迷子

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読了時間目安:30分

作者:absoluteさん

 分厚い雲が一面に広がり、今にも雨が降ってきそうな空。今日はそんな嫌な天候だった。

 十八年間暮らしてきた地方都市に別れを告げ、この街で下宿を初めてから二ヶ月。ここは所謂この国の首都と呼ばれる街で、僕が今まで過ごしていた街と比べると途方もないくらいに発展している。話には聞いていたのだけれど、実際に来てみると僕の想像なんて甘っちょろいものだったんだって痛感させられる。百聞は一見に如かずってことわざがあるけど、まさにそれを実感した気分だった。

 三年間の高校生活でやりたい事を見つけた僕は、割と早い内から大学への進学を考えていた。進学して、もっと専門的な事を学んで。その目標に近づきたかった。でも僕の故郷の街には、僕がやりたい事が学べる大学はなかったから。だから街を出る必要があったんだ。
 折角見つけた僕の夢。やるからにはキッチリとやりたかった。中途半端にしたくなかった。

 勉強の甲斐もあって浪人せずに大学への合格に成功した僕。喜びも冷めぬ内に入学式が終わり、遂に僕の新しい生活がスタートした。
 初めは胸の奥のワクワクが抑えきれない程だった。大学での生活もそうだけど、田舎育ちの僕にとって都会と言う響きはとても新鮮に感じられていた。未知の体験への期待感で、僕の心は満たされていた。

 だけど。二ヶ月経った今はどうだろう。
 僕の心の中は、決して晴れ渡っているとは言えない。この曇天と同じように、分厚い雲が広がってしまっているかのようだ。
 いや、別に大学の勉強についてけないだとか、そう言うのじゃない。ただ、この街に来てから強い孤独感を感じるようになってしまったんだ。

 最初は凄くワクワクしてた。きっと僕の想像以上のものが広がってるんだろうと、そう思うと胸が高鳴っていたんだ。でも。目の前に広がっていたものは、僕の想像をあまりにも超えすぎていた。
 沢山の人々。カラフルな街並み。四方八方から流れ込んでくる音。田舎育ちの僕は、めまぐるしく移り変わるこの都会の中に取り残されてしまった。街の流れに、ついて行けなくなってしまった。
 この街はあまりにも雄大過ぎた。まるで、次元が違うんじゃないかって錯覚してしまう程に。そんな違和感や戸惑いに、僕は飲み込まれてしまった。

 取り残された僕は、一人迷子だった。

「あっ……雨……」

 午後の講義が終わり、辺りもすっかり暗くなった大学からの帰り道。僕がとある公園の横の歩道を歩いていた時、空に広がる分厚い雲から遂に雨粒が零れ落ちてきた。
 朝に見た天気予報では夕方から雨が振ると知らされていたので、まるっきり予感してなかった訳じゃない。一応傘は持ってきていたから、取り敢えず雨は凌げそうだ。僕は手に持っていた傘をおもむろに開く。
 できれば降り出す前に帰ってしまいたかったんだけど。降ってきてしまったものは仕方ない。僕は渋々歩き出す。

 そうだ。その時だったんだ。

「あれ……?」

 ふと横にある公園へと視線を向けたその時、僕はとある事に気がついた。公園の端っこ。そこに置かれたベンチ。その下に、茶色い尻尾がゆらゆらと揺れているのが目に入った。あれは……ポケモン?
 おそらく雨に逃れる為にベンチの下に駆け込んだのだろうけれど、あれでは体は防げても尻尾は濡れてしまう。ひょっとして、気づいていないのだろうか。既に尻尾には雨が打ち付けられているというのに。
 何だか放っておけなくなって、僕はベンチに歩み寄った。雨に濡れないように上手い具合にしゃがみ込み、ベンチの下を覗いてみる。

 尻尾は茶色かったけど、体全体の体毛も基本的には茶色だった。特徴的なのは長い耳と、首元のクリーム色の毛。襟巻きを彷彿とさせる。身体の大きさは随分と小さく、子供でも抱き上げられるような大きさだ。
 それがイーブイと呼ばれるポケモンだって、一目見ただけで分かった。僕はこう見えてもポケモンの知識は一通り持ち合わせているつもりだから、きっと間違いない。

