REST STAGE :灰被りの憧憬

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「じゃあアッシュ。私たちはお出かけするからその間にお掃除とお洗濯をお願いね。お昼ご飯は冷蔵庫の中に入ってるから」
「はい、かあさま……」

 これがDVDなら擦り切れるほどに見た、記憶の映像。五年ほど前に実母を亡くしたラディ──アッシュ・グラディウスは父の再婚した義母とその娘たちにいいように使われていた。
 全員がラディと年の離れた義姉になる三姉妹が、綺麗な民族衣装を着てラディに命じる。

「……今度私の洋服地面に落としたらただじゃおかないわよ」
「おねーちゃんこわーい。この前も散々ひっぱたいてたじゃない」

 長女のリンドウがぎろりとマズミを睨む。マズミは目をそらして口笛を吹いた後、ラディに言った。

「あたしの部屋は掃除していいけど動かしたものは元に戻してね!」
「マズミ姉さんの部屋は物が散らかりすぎてて元に戻すより整頓したほうがよろしいのでは……」
「アーアーキコエナーイ。せっかくだから何かアッシュちゃんに頼んどいたほうがいいよ。ほら、あたしと昨日決めたでしょ?」
「…………では、アッシュちゃん。お父さんと私たちの洗濯物は、分けてもらってもいいですか……?」

 アネモネがうつむいて、ラディに命じる。三者三様、ラディに対する調子は違うが。まだ幼いラディにとっては全員等しく自分を虐める人たちでしかなかった。

「……はい、おねえさま」
「それじゃあ、行ってくるわね。くれぐれも、さぼっちゃだめよ」

 義母と義妹たちは家から出ていく。行先など知らないが、恐らくはパーティーだろう。綺麗な衣装を着て、美味しいものを食べて、楽しくおしゃべりするのだと聞いている。
 自分はぼろぼろの服を着て、毎日部屋の掃除と洗濯。ご飯もたいていは、彼女たちの昨晩の残飯である。
 父親は仕事でアローラにいないことが多い。電話も与えられていないラディには、だれも味方がいなかった。
 毎日、毎日。皿を割ってしまえば食事を抜かれ、洋服を汚せば平手打ちを食らう。
 特にいやだったのが、ある日つい私もパーティーに行ってみたいとこぼしてしまってから始まった『着せ替え遊び』だ。

「そっかあ……そーだよね、アッシュちゃんも女の子だもんね!いいよ、あたしとアネモネちゃんの服着させてあげる!コーディネートは、あたしがするから!」

 最初は、マズミのその言葉が嬉しかった。だが、年の五歳以上離れた相手の服が自分の体に合うはずがない。
 着させられる衣装は当然ぶかぶかで、しかもマズミは面白がってわざと似合わない組み合わせを選ぶのだ。

「あははははははははっ!似合わなーい!変なの!アッシュちゃんがちんちくりんだからだー!」
「マズミお姉さま……かわいそうですよ……」
「えー何がかわいそうなの? アッシュちゃんが、着てみたいっていったんだよ? ばれたらあたしもおねーちゃんとおかーさんに叱られるかもしれないけどこっそり着せてあげるんだから、感謝してほしいくらいじゃない?ねえアッシュちゃん」
「ううう……」

 せっかく着た綺麗な洋服を似合わないと笑われ、まるでおもちゃにされてるみたいで恥ずかしかった。涙をぼろぼろ零す自分を、マズミはわかっているのかわかっていないのか。

「ほら、アッシュちゃんもうれしくて泣いてるー。だから、アネモネちゃんは気にしなくていいよ。それとも、替わってあげる? あたしは、それでもいいよ」
「……いえ、それなら……いいです……」

 そんな日々が、二年続いた。
 それが終わりを告げたのは、ある月の綺麗な夜だった。満ちても欠けても綺麗な月は、ぼろぼろの服がみすぼらしく、綺麗な服を着てもちっとも似合わない自分とは正反対で。

「お母さん……わたし、お母さんのところに行ってもいい……?」

 ほかの家族がパーティーに出かけた夜。ラディは二階の洗濯物を干すベランダで夜空を見上げたあと、下を向いた。この家は大きく。二階からでも十分な高さがある。落ちれば、命の保証はない程度には。
 こんな家族とは一緒にいたくない。お空の上で、お母さんに会えるなら……そんな思いがラディの胸を占める。
 手すりから身を乗り出し、全てを投げ出そうとしたとき。

 ズン!!と音を立てて家が、地面が揺れた。とっさの出来事に慌てて体を戻し、屈め、揺れが収まるのを待つラディ。地震などそう起こらないアローラで、ラディの人生の中では初めての経験だった。

