空白の記憶

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作者:円山翔
読了時間目安:14分

この作品は小説ポケモン図鑑企画の投稿作品です。

気が付いたら、涙を流していた。何故なのかは分からない。一か月前からの記憶が、ごっそり抜けおちているのだ。何があったのか、思い出すこともできない。でも、心に穴が開いたような空虚な気持ちが、胸いっぱいに広がって気持ちが悪かった。その穴の奥から、得体のしれない悲しみが押し寄せてくる。その波を止めることもできずに、涙は僕の頬を伝って落ちていく。


――――アリガトウ

――――ゴメンネ

――――サヨナラ


そんな言葉と共に、真っ白になった心の向こうに、誰かの影が見えた気がした。誰だろうと思った途端に、また涙が溢れ出す。それが誰なのかは結局思い出すことはできなかった。


ただ、二つだけ、予感めいたものが僕の頭の中で生まれた。


一つは、その誰かが、僕にとって大切な存在だったこと。


もう一つは――――










その誰かとは、もう二度と会うことはできないということ――――





 *空白の記憶





 ワタシが彼に出会ったのは、丁度一か月ほど前のことだった。ニンゲンの操るポケモンとの戦闘でひどい傷を負い、瀕死の状態で倒れている所に、彼がたまたま通りかかったのだ。

それまでの経験から、ワタシは人間をあまりよくは思っていなかった。ある時はワタシを捕まえようと、赤と白で彩られた球をいくつも放って来た。無論サイコパワーで撃ち落とし続けたが、ワタシの未熟な力の間を縫って運悪く飛んできた球に当たって、気付いた時にはその中にいた。外に出ようと抵抗しても、貧弱なワタシの力ではどうにもならなかった。

そのニンゲンはワタシをあたかも奴隷のように扱った。住処となった球の中で眠っている所をたたき起こされ、トレーニングだと言って訳の分からない重りをつけて戦いに駆り出された。ワタシ自身それで力がごく僅かに上がっていくのを感じはしたが、そのニンゲンのワタシに対する態度はいつでも厳しかった。ワタシが「バトル」なるものに負けるたびに怒鳴りつけ、時には他のポケモンをけしかけてワタシを虐めたりした。それでも強くならなかったワタシを、結局そのニンゲンは、「力不足だ」と言い残して捨てていった。

またある時は、ワタシを倒せばポケモンの「トクコウ」が上がるだのなんだの言って、ワタシの仲間たちを見つけては次々になぎ倒していった。確かに、ワタシの種族は元々特殊攻撃力が高い。だが、それだけである。倒せばその能力が手に入るなど、勘違いも甚だしい。ワタシと戦ったニンゲンの一人が「ドリョクチ」なるものがどうとか言っていたが、ワタシにはまるで訳が分からなかった。元々力の弱いワタシは、ニンゲンの連れているポケモンに、ぼろぼろになるまで叩きのめされた。今までは自己再生でどうにかなっていたが、今回ばかりは自己再生をしようにも、それを行うだけの体力など残ってはいなかった。


彼に対しても当然ワタシは抵抗しようとした。だが、あまりにも強いショックを頭に受けたせいだろうか、サイコパワーを使おうとするたびに激しい頭痛に見舞われて、攻撃するどころではなかった。そんなワタシを見て何を思ったのか、彼は何やら黒くて四角い背負い鞄から傷薬をこれでもかと取り出し、惜しむことなくワタシの治療をしてくれた。

(何故?ニンゲンは、乱暴なだけではなかったのか?)

 ワタシの発する言葉を、彼は理解してはいないようだった。だが、彼は太陽のように明るく笑って言った。

「心配しなくていいよ。僕は君を傷つけたりしない」

――――この言葉を初めから聞いていたなら、そして、実際にその言葉通りだったなら、ワタシの人間に対する評価は変わっていたのかもしれない。ポケモンにもいろんな性格の奴がいるように、人間もまた様々なのだとこの時学んだ。これまで会ったどんなニンゲンとも彼は違う。彼なら信用してもいい。本能がそう叫んでいた。

 彼はワタシを赤い屋根の建物へと連れて行った。彼曰く、傷ついたポケモンの治療を行ってくれる場所らしい。彼が行ったのは応急処置だけで、ひどい傷については手に負えないからだと、彼は言っていた。

(そんなに気を遣わなくても、体力さえ戻れば自己再生でどうにかなるのに)

 最初はそんなことを思っていたが、自己再生にもサイコパワーを使うことを思い出して素直に彼に従った。体表の傷は、彼の治療でほとんど癒えている。問題は、体の内側なのだ。超能力が使えないのには、何か原因があるはずだと、彼も言っていた。