「君は……?」

 そのイーブイは小さく丸まっていた。元々小さかった体を、更に小さく縮こませて。
 もしかして、僕に怯えているのだろうか。いきなり現れた見ず知らずの人間を前にして、警戒心を強めているのか。
 もしそうなのだとすれば。この子は誤解している。

「大丈夫。僕は君の敵じゃないから」

 優しく声をかけながらも、僕はイーブイに手を差し出す。僕の声に反応したのか、そのイーブイはピクリと耳を立てるとおもむろに顔を上げた。僕とイーブイの視線がぶつかり合う。

「大丈夫だよ」

 僕はもう一度、イーブイに声をかける。するとその子は警戒心を解いてくれたようだ。僕の差し出した手に、自分の前脚を乗せてくれた。
 近づいてきてくれたイーブイを、僕は優しく抱き上げる。その時に気づいた事だが、どうもこのイーブイは体中が薄汚れているようだった。土だとか、泥だとかが体中の毛皮にこびりついているのが確認できる。
 こんなにも汚れていると言う事は、野生のイーブイなのだろうか。いや、ちょっと待って。よく見ると、何やら首元に青いリボンが巻かれていた。ふさふさの毛に隠れてて、少し分かりにくいけれど。

 リボンがつけられているし、人間にも慣れているみたいだから、この子はおそらく野生のポケモンじゃない。でもこんなにも汚れていると言う事は、もしかして主人とはぐれてしまったのだろうか。
 僕はイーブイを抱きかかえたまま立ち上がり、周囲を見渡してみる。しかし、この子の主人と思しき人は見当たらなかった。いるのは雨から逃れようと立ち去っていく人ばかり。イーブイを探している素振りを見せる人は誰もいない。

「君は……迷子、なの?」

 手がかりを見つける事ができなかった僕は、何気なくその子に声をかける。僕の腕の中で丸まりながらも、イーブイは不安そうな表情を見せてくる。
 そんなイーブイと視線が再び合った瞬間、僕は不思議な感覚を覚えた。イーブイの不安感が伝わってきて僕も同じ気分になりそうになるんだけれど、だけどそんな気持ちとは別に何かが満たされる気分になるような気がする。心にすっぽりと空いていた穴が、少しだけ埋まっていくような。

 あぁ。そうか。きっとこれは、“親近感”なんだ。

「迷子……か。僕と同じだね……」

 主人とはぐれ、文字通り“迷子”になってしまったイーブイ。この都会の速すぎる流れに取り残されて、“迷子”になってしまった僕。状況に差異はあれど、心境は似通ってるから。。こんな親近感を感じるんだと思う。イーブイからして見れば、何の事なのかさっぱりなのかも知れないけれど。

 そんな事を考えている内に、降り注ぐ雨の勢いが更に強くなってきた。整備された地面と衝突した雨粒が、跳ね返って僕の足首を濡らす。
 イーブイの主人を探すのにも、この豪雨の中じゃ難航しそうだ。確か天気予報によるとこの雨は明け方まで降り続くみたいだから、どこかで雨宿りをしても意味はないだろう。

 そうなると、今から僕ができる事は一つ。

「よし……」

 取り敢えず、イーブイを連れて一旦家に帰ろう。このまま闇雲に捜すのも効率が悪いし、それにこの子の事も気がかりだ。
 ベンチの下に身を潜めていたとは言え、飛び散る水しぶきまでは完全に防ぐ事のできていなかった。イーブイの体は、雨水で湿ってしまっている。このまま放置しておけば、やがて体が冷えて体調を崩してしまうのではないか。温かい季節と言えど、油断は禁物だ。

