合わせたが、納得したように頷くと、布団の横に座り込んだ。

 僕も敷かれた布団に体を横たえる。

『私たちのことは気付いているだろうが、あの少年には伝えないでくれ』

 男性の声が、ラルとルルに言った。二匹はこくりと頷いた。

 そのまま、男性は目を閉じて眠り始める。

 僕も目を閉じた。意識が遠のいていく……



 真夜中。ガチャリとドアの開く音がした。誰かが家に入ってきたようだ。

『誰だ』

 男性の声がした。目覚めたばかりなのか、警戒しているだけなのか、その声は低い。

 小さな足音が階段を上がってくる。ゆっくりと、気付かれることを恐れるように。

 僕も目を開き、体を起こす。男性と僕以外、その部屋にはいなかった。

 部屋の前で足音は止まった。それは、少年の僕を背中に乗せたアブソルだった。

 アブソルは真っ赤な目で僕のほうを見、男性を見、それから自分は敵ではないと示すように頭を下げた。

『その少年、無事か?』

 男性の声が尋ねる。少し心配そうな声をしているのは、自分が少年を吹き飛ばしたからなのだろう。あの時は平静を装っていたが、今、少年はアブソルの背中でぐったりとしていた。

 アブソルは不思議そうな目で男性を見た。それから、少年の僕を背中から下ろし、背負っていたランドセルを器用に外した。木に叩き付けられたせいか、少しだけ潰れていた。

「ありがとう、アル」

 少年の僕が目をつぶったまま呟いた。寝言だろうか。

 アルと呼ばれたアブソルが少年の僕を空いていた布団に寝かせると、細くはあるが息はしていた。僕は少年の僕に手をかざした。暖かな光が生まれ、少年の僕を包んでいく。

 少年の僕の頬が次第に赤みを帯び、胸が規則正しく上下し始めた。

 アルは少年の僕の無事を見届けると、もう一度男性と僕に頭を下げて、軽い足取りで部屋を後にした。女性の視点の僕と、男性と、少年の僕だけがそこに残された。

 またガチャリとドアの開く音がした。窓から外を見ると、アルが家から出て何処かへ走っていくのが見えた。アルの背中が見えなくなるまで見送った後、僕は布団に戻って再び目を閉じた。



 どれくらい時間がたっただろう。隣でごそごそと何かが動く音がした。目を開けて音のするほうを見ると、少年の僕が服をハンガーに掛けていた。昨日着ていた服だ。

 起き上がる時の音で気付いたのだろう。少年の僕が振り向いた。

「あ、起こしちゃった?」

 少年の僕は申し訳なさそうに「ごめんなさい」と呟く。『気にしないで』と女性の声。

「朝ごはんの準備ができているから、食べたくなったら降りてきてね」

 少年の僕はにっこり笑って、部屋から出ていく。トトトト、とリズミカルに階段を降りる音が聞こえる。

『兄さん。ルーク兄さん』

 女性の声が、隣で横になっている男性に呼び掛ける。この男性はルークというらしい。

『ああ。起きている』

 ルークは答えると、体を起こして僕のほうを向いた。

『どうする?このまま窓から去るか?』

『いや、今日一日くらい休ませてもらってもいいと思うわ。せっかく食事も用意してくれているみたいだし』

『毒でも入っていたらどうする?』

『その時は“リフレッシュ”で回復すればいいじゃない。でも、その必要はないと思うわ』

 階下からおいしそうなにおいが漂ってくるのがわかる。毒らしき匂いはしない。僕は毒のにおいなど嗅いだことがなかったからわからないけど、この女性にはわかるのだろう。

『私たちを弱らせたいなら、あの時既にそうしていたはずよ。それに』

 僕はルークに腕を示す。いつの間にか、傷のあったところに包帯が巻かれていた。傷薬独特のにおいもする。
『兄さんにも。きっと気づいていただろうけど』

 ルークの腕にも、いくつか包帯が巻かれていた。

『ああ。あんなに早く起きて、こんなことをするとは思わなかったが』

『ええ。本当に心配していたから、こんなことをしたと思うの。彼なら大丈夫よ』

 ルークは苦笑いを浮かべて、『かなわないな、ティアラには』と僕に言った。この女性はティアラというのか。二人の名前を、このときはじめて知った。



 少年の僕が用意してくれたのは、トーストと木の実の炒め物、それにモーモーミルクだった。トースト用に、ヒメリのジャムと、オレンとオボンのマーマレードも用意してあった。

