18杯目 追憶 炎はゆらめく

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「“ニトロチャージ”っ!!」

 滑りでた声に驚いた。
 それを受け、ファイアローは炎を纏い始めて。
 そのまま地を蹴り上げた。
 彼を見つめるつばさの橙の瞳は。
 未だに感情で揺れ動く。
 尽きることの知らない雫が、つばさの感情によって押し出されて。
 けれども、そこに宿る意思は強い。

「りん。もう少しだけ……待ってて……」

 白銀の身体を抱き上げ、上着で懐に包み込んだ。
 鮮やかだった赤は。
 もうすっかり黒くなり始めていて。
 白銀の身体を抱き上げたとき。
 ぞくりとした。
 あまりの冷たさに。
 流しすぎたのだ。
 時間が経つにつれ、比例するように。
 彼から熱を奪っていくそれ。
 これ以上はだめだ。早くしないと。
 そう思って、少しでもあたたかくなるようにと。
 白銀の身体を懐で抱える。

「私に、できること」

 ぽつりと呟き、立ち上がる。
 先程、ファイアローが瞳を向けた。
 そのとき、自分の中で。
 何かが弾けたのが分かった。
 奥底で燻っていた、暗い感情が弾けた。
 気が付いたら、白銀の世界に横たわる白銀の身体を抱き上げていて。
 あれほどまでに動かなかった。
 その足が動いたのだ。
 そのことにも驚いたのに。
 先程滑りでた声に、さらに驚いた。
 そして、その声を受けた彼は。
 それだけで、全てを理解してくれた。
 自分でも驚いている。
 どこに、こんな原動力が残っていたのか。
 ファイアローが炎を纏い、人間へ迫る。
 風圧でニューラが弾けたとき。
 つばさも地を蹴り上げた。
 そして。

「熱っ」

 そんな人間の声と。
 ぽとり。
 落ちる赤と白の丸いもの。
 それを目敏く見つけて。
 精一杯手を伸ばした。
 今度こそ、今度こそ。
 視界の端で、ファイアローが糸で縫い止められたのを認める。
 けれども、つばさは振り返らない。
 彼が作ってくれた突破口。
 これを、逃してはならない。

「…………っ」

 お願い、届いて。
 伸ばした手が、今度こそ。
 指先に冷たい無機質な感触。
 次いで、確かに握りしめた。
 それは丸い形。
 よく馴染んだその感触に。
 安堵の息をつく。
 これで、もう大丈夫。

「ごめんね……」

 ぽつりと呟いた言葉は。
 何の謝罪か。
 それは分からなかった。
 たくさんあったと思う。
 過信はだめだと言ってくれた。
 それを分かっているつもりだった。
 けれども、彼に傷を負わせてしまった。
 懐で感じる小さな温度に。
 心が寒さに震えた。
 早くしないと。早くしないと。
 だから、お願い。
 力を貸して。

「ライラっ!」

 彼女の名を紡いで。
 手に在る、確かな感触を確かめるように。
 その丸を帯びた形の、突起を。
 それを押せば、彼女は外へ。
 過信はだめだと言った。
 それは言外に、自分に頼りすぎてはだめだと。
 彼女なりに伝えてくれていたのだと、今は分かる。
 それでも今は。
 力を貸して欲しい。
 早くしないと。
 この懐のぬくもりが消えてしまう。
 なのに。

「…………っ!どうしてっ!」

 何度その突起を押しても。
 反応がない。
 黙ったままのボールを見つめて。
 つばさの顔が歪む。

「なんっ、で……っ」

 思い出す言葉が在った。

―――つばさ、いいですか。この先ずっと、私が傍に居られるとも限らないのですよ?

 これは、彼女の言葉。
 そのあと自分は。
 もしかして、父の元に戻りたいのか。
 そう問うた。
 そのあと彼女は、どう答えただろうか。
 私は。
 そう答えたあと、事は起きた。
 だから、その答えを最後まで聴くことは出来なかった。
 けれども。
 彼女が答えようとしていたことは。
 今のこの状況に繋がるのではないか。
 何度押しても、何も答えないボール。
 それが。

「…………答えって、ことなの。ねえ、ライラ?」

 視界が歪んで。
 目尻に再びたまり始めるそれに。
 熱いそれに。
 もう、うんざりだった。
 結局自分は、泣くことしか出来ない。
 ただの子供。
 瞬けば、頬を伝うそれが。
 懐に抱く白銀に吸い込まれた。
 それを瞳に映して。
 映して、それだけだった。

