34杯目 すばるくんの朝

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 時間は早朝。まだ街は静かだ。
 喫茶シルベの数件隣。
 赤茶の石壁造りの小さな家がある。
 扉を開け、中に足を踏み入れれば。
 すぐにある広々とした空間はリビングらしきもの。
 真ん中に配されたローテーブルに、二人かけのソファ。
 対面するのは薄型テレビ。
 右手にキッチン、その奥にはシャワールーム等。
 そして、左手にある扉をくぐれば。
 カーテンが閉められ、部屋はまだ薄暗い。
 机上に置かれた、開きっぱなしのノートパソコン。
 電源ランプが明滅を繰り返す。
 散乱した資料の紙束があることから。
 もしかしたら、ノートパソコンの電源を落とさず、寝入ったのかもしれない。
 そんな机から視線をよこに動かすと。
 モンスターボールを模したポケモン用ベッドで丸くなる薄藤と。
 その薄藤に包まれた白の毛玉が共に眠っていた。
 そのすぐ隣にまたベッド。
 そこから垂れ下がる青の胴長。
 それを両腕で、抱き枕の如く抱えたまま眠る青年。
 好き勝手に跳ね回る栗色の短髪。
 まだ早朝。静かな空気だけが、その部屋に降り積もる。
 だがそれは、すぐに吹き飛ばされる。
 これは、その前触れだ。
 薄藤に包まれた白の毛玉から、ぴょこんと耳が生えた。
 次いで、ぱちくりと瞬く大きな瞳。
 もぞもぞと動いたかと思えば、薄藤から脱して、伸びを一つ。
 伸びの快感から、小さいながらも大きな欠伸を一つ。
 目尻にたまった雫を前足で拭う。
 まだ少しだけ、とろんとしてしまう気持ちを引き締めるために。
 ぶるりと一つ、身を震わせてから。
 彼女は薄藤へ駆け寄った。

―――ね、ママ

 ちょいちょいと、前足でエーフィの背をつついた。

―――…………

 少し待ったが、反応はなかった。

―――ママってば

 今度は強く、エーフィの身体をつついてみた。

《…………》

 今度は身動ぎした。

―――ママ、あそぼっ!

 姿勢を低くして、尾を振る。
 遊びを誘う体勢だ。
 だが、エーフィの反応は。

《……あと、……半日…………》

 むにゃむにゃと、さらに丸くなってしまった。
 振っていた尾の動きが止まった。
 口をへの字にした白イーブイが、今度は隣のベッドを見上げた。
 次なる標的は。
 ていっと、一つ跳躍。
 きしっとベッドの軋む音が響く。
 ベッドへ飛び乗った白イーブイは、にへへと笑みを浮かべて、また一つ跳躍した。
 今度はぽふっと軽い音が響く。
 そしたら、毛玉の下からふがっと声がもれて。
 にゅっと腕が伸びてきて。
 ぺりっと顔に貼り付いた毛玉を剥がす。
 のろのろとまぶたを持ち上げれば、桔梗色の瞳が顔をのぞかせた。

「…………ラテかよ」

 すばるがそう言えば。
 へへっと笑う白イーブイが、腕に摘ままれて揺れていた。

―――すばるんっ!あそぼっ!

 ゆらゆら揺れて楽しそうな彼女に。

「ママに遊んでもらえよ……」

 重いまぶたをこらえるすばる。
 そのまま彼は、摘まんだ毛玉をベッドの外へ落とした。
 すぐに、ちゃっ、と音が聞こえる。
 床に毛玉が着地した瞬間、爪が床を鳴らしたのだ。
 それを聞き届けたすばるは、再びハクリューという名の抱き枕を抱えて。
 充電コードに繋げ、枕元に放ったままだったスマートフォンを手に取った。
 時刻を確認した彼から。

「…………うっそだろぉ……」

 苛立ち気味の声がもれた。

「……まだ、早朝じゃねえかよ……」

 苛立ちに任せて、そのままスマートフォンを軽く放り投げる。
 このまま二度寝は確定だ。
 そう決めて寝ようとしても。

―――すばるんっ!すばるんっ!

