2 『ピカ』って名前……

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 晩ごはんを食べながら、旅の話をたくさん聞いた。
 事務所兼自宅、という山半ばの建物の中には、イッシュ地方で撮った写真が飾ってあった。バッジケースの中にはぴかぴかに磨かれたジムバッジが、きっちり八つ並んでいる。その横に、年季の入ったフレンドボールと、淡い青緑色の透き通った石。ライトにかざすと、石の中に刻まれている黄色の稲妻模様まで、はっきり見て取ることができる。
 バトルしているところが見たい、とせがむと、もう長いことしてないからと恵太は苦笑した。ピカが十万ボルトやかみなりを使うところが見たいと言えば、今は電気ショックくらいしか使えない、と返される。バッジ所有者のバトルが見れるかもというささやかな期待が叶いそうもなくて、結愛はちょっぴり残念だった。
「代わりと言っちゃなんだけど、雷が落ちるところは見れるかもしれない。ピカチュウが生息している場所には落雷が多いんだ。寝ている間に電気袋に電気を溜めるらしくて、夜にじっと森を見てると、空から青白い稲光が森に吸い込まれていくのがたまに見える。きれいだよ」
「あっ、知ってる! ピカチュウって、尻尾を立ててまわりを警戒してるとき、ときどき尻尾に雷が落ちたりするんだよね」
「よく知ってるなあ」
 感心したように恵太が頷く。
「結愛ちゃんは、ちゃんと勉強してポケモンのことをいっぱい知ってるから、きっと良いトレーナーになるよ」
 ずっとあこがれていた恵太にそう言われると、嬉しいよりも、なんだかどきどきしたような気持ちで、結愛は頬が熱かった。



 寝る前、貸してもらった二階の部屋から、しばらく窓の外を眺めた。
 星が、とにかく、すごかった。結愛の家の窓から見える何百倍もの星たちが、空いっぱいに、きらきらと敷き詰められていて、感動の溜息を何度もついた。星空に被さってところどころに流れる雲は、たまに薄紫色に光って、夜をひび割るような稲妻が走る。稲光が森に吸い込まれる、と恵太が表現したが、まったくその通りだと思った。遠くに鳴り響く雷鳴も、いつもなら苦手なのだけれど、それをきれいだと言った恵太の言葉が残っていたから、この晩かぎりは怖くはなかった。
 あの森でピカと出会った日の恵太に思いを馳せる。いつか自分も、恵太がピカに出会ったように、最高のパートナーに出会いたい。
 ポシェットの中のみどぼんぐりを、机の上に置いた。電気を消し、ベッドに入って目を閉じても、まだ胸がとくとくと高鳴っている。瞼の裏に、ぱっと現れては消えていく稲光の跡が残っていた。なかなか眠れそうになかった。



 ――なかなか眠れなかったから、からからから、とん、ことこと、というほんの小さな物音で、結愛は目がさめた。
 涼しかったから半分だけ開けて寝たはずの窓が、なぜか全開になっている。寝ぼけ眼でそれを見ていた結愛は、ことことこと、という音が部屋の中からしていることに気付いて、ひょっと目を覚ました。
 机の上に、なにかいる。
 ……瞼の裏の稲光を、なぜだろう思い出した。ぴょこぴょこと揺れている、とんがった耳。ぎざぎざの尻尾。星あかりだけの部屋の中に、黒く濡れているつんとした鼻先。ずんぐりむっくりの短い手足。
 ピカチュウだ。
 みどぼんぐりを不思議そうに転がしたり、すんすん匂いを嗅いだりしている。

「ねえ」

 ベッドの中で、結愛はとびあがりそうになった。

「これって、モンスターボールなの?」

 あの小さな男の子の声。
 ぼんぐりを見ているピカチュウは、口をぱくぱくと動かしている。
 ……夢かな。夢かも。夢であることを確認するために結愛が頬をつねらなかったのは、身動きしたら、起きているのがバレてしまうと思ったからだ。なぜバレちゃいけないと思ったのかと言うと、そのかわいらしい声が、めちゃくちゃ意地悪そうに聞こえたからだ。
 結愛はもう一度目を閉じた。どきどきしていた心臓は、もはやとくとくどころじゃない。イシズマイを詰め込んで回っている洗濯機みたいなひどい音を立てている。結愛が必死にこらえてじっとしていると、机の方向から、ハァ、とひとつ溜息がした。