「何も、出来ない……。出来ることなんて……」

 何も、ない。
 そう紡ごうとしたとき。
 何かに押し倒されて。

「――――っ!」

 耳をつんざくような声がした。



   *



 気が付けば。
 考えるよりも先に、身体が動いていた。



   *



 幹に糸で縫い止められ、もがけばもがくほどに絡み付くそれは。
 体力を、少しずつ奪って行く。
 いくら気力が潰えないとしても。
 それが奪われれば。
 もう、動くことも出来なくなる。
 おまけに。
 それほどの休息を得なかった身体は。
 まだ、発達をしきれていない自分の筋肉は。
 みしみしと、嫌な音を響かせ始めていた。
 負荷をかけすぎたようだ。
 無理をするな、とつばさに言われていたのに。
 早々に言い付けを破る自分が、少しだけ腹立たしかった。
 けれども。
 つばさが泣くことは嫌だ。
 その想いは確かに在って。
 いつも笑っていて欲しい。
 そう想うのも確かに在って。
 それでも。
 つばさが自分のために泣いてくれるのならば。
 それは少しだけ。本当に少しだけ。
 嬉しいと思ってしまう自分も、確かに在って。
 矛盾している、と改めて感じる。
 泣いてほしくないから、出来る限りは無理をしないでいようと決めた。
 けれども。
 この自分のために泣いてくれるのならば。
 無理をしたいな、と少しだけ思う。
 だから、なのかもしれない。
 気が付けば。
 考えるよりも先に、身体が動いていた。
 きっかけはそう。
 つばさが手にしたボールが、何も答えなかったこと。
 違和感があった。
 あの彼女が。ラプラスが。
 今の状況で何も反応をしないというのは、有り得ないと。
 だって、自分は知っている。
 彼女がつばさのことを、大切にしていることを。
 彼女が想う相手は別にいても。
 その相手のために、つばさを大切にしていて。
 彼女自身も、そんなつばさを想っていて。
 彼女が戻ってくれば、この状況も打破出来る。
 そう、思っていたのに。
 何かあったに違いない。
 それを行うとすれば、あの人間しか。
 素早く視線を走らせれば、つばさを見下ろす人間がいた。

「万が一に備えて、ボールのプログラムを書きかえて正解だったわけだ」

 ふっと、言葉と共に吐き出した息は、安堵のものなのか。

「これでも私、そっち方面も明るいの」

 にたりと笑うその顔が、何だかとても腹立たしい。
 目元に険が宿る。
 気が付けば、警戒音がもれていたようで。
 人間がちらりと、こちらへ視線を向けた。
 その瞳に、苛立ちの色を見つけたとき。

「アリちゃん」

 名を紡ぐ声音に、色は感じなかった。
 けれども、確かにその声を受け取ったアリアドスが。
 口を開いたと思ったとき。
 すでに縫い止められているその上から。
 さらに幾重にも糸で縫い止められて。
 それは身体の上から。
 さらには顔にまで及び。
 最早動かせるのは。

「その瞳が気に入らない」

 人間が言うように。
 最早動かせるのは。
 未だに輝きが衰えない。
 ぎらぎらと光る瞳だけ。

「でも、それよりも」

 こちらを向いていた人間が、背後へと振り返る。
 その振り返る途中。
 その人間の横顔が。
 その口の端が。
 少しだけ持ち上がったのを見た。
 目を見開いた。
 先程から座り込み、微動だにしないつばさ。
 その後ろ。後ろから迫る影。
 あれは、何か。
 それが、口を開いて。
 きらりと何かが光を弾いた。
 その刹那。
 自分の中で、何かがぷつりと切れた。
 荒れ狂う感情が、熱となってあふれでる。
 自分はどうやら、外部へと熱を伝えやすい体質らしくて。
 寒い冬の日など。
 つばさが暖をとるために、自分へとその身をくっ付けてくることがある。
 それが何よりも嬉しくて、愛しい時間で。
 つばさはその体質を、焔のからだ、と呼んだ。
 感情が昂るとそれは、熱となって外部へともれだす。
 時にそれは、触れてきた他者を火傷させるほどで。
 おそらくその要領で。
 この身を縫い止めていた糸が、焼ききれたのだろう。
 と、あとから思った。
 そこから脱したら。
 もう、あとは一直線に飛ぶだけで。
 それから覚えているのは。
 広げた両翼。
 それをつばさに覆い被せて。
 押し倒した。
 そして、片翼の根本に突き刺さったそれ。
 あまりの痛みに、声がもれでた。
 焼けるような痛みに。
 脈打つ度に広がる痛み。
 直感する。
 これは、猛毒だ。
 脈打つ度に、それは身体を蝕む。
 しまったな。
 それに抗うほどの体力はないようで。
 もう、息が浅く、早くなってきた。
 押し倒したつばさが、もぞもぞと動いた。
 ごめんね、驚かせて。
 押し倒したから、少し痛かったかな。
 ごめんね。
 そう思って、ちらりとつばさを見た。

「……い、ち?」

 声と共に、つばさの橙の瞳が揺れた。
 ああ、よかった。無事だ。
 そっと安堵する。
 荒くなる呼吸に、重くなるまぶた。
 最期につばさの顔を見たとき。
 自分のとても好きな橙の瞳が瞬いて。
 そこから、大粒の何かが。
 光を弾いてこぼれ落ちた。
 つばさの泣く姿は見たくないけど。
 自分のために泣いてくれる姿は。
 とても好きだと思った。
 でも、あまり長くは泣かないでね。
 そう思って。
 自分は意識を手放した。
 最後に、つばさが名を呼んでくれた気がした。


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