そして事実、その通りだった。ワタシの脳は生まれつきサイコパワーを生み出す部位が他の仲間と比べて小さく、今回その部位が酷く傷ついて、回復の見込みはないだろうと、他のニンゲンから「ジョーイサン」と呼ばれるニンゲンに告げられた。認めたくはなかった反面、何故だか腑に落ちた。だからワタシのサイコパワーは、あんなに貧弱だったのか。とはいえ、今後一切サイコパワーを攻撃のためには使えないという。ワタシが元通り野生で生きていくのは絶望的だと、言われなくとも何となく分かった。

ワタシはそのまま彼の家に引き取られることになった。彼がワタシを連れて行っていいかと聞き、「ジョーイサン」は彼にワタシの状態を何度も確認してから許可を出した。

ワタシは迷わず彼についていった。そうでなければ、「ホケンジョ」なる場所に連れていかれるのだと、仲間の誰かが言っていたのを覚えていたからだ。

「ホケンジョ」に入れられたポケモンは、障害が回復するか、ニンゲンの引き取り手が見つかるまで狭い檻(おり)に閉じ込められるという。障害が回復した場合は、そのまま野生に返される。だが、治る見込みがないと言われた今、塵ほどもない奇跡を信じることなど到底できなかった。

 そして誰にも引き取られずに一定の期間が過ぎた場合は、ニンゲンの手によって殺されてしまうのだ。そんなのまっぴらごめんだった。どうせ死ぬなら、仲間の元か、せめてだれにも看取られず自然の中で果てたいとさえ思った。仮に誰かに引き取られたとしても、また今までのような仕打ちを受けるかもしれない。それよりは、少しでも信用できそうなニンゲンについていった方がましだと思った。

 彼は、まるで兄弟のようにワタシに接してくれた。彼には二つ年の違う兄がいたそうなのだが、彼がまだ五歳の時に、不慮の事故で亡くなったのだという。両親は仕事で朝早くから夜遅くまで家におらず、彼は一日の大半を一人で過ごしていたのだ。よほど寂しかったのだろう。何処へ行くにもワタシの手を握り、絶対に自分からは放そうとしない。正直ずっと握られていたのではこちらとしてもやりづらかったのだが、それまでに他のニンゲンたちから受けた仕打ちと比べればずっとましだったので、特に反抗はしなかった。

 眠るときも、彼と一緒のベッドで眠った。彼はいつもワタシを人形のように抱きしめて眠った。布団にくるまれているとはいえ、とても暖かかった。ここに来るまで、こんな温もりを感じたことはなかった。彼の心の温もりが、直接伝わってくるようだった。

 彼はワタシを戦わせようとはしなかった。「ジョーイサン」からきつく止められていたのもあったのかもしれないが、彼自身「バトル」が好きではないようだった。彼と散歩をしている時、通りすがりの旅人にバトルを吹っ掛けられても、彼は事情を説明して丁寧に断った。時々気分を害した相手がどんなに彼に酷い言葉を浴びせても、あるいはポケモンの技を浴びせようとしても、彼は相手が立ち去るまで嫌な顔一つせずに断り続けるのだ。そんなことがあった日は、彼は家に帰るまで平静を崩さない。家について靴を脱いで、自分の椅子に腰掛けてやっと、それまでの嫌な気持ちを吐き出すように悲しげな顔をするのだった。

「大丈夫。君は僕が守るから」

 無理に笑顔を作って言う彼を見て、そんな力もないはずなのにと心のどこかで思いながらも、彼のその言葉に、心が震えるのを感じた。ワタシが力を使えたならば、ワタシが彼を守ってあげられるのにと悔やんだりもした。どうしようもないと分かっていたから、すぐに心を入れ替えた。


ワタシに彼と会話する手段があれば、どんなによかっただろうかと考えたこともある。彼の言っていることをワタシは理解できる。だが、ワタシが言っていることを彼は理解できない。指先を辛うじて光らせることはできるが、彼はモールス信号など知りもしなかった。

以前はテレパシーを使ってニンゲンと会話をしようと試みたものだが、今は使えない。これも脳の傷のせいだ。ワタシに残されたものと言えば、ワタシの種族特有の記憶操作能力くらいのものだった。

「ジョーイサン」が言っていた通り、ワタシの能力が元に戻ることは無かった。何度かテレパシーで彼にワタシの思いを伝えようとしたのだが、そのたびに頭痛に襲われ、何も伝えることもできないままに月日は流れていった。


 彼と出会ってから一か月が立とうとしたある日のことだった。サイコパワーを使おうとしたわけでもないのに、急に頭が割れそうなほどの激痛が走った。それまでに感じたことがないほど鋭い痛みだった。頭痛はすぐに収まったが、今度は全身を吹雪に打たれるような寒気に襲われた。がたがたと不自然に震えるワタシを、彼は心配そうに眺めていた。ワタシは心の中で「大丈夫、大丈夫」と何度も繰り返した。全然大丈夫ではないと分かっていた。だが、せめて彼にだけは心配を掛けたくなかった。

