プロローグ 6年前の約束

※作品によって表示に時間がかかります
読了時間目安:10分


「いやだいやだ、行かないでよカイト!」

 6年前、ある晴れた日の朝のこと。
カイナシティの船乗り場でアスミは子どものように泣きじゃくっていた。 パートナーポケモンのゼニガメ・ルールーがだだをこねるアスミの前に立ってなだめようとしている。
 今日は、おとなりの家に住む幼なじみのカイトが、パートナーポケモンのジュプトル・エメと遠く離れた外国の地方に行ってしまう日なのだ。
 ふくすん、ふくすんと鼻をすすりながら栗色の瞳をうるうるさせるアスミ。 そんなアスミの頭をぽんぽんと撫でながら、カイトは目を細めて笑いかける。

「そんなに泣くなよ、アスミ」

 ちょっと癖がかかったアスミのキャラメル色の髪は、ふわふわしていて触ると気持ちいい。 ほんのり甘い、シャンプーの匂いと海独特の潮の匂いが混じった南風がカイトの鼻をかすめる。

「だって、今イッシュって、プラなんとかって宗教がポケモンの解放やってるんでしょ? カイトのエメも取られちゃうよ!」

 のどかでのん気な人々が多いホウエン地方ですら、マグマ団やアクア団が街のあちこちをうろうろしている。 外国の宗教団体ともなってくると、アスミからしたら怖いもの以外のなんでもない。
 それでもカイトはへっちゃらだよ、と自信を持って胸を張る。 ポケモントレーナーとして、近所で1番強いと言われているカイトはバトルにはちょっと自信があった。

「大丈夫だよ、オレのエメはめっちゃ強いんだからな!」

 ニカっと白い歯を見せて笑うカイトは、エメと肩を組んで「なっ」と目を合わせる。 エメもカイトに同調するように、フッと強気に笑ってみせた。 カイトとエメの笑顔が、外から差し込む太陽の光に照らされており、アスミには眩しく見えた。
昔からカイトの大丈夫は、本当に大丈夫になる。 昔、どっちが早く自転車に乗れるか勝負した時に、アスミの方が先に乗れてしまったのだが「大丈夫、いつかオレも乗れるようになる!」と宣言して本当に乗れるようになったり、学校の運動会で踊ったシンオウ節のリーダーをこなしながら、学年全体をまとめ上げてしまったこともある。
 アスミは今でもカイトとエメの笑顔を見ると、なんだか安心した気持ちになった気がした。 それでも、小さい頃からの友達がいなくなっちゃうことがさびしくないかと言われると、それはまた別の話だ。

「でもね、やっぱりカイトがいなくなっちゃうのさびしい」

 アスミの顔が、またふにゃんとした泣き顔になる。

「だったらさ、アスミもいつか船に乗ってイッシュに来いよ! おまえんち、船いっぱいあるだろ?」

 カイトの言う通り、アスミのパパは町の造船所で働いている。 もちろん家も造船所の近くにあり、たくさんの船に囲まれている。 このあたりの108番水道や134番水道に新鮮な海の幸を取りに行ったり、珍しいポケモンを探しに行くだけではない。 カイトが乗ろうとしている外国行きの船もいくつか港に浮かんでいる。
 時々「外国行ってくる!」と船の舵を取る船乗りさん達を見て、アスミも何回か外国に行きたいと思っていたことはあった。 それはカイトがまさに外国に旅立とうとする今、特に強く思っている。
アスミはカイトの言葉に、大きく力強い声で返した。

「いく! あの中の船に乗って、それで……!」

 ちょっと鼻声になった声は、船乗り場全体にちょっとエコーがかかるほど響き渡った。



「いつか、カイトと同じ世界を見に行くから!」



 まっすぐにカイトを見つめるアスミの目は、また少しだけうるうるし始めていた。 陽に当たって涙の跡が白いほっぺに映っているのがわかる。
カイトはアスミの言葉を聞くと照れくさそうに、でも嬉しそうに笑ってエメと一緒に船に乗り込んでいった。



