28杯目 つばさとすばると

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 喫茶シルベのカフェスペース。
 ころころころ。
 ころころころ。
 白の毛玉が転がる。
 ころころころ。
 ころころころ。
 きゃっきゃと楽しそうな声ももれる。
 カウンター席に背を預け、腕を組んで眺める桔梗色の瞳と。
 その隣の椅子には、腰をおろして座って眺める橙の瞳。
 その二対の瞳が、転がる白の毛玉に視線を投じていた。

「なあ、ラテは何してんだ?」

 すばるの問いかけに。

「さあ、ラテはラテだから」

 答えにもならない答えを返すつばさ。
 ころころころ。
 ころころころころ。
 ころころころころころ。
 あちらにこちらにと、思い思いの起動を描きながら転がる毛玉。
 それがつばさの足元付近まで転がってきたとき、その毛玉が顔を上げた。
 ぱっちりと目が合ったつばさが。

「どうしたの、ラテ?」

 と問えば。
 小首を傾げた白イーブイが。

―――カフェはいいの?

 と答えるものだから。
 そこで、ぴしりとつばさが動きを止めてしまう。

「まさか、忘れちまってたとか……」

 半目になって言うすばるに。
 まさか、と反論したつばさは、さささっと腰のベルトからボールを手にした。
 ボールの突起を一つ押すと、白の光の中から姿を現す小さな影。
 それがぶるりと一つ身を震わせ、光を振り払う。
 その影がうるりと瞳を潤ませ、つばさを見上げた。

―――ボクのこと、わすれてたの……?

 つばさを見上げる瞳が、だんだんと潤んでゆくものだから。
 慌ててつばさは茶イーブイを抱き上げて。

「そんなことないよ、ごめんね」

 ね、と笑いかけた。
 けれども、妙に身を固くした茶イーブイに気が付いて。
 彼の視線が自分を通りすぎていることを知る。
 彼の視線を追えば、背後ですばるが、よっ、と声をあげて片手を振っていた。
 そしたら、ふるふると首を横に振った茶イーブイが、するりとつばさの手をすり抜け、膝上に飛び移る。
 彼はそのまま、身を丸くしてうずくまってしまった。

「俺、嫌われた……?」

 頬をかいて呟くすばるに。

「ううん。この子、少し人見知りするから」

 そっと、茶イーブイの頭を撫でながら。

「少しすれば、慣れてくると思う」

 とつばさは答える。
 これでも、前と比べればましになった方だ。
 きっと茶イーブイの過去と関係しているのだろう。
 まだ完全には振り払えていないらしいそれ。

「そっか、んなら仕方ねーな」

 すばるの声に、つばさは振り返る。

「今回はいつまでいるの?」

「んー、そーだな……」

 すばるはしゃがみ、考える素振りをみせる。

「撮りためた写真の整理と、手記の整理もしてーし」

 すばるの傍に白イーブイが近寄る。
 ふっと微笑んだすばるが、静かに手を伸ばすと、彼女はふんすふんすと匂いを嗅ぎ始めた。

「ってことは、また本でもだすんだ」

 感心を含んだつばさの問いに、まあな、とすばるが頷く。
 すばるは留守のことが多く、その理由は長期の旅に出ているため。
 旅の目的は手記を記すこと。
 こうして度々戻ってきては、書きためた手記の清書や整理他、道中に撮影した写真の整理も行っている。
 これでも彼は、数冊の手記本を出しているのだ。
 その出版された本は、ここ喫茶シルベの本棚にも置いてあったりする。

「ん、でもまあ。整理とかは建前で」

 匂いを嗅いでいた白イーブイは満足したのか、今度はすばるの手に自身の頭を押し付けた。

「ほんとは、ふうのために戻ってきた」

「ふうちゃんの?」

「ああ」

 白イーブイの頭を撫でていたすばるの手は、次に彼女の顎下を撫で始めて。
 彼女はくすぐったそうな、きゃきゃ、という声をもらした。

「りんとラテを置いていったの、気にしてるみてーだったから」

 桔梗色の瞳が、優しく細められた。

「あいつが何よりも、俺を優先しちまうのも分かってたのに。俺が旅に出るって決めちまったから」

 ごろりと寝転がった白イーブイの腹を、すばるの手が撫で回す。

「今の時期を逃すと、次は数年後にしか見られねー風景があったから」

 それをどーしても見たくて。
 そう言う彼は、呆れたような、悲しいような、そんな笑顔を浮かべて。
 うりゃうりゃと白イーブイを撫で回す手付きが、何だかとても優しく思えた。