 うん。やっぱり、今日だけはこの子を連れて帰ろう。

===

 僕の下宿先は大学から徒歩十分のとあるアパートの一部屋。1Kのごく普通の部屋で、一人暮らしをするには申し分ない。何より大学から近いのは通学に便利だ。家賃はこの街のアパートにしては安い方らしいけど、田舎育ちの僕からしてみれば結構高く感じる。これもまた感覚の差、と言うやつか。
 因みに、一応ポケモンはOKのアパートだから、イーブイを連れ込んでも問題はないはず。

 取り敢えず僕がまず向かったのはお風呂場。イーブイの体の汚れを、洗い流さなければならない。このまま部屋まで連れて行くと色々と大変な事になりそうだし、そもそも汚れたまま放っておくのも可愛そうだ。
 あ、そうだ。この子、首にリボンをつけていたんだっけ。取り敢えず今は外しておこう。このリボンも汚れているみたいだし、後で別に洗っておかないと。

「ごめんね。ちょっと我慢してね」

 浴室にイーブイを降ろした僕は、袖を捲くってシャワーノズルを手に取る。蛇口を捻ってお湯を出し、イーブイの体を洗い始めた。
 最初は嫌がるかなと思っていたけれど、洗い始めると驚く程に大人しくイーブイは僕に身を委ねてくれた。水とか嫌がったりするポケモンもいるんだけれど、どうやらこの子は特に苦手ではないらしい。お陰ですんなりと体を洗う事ができそうだ。

 ……よし。大体こんなもんかな。体中の砂や泥は綺麗さっぱり洗い流せた。これならば部屋に連れて行っても大丈夫だろう。
 僕は再び蛇口を捻り、シャワーから噴き出すお湯を止める。

「わっ……!」

 すると突然イーブイが身震いして、体の水を弾き飛ばした。近くにいた僕は、当然その水しぶきを浴びてしまう。思わず変な声を出してしまった。
 油断してた……。そりゃこうなるよね……。そこまでびちょびちょに濡れた訳じゃないけど。

 イーブイの体を洗い終わって。浴室を出て、あらかじめ用意しておいたバスタオルで濡れたその子の体を拭く。ある程度拭き終わったら、今度はドライヤーを使って体を乾かしてあげた。
 本当はこの時にブラッシングとかしてあげられると良いんだろうけど、あいにく今はブラシを持ち合わせていない。そもそも僕はポケモンを持っていないから、こっちで下宿を始める時もポケモン関連の物は買い揃えていなかった。

 でも、できる限りの事はしてあげたいな。一応高校まではポケモンと触れ合う機会も少なくなかったし、ある程度の知識はある。その知識を振り絞ろう。

===

 体を洗い終えた後、僕はイーブイを部屋まで連れてきていた。
 ブラッシングはしてあげられなかったけど、ドライヤーで乾かすだけでイーブイの毛並みは艶を取り戻していた。きっと普段から丁寧に手入れをされているのだろう。凄いな……。この子の主は、一体どんな人なんだろう?

 そんな事が気になりつつも、僕達はそろそろご飯を食べる事にした。イーブイもお腹が空いているみたいだし、丁度いい時間だ。
 ポケモンの食べ物と言えばポケモンフーズとかを思い浮かべるけど、やっぱり今はそんな物はない。だけど心配はいらなかった。
 何もポケモンの食べ物はポケモンフーズだけじゃない。

「本当……タイミングが良かったよ」

 僕は現在、大量のきのみを所有していたんだ。何個かのダンボールに詰められて、部屋の隅に積み上げられている。
 つい先日、実家にいる母親が送ってきたものだった。一体どこからこんなにも沢山のきのみをかき集めてきたのだろうか……。僕の実家は、別に農家とかそんなのじゃないのに。息子ながら、自分の母親の行動力にはよく驚かされる。
 でも正直、これは一人暮らしの僕には多すぎる量のきのみだ。……少し限度を考えて欲しい。

