2 ピカとビビ、そして愉快な確信犯たち

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『ピカ、ごっちゃんが、君のボールを無くしたそうだよ』
『無く……、はあーっ!?』

 世はまさにクリスマスまっさいチュウ、そして我が家は混沌まっさいチュウである。
 繰り返しの日々も味わい深いが、イベントのある時期はエキサイティングだ。ビビは表情には出さないが、内心はうきうきして仕方ない。慣れ親しんだ日常と違った日々を過ごしていると、計算外の出来事がいくつも起こる。難問に立ち向かうのはとても楽しい。今沸き起こった問題だって、ピカには申し訳ないが、大変刺激的なのである。刺激を受けることで、ビビの明晰な計算回路も更に鋭敏と化していくのだ。
 まだまだ余っているデコレーションでごった返す事務所の一角。派手に着飾ったツリーはぴかぴか、パソコンで流しているクリスマスメドレーはしゃんしゃんと。それらをもっとも満喫しているゴチルゼルのごっちゃんは、ふわふわやきらきらを山のように両手に抱え、『無くしてないヨォ、最初からなかったんだヨォ』と泣きっ面だ。
『最初からなかった?』
『そうだよ、ここにあったやつでしょう』
 手袋を嵌めたような薄紫の指先が本棚の上を指し示す。オドシシやデリバードのオブジェが今は席巻しているが、普段は緑色のボールとかみなりのいしが並べて飾られているのである。追いやられた石は机の上に移動している。ボールだけが行方不明だ。
 昨日、農家の大先輩のウチさん宅から、お古のクリスマスツリーやデコレーションの一式を軽トラで貰って帰ってきた。恵太としては我々にクリスマス気分を味わわせるために譲ってもらったつもりだろうが、我々はこれを『利用』することを考えた。すなわち、普段ボールが置いてある場所にオドシシやデリバードが溢れていれば、ボールひとつ無くなっていても気付かない、という絶妙な隠蔽工作である。……だが、張り切ってデコレーションにデコレーションを重ねた結果、なぜか肝心のボールが消えた。せっかく『犯行予告』まで届けてきたのに、これでは本末転倒である。
『ピカの大事なボールだってチム(彼女は自分のことをいつまでもこう呼ぶ)も知ってるし雑に扱ったりしないヨォ、でも見当たらなくて……』
『まさかとは思うが、本当にサンタが盗んだのではないか……?』
 ドリュウズのモグさんがドリルのような手で頬髭を撫でながら言うと、ポワがすいーっと横切りながら、
『ないない。あんなもの盗んで何に使うんだ、一度ポケモンを逃がしたボールって収納能力もなくて置物って言うじゃないか。文鎮? 丸いけど?』
 また余計なことを言った。ポワもポワだよ、素直に『盗まれてるとは思えないから家の中にあるはずだ慌てるな』って言えばいいのにさ。
 あんなものなんて言わないでよ! びしっ! ピカは尻尾を床に叩きつける。これは尤もな抗議である。ビビはコイル三匹分とも言われる驚くべき計算回路をフル回転させ、この場をおさめるために今言うべき最適な言葉を弾き出した。
『どうどう。恵太起きてきちゃうよ』
『ぼくはネズミだウマじゃないっ!』
 あれ、おかしいな怒らせちゃった。計算に間違いはないはずなのになあ。
 ぴょこたんとピカが飛びついて、うわわ、とビビはバランスを取る。やばいアンテナを齧られる。ピカはイラつくとすぐにビビのアンテナを齧るのだ。が、前歯がアンテナに触るか触らないかの位置で、ハッ……とピカは息をのんだ。
『そんなことより――』
 言ってから『そんなこと』ではないんだけどもという苦い顔をしたが、それも一旦脇に寄せて、
『ねえみんな大変だよ、恵太の様子が変なんだ。なんかいっぱい咳してて苦しそうだし、あとすごく熱くて、風邪だって言ってたけど大変な病気かもしれないよ!』
 素早いポケモン特有の早口にまくしたてた。
 シリアスに切迫したピカの言葉。一同がすんっと静まり返る。もふもふを抱えたままのごっちゃん、宙にぷらぷらと浮いているポワ、そして我が家ではビビに次いで常識的なモグさんが、それぞれ顔を見合わせた。
 りんりんとクリスマスソングが流れる。
 それから神妙な面持ちで、モグさんが重々しく口を開いた。
『……せっかくのクリスマスなのになあ、哀れなことよ』
『――それだけ!?』
 ピカ、『はあーっ!?』に次ぐ大声。素早いポケモンっていうのは口調も早いし、反応もかなり食い気味なのだ。ビビの二つの小コイルが鬱陶しそうに頭上を見上げる。あんまりぼくの上で興奮しないでよ、バランス取りづらいってば。
『風邪かあ』ポワは呑気に宙返りしつつ、ほとんど独り言である。『どっかのポケセンでひと月くらい寝込んでたことがあったような、ほらあの飛行場のある……えーとフキヨセシティだっけ?』
『おれとポワが仲間入りしてからすぐのことだ』ウンウンとモグさんが頷く。『農業の盛んな町であったな。あの町に長期滞在している間に、ピカが「地元の山のオボンを育てて売ったら金になるんじゃないか」と言い出したのだ』
『あのときは本当に農家になるとは夢にも思わなかったけどね……』ウンウンとピカも頷いたあと、『――って、思い出話なんかしてる場合じゃないってば!』
『あの頃に比べれば、恵太も逞しくなったものだね』
『それだけ我らも逞しくなったということよ』
『ちょっとぼくの話聞いてる!?』
 チュリはどこなの、とピカが問う。風邪とか薬とかそういうことに詳しいのは昔っからチュリだ。すっかり泣きっ面をおさめたごっちゃんが『愛しのダーリンたちに会いに行ってるよん』とひらひら返すので、ピカのイライラは増していくばかり。ついにアンテナをがじがじ齧りはじめた。我々のアンテナは齧り棒じゃないんだけどなあ、という感想は、コイル三つ分回路のすばらしき計算の結果、ひとまず飲み込んでおくことにする。
『恵太が死んじゃったらどうするんだよ!』
『それは流石に困るけど、死ぬほどなら自分で分かるでしょうが。子供じゃあるまいし。ピカ騒ぎすぎ』
『うむ、ポワの言う通り。どんと構えておればいい、オボンの大樹の根のようにな』
