1杯目 カフェラテで一息つきませんか?

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 小さいながらも栄えている街がある。
 石造りを基調とした建物、道路。
 その街並みが話題を呼び、隠れ観光名所として、ちらほらと観光客が訪れる街だった。
 そんな小さな街に、その喫茶店はある。
 やはり外観は街並みに合う石造り。
 規則的に積み上げられた茶を基調とした濃淡のついた石が、見ている者の目を楽しませる。
 喫茶店の扉に掲げられた看板には、喫茶シルベ、と書かれている。
 その扉を押しやって中へ入ると、カランカランと扉の内側に付けられたベルが、店内へ客が足を踏み入れたことを告げる。
 その音に振り向くのは、左側に束ねた淡い金のサイドポニーテールが印象的な女性。
 彼女の橙の瞳が、さながら、始まりを告げる暁の空にみえた。
 ちょうど、扉を正面に据えるように配されたカウンターの整頓をしていたらしい彼女は、客の姿をとらえるなり、にこりと微笑み口を開いた。

「いらっしゃいませ。席はお好きなところへどうぞ」

 そう言われ、カウンターに用意された幾つかの椅子が目についた。
 そして店内を見渡す。
 カウンターの横にひろがる空間は、ポケモン達や子供達が遊べるような雰囲気になっていた。
 壁には棚が備え付けられており、週刊雑誌や絵本、漫画雑誌等、様々な種類の本が並べられていた。
 小さな滑り台や、大小様々なボール。いろんな遊び道具までも用意されている。
 そして窓際に用意されたテーブルと椅子。
 ポケモン達や子供達の様子を見ながら、お茶をすることも可能なようになっているらしい。
 客は一瞬考え、



◇ ◆ ◇



《長い、却下》

「えー、寝ないでここまで考えたのにぃー」

 低い男性のような声音に、彼女は口を尖らせて答えた。

《観光向けパンフレットの紹介文なんだろ。長過ぎる、これでは小説だ。一言でいい》

 ぴしゃりと突き放すように言う声は、正確には声ではない。
 声であって、声ではないのだ。
 この声は、自身の喉を震わせて発する声ではなく、直接心に届く声なのだ。
 この声を彼らは、思念の声、と呼んでいる。

「じゃあ、りんが考えてよぉー。締め切り期日は今日なんだから」

 そう言って机に突っ伏してしまった女性は、ここ喫茶シルベの店主であるつばさだ。

《知るかっ》

 そんな彼女に呆れてぷいっと顔を背け、窓辺に寝そべる彼は、りんという名のブラッキー。

《そもそも、後回しにしていたお前が悪い》

 目を細めてつばさをみる瞳は金。
 だが、その左目は固く閉ざされたまま。
 縦に刻まれた一文字の古傷。
 そんな隻眼のブラッキーを包む、艶やかな黒の体毛に浮かぶ輪の色は、凛として静かなる青。
 その様はまるで夜空のようだと、常々つばさは感じている。

「はいはい、そうですよぉー」

 一言だけでいいんだ。一言で。
 そう自分に言い聞かせて、再度シャープペンシルを手に取る。
 この度この街は、観光客向けにパンフレットを作成することにしたらしく、街の名所になりそうな店等にはその紹介を載せるという。
 有り難いことに、喫茶シルベもその一店に選ばれたのだ。
 それはもちろん嬉しいのだが、各店に紹介文を提出して欲しいとの要望があった。
 その期日が今日なのだ。
 あとでいいや、あとでいいやと、後回しにしていた結果が、今の現状である。
 紹介文とは言っているが、言わばこれは、店のキャッチフレーズ。
 適当に済ませるわけにはいかない。
 だがしかし、これといったものが浮かばない。
 昨夜考えたものは、長過ぎる、と先程ブラッキーに切り捨てられたばかりだ。
 救いを求めるように、ちらりと彼の様子を伺うも、当の彼はすでに、重ねた前足に顔を乗せているようで。
 顔は背けられているので、眠っているのどうかは判断がつかなかった。
 仕方ないと、ため息を一つついたところで、今度こそ真剣に紙面と向かい合う。

《………》

 そんな彼女の様子を伺う彼は、眠ってなどはいなかった。
 やっと紙面と向かい始めた彼女に、内心で呆れの息をついてから、ちらりと薄目でみやる。
 あの真剣な眼差しならば、すぐにいいのが思い付くだろう。
 意識せずとも感じとることができる、彼女の内心の揺れ。
 それこそ、深層心理。
 彼女の、つばさの微弱な感情の揺れまでをも感じ取れる己の力は、己の持つ特性、シンクロによるもの。
 だが、それだけでそう易々と、先程のような意思疏通が出来るわけがないと知っている。
 シンクロによって出来るのは、気持ちの疏通。それは互いの結び付きが強いほど、鮮明に強固になる。
 先程のような意思疏通は、念の力を持つポケモンが扱える力。
 そんな芸当など、悪の力を司る自分に出来るはずがない。
 本来ならば。
 そう、自分は少し特殊らしいのだ。
 悪のくせして、念の力も少なからず持っているらしく、それも、少し強いものを。
 シンクロは本来、固く結び付いた者同士を、深層心理のような深いところで干渉する力。
 それが己に宿る念の力で、労せずしてそれが出来てしまうのが彼だった。
 少し強い念の力は、恐らく己の母から受け継いだもの。
 それをここまで増幅させたのは、あいつの存在が大きいからだと、ブラッキーは思っている。
 月は太陽の光で輝く。
 あいつは太陽。それも、とてつもない光を放つ太陽。
 自分の力は、太陽のおこぼれでしかないのだ。
 ふっと、自虐的な笑みが思わずこぼれる。