 でも、今ばっかりはその量に助けられた。量もそうだけど、種類も多いから。きっとこの子の好みもあるはず。辛い、酸っぱい、渋い、苦い、甘い。味も全部揃っている。

 僕は大量のきのみの中から味の違ういくつかを取り出して、それらをお皿に盛り付ける。イーブイの前に差し出した。

「好きなだけ食べていいよ。おかわりもいっぱいあるから」

 僕だけじゃ到底食べきれないくらいに。

 イーブイは差し出されたきのみの一つに、豪快にかぶりつく。余程お腹が空いていたのか、あっと言う間に食べ終わってしまった。同じように他のきのみも口に運び、美味しそうにむしゃむしゃと食べる。
 味はバラバラだったけど、その子は全部美味しそうに食べていた。この子に好き嫌いはないんだろうか。
 気がつくと、僕が差し出したきのみはぺろりと完食されていた。しかもまだ物足りない様子で、僕に追加のきのみを強請ってくる。……結構食いしん坊?

 その後。沢山のきのみを食べて満足したイーブイは、ウトウトと眠そうに顔を擦っていた。お腹がいっぱいになって、眠気が出てきたのだろう。時間も結構遅いし。
 僕が夕飯を食べ終わる頃には、イーブイは完全に眠りに落ちていた。スヤスヤと心地いい寝息を立てながらも、部屋の真ん中で丸まっている。

 食器を片付けつつも、僕は時計に目を向ける。今は夜中の11時半。だいぶ夜も更けてきた。さらには外は相変わらずの豪雨。朝になったら晴れるはずだけど……。
 このイーブイの主である人は、今頃どうしてるのだろう。自分のポケモンがいなくなって、きっと心配で心配で仕方ないに違いない。
 それに。この子もきっと、早く主人に会いたいはずだ。一人迷子になって、ずっと心細かったはずだ。いや、今でも心細さを感じているかもしれない。

 それならば。

「……早く、再会させてあげないと」

 明日はちょうど講義もない。特に予定も入ってない。
 時間は沢山ある。何としてでも、この子を主さんのもとへと連れて行ってあげよう。

===

 翌日。朝ご飯を食べた後、僕は早速イーブイの主人を探し始める事にした。
 手がかりはない事もない。この青いリボンだ。今も尚主の人がこの子を探しているのだとすれば、その人もきっとこのリボンを手がかりにするはず。この子を連れて街を歩き回れば、あっちから見つけて貰える可能性もある。
 僕は綺麗に洗ったそのリボンを、イーブイにつけてあげる。襟巻きのような毛に埋もれてしまわないよう、上手い具合に加減してみた。よし、これで大丈夫なはずだ。

「さて。行こうか、イーブイ」

 立ち上がりつつも、僕はその子に声をかける。
 対するイーブイはと言うと、どうにも不安げな表情を浮かべてしまっていた。やっぱり、心細いんだろう。それもそうか。見ず知らずの僕に連れられても、安心できる訳がない。この子には主である人が必要なんだ。

 ポケモンと人間。言葉は通じ合わないかも知れない。でも、気持ちなら伝わるはず。
 少しでもその子を安心させる為にも、僕は再び優しく声をかけた。

「心配はいらないよ。僕が絶対に君を主さんの所まで送り届けてあげるから……」

 僕はイーブイを連れて、アパートの自室を後した。

 外に出ると、広がっていたのは晴天。昨日の豪雨が嘘のように、空は雲ひとつなく晴れ渡っている。どうやら天気予報は正しかったようだ。
 うん。何だか上手くいくような気がしてきた。根拠なんてものはないけれど、この晴天を見ていたらそんな気分になってくる。ここはこの気持ちをポジティブに受け止めよう。悪い結果なんて考えても仕方ない。

 僕はまず昨日イーブイと出会ったあの公園を訪れてみた。イーブイがあの公園ではぐれたのだとすれば、上手く主の人とばったり会えるかも知れないと思ったのだが……。

「……いない、か」

 そう上手くはいかない。公園の隅々まで見渡したけど、捜し人は見つからなかった。
 参ったな。まさか何の手がかりも得られないなんて。ひょっとして、イーブイはこの公園ではぐれた訳ではないのだろうか。