 またまた飛び上がってきた毛玉が、ベッド上で弾み始める。

「…………っ」

 閉じた瞳。だが、眉間にしわが刻まれる。

―――すばるんすばるんすばるんすばるんっ!

 ばうんばうんと弾む毛玉。

「だからっ!ママに遊んでもらえっ!」

 苛立ちに任せて解き放った言葉。
 瞬間。しんっと空気が静まりかえった。
 流石に言葉がきつすぎたかもしれない。
 そう、すばるが反省する頃。
 閉じたまぶたを持ち上げて、のろのろと上体を起こした。

「……ラテ、悪

 びたっ。
 そんな音が似合いそうな勢い。
 すばるの言葉を遮り、ついでに口も何もかもをふさぐ。
 視界は白に染まった。

―――ママ、あそんでくれないもんっ

 すばるの顔に貼り付いた白イーブイ。
 彼女の尾がひょんひょん揺れる。

「…………」

 ゆっくり伸びた腕が、白イーブイの首かわを掴む。
 べりっ。

「張り付くんじゃねぇよ……」

 自分と同じ目線まで持ち上げ、すばるは唸る。

「くそっ。今日も起きちまった」

 半目になるすばるに。

―――へへっ

 と、にんまりと笑う白イーブイ。

「お前、シルベ帰れよ……」

 その声音には疲弊を感じるのは。
 きっと気のせいではないのだろう。
 と、するりとすばるの手から抜け出した白イーブイが。

―――やっだもーんっ!

 と、どたばたと駆けていってしまった。
 それを見送るすばるは、大きく長いため息を一つ落とした。
 そして、ちらりと視線を横に落とす。
 ゆっくりと上下する薄藤の背に。

「エーフィのくせに、朝がよえーとかよ……」

 エーフィって、太陽ポケモンとか言わなかったか。
 そう、胸中でぼやくのだが。
 こればっかりはぼやいても仕方がない。
 彼女は朝が弱い。
 これは、エーフィに進化する前からなのだから。
 もう、それはたぶん。
 性質とか、体質とか。そんな感じなのだろうから。
 エーフィに進化したからと言って、治るものではないのだろう。

《…………ボクは昔からだから、なおらないよぉ……》

 思わず、桔梗色の瞳が見開いた。

「っちょ、お前起きて」

《ないよぉ……》

 と、そのあとすぐだ。
 すぴすぴ、という寝息が聞こえ始めたのは。

「こいつ、マジで寝やがった……」

 はあ、と何度目かのため息。
 というかだ。
 胸中でのぼやきに対する返答。
 こいつ。
 すばるの瞳が細められた。
 心を詠みやがったな。
 特性シンクロの作用で心を詠んだに違いない。
 そんな暇があるなら、あの毛玉の相手をしろよ。

「ああっ!もうっ!」

 苛立ちに任せて、声と共に髪をかきまわす。
 それでも聞こえる、エーフィのすぴすぴという寝息。

「寝やがって、マジでむかつくっ」

 そんな彼女を睨む視界の端。
 青がぱたぱたとはためいた。
 そちらに視線を向ければ。
 ベッドから垂れ下がる胴長の青。
 ハクリューの尾がぱたぱたと動いていた。

「…………」

 口がへの字になる。
 これは、彼女なりの激励だ。
 激励を送れども、彼女に起き上がる気配はない。

「俺の抱き枕も冷てえ……」

 はあ、と息を一つこぼして。
 白イーブイのあとを追うべく、掛布をはね除けた。



   *



 裏庭。テラスに腰を降ろした彼の頭上から、もりむしゃと響く。

「…………」

 もりむしゃ。

「…………おい」

 もりもりむしゃむしゃ。

「…………ほたる」

 もりむしゃ。

「おいっ!」

 荒くなったすばるの声に、もりむしゃとしていた音が止まる。
 ぶるっ、と驚いたように瞳を瞬かせたギャロップが、すばるの顔を覗きこんで。
 そのまま、彼の頬に自分の頬をすりよせ始める。