「あ……お洋服が……!!」

 干された洗濯物は地面に落ち、無残に土で汚れていた。衝撃で飛んで行ったものもあるかもしれない。
 みんなが帰ってきたら絶対に怒られる。何日も食事を抜かれるかもしれない。死のうとしていたことも忘れ、一階に降りて慌てて服を拾おうとする。
 階段を降り、ドアを開けたラディ。
 そこには、一人の女性が立っていた。雪原のような白い肌、磨いたフォークの先端よりも細く銀色の髪。アローラでは珍しい、長そでに手袋、長ズボンに黒いブーツ。
 頬に施した青い三角ペイントの上にある目が、監視カメラのように鋭くラディを見つめていた。

「質問です。貴女が、アッシュ・グラディウス様ですね?」
「誰……?」
「回答です。スズ・ブルーヒルデと申します。請願です。あなたを助けてあげる代わりに、あなたに助けてほしい人達がいます」
「あの、今かあさまが家にいないのでまたあとで……!」

 早くしないと洗濯物がさらに汚れてしまうかもしれない。ラディはそれだけ言って離れる。
 洗濯物を抱えようとしたとき、

「あ……!待って!」

 風で飛んで行ってしまうのだとラディは思った。言葉で止まるはずもなく、洗濯物は上に舞い上がり──二階の、ベランダに戻った。見上げれば、土も払われ綺麗になっている。
 ぽかんと見上げていると、さっきの女性、スズが後ろから歩いてきた。

「再開です。スズは、貴女を助けに来ました。だから、助けてほしい人がいます」
「あなたは……誰?かあさまの知り合い?」

 スズは首を振る。

「回答です。スズが誰か、は難しい質問です。後ほどゆっくりお話しします。説明です。さっきの地震で、貴女の姉たちのいる建物が大きく崩れました。貴女が彼女たちを助けてほしいのです。そのために必要な力は、スズが用意しています」
「えっ……!?」

 驚く。でも揺れがすごく強かった。建物が壊れてもおかしくないのかもしれない。だけど。なんで自分に頼むのか、とか必要な力って何、とか思うところもあるけれど。

「……いやよ。あんな人たち、助けたくない」

 それが当然の本心だ。自分にさんざんひどいことをした人たちを、どうして助けないといけないのか。

「あんな人たち……死んじゃえばいいんだわ」

 ひどいことを言っている、と思う。自分が向けられたこともある言葉を口にしてラディの胸が傷んだ。
 スズと名乗る女性は、自分の言葉に苦しむラディに表情一つ変えずに言った。

「同意です。そうかもしれません」
「……じゃあ、帰って」
「反論です。しかしだからこそ、そんな姉たちのことも助ける貴女はヒーローです。ヒーローとなった貴女は、こんなところでなくもっとふさわしい居場所があります。その場所も、スズは用意しています」
「ヒーロー……」

 昔、まだ実母と一緒に暮らしていた時にテレビで見た、かっこいいヒーロー。ほんとは男の子が見るものよ、なんて笑われることもあったけど、好きなように見させてくれたあの頃を思い出す。

「質問です。今の家族を見捨てて誰の味方もいないまま生きていくか。嫌いな人達を助けてからさよならしてヒーローとして生きていくか。どちらがいいですか?」

 スズの目は、氷のように冷徹だった。ラディがもう一度帰ってといえば、本当に帰っただろう。
 ラディの答えは、決まっていた。

「感謝です。約束は守ると誓います。召喚です。UB:LAY、出なさい」

 スズが青いボールを開くと、巨大な煙突を灰色のブロックで作ったようなポケモンが現れた。面を一つこちらに向けて、中心にある二つの点が目のように自分を見つめる。そのポケモンを見て、ラディは直感する。

「あなたが……洗濯物を、元に戻してくれたの?」

■■■■■
■■■■■
■・■・■ 
■■■■■
■■■■■

  ↓

■〇〇〇■ 
〇■■■〇
〇・■・〇 
〇■■■〇
■〇〇〇■ 

「……ありがとう!」

 そのポケモンは、喋らない。だがブロックのような部分の色が一部青色に変わり、全体でも〇の形になる。

「命令です。ではUB:LAY、彼女の声に合わせて【戦闘携帯】にしてあげてください」
「せんとうけいたい……?」
「肯定です。貴女がヒーローになるための力です。大きな声で、『変身』!!と言ってください」
「えっ……へ、へんしん」