「ねぇ、イーブイ。君はどこで迷子になったの?」

 僕は駄目元でその子に聞いてみる。しかしイーブイは何の事か分からない様子で首を傾げるだけだった。
 うーん……。ポケモンの言っている事が分かれば聞き出せるかも知れないのに……。そんな意味のない願望を心の隅で抱きながらも、僕は移動する事にした。
 仮にはぐれた場所がここじゃなくても、きっとこの近くであるはず。イーブイの足じゃ、そう遠くまで移動できないと思うから。近くの別の場所で主とはぐれて、歩き回った結果この場所に辿り着いた……って可能性もある。

 ん? 待てよ。もし既にはぐれてから相当な時間が経っていたらどうする? この子がつい昨日主人とはぐれた……とは言い切れない訳だし。もし時間が経っているとすれば、遠方から流れ着いたって事でも不思議ではないような……。
 いや、でも。この子の毛並みは何日も手入れを怠っていたとは思えない程に綺麗だった。汚れを洗い流して乾かして上げただけで、こんなにも艶が出たんだし。

 結局の所、どうなんだろうか。

「……いや、止めよう。考えても仕方ないし……」

 余計な事を考えるのはよそう。確かにはぐれてから時間が経っていれば経っているほど、捜索すべき範囲は広くなるけれど。でも、そんな事は関係ない。例え時間がかかっても、この子を主の所まで送り届けてあげたい。放っておくなんて、できる訳がなかった。

 とにかく、この公園に捜し人はいなかった。だから別の場所へと移動するしかない。
 正直、僕は未だにこの街の事はよく分かっていない。道だって、せいぜい家から大学まで、それと普段買い出しに行くお店まで以外はかなり怪しい。どこに何があるのかすらも、把握できていない。ちょっとでも気を抜けば、自分がどこにいるか分からなくなってしまうかも。
 それでも、諦める訳にはいかない。今の僕はスマートフォンの地図アプリだけが頼りだ。これを見て、何とか街中を歩き回るしかない。

「……ん?」

 公園を出て、一時間程歩いた頃だろうか。
 突然、イーブイの挙動が変わった事に気がついた。今まで僕の足元にぴったりくっついて歩いていただけだったけれど、きょろきょろと辺りを見渡し始めたかと思うと今度はくんくんと鼻をひくつかし始めたのだ。まるで、何かの匂いを嗅ぎとったかのように。
 まさか。

「イーブイ……? ひょっとして、主さんの匂いを嗅ぎとった……とか?」

 僕のそんな質問に答える前に、イーブイは走り出した。いや、もしかしたらその行動こそが僕への答えなのかも。
 基本的にポケモンの嗅覚は人間より鋭い。きっとあの子は、自分の主人の匂いを嗅ぎとって走り出したに違いない。僕も早く追いかけなきゃ。ボーッとしてたら見失ってしまう。

 イーブイを追いかける為、僕は走り出す。だけどここ最近運動を蔑ろにしていたせいか、思っていたよりも走れなかった。ちょっと走っただけでも息が切れ、足がもつれそうになる。対するイーブイは、まるで疲れを感じさせない程のスピードで走り続けて……。

「はぁ、ひぃ……。い、イーブイ……ちょ、ちょっと、速……」

 ぜぇぜぇと息を切らしながらも、僕は何とかイーブイに追いつく事ができた。激しい息切れのせいで苦しくなり、僕は両膝に手を乗せて息を整えようとする。こ……ここが目的地?
 僕達が辿り着いたのは、先ほどとはまた別の公園だった。広さはさっきの公園よりもかなり小さめ。人の数も少ないように思える。ここにイーブイの主さんがいるのだろうか。

「い、イーブイ……?」

 イーブイは公園の中に植えられたとある木の根本にいた。頭を下げて、何かを頬張っているように見える。
 えっ、ちょっと待って。何だか、嫌な予感が。

「……これって」

 イーブイはきのみを食べていた。僕も昨日あげた、オレンのみと呼ばれるきのみ。あぁ、そうか。この木はオレンの木だったんだ。
 ……いや、まさか。この子はオレンの匂いを嗅ぎつけて走り出したのだろうか。確かにオレンからは柑橘類独特の匂いが出ているけれども……。
 まさかこんなにも食い意地が張っているとは。