「俺を気づかってくれるのはおまえだけだよ」

 そうだ。思い返せばそうだ。
 元気毛玉の母親も、抱き枕も。
 全く付き合ってくれなかった。
 されるがままのすばるの手が伸び、ギャロップの首筋を撫でた。
 けれどもな。けれども。

「けどな、俺の髪は食うな」

 ぶるっ。
 すばるから身体を離したギャロップが、え、何で、と首を傾げた。
 そして、もりむしゃと音が響く。
 ぶるるぅ。
 美味しいのに。

「だから、ほたる……」

 それから幾度も呼び掛けたが、もりむしゃは止まらなかった。
 はあ、とそっと嘆息すると、やがて彼は諦めた。
 分かっている。実際に髪は食べていない。
 ならば、されるがままになっておこう。
 髪をもりむしゃと食べられるすばるが戻ってきてから、一週間と少しを数える。
 すばるが戻ってきたあの日から。
 元気毛玉こと、白イーブイは彼が預かっている。
 そんな彼女は、すばるの視線の先で。
 小さなモンスターボールサイズのボールを追いかけて遊んでいる。
 きゃっきゃっと声を上げて楽しむ様は、眺めていて微笑ましいものだ。
 そう、眺めているだけならば。
 テラスに腰を降ろしたまま、自身の膝を机がわりに頬杖をつく。
 もちろん、体勢を変えても頭上のもりむしゃはやまない。

「…………朝っぱら元気良すぎだっつーのっ」

 もりっ。

「朝からおにごっこだぁ?」

 むしゃぁ。

「しかも、三十回中三十回。俺がおにかよっ」

 もりもりっ。

「ほたるが退路を絶ってくれなきゃ、あんな元気なの、捕まるかよっ」

ぶるるっ。

「そこは鳴くのか。にしても、ボールに興味移ってよかった……」

 むしゃむしゃ。

「じゃなきゃ……。俺、持たねえ……」

 もりむしゃぁ。

「つーかっ!もりむしゃで応えんなっ!」

 と、勢いにまかせて身を倒す。
 桔梗色の瞳に苛立ちの色が見えた。
 四肢を投げ出し、仰向けに大の字になる。
 屋根の向こうに、腹が立つくらいの青い空が在った。
 そこに、炎のゆらめきが加わる。
 ぶるる。
 気遣うようなギャロップの嘶き。

「わりーな。お前にちょっと当たった」

 桔梗色の瞳が少し凪ぐ。

「ラテのやつ」

 片腕で瞳を隠せば、視界は黒に染まった。

「いつ落ち着くんだろうな」

 荒くて熱い鼻息が頬に当たる。
 ギャロップが顔を寄せているのだとすぐに分かる。

「母親、か」

 白イーブイを預かることになった経緯。
 それは、彼女の母親にあった。
 あの日から彼女は、母親から傍を離れたがらなくなった。
 理由は簡単で単純で、純粋なもの。
 ただ、母親が恋しかった。それだけだ。
 それならば、白イーブイが落ち着くまでは預かってくれないか。
 それがつばさからのお願いだった。
 それをすばるは了承し、今の現状に繋がる。
 白イーブイが、こんなにも元気な毛玉だったのは予想外だったけれども。
 その元気のせいで隠れがちだけれども。
 すばるはきちんと気づいている。
 夜、眠る頃合い。
 エーフィの懐に埋まるようにして眠って。
 彼女の尾を起きるまでずっと離さないことを。
 そんな些細なものを見つける度。
 すばるの胸にちくりと小さなものが刺さるのだ。