 そして何の前触れもなく――ぼすんっ、と、枕のすぐそばに、体重六キロが落っこちた。

「きみに聞いているんだけど」

 耳元で声がした。
 結愛はうっかり目をあけた。
 目の前に、おっきなピカチュウの顔が、でえんと待ち構えていた。
 それもうんと不機嫌なやつが。

「……しゃ、べ、った……」
 数時間前とまったく同じ感想を、結愛はそっくりそのまま呟いた。
 でも――ええと――ちょっと待って――待ってほしい。あのときとは、まったく違う。ピカチュウはちっともニコニコしていない。仰向けの『3』だった口は今は『へ』の字に曲がっているし、くりくりの目はザングースみたいに据わっているし。
「あのさあ。ぼく、質問してるよね?」
 かわいらしい声には、パルシェンみたいに棘が生えているし。
「えっと……、ごめんね。なんだっけ」
「あれ、モンスターボール?」
 ピカチュウの短くてぷにぷにの手が、みどぼんぐりを指さしている。寝起き以上に結愛は頭がこんがらがって、普通に会話をしはじめてしまった。
「みどぼんぐりって言うんだよ。フレンドボールの材料。ピカが捕まえられてるのと、同じ……だよね」
 ――ピカ。この子は本当に、恵太の相棒のピカなのか?
 だって、顔つきが全然違う。昼間はずっと、テレビや漫画で見たとおりのにこにこかわいいピカチュウで、機嫌を損ねるようなそぶりは一度もなかった。今目の前にいるピカチュウは、ふてぶてしくってちっともかわいいと思えないし、これじゃあまるで人間みたいな表情じゃないか――
 と。
 長く人間と一緒にいたから表情が似てきたんだろうなあって、昼間、考えていたような。
 ……いやいや、待て待て、違う違う。けいちゃんはこんな顔しない。
「あの緑色のボールか。ぼくのだけみんなと色が違うから気になってた」
 独り言のように言って、短い腕を組んで、何か考え始める。やっぱりピカなのはピカらしい。
 けれど、ピカだと分かったらそれはそれで、心にアブソルが忍び込んでくるような、得体のしれない不安がよぎる。――ピカだとしたら、一体、どうして?
「あの緑のボールって、他のと何か違うの?」
「特別なボールなんだよ。フレンドボールで捕まえると、捕まえたポケモンと早く仲良くなれるんだって」
 恵太にそれを教えてもらったとき、結愛はなんて素敵なボールだろうと思った。最初のポケモンとはとびきり仲良くなりたいから、結愛も最初のポケモンはフレンドボールで捕まえると決めているのだ。
 フレンドボールの特別な効果のことを考えると、結愛はいつも幸せな気持ちになる。けれど今は、なぜだか嫌な予感しかしない。
「そのボールで捕まえられたら、好きじゃなくても好きになっちゃうってこと?」
 ぺしっと尻尾で布団を叩きながら、ピカはイライラした声で聞いてくる。
 え、と結愛は少し面食らった。好きじゃなくても好きになっちゃう、そんな考え方はしたことがなかった。けれど、普通より早く仲良くなれるっていうことは、確かにそういうことだと言えるだろう。
「そう……かも?」
 流されるままに肯定すると、
「……ふうん。そういうことだったのか」
 ピカはやはり独り言みたいな調子で、含みを持たせて呟いた。
 くるりとこちらに向いたおしりが、身軽にとびあがる。とんっと机の上に着地して、もう一度ぼんぐりを覗き込む。つるつるの外皮に映った顔を睨むように、じっとぼんぐりを見つめるピカの尻尾は、天井に向かってぴんと伸びている。ピカチュウが尻尾を立てるのは、何かを警戒している証拠だ。
 ピカがイラついている意味が、結愛にはさっぱり分からなかった。そういえば、森にはピカチュウの群れがいると恵太が言っていた。もしかしたら何かの間違いで、この子はピカじゃないのかもしれない。
「……ピカ……なの?」
 だから、聞いてみた。
 ぴくっ、と耳が動く。二本足で立ち上がり、こちらを振り向いたピカチュウの目が、ザングースみたいな不機嫌から、更に細く鋭くなっていく。え、待って、怖い、怖い。
 けれど、その次の瞬間、ふんっ、と真っ黒な鼻を鳴らすと、ピカチュウは呆れ気味に笑って。
 そして、肩を竦めて見せた。

「ぼく、ずーっと思ってたんだけどさ、『ピカ』って名前ダサくない?」

 ――え、『ダサい』?
 あまりにも思いもよらぬことを言われ、結愛は呆気にとられてしまった。

「結愛、だったっけ? 結愛は人間のセンスってダサいなあって思ったことない? もしさ、『きみは人間だから今日から人間のニンって呼ぶね!』って突然言われたらどんな気持ち? 恵太は知らないだろうけど、ぼくには群れで生まれたときに長老につけてもらった(ここで一旦ピカチュウの鳴き声に戻って)ぴかちゅあぴいぴかちゃあちゅうぴ・ぴかかぴいぴい・ちゅうちゅうちゃっぴー(ここから人間の声に戻る。結愛は目を白黒させる)っていう名前があるんだ。これはピカチュウの言葉で『森を統べる太陽とイカズチの神の加護を受けた、チャーミングな黄金の子』っていう意味なんだけど。かっこいいでしょ? チャッピー、って呼んでいいよ」