「はぁ……」

 思わず溜息。ずっしりと疲労感がのしかかってきたような気がする。
 朝ご飯が少なかったのだろうか。結構沢山あげたと思うけど……。それとも、この子はオレンのみが好物だったのかも知れない。それで思わず走り出しちゃった、と。

 まぁ……ちょうどいいか。僕も少し休憩しよう。
 僕は辺りを見渡してみる。こんな所に公園があるなんて、知らなかった。今まで決まった道しか歩いた事なかったから。
 落ち着いた雰囲気の公園。他とは少し雰囲気の違う場所。何だろう、なぜだか凄く安心する。
 疲れてたのかな。ここ最近、随分肩身の狭い思いを感じていた気がするし。こんなにも落ち着いた雰囲気に浸れるのも久しぶりだ。だから、今はこんな安堵感を感じているのかもね。

「……あ」

 しかし一息つこうとしたその時、僕の視界にある物が飛び込んできた。近くにあった街灯、そこに貼り付けられた一枚のポスターだ。一匹のポケモンの写真がデカデカとプリントされた、中々の存在感のポスター。そのポスター上部にはこれまた大きな文字で何かが書かれている。
 僕は思わず、食い入るようにそのポスターを見つめてしまった。

「迷子のイーブイ……捜しています……?」

 これって……まさか迷子ポケモン捜索ポスター? しかもイーブイって……!
 僕は落ち着いてそのポスターをよく見てみる。行方が分からなくなったのはつい数日前。どうやらこの公園の近くではぐれてしまったらしい。そして。

「えっと、特徴は……。首に青いリボンが巻かれている……?」

 首に青いリボン。間違いない。このポスターを作成した人は、僕が昨日拾ったイーブイを捜しているんだ! 迷子になった日付から考えて、あの公園にたどり着いていても不思議ではない。体の汚れ具合だって、この期間なら納得できる。いや、でもちょっと汚れ過ぎだったかも知れないけど……。気にならない程度の誤差だ。

 未だにオレンのみを食べ続けるイーブイを横目に、僕はスマートフォンを取り出す。とにかくポスターに書かれた連絡先に電話してみよう。この人も、早くイーブイに会いたがっているはずだ。
 電話をかけてみると、聞こえてきたのは女の人の声。ポスターを見た事、そしてそのイーブイらしきポケモンを拾った事を話すと、その人の口調が興奮気味なものに変わった。どうやら、その人の方からイーブイを迎えに来てくれるらしい。僕がポスターを見た公園を教えると、「今すぐに行く」と言って勢い良く通話を切られた。

 僕がイーブイの事を伝えた時のあの感じ……。やっぱり凄く心配してたみたいだ。
 それもそうか。大切なポケモンがいなくなって、心配にならない訳がない。もし僕がポケモンを持っていて、同じようにはぐれてしまったら。きっと死に物狂いで捜しまわるはずだ。

「よかったね、イーブイ。君の主さん、見つかったよ」

 オレンのみをお腹いっぱい食べて、満足しているイーブイ。僕はその子にやんわりと声をかけた。
 初めは僕の言っている事がよく分からなかったみたいだけど、やがてジワジワと理解してきたらしい。パァっと、その子の表情は明るくなる。
 良かった……。本当に、良かった。

===

「リヤンー! 会いたかったよー!」

 このイーブイはリヤンって名前だったらしい。主人であるその人は、最愛のイーブイと再会するとギューッと抱きついた。抱きつかれたイーブイの方も再会できた事の喜びからか、僕にも見せた事の無いような表情を浮かべている。
 本当に仲が良いんだなぁ。何だかちょっぴり羨ましい。

「あのっ! 本当にありがとうございました! 私がちょっと目を離しちゃった隙にはぐれちゃったみたいで……」
「いえ、当然の事をしたまでですよ。僕もたまたま見つけて……」