「ああっ!違うっ!何か違うっ!」

 つばさの声に耳を傾ければ、わしゃわしゃと頭を掻き回す様が瞳に映る。
 つばさとは幼い頃からの付き合いだ。
 まあ、頑張れ、とでも言うように呑気に尾を振り、自分はこのまま、今度こそ眠ろうと欠伸を一つする。
 それを目敏く視界の端でとらえたつばさが、何事かと目を輝かせながら、足元に飛び付いてきた白い塊を持ち上げてこそりと言った。

「ラテ、パパが遊んで欲しいって」

 パパ、という言葉に、喜びを表すように自身の尾をぶんぶんと振り始めた彼女は、ラテ、という名の白銀のイーブイだ。
 平均的なイーブイよりも一回りほど小さいのは、彼女がまだ子供だからだ。
 つばさがそっと白イーブイを床に降ろすと同時に、彼女は放たれた矢の如く駆け出す。
 彼女はさらにそこへ、技“でんこうせっか”を加えた。

―――パパァーっ!!

 笑顔でブラッキーの懐に飛び込む白イーブイの衝撃は、言うまでもない。
 子供は加減を知らない。
 だがこの子供、決して加減が出来ない子供ではない。きちんと自分の力の制御はできる。
 ぐえっ、と蛙がつぶれたような声は、思念の声などではなく、彼の喉から発せられたものだ。
 つまり、わざとだ。
 のろのろと顔を上げたブラッキーの眼前に、満面の笑みを浮かべた白イーブイの顔が迫る。

―――へへ、パパとあそんであげるー!

《俺「で」遊ぶの間違いだろ》

 渋面で答えるブラッキーに、小さく吹き出す声が聞こえた。
 億劫そうにそちらへ顔を向けると、まるで悪戯が成功した子供のような顔でいるつばさを見つける。
 一つ冷めた目付きで睨み付けるも、彼女はぷいっと顔を背けてしまう。
 ちっ。
 内心で舌打ちした。昔はあの一睨みでよく泣いたものを。

―――ねーえー!あそぼあそぼっ!

 隣で急かす子供の声に、分かりやすいほど盛大なため息をついた彼は、おもむろに立ち上がる。
 遊んでくれるのかと期待の眼差しを向ける子供を一瞥したのち、彼はひらりと窓辺から降りてしまう。
 そのまま彼が向かった先は本棚。
 跳躍一つで本棚へと飛び上がった彼は、唖然としているだろう子供の姿を探す。
 だが、その姿はどこにもない。
 僅かに眉根を寄せたとき、かしかし、という音が聞こえた。
 まさか、と一抹の不安を感じながら、おそるおそる下を覗き込むと、金の瞳に白いものが映りこむ。
 そこにいたのは、棚の側面に貼り付く白イーブイの姿。
 跳躍したまではよかったが、まだ彼女の脚力では、ブラッキーのようにはいかなかった。
 だが、爪をたてることにより、側面に張り付くことには成功したのだ。
 あとはこれで、上まで登ればいいだけなのだ。
 よじよじとその距離を縮める白イーブイに、ブラッキーは思わず天を仰いだ。
 嘘だろ。
 つい最近まで張り付くことも出来なかったのに。
 棚の上は、彼の唯一の安全地帯だった。
 だが。それは今日、終わりを告げた。
 子供は知らぬ間に成長するものである。
 そうどこかで聞いたのを思い出す。
 子育てらしい子育てをした覚えがない彼は、いつもいつも彼女の成長ぶりに驚かされる。
 子の成長を喜ぶ親の驚きではない。
 自分に迫る危機への驚きだ。それはまさに戦慄。

―――パパっ!あそぼっ!

 彼がそう考えているうちに、棚の縁に前足をかける白イーブイ。
 ああもう、登れるようになってしまって。
 普通の親ならば、子供の成長に喜びを感じるのだろうが、普通の親の自覚がない彼は落胆を感じた。
 が。
 棚の縁からひょっこりと顔を出したかと思えば、その瞬間に彼女は足を踏み外した。
 彼女の体重を支えていた後ろ足が、よじ登ろうとした弾みで外れてしまったのだ。
 迫る木張りの床。
 人にとっては大差ない高さでも、白イーブイである彼女にとってはとてつもない高さ。
 ぶつかる。
 そう思い、ぎゅっと目をつむる。
 だが、いつまで経っても痛みがしない。
 なぜ。
 そんな疑問が頭に浮かんだとき、彼女は目を開いた。
 迫っていたはずの木張りの床がみえた。けれども、それは距離を縮めるわけでもなく。
 不思議に思って首を傾げたとき、大好きな彼の声が聞こえた。