「味付けが薄かったらごめんね。僕は調味料を使わないから」

 おそらく炒め物のことだろう。少年の僕はああ言っているが、ちょうどよく火の通った木の実は本来の風味を残しつつ、香ばしく仕上がっていておいしかった。

(味覚の記憶も残っているのか)

 僕はティアラの記憶力の良さに舌を巻いた。



『昨日は、すまなかった』

 食事が終わって、ルークが少年の僕に言った。昨日少年の僕を吹き飛ばして、気にぶつけてしまったことだろう。だが、少年の僕は食器を片付けながら、

「ああ、大丈夫だよ。ランドセルがクッションになって、僕はたいして痛くなかったから」

と言った。

『あいつらは?』

「二人を追いかけていた人たち?多分ここには来ないよ。昨日アルが懲らしめてくれたし、逃げる時もアルなら見つからないだろうしね」

『君は何時から、一人で暮らしている?』

『兄さん』

 ルークの言葉をティアラが咎める。が、少年は笑って

「僕は一人じゃないよ」

と答えた。持っていた食器を流し場に置いて、二階へ上がっていく。どうしたのだろうと待っていると、階段を駆け下りる音が聞こえた。少年の僕はランドセルを片手に降りてきた。開けると、中から二つの卵が出てきた。

「少し前に、黒服に長い金髪の女の人と、青いスーツを着た男の人にもらったの」

 少年の僕の声に反応するように、卵がカタカタと揺れる。

『無事だったのか?クッションになったって……』

「うん。壊れないように、柔らかい布でくるんでおいたの。僕結構物使いが荒いからね。教科書もいっぱい詰まっていたし、クッションはそっちかな。」

 ルークはほっと息を吐いた。少年も、卵も傷つけることがなくて安心したようだった。
「そうだ。卵を抱いてあげてよ」

 少年の僕はルークと僕に卵を一つずつ手渡した。

『いいのか?君の卵だろう?』

「僕一人で二つ抱えたら、生まれたときに支えられないから。お願い」

『でも、あなたは?』

「大丈夫。その子たちは僕を知っているから。毎日、声もかけていたから」

 少年の僕が「早く」と促す。ルークと僕は預かった卵を優しく抱きしめる。卵の揺れが、だんだん激しくなっていく。

 ピシッと、音がして、卵にひびが入った。それも、二つ同時に。

『ここからはあなたの仕事よ。卵をくるんでいた布を出して』

 ティアラの声がして、少年の僕はランドセルから布を引っ張り出す。ルークと僕は布の上に、抱えていた卵を置く。ひびが大きくなっていく。そして。

 二つの卵の殻が同時にはじけた。ルークが抱えていた方の卵からは、オオカミのような顔をした、青い体のポケモン、リオルが。僕の抱えていた卵からは、卵の殻を身に纏った白いポケモン、トゲピーが生まれた。二匹はきょろきょろとあたりを見回している。初めて見た外の世界を、不思議がっているのだろう。

「はじめまして」

 少年の僕が二匹に声をかける。二匹は少年の僕の声に耳をピクリと動かし、それから少年の僕の広げた腕の中に飛び込んだ。くすぐったそうにしながらも、少年の僕は二匹をしっかりと抱きしめた。

