Ep.20 咬み砕かれた銃弾

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 何故、わたしの存在価値が割引されてしまうのでしょう。

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 視線が交錯する、という表現があるけれど、それはつまりはどういうことなのだろうか。
 例えば、互いが互いに視線を送りあっていれば、それこそ視線の交錯と定義づけることが成立するわけだけれど、世の中にはそんな安いメロドラマみたいな状況は果たして存在しうるものなのだろうか。
 一方がもう一方に視線を送ると想定して、もう一方が視線を送り返す時はあっても、それは初めから視線が交錯していたわけではなくて、言ってしまえば視線が跳ね返っただけのことだ。跳ね返された視線を受け取ってなお視線を送るということは、それは視線のキャッチボールであり、交差しているわけでも絡みついているわけでもない。混ざりあっていないものを交錯と呼ぶのは間違っているのではないだろうか。
 常に相手のことを見つめながら会話を進めていくという芸当ができるということはそれだけで美徳だけれど、その一方でそんなことをしながら相手とコミュニケーションを取るというのも、現代においては稀なのではないかという話である。
 何が言いたいかといえば、これは言ってしまえば例え話であるけれど、相手の目を見ながら別のことを考えていたり、相手と目線を合わせることが難しかったりする場合は、きっとそれを交錯と呼ぶことは不可能に等しいことだろう。
 言葉だけではなく心でやりとりがしないのならば相手の目を見て話せ、子どもにはそういった教育を施すのが適切であり、倫理的にも申し分ないわけだけれど、この世界にはそれを体現できる大人があまりにも少なすぎる。
 そんなだから、それらが時代をかけて世界に堆積されていって、気付けば世界はこんなにも冷え上がってしまうのだ。
 さて、そんな前置きがどうして必要だったかといえば、それはつまるところ簡単な話であった。
 その場に対峙する二人のトレーナーについて、あらかじめ説明しておかなければならないわけだ。
 片方は山吹色の髪をした少年。名をイドラという。ここまでの経緯から、左腕には痛々しくも生々しく新鮮な火傷の痕が焼きつくように残っている。
 もう一方のトレーナーの名はエッジ。取り敢えずはそういった呼称で通すことにしているらしい。ニタニタと歯茎を覗かせた気味の悪い笑みを浮かべながら……それと相反するように気怠げな目を開いて、首元に手を添えながら首をほぐすようにコキコキと動かした。
 そんな二人は、互いに視線を相手に向かって飛ばしているわけだが、そこには一つだけ前提があった。
 二人は、決して相手を見ていない。視線は飛ばすが、それは相手を認知するための動作ではないのだ。
 イドラは目の前にあるオブジェクトを粉砕して、自分が強者であることを証明することだけを考えている。彼が見ているのは勝利へのビジョンだけだ。
 一方のエッジは、イドラという少年をイドラとして認識していない。今この時の状況を、他の商品が取り払われて一体だけが売れ残ったプラモデル置き場といった具合にしか解釈していない。そして、そのプラモデルにアイスピックを突き立てて解体するとでも言わんばかりの感情しか持ち合わせていない。
 恐らく、彼らは互いに違ったことを考えて、互い違いという言葉を複雑に間違えたように体現している。
 それでも世界は何事もなかったように動くし、その一幕がどういう結末に落ち着いたとしても誰も何も言わないことだろう。
 ましてや、それが誇りをかけた男同士の決闘であるだなんてことは、決してない。
 壊す側と壊す側がどちらを先に壊すかを決めるだけの茶番だ。
 それでもイドラは吠えるし、それでもエッジは嗤う。
 暑くも寒くもない、何でもない一日の、とある夜のことである。


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「いやあ、いいですなあ。咆哮をあげる元気があって。やっぱり若い子には敵いませんってことですかい」
「さッきからニヤニヤニヤニヤと気持ち悪ィんだよ! 俺の左腕を傑作なことにしやがッて!」
「そうですなあ。若いうちにケロイドを残しちゃカノジョのひとつもできなくなるリスクがあるって聞くからね。その点に関しては……さして強みもなさそうな君に対して申し訳ないことをしでかしてしまったね」