「俺の、せいでもあるよな」

 自分は外の世界を見るのが好きで。
 見たもの、感じたもの。それを通じて得たもの。
 それらを形在るものに残す、記すのが好きで。
 そして、その衝動に駆られて旅をする。
 それはあの時もそうだった。
 白イーブイがタマゴから孵って数日経った頃合。
 そんな頃合だった。
 エーフィに二択を示した。
 けれども、すばるは分かっていた。
 彼女はそのうちの一択しか選ばないと。
 もとからそれは、二択ではなく一択。
 だって、彼女の一番はすばるだから。
 我ながらずるいなと思った。
 口元に皮肉気味な笑みがうかぶ。
 その時だ。
 ぶるるっ、と近くでギャロップの慌てる声がした。
 どうした、と咄嗟に身を起こしたすばるの顔に。
 びたっ。
 何かが貼り付いた。
 否、その何かは分かっている。

―――すばるーんっ!ラテ、おなかすいちゃったっ!

 べ、りっ。
 先程よりも少しだけ粘着力が強かった。
 それを両手で剥がして、同じ目線のところまで持ち上げる。
 両手におさまるそれが、えへっと笑った。
 そりゃ、あれだけ遊べばな。
 そっと嘆息してから。

「ご飯にすっか」

 と呟けば、両手のそれが大人しいままのわけがなく。

―――わーいっ!

 と、すばるの手から抜け出して。
 ついでとばかりにすばるの頭部を蹴り上げて。
 跳躍一つで屋内へと駆けて行く。

「…………つぅー……」

 すばるはしばらく頭部の痛みに唸っていた。
 傍らでは、ギャロップが必死に心配する。
 鼻面を押しつけ、大丈夫かと何度も訴える。
 そんな彼女を片手で制して。

「ほたる、大丈夫だから」

 落ち着かせるように首筋を撫でた。
 後方からすばるを急かす声がする。
 彼の瞳が半目になる。
 元気が良すぎる。

「ああっ!もうっ!」

 勢いよく立ちあがり、振り返れば。
 窓越しに見えたのは、すでにお皿の前で待機する白イーブイの姿。
 またもや半目になる。
 言っておくが、朝ごはんの支度はこれからだ。
 まだ何も出来てはいない。
 そうだと気付けば、また一騒ぎありそうで頭が痛い。

「それでも、決めたのは俺だから」

 桔梗色の瞳が伏せられ、少し歪む。
 彼女の降り積もった寂しさ。
 そうさせてしまったのは、他でもない自分なのだから。
 だから、自分に出来ることがあるのならば。
 それをやらなければならない。
 今まで、自分の行動に付き合ってくていたエーフィ達。
 それならば。今度は自分が付き合う番だ。
 少しは自制も覚えなければ。
 今までの様に、衝動のままに旅も出来なくなってしまった。
 だって、知ってしまったから。
 皆の存在を。その大切さを。
 それが、彼女達と共に在ると決めた覚悟。そして、責任なのだと思う。
 瞳を閉じれば、まぶたの裏にうかぶ姿があった。
 こちらを振り向いて笑う彼女。
 橙の瞳が笑って、振り返った反動で揺れ動く金の髪。
 ふわりと散らばるその髪は、何度見ても綺麗だと思う。
 それは決して口にはしないけれども、幾度と抱いた感想だ。
 きっと口にすれば、彼女は照れて顔を背けるだろう。
 そう思ったら、自然と頬がゆるんだ。
 自分がいない間に、彼女は覚悟を決めていた。共に在ると決めていた。
 ならば、自分もそろそろ覚悟を決める時だ。
 桔梗色の瞳が瞬き、振り返った。

「お前の分も、あとで持ってくるかんな」

 んじゃ、とギャロップにひっと笑うと。
 すばるは足を踏み出した。
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