* * *



 ここまでが、6年前までの話。
アスミは16歳になって、ルールーはカメールに進化していた。 栗色の瞳と白い肌はそのままに、癖のあるキャラメル色の髪は肩にかかるくらいまで伸びていた。 造船業の娘らしく、セーラー襟のついた服をオシャレに着こなしている。
造船所は今でも造船業のお兄さんからおじさんまで、みんな元気いっぱいだ。 アスミのパパもすっかりおじさんになっていて、造船業のベテランさん。

「じゃあパパ、わたし行くよ」
「本当にイッシュに行くのか? カイトくんを追いかけて?」
「でもアスミちゃん、あなたイッシュ語話せないでしょう? それに、宗教団体の事件も……」

 いつかの船乗り場には、アスミのパパとママ、そしてパパの仕事仲間さんとそのパートナーのポケモンのカイリキー達が見送りに来てくれていた。
アスミは船についてはパパから教えてもらっていたけれど、イッシュ語はどうも覚えるのが難しかったみたいで「ハロー」「マイネームイズアスミ」「ナイストゥミートュー」くらいしか話せない。 ママとしては、一人娘でそんな調子のアスミが心配だった。

「大丈夫。 プラなんとかって宗教は壊滅したって聞いたし、いざって時はスマホの翻訳もあるし!」
「本当に大丈夫? もし変な人達に絡まれたり、見たことないポケモンに噛まれたりでもしたら____」

 ママの頭には、いろんな妄想がむくむくと膨らみ始めていた。 ママはとってもアスミのことを大事にしているあまり、ちょっとありえない話まで考えてしまう癖がある。
1人の造船業のおじさんが、暴走しかけているママをまぁまぁ、となだめていた。

「大丈夫だよ、奥さん。 アスミちゃんだってもう16歳だし、心配することないって」

 気のいいおじさんの言葉に、ママは「そうだといいんだけど」と、まだ少しだけもやもやしながら納得はした。 海の外に出たこともない一人娘が、たった1人で広い世界に出ていくのは親としては心配だった。

「あんまり危ないところに行ったり、知らない人について行っちゃダメよ」
「もぅ、分かってるよ」

 アスミはママにちょっと呆れながらも、ルールーに「行くよ」と声をかけて船に乗り込んで行った。

「じゃあね、行って来ます!」

 アスミとルールーはパパとママの姿が見えなくなるまで、何度も何度も船の上甲板から手を振った。
それはパパとママ達も同じで、アスミとルールーが小さくなるまでずっとずっと手を振り続ける。
ようやく、船が見えなくなって大人達が手を下ろした時、ママはやっぱり心配そうに眉を下げる。

「アスミ、大丈夫かしら……」

 気が気じゃないママの肩を、パパがポンと叩いた。 ごつごつしたあったかみのあるその手は、ママの気持ちを落ち着かせるには十分だった。

「大丈夫。 アスミは明るくて素直な子だよ。 きっといろんな素敵なものを見て、素敵だって言うハズさ」

 船乗り場から続く海を見つめながら、パパはアスミのことを思っていた。

(しっかりやれよ、アスミ。 輝く明日を見てくるんだ)



* * *



 かくして、アスミはルールーと一緒に船の客室でくつろいでいた。 豪華客船のようにシャンデリアもなければ、珍味が並ぶようなごちそうもないけれど、まるで自分の部屋のようにゆったりとしていた。
 船の行く先は、イッシュ地方の大都会でもあるヒウンシティ。 カイトが留学に行った場所だった。

「ねぇ、ルールー。 カイトが見ている世界に、わたし達も行けるんだよね?」

 これから行く先にドキドキとワクワクを隠しきれないアスミに、ルールーはちょっとジト目になりながら頷く。
お調子者で、ちょっと夢見がちなアスミのことが、ルールーも心配だった。 そんなルールーの気持ちを知ってか知らずか、アスミは客室の窓から海を眺めて、さらにワクワクを募らせていた。
 まるで光の粉をこぼしたみたいに、キラキラ光る大海原。 まるで、これから見る広い世界がキラキラ輝いているようにも見える。

(カイト。 わたし、やっと約束を果たせるよ。 あなたに会いに行けるよ)
前に戻る|もくじ|次へ進む

読了報告

 読了報告及び評価をするにはログインが必要です。

感想フォーム

 この小説は感想を受け付けていますが、感想を書くにはログインをしている必要があります。

 そのため、感想を書くにはアカウントを所有している必要があります。

感想

 この小説には感想がついていません。