 エッジとイドラが対峙する路地裏。表あらの街灯の光から巻き起こる逆光によって面が見えにくくなるのも致し方ないことではあるが、互いが互いの気持ち悪さみたいなものを感じ取ることが可能なくらいには視界は開けていた。
 エッジが煽るようにイドラの神経を逆撫ですると、イドラは案の定不快そうな面を作ってエッジの方に不敵というよりは不機嫌な睨みでそれに応えた。

「強みがねェだと? けッ。ふざけんな。悪ィが……俺様は伊達に荒くれどもを束ねている組織の頭張ッてるわけじャあ、ねェんだよ」
「ほーう、ほうほう。なるほどね。あたかも自分が強いです、みたいな言い回しじゃないですかい」
「強いですみたいな、じャねェよ。俺様は強いんだッつの!」

 イドラはそう吠えてからモンスターボールからポケモンを繰り出す。勿論、イドラはバトルを楽しむだとか、そんなエンターテイメント性を見出した勝負をするつもりは毛頭無かったので、初手から使い慣れているルカリオのグロックを選出することに決めた。いや、小銃という意味合いでは大砲より使いやすいというわけで、機動力のあるルカリオが必然的に前に押し出されるわけだ。

「くわおおん!」
「撃ち殺せ、グロック!」

 しかし、そんなイドラとグロックを見て、エッジは面白そうに汚らしい顔を歪めて笑みを漏らした。

「ルカリオ、ですかい。なかなか育ちが良さそうで」
「育ちが良いんじャねェよ。俺様が良く育てたんだッつの! いちいち癪に触る野郎だな!」

 育ちが良い。その言葉がイドラにとっては少しばかりむず痒かった。育ちが良いというのは内的環境ではなく、外的環境を評価するものだから。イドラを褒めているのではなく、イドラの周囲を褒めているのだから。
 勿論、そこで「俺様の親はジムリーダーだからな」などというふざけたセリフを吐き出すことなどは以ての外だった。イドラはあの父親を介しての評価を受けることを相当嫌っている面がある。それはもう、途轍もなく。
 ただ、そんな褒め言葉に添えるように、エッジは苦言を呈する。

「ただねえ……自分が強いですって言ってる割には、強者としての嗜みがまるでなっちゃいないわけだよ。わかるかな、コレ」
「……どういうことだ」
「どうもこうもないさ。君にとってそのルカリオは見事なエアガンであり、懐刀にのかもしれない。だけど、俺の方からはまだポケモンを晒してないわけだよ。相手の観察や分析もせずに手の内を明かしていくスタイルは賢くないと思うわけさ」
「……ちッ!」
「喧嘩っていうのはね……知性が欠かせないのさ」
「うぜェ……!」

 イドラは論理的な言葉で返すことができなかった。まったくもって正論である故に、自分の落ち度が浮き彫りになって溢れてきたからである。確かに、エッジのポケモンはイドラの片腕に大火傷を負わせたくせに指先の一つも見えやしない。
 そこで、エッジは見た目とはあまりにもミスマッチな感じで両手をパンと打ち鳴らして合図を送るように言い放つ。

「まあ、あまりにフェアじゃない喧嘩も面白くないしね、賢く考えれば俺もここで初手を明かしておくのがジーニアスなんじゃあないかな。そうだね、連れてこよう」

 そうとだけ言って、エッジは真上を向いて今までより通る声でポケモンに呼びかけた。

「おーい、バシャーモ。降りてきていいですぜ」
「……ッ!」

 イドラが慌てるように上を見上げると、細長い針金細工のような上半身と強靭な両脚、頭から伸びる羽のような体毛が逆光によって一つの黒いシルエットのようになったポケモンが飛び降りてきた。
 そのポケモンが地面に足を着けると、機械から発する蒸気のような呼吸音を一つもらしてから、その両腕の手首の辺りに炎を灯した。

「バシャ……」
「くわぉん!」

 ルカリオのグロックはそのバシャーモを見て何かを感じ取ったのか、警戒するように強く唸ってみせる。
 イドラは反射的に右足が一歩だけ後ずさっているのを自分で感じ取った。
 先程から気付いてはいたけれど、どうやら自分は相当な奇人と出会ってしまったようだ。後悔でもないけれど、そう思った。

「じゃあ、はじめますかい」

 エッジがそう言ったところで、イドラはやっと気付いた。逆光で見えにくくなっている彼の両の瞳に、何やら気持ち悪いものが渦巻いていることに。
 一つ息を呑んでから、イドラは不甲斐なくも震えそうになる体を、火傷で疼いている左腕をグッと庇うようにして言い放つ。