 本当に偶然が重なってた。この子を見つけたのもそうだけど、あのポスターを見つけたのもたまたまだった。この公園にオレンのみがあって良かった。イーブイがオレンのみにつられてくれたお陰で、ポスターを見つけられた訳だし。
 見た感じ、イーブイの主さんは僕とそう歳は変わらないくらいだろうか。でも裏表のない素直そうな人だ。これまでだって、心の底から愛情を混めてイーブイを育ててきたみたいだし……。うん。きっといい人だ。この人が主さんなら、イーブイ……リヤンも幸せだろう。
 もう、心配はいらないかな。

 頻りに深々とお辞儀をするその人を落ち着かせて、軽く会釈をした後に僕達は別れる事となった。折角再会の余韻に浸っている所を、僕が邪魔してしまうのも悪い。ここは大人しく、さっぱりとした雰囲気のまま僕は引き下がるとしよう。

「……じゃあね、イーブイ。元気で」

 最後にそのイーブイに一言声をかけた後、僕は踵を返した。本当に短い間だったけれど、別れとなるとちょっぴり寂しい。再び心に隙間が空いてゆくような、そんな気さえしてしまう。
 逃げるように去ってゆく僕の背中に向けて、イーブイが鳴き声を一つ上げる。まるで別れの言葉を投げかけてくれているかのような、そんな鳴き声だった。

 そうだ。お別れだ。迷子だったあのイーブイは、自分の居場所に帰る事ができたんだ。だから、もう僕の出る幕はない。
 でも、それじゃあ僕は? あの子は“迷子”から抜け出すことができた。あの子はもう一人じゃない。しかし、僕の方はどうだろう。結局、取り残されたままだ。“迷子”から抜け出せずにいるんじゃないか。

 いや。何だろう、この感じ。今の僕の心境は、この前までとは少し違う。
 確かに、僕は雄大な街に圧倒されて尻込みしていたんだ。ただ周囲から目を逸らして、足元ばかり見ていた。
 だけど、今日。イーブイの主さんを捜す為に初めてまじまじと周囲を見渡して。僕の想像とは違う街の一面を見られたような気がする。
 とにかく騒がしい街だと思っていた。いつまでも忙しなく動き回り続ける街だと思っていた。僕じゃ到底ついて行けないって、諦めていた。そう、諦めていたんだ。
 他の人達も同じだ。この街の流れに、必死についていこうとしている。でも、僕は。早々に諦めてしまった。足を止めてしまった。
 そうか。僕は取り残されたんじゃない。自分で立ち止まったんじゃないか。自分じゃ絶対に無理だって、そう思い込んで逃げていたんだ。

「…………」

 僕は無言で空を仰ぐ。雲一つない良い天気。清々しい気分にさせてくれるような、そんな晴天。
 あの子は……イーブイは居場所を見つけられた。あの子は再び歩き出す事ができたんだ。

 だから、僕も負けてられないよね。
 逃げてばかりじゃ駄目なんだ。立ち止まってちゃ駄目なんだ。諦めるなんて駄目なんだ。
 迷いなんて捨てるんだ。もっともっと必死になって、僕の方から追いかけ続けてみようかな。
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感想

お名前:円山翔 さん
おはようございます。円山翔です。
都会の中で迷子になった一人と一匹。夢を抱えながらも、それまでとは全く違う雰囲気に押しつぶされてしまいそうな主人公が、飼い主とはぐれた食いしん坊のイーブイと出会ったことで大切なことに気付く……きっかけはいつも突然に、思いもよらない形でやってくる。そんなことを読んでいて感じました。「歩き出さずに立ち止まってしまえば夢は消えていくだろう」……「ひとりぼっちじゃない」の歌詞を思い出します。
立ち止まらずに歩き続ける勇気をくれる物語だったと思います。
書いた日:2015年07月05日
作者返信
感想ありがとうございます。
諦めない事の大切さや、立ち止まってしまう事の勿体なさを込めて執筆してみました。きっかけを見つけて、それをバネに前進すると言う事も大切だと思うんですよね。
途中、だいぶ手こずった部分もありましたが、何とか形にする事が出来たので取り敢えず一安心です。
書いた日:2015年07月06日
   作品サブカテゴリ: 覆面作家企画4投稿作品