《出来もしないことをするな、ばかが》

 見上げれば、冷え冷えとこちらを見下ろすブラッキーの姿があって。
 その金の瞳が淡く光っていた。
 知っている。
 あれはつばさが彼に“サイコキネシス”と言ったときに、発動させる技だ。
 見えない力で相手を締め付けたり、こうして浮かせたりできるらしく。
 ゆっくりと自身の身体が下降し、とすっと床に辿り着く。
 次いで、どすっという音と共に、ブラッキーが地へ着地する。
 とてつもなく冷たい彼の視線が突き刺さるが、彼女は臆することなく笑みを浮かべる。

―――ありがとっ!パパっ!

 にんまりと笑う彼女に、そっと嘆息をもらした彼は、彼女の前に自身の尾を差し出すと、左右にそれを振り始める。
 不規則に動くその様は、まるで小さな獣のようで。
 目でその動きを追っていた白イーブイは、やがて体勢を低くすると、音をたてないようにじりじりとその距離を詰め、一気に床を蹴り飛びかかる。
 が、尾を捕らえようと小さな牙がきらりと光ったところで、その尾はひらりとかわしてしまった。
 白イーブイはそのまま床に突っ伏す形となる。
 少し悔しそうにブラッキーを睨むと、少し悪戯めいた光を宿した金の瞳があった。

《まだやるか?》

 ふふんっと得意気に問う彼に、彼女は、ぱあっと顔を輝かせて。

―――やるっ!

 元気よく答えて、再度飛びかかる。





 そんな父娘のやり取りを微笑ましく眺めているつばさ。
 ちなみにブラッキー程鮮明には聞こえていないが、白イーブイの声も、思念の声として彼女には届いている。
 おそらくこれも、ブラッキーの特性シンクロの影響ではないかと思っている。
 だが、ここまでくると、つばさとブラッキーの結び付きがすごいのか、或いは、月である彼にここまでの影響を及ぼす、太陽である彼女の存在がすごいのか分からなくなる。
 普通はシンクロの影響を受けるのは、その特性の持ち主であるポケモン自身と、固く結び付いたパトーナーだけのはず。
 それがこうも他者にまで及ぶのは、かなり珍しい現象だと思われる。
 それに条件もあるようで、ブラッキー自身が親しいと感じている者のみに影響を与えるらしい。
 まあこれらは全て、つばさの幼馴染みである彼の分析結果だが。
 と、そこではたと気付く。
 こんなことに時間を費やしている場合ではなかった。
 再び紙面と向き合い、手にしていたシャープペンシルを持ち直そうとして、その手にシャープペンシルがないことに気付く。

「ん?あれ??」

 机を見渡すが、どこにも転がっていない。
 まさか、気付かぬうちに落としてしまったか。
 そう思って机下を覗き込むと、もそもそと動く影が一つ。
 楽しそうに揺れる尾に、小さな前足でちょいちょいとシャープペンシルを転がして遊ぶ子供イーブイの姿だった。
 こちらのイーブイは、茶の毛並みがまるでカフェラテのような色合い。
 可愛らしく遊ぶ様に、自然と頬が緩む。

「カフェ、それ返してくれるかな?」

 カフェと呼ばれた茶イーブイが顔を上げる。
 にこりと微笑むつばさとシャープペンシルを見比べたのち、彼はぷいっとつばさに背を向け再び遊び始める。
 その姿に苦笑したつばさは、わざとらしく聞こえる調子で言う。

「あーあー、折角美味しいクッキーあるのになー。悪い子にはあげられないなー」

 ちらりと茶イーブイの様子を伺う。
 彼の耳が仕切りに動き、瞬間にはくるりと顔が振り向く。
 だが、振り向いた彼の瞳は、半ば涙で揺れていた。

「それを返してくれたら、一緒に食べよ?」

 そっと言葉を紡ぐと、おずおずと彼はそれをくわえてつばさの足元まで歩み寄る。
 手を差し伸べると、ちょんっと掌にくわえてきたそれを放した。
 見上げてきた彼の頭をくしゃりと撫で、ありがとう、と口にする。

「食べよっか?」

 その言葉に、彼の顔はぱあっと輝いた。
 だが、それに反応したのは茶イーブイだけではなかった。

―――たべるたべるっ!!

 つばさの横でぴょんぴよん跳ね回る白イーブイに、いつの間にか机上に座していたブラッキー。
 彼に至っては、もちろん、俺の分もあるよな、という無言の圧力を感じた。
 一つ呆れの嘆息をもらしたあと、すくっと立ち上がる。

「ほら、準備するから手伝って」

 同時にキッチンへと我先にと駆けて行くのは白イーブイ。
 そのあとを慌てて追いかける茶イーブイ。
 二匹の後ろ姿を眺めれば、まるでカップに注いだカフェラテのようだ。
 そうだ、とつばさは閃く。
 パンフレットの一文はこれで決まりだ。



 当店自慢のカフェラテがあなたを迎えます。ほっと一息つきませんか?

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