「いいぜ……さッさとぶッコロしてやる。生憎俺様は……機嫌が悪ィんだよ!」
「元気がいいねえ」

 イドラの双眸もまた、年相応の少年のそれではなかった。


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 先手を打った方が勝つ。一見暴論に思える話である。
 戦術を練りに練って、如何に相手を出し抜いて欺くかを考え、常に相手の意表を突いて動きを三手先までも読み続けるのが勝負師としての美学である。そんな風に考える人もいるくらいだから、きっとそれは暴論にカテゴライズしても申し分ないことだろう。
 だけど、それに関しては何でもないただの物理法則で考えれば、それはまた違った結論を出すのではないだろうかという話である。
 例え話ではあるが、陸上競技に於ける短距離走で考えてみるとする。
 片方は筋肉の動かし方、走る時のフォーム、スタートダッシュを切る時の最適な体の傾け方、空気抵抗の仕組みを完全に理解しているが筋トレは一切行わなかった。かたやもう一方は理論はいまいち理解せずに体感で走るものの、一ヶ月筋トレを怠らなかった。
 この場合同じタイミングで短距離走のタイムを比べて好成績を残すのはどちらになるだろうか。そういう話だ。
 要するに、理論や戦術があっても、その上から殴り、捩じ伏せられてはそもそもバトルが成立しないという話……いや、『そういうバトルで終わらされる』という結論が出てしまう。
 何が言いたいかといえば、そういうバトルの在り方も存在するということ。
 スピードの優劣だけでかたがつく、そんな勝負だって存在するという話。
 そして、例えばエッジの連れているバシャーモもまた、そんな戦い方ができるという話だ。

「グロック、グロウパンチ!」
「バシャーモ、躱せ」

 イドラはルカリオのグロックにグロウパンチを指示する。ヒットさせれば無条件で物理攻撃のランクを底上げする、優秀だと思う者には優秀な攻撃ワザだ。
 だが、それはあくまで攻撃がヒットした時の話。
 グロックが拳を前方に突き出し殴りかかる頃にはバシャーモはそこにはいなかった。

「なッ!」
「遅い遅い。そんなんじゃ三分くらい遅いよ」

 バシャーモは気付けばグロックの背後を取っていた。
 そして、そこからはバシャーモの番。
 ただ、エッジはそこで攻撃の指示をしなかった。

「バシャーモ、かげぶんしん」
「シャァッ!」

 バシャーモは指示を受けると、その姿を朧げに揺らめかせた。そう視覚に印象付けた。
 すると、グロックを中心にバシャーモの姿が何体にも増えたではないか。
 かげぶんしん。
 このワザには二つのパターンがある。
 一つは生体エネルギーから本当に質量を持った風に映る分身を生成するもの。この場合、複数体いるそのポケモンの個々の攻撃力が低くなるというデメリットがある。だが、この場合確実に回避率が上昇する。
 そして、もう一つのパターンは一般的な動体視力では追いつけないスピードで不規則に動き回ることで残像を生み出し相手を撹乱するというもの。これは短時間しか効力がないが、そのぶん一時的な回避率は相当な高さになる。
 バシャーモの場合は明らかに前者だろう。既にグロックを取り巻くように複数のバシャーモが立っている。
 イドラは不機嫌そうに舌打ちをすると、グロックに再び指示を出す。

「クソが……これじゃあシラミ潰しでやるしかねェ……グロウパンチで一体ずつ撃ち殺していけ!」
「くわおおん!」

 ルカリオのグロックは指示を受けると、手近なバシャーモの分身から順に殴ろうと試みる。だが、そこでエッジが気味悪い笑みを浮かべた。

「それで、間に合うのかい?」
「……あ?」
「バシャーモ、躱せ」

 グロックの拳に熱がこもり、バシャーモ目掛けて打ち出された、その時。
 バシャーモの姿が……消えた。
 イドラが気づく頃には、他のバシャーモも姿を捉えられないスピードで動き始めていた。
 グロックの拳が空を切ったところで、グロックも焦りを見せ始める。
 まだ二回攻撃を試みただけだ。それなのに、何かがおかしい。
 イドラは左腕の火傷跡を抑えながら状況を考え始める。ここで考え始める段階では既に遅いということも考えられないままに。
 『かげぶんしん』というワザには二パターンあると前述したが、このバシャーモの動きはあからさまにどちらも反映されているとしか思えない。
 分散した分身の個々が高速で動き回っている。