 ほとんど人間みたいな顔で、ピカチュウはぺらぺらと捲し立てた。
 どおん、と遠くで雷がひとつ落ちて、フラッシュを焚かれたように部屋の中が明るくなる。一瞬はっきりと浮かび上がったピカチュウの表情が、結愛にはあまりにもショッキングだった。苛立っている顔。人を小馬鹿にしている顔。
 これが、昼間までにこにこしていた恵太のピカとおんなじピカとは、とてもじゃないが信じられない。
「ピカは……」
 キャタピーが吐く糸みたいなか弱い声が出かかって、止まった。ピカがチャッピーと呼んでほしいなら、そう呼んだ方がいいだろう。
「チャッピーは……人間が嫌いなの?」
「そうだよ」
 結愛がやっとこさ口にした問いを、チャッピーはあっさりと肯定した。
「ぼく、ちゃんと人間が好きなピカチュウみたいにふるまえてるかな?」
 にやり。見下すように笑われる。
 スピアーの太い毒針にぐさっと突き刺されたような気分だった。瞬く間に胸に『くろいきり』がたちこめる。嫌な予感が的中した。アブソルは本物だったのだ。『わるだくみ』を使ったって、ポケモンがこんな悪い顔をしてるとこ、テレビでだって見たことない。
 チャッピーの声の棘の数は、パルシェンの棘から、今やドヒドイデの棘くらいになっている。
「ピカチュウをたくさん集めて発電所を計画が発表されたの、知ってる? ひっどい話だよね、あれ、ぼくたちピカチュウはエネルギーを生む機械ってこと? 人間って本当に、自分たちの都合ばっかり考えるよね。どうしてぼくたちポケモンは、人間のために働いてやらなきゃいけないのさ? 人間は働いたらお金をもらうでしょ、でも恵太はぼくらにお金をくれない。せいぜいごはんくらいのもの。でもぼくらは森の中で、自前でごはんを調達することもできるんだ」
 みどぼんぐりを投げ上げると、尻尾やおでこでリフティングして遊び始める。ぽこん。ぽこん。それは結愛の大事な宝物だ。けど、そうやって蹴り上げられるたびに、結愛の中でまで、ぼんぐりの価値が、本当に軽くなっていってしまうような。
 ――人間とポケモンは、親愛なるパートナーだ。それを否定する人は、これまで、結愛のまわりには誰一人としていなかった。
 人間はいろんな場面で、ポケモンの力を借りて生活している。人間が愛せば愛すほど、ポケモンはそれに応えてくれる。人とポケモンが一緒に働いている光景が結愛は好きで、その共生関係の結晶が、この農場、あのポストカードのような美しい景色なのだと、学校でも学んできた。恵太とピカの姿というのは、結愛にとってみれば理想の形で、最高のお手本のようなものだったのだ。
 でも、よく考えてみたら、それは本当に『共生関係』――?
「でも……チャッピーは、けいちゃんの言うことを聞いてちゃんと仕事をしているよね? けいちゃん、チャッピーのこと、よく働いてくれるって言ってたよ。大事なパートナーだって。チャッピーがけいちゃんのことが嫌いなら、じゃあどうしてちゃんと働いてあげてるの?」
「うーん、なんでだろうね、不思議だよね」
 よっ、ほっ、とぼんぐりをつまらなさそうに弄びながら、チャッピーは顔も向けずに言った。
「結愛はどうしてだと思う? ぼくが人間のために働いているの」
 聞き返され、慌てて考える。教科書の『ポケモンのいる暮らし』のページを、頭の中で開いて探した。
「……人間が好きだから?」
「ぼくの話聞いてた?」
 あっ、そうだ。当ててみてよ!
 と、一転、とびきり明るい声で言いながら、チャッピーはぼんぐりをキャッチした。
「結愛さあ、考えてみなよ。『人間が嫌いなぼくが、どうして人間のために働いているのか』。そうだな、あと二回答えるチャンスをあげるっていうのはどう? 当てられたら、これ、返してあげるからさ」
 えっ、と声をあげた結愛が身を乗り出しても、もう遅い。チャッピーは両手でぼんぐりを抱えて、ひらりと窓枠に飛び乗った。
 またひとすじの稲光が吸い込まれていく森を背に、結愛に笑いかける。にたり。
 やっぱり、どう見ても、人間みたいな表情をしている。

「こんなもので捕まえないと仲良くなれないって言うんなら、トレーナーになる資格なんかないでしょ?」

 くるっと一回転したピカの体が、結愛のみどぼんぐりと一緒に、窓枠の下へと吸い込まれる。
 慌てて飛び起きた結愛が窓の下を覗いた時には、特徴的な尻尾も耳も、どこにも見えなくなっていた。
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