『おめでとう。本当に卵のころから可愛がっていたのね』

とティアラの声。心からの声だった。誕生とは、これほどあっけなく、それでいて重たいものなのだ。そういえば、卵の時から育ては始まっていると、誰かが言っていたっけ。

「このポケモン、なんていうの?」

『青い方がリオル、白い方がトゲピーだな』

「じゃあ、リオルから二文字とってリオ、トゲピーはトゲッチかな?」

 少年の僕は「よろしくね、リオ、トゲッチ」と言いながら、抱えた二匹を膝に置いて、頭を撫でている。二匹は嬉しそうに、少年の僕にすり寄る。

「ありがとう。まだ名前を言ってなかったね。僕は――――っていうんだ」

『いい名前ね。私はティアラ。こっちは兄さんのルーク』

 ティアラの声が自己紹介をしたところで、少年の僕が身を乗り出す。

「ねえ、ずっと聞きたかったんだけど、ティアラさんとルークさんは、テレパシーが使えるの?」

 少年の僕の質問に、隣のルークが固まる。かろうじて口を開き、

『ああ、そうだが』

と答える。

「で、昨日僕を吹き飛ばしたのは、サイコキネシス?」

『……ああ』

「じゃあ、二人はもしかして」

 ルークの喉がゴクリと鳴って、

「サイキッカーさん?」

 僕の隣で椅子から崩れ落ちた。



 少年の僕と、ティアラ視点の僕とルークは、僕の家の前にいた。少年の僕はまだ、リオとトゲッチを腕に抱いていた。

「もう行っちゃうの?」

『ああ。また何時あいつらがやってくるかわからないからな。――――(僕の名前だ)を巻き込むわけにはいかない』

『短い間だったけど、ありがとう。そうだ、これを受け取って』

 僕ーーティアラは少年の僕に近寄ると、何処からか取り出したペンダントを少年の僕の首にかけた。

「これは……?」

『お守り。いつかまた会ったら、そのペンダントを見せて』

 ティアラはきっと微笑んでいるのだろう。隣にいるルークも、穏やかな表情だった。

 少年の僕はどこか寂しそうに、腕に抱えた二匹をぎゅっと抱きしめる。それから覚悟を決めたように笑顔になった。

「きっとまた会えるよね」

『ああ、きっとどこかで』

『それじゃあ、元気で』

 ルークが宙に浮いた。僕の視点も、徐々に高くなっていく。少年の僕は何時までも、離れていく僕たちのほうを見ていた。リオとトゲッチは、少年の僕の腕の中でこちらへ向かって手を振っていた。

 少年の僕が見えなくなったあたりから、隣にいるルークの姿が変わり始める。すらりと伸びた首、少し丸みのある胴体。青い額には白い楕円形のマークが、同じく青い胸元(だろうか)には赤い三角形のマーク。

 気付けば、僕は自分の姿が変わっていくのを感じた。ルークと形は似ているが、色は赤。胸元のマークは青。視界と一緒に、僕の意識も段々と上へ登っていく。続くのはただただ青い空……って、そんなに青空は長く続くものだっけ?






「うわっ」

 飛び起きると、そこは最初にいた島だった。傍らには、リオとトゲッチ。ここまでは最初とほぼ同じ。最初と違うのは、青かった空の色が朱く染まり始めていることと――――目の前に、記憶の最後に見たポケモン、ラティアスとラティオスが浮かんでいることだ。

『気が付いた?』

 頭の中に女性の声が直接流れ込んでくる。

「うん。ありがとう、ティアラ」

 僕はペンダントを外してラティアスのティアラに差し出した。ティアラは『持っていて』とペンダントを僕に差し戻した。

『驚かないんだな。こうして話しかけても』

 ラティオスのルークは意外そうな顔で言った。

「ああ、なんか小さい頃にも似たようなことがあったからかな?ルークやティアラもそうだったみたいだし、多分、ラルとルルも同じように話しかけてきたから」

 僕は空を見上げた。さっき見た記憶がそのまま自分の記憶になったように、僕の中でぐるぐる回る。

「ラル、ルル、アル、みんなは今どうしているかな」

『ここにいるわ』

 僕の呟きに、ティアラの声が反応した。

「えっ」

 目の前に、記憶の中で見たラルトス二匹とアブソルが、突如現れた。三匹は僕を見るなり、僕の所へ飛ぶように走ってきた。

『あなたに気づかれないように、船に一緒に乗ってきたんだって。あなたが船から落ちてから、ずっと探していたみたい』

 僕は三匹に「ありがとう」と言って、リオとトゲッチと一緒に抱きしめた。この五匹と一人で集まるのが、とても久しぶりのように思えた。

『それで、これからどうするんだ?行きたい場所があるなら、連れていくことくらいは出来るが』

 ルークの問いに、僕は迷わず答えた。

「ミシロタウンへ行きたいかな。あそこに、僕の新しい家があるんだ。また機会があったら、遊びに来てよ」

 ティアラとルークはにっこり笑って頷いた。僕は抱きしめていた五匹のポケモンをボールに入れ、僕の隣に来てくれたルークの背にまたがる。

『困ったときには、そのペンダントに強く念じて。あなたが何処にいても、わたしたちが助けになるわ』

 僕はペンダントを握りしめて頷いた。それを合図のようにルークが飛び立つ。
 楽園の島は、みるみるうちに離れていった。






 僕は船から落ちて、知らない島に流れ着いた。そこで思い出と一緒に、大切な仲間と再会した。僕は一人だけど、ひとりぼっちじゃない。僕を支えてくれている人が、ポケモンが、いつでもそばにいるから――――どこかで見守っていてくれるから――――






 僕が一番最初にパソコンで書いたポケモン小説で、投稿しようかどうか迷ってずっと持っていたものです。図鑑企画に投稿するには登場ポケモンの数が多くそれぞれの登場回数も似たり寄ったりなので、普通に短編として投稿させていただきました。拙い所もあるかもしれませんが、楽しんでいただけたら幸いです。
短編なのか疑わしい文字数(Have a Nice Dream 全体の約三分の一)でした。やっぱり長すぎる…?
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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