「……どうなッてやがる」
「へへっ、少年。……バシャーモのとくせいって知ってるかい?」
「……は?」
「かそく……だよ」

 イドラも知らないわけじゃない。『かそく』というとくせいを持つポケモンが何種類か存在するということを。バシャーモもその内の一つ。もっとも、珍しいとくせいではあるわけだけれど。

「かそく……厳密に言えば、大気中の微量の窒素を体表から取り込んで筋肉の熱量に変えるものだ。そして、機動力を高めた後に体表から窒素を噴出して、その繰り返し。ただ……それを繰り返していくうちに筋線維はどんどん強くしなやかになっていく。つまり……わからよね?」
「時間が経つほど……速くなる……ッ!」

 そうだ。イドラがグロックにグロウパンチを二回指示している間にもバシャーモは文字通り常に加速し続けていたのだ。
 一応、筋肉というのも無限の質量を持っているわけではないので、加速作用にも限度というものがあるけれど、最大まで筋肉を増強すれば、大抵のポケモンは翻弄することが可能である。
 それに付け加えて、回避率を底上げする『かげぶんしん』。
 これではグロックには標的に照準を合わせられない。

「どうだい? これで君はバシャーモを捉えられないですぜ」
「……けッ。はははッ、そいつはやられたなァ!」

 客観的に見れば、イドラの戦況は絶望的だ。だけれど、イドラはそれでも笑った。不機嫌そうに笑った。
 イドラは一つの穴を見つけたのだ。

「俺様はテメェのバシャーモをただ指を咥えてみていたわけじャねェんだよ!」
「……どういうことかい」
「ここまででテメェのバシャーモが使ッたワザは、『おにび』、『まもる』、『かげぶんしん』の三つだ。つまり、攻撃ワザは一つしかない。それでグロックを攻略する自信があるのか……それとも、ただの大道芸人かのどちらかだ!」
「じゃあ、俺がその最後のワザで君を倒せるとしたら?」
「その一点を攻略した上で、スピードを捉えて……撃ち殺す!」

 イドラの読みは大体まともであった。確かに、へんかワザで三枠埋まっているのだとしたら、攻撃面では残りの一枠に懸けるしかなくなってしまう。
 だからこそ、そこをピンポイントで攻略すれば、スピードに順応できるようになれば勝機はある。
 だが、エッジはそこで気持ち悪いくらいに口角を上げてケタケタと笑い出した。

「そっか、そっかそっかぁ! なるほどね! そういう風に読むなら……」
「……」
「……アマちゃんですぜ」

 エッジはそう言って、バシャーモに最後の枠のワザを指示する。

「バシャーモ、バトンタッチ」
「……シャッ」

 エッジがモンスターボールをかざすと、分身していたバシャーモのそれぞれが光の塊になってそれに吸い込まれていく。

「……なッ!」

 イドラは愕然とする。まさか、ポケモンが持ち得る限度の四枠すべてがへんかワザだったとは。
 これでは戦闘要員にならないではないか。
 だが、エッジはしっかり考えている。

「バトンタッチ。所謂エスケープのワザだ。だけれど、このワザにはとっても素敵な恩恵があるんですぜ」
「……まさか」
「お気付きかい? そう……そういうこった。バトンタッチでポケモンを交代すると、能力の下降上昇を後続のポケモンに繋げることができる。……故に、バトンタッチ」

 そう。ここまで時間を使って加速したり回避率を上げたりしていたのは、すべて後続のポケモンのサポートをする為。
 戦術以前に先手を取れる方が勝つ勝負も存在すると前述したが、エッジという喧嘩しはその先をしっかり見据えていた。だからこそ、機動力のある、いや、機動力を上げることができるバシャーモを初手として連れていたわけだ。

「ちッ……根暗みてェなことしやがッて。バシャーモはいつも前座かよ」
「前座? 変なこと言うねえ。ポケモンはエモノだ。その場限りの戦力を連ねていくのが喧嘩しとしてのポリシーでね。何だかんだボックス管理システムには百体くらいエモノが揃っているんですぜ。まだまだ少ないけれど、へへっ」
「こいつ……狂ッてやがる」