『寿命までまだ六十年もあるんだからへーきへーき!』
 ぐぬぬぬぬ。がじがじがじ。甘噛みくらいで傷はつかないけどやめてほしい。齧るのも、ピカを余計にあおるのも。
 そのとき、ぶわあっ、と冷たい風が吹き込んできた。
 一同は一斉に身震いし、玄関方向を振り返る。開かれたドアの向こうは雲一つない青空。透明な光の中からルンルンと現れたドレディアのチュリは、愛しのダーリンたち――つまりオボンの木々との甘い時間を、たっぷりと過ごしてきたところである。スキップを踏むようにやってくる顔は大変ご満悦であるし、頭のお花からは良い匂いを振り撒いている。
『オボンちゃんたち喉が渇いたって言ってるわ。ポワちゃんおねがい、お水をあげなくっちゃあ』
 朝露が滴り落ちるが如くに澄んだ声が、歌うように響きわたる。そんな場合じゃないんだよ、とピカが言いかけた矢先である。
 ひゅるんっ、と天気玉が皆の間を滑り抜け、窓にべちゃっとへばりつき、そしてよく晴れた空を見上げた。何事にも興味なさげな先程までの様子から一転、雨水に弾ける葉っぱのようにウキウキと声を弾ませた。
『オッケー任せて、ぼくの予報によるとしばらく降水はなさそうだ! すぐに『あまごい』しよう、区画はどこだい? どのくらい降らせればいい?』
『いや待て、まだ早い。いま降らせると土壌が冷えすぎる。もう少し地温があがってからの方がよいのではないか』
 お天気のエキスパートに続いて、土壌のエキスパートが助言を入れる。クリスマスツリーにふわふわを飾り付けていたふわふわのエキスパート(実際、ごっちゃんは何にでもオールマイティに詳しい豊富な知識量が魅力なのだ)が、はいはーい! と手を挙げた。
『今日の日の出は6時55分、日の入りは16時41分だよー!』
『ふむふむ、ならば逆算してみると――』
『いや待つんだ、この時間に雲が出ることを考慮すれば――』
『雨量としてはそうね、A区画に――』
 ――もーっ!! ピカが小さい口からいっぱいの声で叫んだ。本日三回目。
『みんな仕事ばっかりじゃん! オボンと恵太、どっちが大事なの!?』
 一同、一斉にピカへ注目。
 その問題は簡単すぎるよ、とビビはいちゃもんをつけたくなった。もっと難しい問題をちょうだいよ。さすがに答えは決まっている。
『そりゃあオボンでしょ』ポワが即答した。え、そうなの?『オボンがなかったら仕事がないわけで、仕事がなかったとしたら、ぼくはここで毎日空のことだけ考えてる悠々自適な生活は送れないわけだ』
『いや待て、恵太も大事だろう』モグさんが反論する。常識人がいてよかった。『オボンがあったとしても恵太がいなかったら、おれたちは他の人間に捕まってしまう可能性がある。そこで待っているのはポケモンの意思を無視した地獄のような労働かもしれん』あ、そこなんだね……。
『でも、オボンちゃんが死んじゃったら、恵太ちゃんも死んじゃうんじゃなあい?』チュリははんなりと小首を傾げる。『オボンのみがならないと、お金に困るのだし。人間って、お金がないと暮らしていけないのでしょ?』
『でもオボンっていうのは、恵太が市場にいって、市場のおじさんたちに売って、そこではじめてお金になるんだよねえ』ごっちゃんは尖らせた唇に指を当てた。『どんだけオボンが実ってもそもそも恵太がいなければ、お金になることもないってこと』
『ん……? なんだかややこしい話になってきた』
『一番大事なのはカネということか?』
『でもお金に先立つのはオボンちゃんでしょ?』
『だからぁオボンがあっても恵太がなければお金は生まれないからぁ』
『けどオボンがなければ恵太は死ぬわけで』
『恵太が先か、オボンが先か』
『……――も~っ!!』ピカがついに叫んだ。いや、ずっと叫んでるけど。『みんなのばか!! いじわるーっ!!』
 がじがじがじがじ。ああちょっと流石にひりひりしてきた。どうどう、と選択しかけた先ほどのミスを取り消して、ビビは急いで別の言葉を検索する。
『ピカ、みんな本気で言ってるんじゃないから……ピカの反応が面白くて楽しんでるだけだよ』
 実際、『恵太が風邪を拗らせている』というくだりは、今朝方ピカが森から出勤してくる前に、残りのメンバーで終わらせていたのである。五人でひとしきり焦った後、会議の末に『寒いうちに外出するのはよくないから気温が上がる昼頃まで様子を見て、やばそうなら人間用のポケセンに連れていこう』というパーフェクトで合理的な結論を導き出し済みなのだ。
 ビビがそれを言った途端、みんながサッと目を逸らした。ピカが何を突っ込む前に、総出でクリスマスツリーの飾り付けが再開された。
 さて、ピカの怒りは置き去りである。あるいは恥ずかしさなのか、ぴるぴると耳を震わせている。これはビビがとばっちりを受けるパターンだ、この計算は間違いない。案の定、ねえっ、と頭上から身を乗り出してきた。感情の反映されないビビの真ん中の赤目には、ピカの怒りんぼが上下さかさまに映っている。
『ビビはどう思うの!?』
『え』
『オボンと恵太、どっちが大事かってこと!』
 出た、簡単な問題。だが今となっては計算外の問題だ。ビビは高速で答えを検索したけれど、幾分生真面目な計算式ばかり取り扱っているもんで、みんなのようなウィットに富んだ答えはなかなか弾き出すことができないのだ。
 物を見せた方が早かろう。ピカを乗せたまま音もなく移動し、ノートパソコンの元へ。BGM用の動画サイトの横に開きっぱなしにしていたタブをすぐに印刷して、ピカに渡した。
 先月発表された、最新型の選果機である。
 ああ、カッコイイ。眺めるだけでワクワクしてユニットがクルクル回ってしまう。思わずネジが吹き飛びそうな桁の値段が並んでいるのはさておき、何度見ても芸術的だ。ビビは機械のエキスパートなのである。
『これがあれば、恵太も経営や事務作業に集中してもらえると思うんだけど……』
 ――コピー用紙の向こうから生えているとんがった耳が、ぶるぶるとわなないた。
 かと思えば、ばりーっと用紙が破られて、あらわれたピカの真っ赤っ赤な怒りんぼが、本日五度目の絶叫を果たした。
『――もおおおおおおお~っ!!!』





