海底に差す光(エミリオ視点)

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読了時間目安:12分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 アランやイツキが僕のせいで「処刑」されてしまう。そのことを知ってから、僕の意識は皆のいる「地上」から一気に「海底」へと叩き落された。暗く冷たい海の底には、僕以外の姿は見えない。呼吸をしようとする度に口からは謝罪の言葉が泡となって出ていき、代わりに後悔が口の中へと入ってくる。息をするごとに増える後悔は、僕という存在すらも塗りつぶそうとしてくる。
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――。口から零れた言葉の泡は海面に行くことなく僕の周りを漂い、静かに僕を責めていく。何でああいうことをしたのだろう、何でその行動に至るまでに考えたことを覚えていないのだろう。わからない、わかるわけがない。
 僕のこれは、病気だ。一見皆の役に立つように見えて、実際はただ皆を苦しめるだけの病気。僕がいることで皆が不幸になってしまうのなら、もうこの「海底」で一生を過ごした方がマシだ。
「のう、エミリオ――」
「いつまで閉じ籠っている気だ? エミリオ――」
「エミリオ、わたしが分析した結果――」
 時々デュークさん、サラちゃん、ディアナが僕のいる場所に光を差そうとしてきた。でも皆のいる「地上」から僕のいる「海底」までの距離は、近そうに見えて実はかなり遠い。皆がどれだけ頑張っても、ここまで光は届かない。
 デュークさんの家の部屋で何もすることなく、ただベッドの上でタオルケットを被り後悔し続けていると、デュークさんの声と共にノックの音が聞こえてきた。どうやら、また「海底」に光を差そうとしているらしい。
 どんなに頑張っても、今までのように光が差しこむはずがないのに。もう、放っておいて欲しい。そんな思いを抱きながら、僕はぼそりと言葉を漂わせた。

「……もう、僕のことは放っておいて下さい。僕の『優しさ』のせいで、皆が不幸になってしまうのですから」



 カチャリ、という小さな音と共に部屋に一つの足音が響く。恐らく、先ほどの言葉通りデュークさんが入ってきたのだろう。タオルケットを被ったまま何も反応しないでいると、足音が僕の近くで止んだ。
「エミリオや。今回お主の行動がきっかけで引き起こしたことは、結果として皆を危険な目に遭わせることになった。だから反省はとても大切なことじゃ。しかし、ずっと過去を引きずっていては未来など見ることができんぞ?」
 ゆったりとした語りと共に、僕の背中あたりにポスポスと何かが当たる気配がする。九本ある尻尾のうちの何本かが当たっているのかもしれない。激しいリズムでこちらを責めるでもない、とても穏やかな気配に冷たかった周囲の温度が少し上がった気がした。
 それと同時にふっと光が差し込んだ気がして、思わずありがとうございます、という言葉が飛び出しかけた。が――。

「――っ」

 口を開いた途端、視界に謝罪の泡が、暗い「海底」が現れ冷たい水が入り込んでくる。ありがとうございます、という言葉は水に溶けただの音として消えていく。暗い、暗い自分の声が僕を責める。暖かな周囲とは真逆に体は冷えていき、差し込んだはずの光はかき消されてしまった。デュークさんの尻尾の感覚や、自分の手足の感覚もわからなくなっていく。
 ごぽり、と見えない泡と共に自分の存在すらも出ていくような錯覚を覚え、僕は思わず目を閉じた。だけど、それがいけなかった。目を閉じたことにより、薄暗い水色と重なっていただけの「海底」がハッキリとその姿を現し、僕を完全に飲み込もうとした時――、

「しっかりせんか!!」

 バッという音と共に僕を覆っていたものを奪われ、まぶたを通して大量の光が飛び込んでくる。目を閉じていてもわかるその白さに、迫っていた暗い水が、言葉の泡が白に塗りつぶされた。
 感覚が戻った両前足でそっと目を覆うと、頭や背中に温かく柔らかな毛が触れる。それにより影が落ちたのか、前足を退けてもあの白さは襲ってこなかった。
 恐る恐る目を開けてみる。すると、そこに広がるのは一面の金色。少しずつ視線を上にずらしていくと、デュークさんの紅い目に視線がぶつかった。
「ちと強引な方法を取ってしまったが――気分はどうじゃ? エミリオ」
 僕と目が合った途端、デュークさんの目がふっと細められる。その暖かな笑みに、僕の脳裏や周りに居座っていた幻影は拍子抜けするほど簡単に姿を隠した。僕の周囲に、目に見えるもの以外の光が降り注ぐ。皆がいる「地上」に帰って来たのだと実感すると、自然と笑みが零れ視界が歪んだ。

「気分は――とてもいいです。デュークさん、ありがとうございます……っ!」

 デュークさんは何のこれしき、と言いながら僕の視界をぼやけさせる原因をそっと柔らかな尻尾で拭きとった。炎タイプなのに水に触れても大丈夫なのかな、という疑問がふっと頭を過ぎる。
 でも、本人の表情はやっぱり穏やかで、そんな心配はしなくてもいいと言ってくれているようだった。そのせいか、ぼやけた視界はなかなか元には戻らなかった。