 恥ずかしさから、蚊の鳴くような小さな声。それにスズは首を振る。

「却下です。もっと大きな声でお願いします。貴女が憧れたヒーローのように」
「で、でも……大きな声なんかもうずっと出してなくて……」

 この家に来てからは、泣くとき以外はずっと声を潜めて、姉たちに聞こえないようにしていたから。大きな声で叫ぶなんて忘れていた。つもりだった。

「否定です。貴女は今さっき、UB:LAYに大きな声で感謝をしています」

◆□◆□◆
◆□◆□◆
◆・◆・◆ 
◆□◆□◆
●□●□●

「レイ……頑張って、って言ってくれてるの?」

 UB:LAYの顔のブロックの色が電光掲示板のように変化する。ラディにはそれが激励に見えた。
  
「再開です。貴女の声で、UB:LAYは貴女をヒーローにする力を与えます。あとは、あなたの意志だけです」 
「……!」

 ラディは、自分の纏うぼろぼろの服を見る。こんな格好は、嫌だ。でも、姉たちのような、綺麗な女の子の恰好も、似合わない。笑われるのが怖い。
 だけど、テレビの中のヒーローのようになれるなら。顔も体も装甲を纏い、敵を倒し人を憎まずみんなを助ける存在になれるのなら……


「私は……いや、オレは!お前の力を求める!『変身』!!」


 それは、為った。レイの体がばらばらのブロックになり、ラディの体を覆っていく。頭を、胸を、腕を、足を。灰色と赤で構成された装甲となり、さらに彼女の手には、おもちゃの様に角ばって大きく、それでいて中から実弾以上の力を感じる銃が握られていた。

「素敵です。では行きましょう。案内はスズがします」
「……ああ!」

 彼女は駆けた。助け出し、決別すべき人たちのもとへ。









「ラディ、朝だよー!朝ごはんだよー!起きてよー!」
「んん……今起きるから待って」

 その半年後、家族と訣別したラディはクルルクの住む孤児院で暮らしていた。クルルクのノックに、寝ぼけた声で返事をする。
 ベッドから降りて、パジャマのままドアを開けると半そで半ズボンの上からエプロンをつけたクルルクが立っていた。

「今日は僕が目玉焼き二つ作ったから、早く食べないと冷めちゃうよー」
「……固ゆで?」
「もちろん!だってラディ半熟嫌いでしょ」
「うん。ありがと」

 最初は、また年上の子どもがいてまたいじめられるんじゃないかと怖かった。でも、彼は穏やかで優しく、ラディをいじめもしなければ何かを押し付けることもしない。
 家事は基本ポケモンたちに任せているが、時折こうしてご飯を作ってくれたりする。ラディもたまにマネするが、彼の方がうまい。
 最初は家のことを何もせず住まわせてもらっていることを申し訳なく感じたけど。スズも、クルルクも、まだ子供なんだからそんなこと気にしなくていいと笑った。その笑顔を見ていたら、なんだかそれでいい気もした。
 テーブルに着き、二人とポケモンたちで朝ごはんを食べる。

「今日はメレメレに予告状が届いてるからねー。今日で四回目の勝負だよ」
「じゃあ、今日で二勝二敗に追いついて見せるわ!」
「ふふん、そううまくいくかな?こっちは新技を開発したからね!」
「私だって……レイの力を引き出す戦法を考えたんだから!絶対追いつくわ!」

 子供らしい意地の張り合いがしばらく続く。その後クルルクはちょっと真面目な顔になった。

「……でも、ほんとに無理はしないでね。僕とラディの勝負はこれからずっと続くんだし……ラディがポケモンバトルを頑張って覚えてるの、知ってるからさ」
「わ、わかってる……」

 スズにメレメレを守るヒーローとしての地位を渡されてから、ラディは一生懸命ポケモンバトルを覚えた。もともとあの家で厳しい仕事を強いられてきた彼女は、多少の無茶を無茶と思えない。勉強や特訓のしすぎで熱を出して倒れることもたびたびあった。あの家では誰も看病などせず(アネモネがちらりと見に来ることはあったが、大したことはしなかった)、ただ寝ていればその分仕事を押し付けられなくてよかったから熱などむしろありがたいくらいだったけど。

「僕……心配だよ。ラディとはライバルだけど、妹みたいな人でもあるから」

 今は、クルルクがとても心配してくれる。氷水を持ってきたりおかゆを作ったりしてくれる。それはとても心が温まるけど、同時に病気になりたくないとも思うようになった。

「だいじょうぶ!今は加減を覚えたし……怪盗クルルク、お前は自分が怪我しない心配でもしておくんだな!今日のオレは容赦しないぞ!!」

 怪盗クルルク、のところから声音を変え、ヒーローとしての口調で言い放つ。クルルクはそんな彼女の様子に安心したように笑って。

「ふ……そうだね。メレメレライダーには余計な心配だったね」
「そうだ!オレはこの島を守るために……応援してくれる子どもたちのためにも負けたままでは終わらない!」
「あはは!やれるものならやってみなよ!」
「うん!」

 そういうと、ラディはにっこりと笑った。今の自分はヒーロー、メレメレライダーだ。昔自分がテレビのヒーローにあこがれたように、本物のヒーローになって子供たちを楽しませるんだ。クルルクやスズ、他のキャプテンや島キングとずっとずっと……その時十歳の彼女は、そう思っていた。

 いや、信じていた。

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