 エッジはこういった、各分野に特化させたポケモンを何体も育成しているらしい。そして、その個々を武器だと解釈し、その時の気分で手持ちを編成しているようだ。

「じゃあ、次はこのエモノにしますかね」

 エッジはそう言って、モンスターボールから次のポケモンを繰り出した。

「出て来い、オノノクス」
「グオオオオオオッ!」

 姿を現したのは口の両端から斧のような牙の生えたドラゴンタイプのポケモン、オノノクス。ドラゴンタイプの中では他の種にスピードで劣ることがあるが、物理のパワーは申し分ない。
 バシャーモから引き継いだスピードと回避率があれば、ルカリオ相手にはかなり優位に立てる、
 イドラは奥歯に圧をかけて苦い顔をした後、判断力の鈍りを感じ、それでもグロックに指示を出した。

「グロック、グロウパンチ!」
「それしかできないんですかい? オノノクス、躱して」

 グロックが勢い良くオノノクスに殴りかかるも、オノノクスは素早く地面を蹴って、その背後を取る。
 そして、自慢の火力のままに、エッジの指示を受ける。

「オノノクス、じしん」
「グオオオオオオッ!」

 オノノクスは先程の『かそく』の恩恵を受けた強靭な脚を勢い良く地面に打ち付けて振動を起こす。
 路地裏のアスファルトが稲妻状のヒビを作って地面が思い切り砕ける。
 その振動に呑まれたグロックは、そのまま力尽きた。

「グロック!」
「……」

 エッジは何も言わずにオノノクスをモンスターボールに戻した。
 そして、イドラに対して一人のトレーナーとして視線を送り、シニカルに笑みを作った。

「まあ、久々に喧嘩業をやろうと思ったけど、シエル地方は全部こんなのなんですかい? んー、まあ、楽しくはなかったけど、君もこれを糧に頑張ってくれ……なんつって、無理無理、それで強いと思ってるようじゃ三分くらい遅れてますぜ」

 イドラは、何も言葉を返せなかった。
 背中を向けて去っていくエッジに対して、暴言を吐くことすらできなかった。
 ただ、両肩に何か重い物でも乗せたかのような重苦しさを感じて、ひたすらに虚しくなった。

(……俺様が、負けた? こんな一方的に? そんなはずねェだろォがよ……)


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「ライフルイーターを抜ける?」
「あァ」

 件の戦いから一夜が明けた次の日。
 ライフルイーターの集まりの中で、イドラはニトレスを含む構成員に向けてそう言った。ニトレスは驚きのあまりに目を丸くしている。

「抜けるってどういうことだよ! お前がいなきゃ、どうなるってんだ!」
「うるせェ」
「なっ!」

 イドラの表情は怒りというよりは憂いを帯びていた。
 そして、ありのままを話す。

「悪いな、俺様がクソ親父を見返す為には……今のままじャあ埒が明かねェ」
「どういう……ことだ?」
「俺様が狩るべきなのはもっと強いやつだ。それはもう、とにかく……強いやつだ」
「それがライフルイーターを辞めるのと関係あるってのか?」

 路地裏のドラム缶に腰掛けていたイドラは建物の隙間から見える空を見ながら、言う。

「俺様は……旅に出る。オルティガから去る」
「は? マジで言ってんの?」
「ああ、修行して完璧な勝利しかできねェ奴になる。だから……俺様の強さを証明できた時にまた仲間に入れてくれや。それまでは……ニトレス。テメェにここのリーダーを任せる」
「マジで……マジか……」

 ニトレスは完全に狼狽している。何だかんだ、イドラがいることで成り立っている感じがあったライフルイーターだ。それを急に任されても困るのは当然である。
 だが、ニトレスはそれでもイドラを応援せずにはいられない。

「イドラ。お前とは仲間以前に友達だと思ってる。だから、お前が帰って来られるようなチームにはしておいてやる。だから、安心して強くなれよ」
「悪ィな……恩に着る。だから、テメェらを本当の意味で守れる奴になッて帰ッてくるから、待っててくれ」

 ニトレスはそんな風に言うイドラに対して笑顔を繕うが、その左腕を見て、申し訳なくなる。その左腕の大火傷も、こういうむず痒い転機を生み出したのも、自分のせいだと思っているから。