 トントンとステップを下りる。振り向いて、ぺこりとお辞儀をする。
「ありがとうございました」
 運転手さんがにこやかに頷く。目の前でドアが閉まり、すぐに動きはじめる。長距離を共にしたバスは黒い排気ガスを吐きながら、長い車体を捩じるようにしてロータリーを回り、通りへと戻っていった。
 エンジュのバスステーションで高速バスに乗ってから、実に四時間の長旅である。びゅう、と風が吹き髪を搔き回す。コートの前を慌てて合わせマフラーを巻き、ああ、それでもたまらなく寒い。どこかで風を逃れたいが、さてどこで待てばいいだろう。右手には、随分とこぢんまりした駅舎がある。人もまばらで、田舎特有に物寂しい光景だ。
 夏休みに来たときには、バスを降りた時点で出迎えてくれたっけ。タクシー待合の向こうのあたり。あのへんに軽トラが停まっていた。今日は見当たらない。当たり前だ、だって今日は、来るなんて言っていないのだから――少なくとも、恵太には。
 顔を回す。待ち合わせた人は見当たらない。
 ほー、と白い息が流れる。クリスマスイブその日だと言うのに、華やぎの欠片もない町並みへ溶けゆく。

 ……本当に、黙ってきちゃってよかったんだろうか……

 ――たちこめる淡い不安の中で、結愛は立ち尽くしていた。

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