「つーことで、今回はいつまでいんのか決めてねえ」

 そこですばるは、つばさに振り向き、にひっと笑った。

「んだから。しばらく一緒にいられんな、つばさ」

「んな!?」

 すっと立ち上がるすばるに。
 頬を朱に染めるつばさ。

「俺がいねーから、さみしかったんじゃねえの?」

 つばさの隣の椅子にすばるが座ると。
 つばさの膝上にいた茶イーブイが慌てて飛び降り、起き上がった白イーブイの影に隠れた。

「何、急に……」

 ふいっと、すばるから視線をそらすつばさに。
 カウンターに頬杖をついたすばるはにやりと笑った。

「別に。ただ、お前変わったなと思ってな」

 空いた片手がつばさへ伸び、つばさのサイドテールをすくう。
 それがさらりと音をたて、すばるの手からこぼれ落ちた。

「…………!」

 身を固くするつばさと、にひひ、と笑うすばる。
 しばらくの間、橙と桔梗色は交差していて。
 再び、すばるの手がつばさの頬に触れた時だ。
 からんころん、と扉のベルが鳴り響いた。

《…………何をしている?》

 扉を押しやって入ってきたブラッキーが、訝しげに眉を潜めて問う。

「いんや、何も」

 そう答えたのはすばるで。
 けれども。
 彼の手はつばさの頬に触れたままなのだから、何もないはずはない。
 それでも。
 それには気付かないふりをして、そうか、とだけブラッキーは返した。
 それから、自身のパートナーへ視線を向けて。
 その彼女の様子に何かを感じたのか、仄かに彼の輪模様が明滅した。
 ブラッキーとつばさ。
 その繋がりは深いところにまで及ぶ。
 だから、微弱な感情の起伏にも敏感なのだ。
 気持ちが浮わつくような、このそわそわとしたものには覚えがある。
 再びすばるに視線を戻すと、呆れたような瞳を向けた。

《イチがいたら、殺られてたな》

「かもな」

 すばるは、ぱっとつばさから手を放した。

「俺、あいつに嫌われてるみてーだし」

《みてーじゃなくて、嫌われてるんでしょ》

 ブラッキーの後ろから入ってきた影に。
 ママ!
 と声をあげて駆けて行くのは白イーブイで。
 隠れ場所を失った茶イーブイが、あちらこちらに視線を動かす。
 それを見つけたつばさが、おいで、声をかければ。
 彼はたたっと駆けて、つばさの膝上へ飛び乗る。
 ひしっとつばさに引っ付くその様。
 小さな身体のその必死な姿が、不謹慎だと感じながらも、たまらなく可愛かった。
 ゆっくりと彼の背を撫でる。

「さーてと。ふう、行くぞ」

 声と共に立ち上がったすばるは、エーフィへと言葉を投げかけた。

「あるば探し、手伝って欲しい」

 エーフィは微弱な空気の動きも感じ取れる。
 周りの様子を視認しなくとも探るのは、朝飯前というものだ。
 だから。
 すぐに了承の声が返ってくると思ったのに、実際に返ってきたのは。

《嫌だ》

 という短い一言で。

「は?」

 というのは思わずもれでた声。
 なんで、とすぐに問えば。

《今はりっくんといたいもんっ》

 自身の身をブラッキーに寄せて、頬を膨らませる様は、わがままを言う子供の様。
 そんなすばるとエーフィの様子を眺めていたつばさは。
 彼女に身を寄せられているブラッキーを一目みて、何かを悟ったように立ち上がる。

「私が手伝うから、りん達には留守番頼も」

 ね、とすばるの腕を引いて。

「私もイチを探さないといけないし」

 ちらりとつばさを見たすばるは、仕方がないかと一つ嘆息する。

「行くか」

 とだけ告げて、去り際にエーフィの頭を一撫でしてから、扉を押しやって外へ出ていった。
 残されたつばさはブラッキーへ視線を向けると。

「じゃあ、りん。ラテとふうちゃんのことよろしくね」

《カフェは?》

「この子は……」

 腕に抱いたままの茶イーブイに視線を向けると。
 ひしっとしがみついたままの彼が、静かにつばさを見上げて、ふるふると首を横に振った。

「一緒に連れてくよ」

《そうか》

「今度はラテのこと、きちんと見ててよ」

 つんっと、ブラッキーの額を軽く弾く。
 ラテ狙われ事件は、まだ記憶に新しい。

《分かってる》

 いいから、行け。
 そう促す彼に、ひらりと一つ手を振って。
 すばるの後を追うべく、つばさも茶イーブイを腕に抱えながら、喫茶シルベをあとにした。

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