 ワタシの言葉が通じたのか通じていないのか、彼はワタシを両手で持ち上げて、それからぎゅっと抱きしめた。少し苦しかったけれど、とても暖かかった。こんな温もりを感じるのも、これで最後になるのだろう。

「大丈夫、大丈夫だから……」

 おそらくワタシに言ったのだろう。ワタシの震えに呼応するかのように、彼もまた震えていた。

 彼はワタシを抱えたまま家を飛び出した。おそらく、あの赤い屋根の建物にワタシを連れていくのだろう。気持ちはとても嬉しかった。だが、もう手遅れだ。

 ワタシは自分の命がもうすぐ尽きることを知っていた。だが、彼は知らない。伝える手段もない。今のワタシにできることといえば――――あるにはあるがそれはあまりにも残酷な手段だった。この方法を取ろうが取るまいが、彼はまたひとりぼっちになる。ワタシが急にいなくなったら、彼はどんな顔をするのだろう?そんなことは、想像したくもなかった。



だったら――――



いっそのこと――――



ワタシと一緒にいた記憶を――――



 赤い屋根の建物が視界の隅に見え隠れし始めた時、残された最後の力を振り絞って、ワタシは彼の頭に手を伸ばした。

 彼の目から光が消える。焦点の合わない目で赤い屋根の建物の方を向いたまま、彼は立ち止まった。膝が崩れ落ち、その場に倒れ込む。ワタシは彼の下敷きにならないように、するりと彼の腕から抜け出した。倒れた彼の頭に再び手を当て、意識を集中する。この方法で本当にいいのかと、心のどこかで自分を責めたてる声が聞こえる。だが、始めた以上はもう巻き戻しはきかない。



――――アリガトウ



――――ゴメンネ



――――サヨナラ



 告げることもできずに心にしまっていた言葉が、ワタシの胸から溢れ出した。今となっては告げるべきではない言葉だった。言葉はワタシの腕を伝って、彼の頭の中に刻まれていく。しまったと思った時には、もう遅かった。かろうじて繋がっていた糸が切れたように、ワタシはパタリとその場に倒れた。ワタシの目が再び開くことはなかった。





    *





 目を覚ますと、何故かポケモンセンターにいた。自分の部屋で眠っていたはずなのに、おかしなことが起こるものだと思った。そういえば、眠っている間に、無意識のうちに歩き回ってしまう病気があったと思い出す。夢遊病と言っただろうか?だが、自分がそれにかかっているとは思えなかったし、健康診断でもそんなことは一切言われなかった。

 ゆっくりと体を起こし、伸びをする。まだ抜けないけだるさを払いのけるように顔を両手ではたき、ベッドから降りたところで、何かがないことに気付いた。それが何かは分からなかった。思い出そうとした途端に、頬を何か熱いものが流れ落ちていくのを感じた。









No.606 
オーベム 
ブレインポケモン
・相手の 記憶を 操作する。3色の 指を 点滅させて 仲間と 会話している らしい。
・サイコパワーで 相手の 脳みそを 操り 記憶する。映像を 違う ものに 書き換えてしまう。
・指先を 点滅 させて 会話するらしいが その パターンは まだ 解読 できていない。










あとがき

朝に読まれた方はおはようございます。
昼に読まれた方はこんにちは。
夜に読まれた方はこんばんは。
そして初めて読まれる方は初めまして。円山翔です。

 「死神たちの憂鬱」を書き終えて、どうしようかな、なんて思っている時に、企画作品という新しいタグを見つけて不思議に思っていました。後に発表された企画の内容を見て、なんですかこの素晴らしい企画は!と思うと同時に、スランプだった僕の頭にいくつかの物語が浮かびました。これはその一つです。
 記憶については、「忘れないで」でも書きました。でも、今回は少々違った観点からのものです。記憶操作で思い出を消し去っても、完全には消えてくれない。時々嫌な記憶がふとした瞬間に蘇ったりしますよね。忘れたつもりでも、心のどこかに大切にしまってあるだけなのだと個人的に考えております。
元々、オーベムというポケモンをとその能力を知ったのは、ポケスペ51巻でした(これ以上のネタバレは、ここではいたしません)。今日までにこのサイトで拝読した物語にも少なからず影響を受けて、今回このような物語を作ることができました。
 素敵な企画を作っていただいた空風灰戸さん、たくさんの感情をくれる物語を投稿してくださった皆様、ありがとうございます。

 

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。


2015年7月13日
円山翔

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