*****

 ようやく視界が元に戻ると、デュークさんと共に部屋を出た。扉の近くで待ち構えていたらしいサラちゃんがデュークさんに労い(ねぎらい)の言葉をかけ、僕に今度なった時は知らないからな、と言う。
 でもその目は全然本気のものじゃなかったから、またなっても「説教」をしてくれるのだろう。……「今度」があってはいけないとわかっているけど、原因がよくわからないから僕にもどうしようがない。できるのは、皆に巻き込む危険が小さなものになるよう祈り、戻った後は心から謝るくらいだ。
「毎回迷惑をかけて、ゴメンね。サラちゃん」
 尻尾を床に叩きつけるように揺らすサラちゃんに、心からの気持ちを込めてそう言う。サラちゃんは片耳をピクリと動かした後、床に尻尾を勢いよく叩きつけてバンとひと際大きな音を出した。
「もう今更のことだから、いちいち気にすんな! あ、でもさっき言ったように、今度は知らないからな!?」
 サラちゃんはそこまで言うとさっと立ち上がり、欠伸をしながら廊下の向こうへと姿を消していった。自分の部屋に戻るのかな、と思っていると、デュークさんがサラのやつ、今まで寝ていなかったな? と呟いたのが聞こえた。
 どうやら、サラちゃんは寝る間も惜しんで僕が戻ってくるのを待っていたようだ。彼女が起きた後、ちゃんとしたお礼を言おう。
 そう思っていると、デュークさんはちらとこっちを見て、自分の家に帰って休むかあの部屋で休むかを聞いてきた。「深海」に叩き落されてからあまり意識していなかったけど、扉が開きっぱなしの部屋にかかっている時計を見ると、それなりにいい時間だった。
 廊下に差し込む光を見るとまだそのくらいの時間になった気はしないけど、今の季節は確か夏だ。夏、といってもデュークさん曰く気温が高くもならないし、セミという生き物も鳴かないから、ここではただ日が暮れるのが遅い季節だって言っていた。
 春や秋、冬はそれらしい雰囲気があるのに、なんで夏だけこうなのじゃろうかという文句も言っていた気がする。デュークさんの言う通り気温が高くなったりセミが鳴いたりしていたら、冬に降り積もる雪の対応みたいに大変だと思う――って、話が逸れてしまった。元に戻さないと。
 どちらで休むか、という話に少し迷ったけど、さすがにこれ以上はと思い、一度は自分の家に戻ることを選択した。……選択したのだけれど、デュークさんの笑顔の圧力を感じ、結局はあの部屋で休むことに決めた。
 では儂も寝ようかの、と言ったデュークさんの九本の尻尾が視界から消えるのを見届けた後、部屋に入って草を編み込んで作られたカーテンで光を遮断した。そして部屋が薄闇に包まれたのを確認してから、あのタオルケットをふわりと体にかける。
 明日、皆に会ったらきちんと謝って、これからのことを相談しよう。そう心に決めるとまぶたを閉じた。視界が闇に包まれても、あの「海底」は視線を寄こすだけで、姿を現すことはない。

 ――ああ。そもそも、水タイプである僕が「海中」でどうにかなることなんて、普通ではありえないんだ。

 至極当然のことを思い出すと、僕の口からは自然と乾いた笑いが零れる。その笑いは一つも水色の外に行くことはなく、下のワラに当たっては消えていった。

*****

 次の日、僕は目を覚ますと皆の家を訪ねては謝っていった。皆は謝罪の言葉はほどほどにスルーしていて、僕が戻ったことを心の底から喜んでくれていたのがわかった。前者はともかく後者のことに、また昨日のように視界がぼやけるのを感じていると、ふとイツキの姿を見ていないことに気が付く。
 最後に訪ねていた家の主……サリーにイツキの居場所を聞くと、驚くことに虫喰いであるツンベアーと一緒にデュークさんの家にいるらしい。部屋は別らしいから安心していいよ、というサリーの声を聞きながら、僕は思わずデュークさんの家へと走り出していた。
 記憶がハッキリしているわけじゃないけど、確かにあのツンベアーならイツキが襲われることはないだろう。万が一ツンベアーが暴れたとしても、デュークさんやサラちゃんがそれを黙って見ているわけがない。
 それでも僕はイツキが――、「改造」であるにも関わらずそれを気にする気配もなかったリーフィアのことが、とても心配でならなかった。記憶は曖昧だけど、イツキは確かにこの世界の「普通」に心を痛めていたから――。

「イツキっ!」

 彼がどの部屋にいるかもわからないまま、玄関の扉を開ける。そして使われていない部屋はどこにあったかを頭に思い浮かべながら、リビングを通り過ぎようとした時――、

「俺、元の世界に戻るためだけじゃなくて、皆が穏やかに暮らせる『鍵』を見つけるためにも、旅に出ようと思うんだ。皆には心配をかけたくないから、デュークさんは何かいい言い訳を考えておいてくれ」

 イツキの、真剣な声が耳に飛び込んできた。その言葉にあらゆる意味で驚きながら、声が聞こえた方向に首を動かす。視界に入ってきたのは、デュークさん、サラちゃん、イツキの三匹。
「……イツキよ。言い訳を考える前にエミリオに見つかってしまった場合は、どうしたらいいのかのう?」
「とりあえず、デュークさんは何もしなくていいんじゃねぇの?」
「……マジか」
 デュークさんは困ったような笑顔を浮かべながら。サラちゃんはテーブルの上の木製の皿に盛られたオレンの実の一つをかじりながら。イツキは「どうしよう」と思っているのが容易にわかる表情を浮かべながら、それぞれのセリフを言った。
 それに対して僕は、この状況にどのような反応をすればいいのかわからず、ポカンと口を開けたまま立っていることしかできなかった。
 ただ、これだけは伝えなければと思い、開いたままの口を動かす。
「……色々な意味で、いきなりすぎじゃないかな?」
 僕の言葉にイツキはすっと視線を明後日の方向に向けると、何も言わずにただハハハと乾いた笑いを零した。

 続く

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