怒りの湖

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読了時間目安:9分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

ごくたまにポケモンを持たないで旅をする人たちがいますが、皆さんは絶対に真似をしてはいけません。
皆さんはポケモンを持って安全な旅をしてくださいね。約束ですよ。
――とあるポケモン塾の先生の言葉――
 怒りの湖に設置されているベンチに、一人の初老の男が座っていた。イヤホンをつけてポケギアのラジオニュースを聞いている。その内段々と眉間にシワがより始め、苛立ち気にイヤホンを外してカバンの中に片付けてしまう。青々と晴れ渡った空を見上げるその顔は芳しくない。

「若手の育成を頼まれたから承諾したけど、この有様とは……」

 苦々しく呟いてから頭を抱え込んで毒づいた。それから、ベンチに置いていた手提げカバンからボールを取り出すと前に投げる。ぽんっと軽い音とともに出てきたのは、紫色の体に黄色いヒゲを生やしたポケモン。マルノームだった。

「マルマ。すまないが、いかりまんじゅうはまた今度になりそうだ」

 その瞬間、ガガーンと頭の上に効果音が出てきそうな表情で、マルノームはショックを受ける。じわりと涙目になると何度も首を振るって初老の男にすがりついた。

「仕方ないだろう。応援を頼んだ同業者が捕まってしまったのさ。次に捕まりやすいのは私なのだよ」
 初老の男は困ったように目尻を下げると、マルノームをなだめるため顔を撫でた。

「次の仕事が入ったら買ってあげるから……ね?」
 口をすぼめながらもマルノームはしぶしぶ頷いた。その姿を見て初老の男は苦笑する。

「いい子だ。さてと、依頼の取消しをしないとね」
 そう言って、襟シャツについているEの字が青く光っているバッジを二回押した。すると文字が赤く光り出して点滅を繰り返しはじめた。やがて光が消えると、文字も消えてなくなり、ただのバッジになる。

「――今は楽でいいね。昔は本部に赴かないと、取消しができなかったのに」
 初老の男は、便利な時代になったことに思いを馳せる。

 この男、ポケモンハンター・コードEとして若い時から仕事をしているベテランハンターである。 若手を育成するために本部から依頼を受けていたが、その若手が警察に捕まったという最悪のヘマをやらかしたため取消しすることにしたのだ。

 初老の男はバックから通信機を取り出したと思えば、マルノームに向かって投げる。マルノームは口を開けて通信機を咥えると、そのまま飲み込んだ。ゲップ音が周りに響き渡る。

「さてと、帰ろうか。今日は孫がごはんを作って待ってくれているよ」
 初老の男はカバンを持ってベンチから立ち上がりかけた時、ふと周りが水浸しになっていることに気づいた。雨が降った後にしては、地面の濡れ方に境界線があるのは違和感がある。僅かな思考に陥ったその時、湖から何かが上がってきた。マルノームはびっくりして初老の男の後ろに隠れる。一瞬で臨戦態勢に入る中、よく見るとそれは人間だった。


「――やれやれ。派手に飛んだ」
 茶色の短髪に、青い半袖の襟シャツを肩にかけた男が湖から上がってきた。筋肉隆々の日焼けした上半身には古傷がついており、両腕には線模様の刺青らしきものが見える。その場に座り込むと、上着を丸めて水を絞りながらおもむろに初老の男を見て質問してきた。

「ここは、怒りの湖であっているか?」
「えぇ、そうですよ」
「……随分と飛ばされたな」

困ったと頭をかきながら湖越しから森を見つめている。それから短髪の男は絞った襟シャツの水気を払いながら手荒く広げてから着衣する。水に濡れた服が体に引っ付く感触が不快だったのか、眉間に小さくしわを寄せた。

「乾くのを待った方がよろしいのでは?」
「この天気だ。すぐに乾くだろう」
 晴れ渡る青い空を、眩しそうに見上げながら男は言った。何度か左右を見渡して42番道路の方を向いたかと思うと、初老の男に向き直った。
「じいさん。シロガネ山はここからだと、どのくらいの距離があるかわかる?」
「シロガネ山?」
 初老の男は思わず聞き返した。シロガネ山と言えばカントーとジョウトを隔てる大きな山脈である。その実態は野生のポケモンが強すぎて一般のトレーナーが立入禁止されている危険な場所だ。
 公に公開している場所ではないためか、シロガネ山は武者修行をしていたチャンピオンさえ死んでしまう過酷な場所や、チャンピオンの亡霊がいるなど様々な噂がはびこっているほどだ。
 その場所の距離を聞かれても、そうすぐには答えを出せなかった。