「お前……その火傷、さ」
「あァ、気にすんな。包帯でも巻いておけば見苦しくねェだろ。俺は袖の無い服がデフォだかんな」
「……なんだそれ。で、親父さんには言ったのか?」
「今から……言いに行く」
「……そっか」

 そっか。ニトレスにはそうとしか返せなかった。
 イドラの家庭環境に関してはどうしても干渉できないからだ。
 だけど、今は応援する以外、なかった。
 去り際に手を振ったイドラだが、少しだけ寂しさがあった。それを隠すように、絶対に振り向かずにポケモンジムに向かった。


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 オルティガシティポケモンジム。
 今日のポケモンジムは閑静な空気感で、恐らく挑戦者は来ないだろうと思われる。
 イドラはそんなジムの自動ドアを通過すると、入口の受付のスタッフに怒鳴りつけるように呼び掛けた。

「おい、クソ親父はいるかァ!」
「は、あっ、今は不在でして……ご自宅には……」
「自宅? 知るかッ! ……チッ、ここにいねェのか……」

 イドラは自宅にいるのだろうと推測したけれど、その可能性は伏せておくことにした。オフの時の父親には会いたくないし、最悪の場合、実兄との邂逅というダブルパンチのルートが存在するからだ。
 イドラはどうしたものかと心中で唱えながら取り敢えずジムの入り口の方向に向き直る。
 すると、丁度と言って良いタイミングか、イドラの父親がジムに入ってきたではないか。

「……イドラ」
「よォ、クソ親父。俺様はテメェに用がある」
「簡潔に頼む。一応仕事中でな」
「はッ。大層なこッたな」

 イドラはそんな父親に構うことなく、話を始める。

「俺様はオルティガから去る」
「自殺か」
「違ェよタコ。旅に出るッつッてんだよ」
「旅……? 何故急に」
「テメェを見返す為に旅をするッてんだよクソが」

 イドラの言葉に対して、父親は鼻をスンと鳴らすだけで表情は変えなかった。
 そして、言葉を選ばずに単刀直入な感想を言う。

「まあ、構わん。イデアには旅をさせなかったから、旅をした場合のサンプルも欲しいところだ。精々泣いて帰ってこないようにな」
「ッたりめェだッつの! 絶対テメェより強くなる。テメェの敷いたレールには乗らずにな!」
「……お前はもう少し私という存在に対して恩義とか尊敬とかはないのか」
「あるわけねェだろクソが」

 イドラはそうとだけ言い切ると、父親の隣を通り過ぎてポケモンジムのエントランスから去っていった。
 イドラの父親は、そんなイドラの背中を見送るでもなく、一つ溜息をついた。

「……親の言うことを聞くのが最善だとわからぬものだな」

 そんなイドラの父親の元に、イドラと入れ替わるように一人の青年が入ってきた。
 イドラの実兄、イデアだ。

「父上。イドラとすれ違いましたが」
「ああ、今話していたところだ」
「そうですか。で。何の話を」
「……大したことではない。あやつはお前とは違うルートを進む、それだけだ」
「……?」

 イデアは不思議そうな顔で父親を見る。だが、父親はそんなイデアに構うことなく一つの質問を投げかけた。

「イデア。すれ違いざまのイドラはどんな表情をしていた?」
「……。何だか。活気付いていました」
「……そうか」

 イデアに視線を向けることもなく、父親はそのままジムの奥に入っていった。
 取り残されたイデアはやはり不思議そうな顔をしながら、そこに立ち尽くす。

「イドラに一体何があったのだ」

 だが、イデアには直感でわかった。イドラのあの活き活きとしていた姿は、恐らく今まで見たことがなかったものだ。
 今から本当の意味で強くなるのかもしれない。そう仮定すると、イデアとしても良い兆しではないかと思うことくらいはできた。
 イドラはスタートラインに立てたのだろうか。
 いや、きっとまだだ。イドラは謂わば井の中の蛙。これから大海に放り込まれるわけだが、彼の視野の狭さでは生半可な実力では勝ち進めないだろう。
 だからこそ、イデアはそんなイドラに仮初めの心配を抱くのであった。本当は興味なんて無いのに。
 こうして、イドラは動き出す。
 彼のぼうけんのしょも一ページめくられるわけだ。
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