「どうだろうね。ポケモンなら一日かからないと思うけど……何しに行くんだい?」
「仕事場に帰るんだ。俺はシロガネ山駐在所で働いている警官なんでね」

 男は立ち上がると、ズボンのポケットから警察手帳を取り出した。警察手帳を提示され、初老の男はまじまじと確認する。制服姿の男が写っており、そこにはワイダ・イサムと名前が書かれてあった。
 初老の男は、相手が警察官と知り緊張する。しかしすぐに善良な市民の顔をつくりだした。

「たまげた。シロガネ山に駐在所があるなんて知らなかったよ」
「それはそうだろう。一般人は来ない場所だからな。巡回中に小競り合いが起きて、ここまで飛ばされたんだよ」

 シロガネ山から怒りの湖まではかなりの距離がある。それを飛ばされたで説明するには、かなり無理がある話だった。小競り合いで済ませるところ、日常茶飯事な様子がうかがえる。

「それは大変だったね……。そう言えば、君はポケモンを持っていないのか」

 彼は手ぶらな状態で、手持ちを一切持っていなかった。ボールすらない状態でシロガネ山まで行くには無謀すぎる。チョウジタウンにたどり着くのさえ辛い状況だ。

「ボールは動きづらくなるから持ってない。修行の邪魔でもあるしな」
「修行……? しかし歩いて帰ると言っても、かなりの道のりがあるでしょうに……。最近はポケモンに襲われるトレーナーも増えているので危ないですよ」

 流石に注意はしといた方が良いだろうと忠告をしておく。けれども警察官は目を光らせて話に食いついた。
「トレーナーを襲うポケモンがいるのか?」
「えぇ、41番道路が特に危険だとか。何でも、トレーナーばかり襲うらしいですよ」

 説明すれば、警察官は口角を上げて目を細める。なんだか楽しいことを見つけた子供のようである。

「へぇ、そいつは面白そうだ。情報をありがとう」
 警察官は丁寧に頭を下げると、濡れた上着をひるがえして湖に向かって叫んだ。

「おーい! シロ!」

 警察官の声に応じて、湖から気泡が湧き上がりだした。それから勢いよく音を立てて湖から現れたのは、頭に三つの青い角を持ち、青い長い胴体に二本の白くて長いヒゲを持つポケモン。一度暴れだしたら村や町を全て破壊しない限り止まらない。凶悪ポケモンとして名高い――――。

「ギャラドスだー!!」

 人気が少なかったとは言え、観光に来ていた客たちがギャラドスを見て悲鳴を上げながら逃げ惑う。湖が一変してパニック映画のような混乱に陥った。

「悪い。お前は先にシロガネ山に帰ってくれ。俺は41番道路に行く用事ができた」
 周りの混乱を差し置いて、警察官は淡々とギャラドスと話しだした。
 一方のギャラドスは開けている口をさらにあんぐりと開けて、目を瞬かせる。

「一人で帰れるだろう?」
「グルゥ……」
 非難の声だろうか。ギャラドスは警察官に顔を近づけて、訴えるように鳴き声を上げる。男が無言で首を横に振ると、三白眼の赤い目が伏せられた。落ち込んでいるようだ。

「――しょぼくれるな。俺と戦った時のお前は、そんな情けない顔を見せたことはなかったぞ」
警察官はギャラドスを叱咤して、三つの角が交差する中央部分をさすった。

「あと、あれだ。お前が先に帰って、俺のことをサカシタに伝えてくれたら助かる」
 警察手帳を手に取ると、それをギャラドスの舌の上に置く。

「あいつに届けといてくれ」

 届け物を任されたギャラドスは、先ほどの落ち込みを吹き飛ばして意気揚々と顔を上げた。それからぐっと体に力を入れると、バネのように弾んで高く飛び跳ねる。そのままギャラドスは雲を突き抜けて消えたのだった。
 警察官は最後までその姿を見送った後、何事もなかったように42番道路に進んで行った。チョウジタウンを通り41番道路へと向かうために、鼻歌交じりで歩いている。
 初老の男はその後ろ姿を見て息をついた。

「世界には、いろんな人がいるものだね」

 初老の男は遠い目をしながら、背後に隠れっぱなしだったマルノームに呟いた。改めて世界の広さを噛みしめながら、男は帰路についたのだった。

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