第1話 “新たなるフロンティア”(1)

※作品によって表示に時間がかかります
読了時間目安:15分
ここからのお話は第1話のリメイク版です!
完結した時点で既存の第1話を削除し、完全に入れ替えます。



地球歴 2108.03.04

 昼と夜が融けあう空の境界線、夕闇にひとつ小さな星が灯った。

 人里から遠く離れたどこかの山奥。枝葉の隙間から覗く空を見上げる。身を守る衣類をまとわず、野生児らしく乱れた白い髪をなびかせて、幼い少女は虚ろな蒼い瞳に小さな星を映した。
 それは“ウルトラホール”の旅を終えて帰還した白銀の航界船(こうかいせん)が、遥か天空の上で太陽の光を浴びて輝いている姿だった。

 少女には知る(よし)もない。
 星には何の興味も湧いてこなかった。ただ空で遠く彼方の恒星が核融合反応を繰り返しているだけだ、そう思った。

 生まれて初めて星というものを見たのに、それが何なのかはすぐに分かった。
 少女を造った科学者たちは、遺伝子にありったけの知識を刻み込んだ。試験管の中で生まれたときから、少女にはあらゆる答えが用意されていた。
 それが不便だと思ったことはない。かわりに、世界がひどく色あせた単純な一本道に見えていた。
 この真実に気づいている自分は、普通の人間より優れているのだと当然のように悟った。

 春の季節が近づいているとはいえ、まだ白い息が漏れる。華奢な四肢を風にさらし、素足で山をふたつ越えてきて、日が暮れてもなお歩き続ける。
 ふとした拍子に落ち葉に隠れた木の根に足を取られ、危うくこけそうになった。
 そこでようやく自分の運動機能が著しく低下していることに気がついた。低い根っこに足を引っかけたのがいい証拠だろう。足をちゃんと上げて歩いていれば避けられたはずだ。
 だが上げようとすれば、足の方が言うことを聞かない。小刻みに痙攣(けいれん)して、脳からの命令を拒否していた。
 なぜ足が(にぶ)くなったのか、少女は知識として(・・・・・)知っていた。
 寒いからだ。

 途中通りがかった山小屋の物置きから、カビ臭いボロ布を拝借して身に(まと)った。
 山小屋にはまったく人気(ひとけ)がない。ドアは閉まっていたが、窓から中をうかがうと、ずいぶんと埃が積もっていた。もう長い間誰も訪れていないのだろう。

 ここなら良いかもしれない。

 ドアのぶに手をかけた。
 そこで、少女は初めて全身の動きを止めた。
 山小屋には住民がいたのだ。高床の下からオオタチが顔を出し、全身の毛を逆立たせてこちらを威嚇している。奥には怯えた目をして丸まっているオタチがいた。
 親子というものを初めて見て、少女は本当に何気なく思った。

 かわいそう。
 遺伝子に組み込まれた本能に縛られて、子供のために戦おうとするなんて。

 憐憫(れんびん)の視線を傾けたのち、少女は彼らを無視して山小屋を離れた。
 誰もいない、何もない場所を目指して。
 この遺伝子に縛られた退屈な世界から抜け出すために。

 少女はそれから一日中休むことなく歩き続けた。
 次の日も険しい山道を歩き続けた。
 その次の日も、そのまた次の日も。
 途中の泉で渇いた喉を潤す以外、食べることもせず。それでも歩調が乱れることはなく、機械のように一定の歩速を保っていた。

 遺伝子強化された身体は飲まず食わず、眠ることなくとも1週間は良好なパフォーマンスを発揮し続けられる。
 まさに戦うために造られた肉体だ。進化した人間の頭脳に、ミュウの遺伝子を組み込んで、超能力も開花した。
 そのせいで悪夢の日々を過ごした。刀鍛冶が赤々と熱した鉄を幾度となく打ち続けるように、少女もまた心身に多大な過負荷をかけられ続けた。研究所ではなにか優しい思い出もあったはずだが、今ではもう痛みしか思い出せない。なにか大事なものだったはずなのに。

 運命は遺伝子によって決められる。
 お前は人類とポケモンを支配し、この世界を治めるべくして造られたのだ。

 これは科学者から毎日のように浴びせられた呪いの言葉。
 だが少女は、自分の遺伝子の本質が別のところにあると気づいていた。誰に似たのだろうか、そうした運命には逆らいたくなる。
 だから実験のためにポケモンを殺し続ける日々を捨て、研究所から脱走を果たした。ある目的のために。

 可能性のない世界に生きるのはもうやめる。
 わたしは最期まで遺伝子に逆らい、そして死ぬのだ。


 *


 利己的な遺伝子という話を聞いたことがある。
 どうやら生物は皆、遺伝子によって操られているらしい。だが皆はそれを自分の意思と錯覚する。
 意思など、どこにも介在する余地がないというのに。

 少女は暗い洞窟の奥でうずくまりながら考え込んた。
 どうせここにいたいと思うことも、遺伝子の意思だ。クローン()のベースとなった人間か、はたまたミュウか、洞窟を好む性質があるのだろう。

 いずれにせよ、あれから飲まず食わずで一週間が経過した。
 細い腕が布きれの間から力なく垂れ下がった。強い肉体が聞いて呆れる。わずかでも限界を超えると、糸が切れた人形のように動けなくなる。
 いよいよ死期が近づいてきた。
 ここで私は、支配された肉体を捨てる。自らの意思が残り、真の自由を得るのだ。

 蒼い瞳を動かして、奥に生える鍾乳石(しょうにゅうせき)を見上げる。
 滑らかな岩肌がはっきりと見えた。ツヤのひとつひとつが鮮明に見て取れる。
 奇妙な感覚だった。身体にはもう力が入らないのに、頭はむしろ冴え渡り、五感は今までになく鋭くなっている。
 湿った空気が肌を撫でる感触。鍾乳石から雫が垂れて水たまりに落ちる音。まとう布はいっそうカビ臭く、乾いた口に鉄の味が広がる。
 それまで色のなかった世界が、実はこんなに鮮やかだったとは、今になって驚かされる。

 賢い脳によって構築された頑強(がんきょう)な価値観が、ほんの少しだけ揺れ動いた。

 ひょっとすると。万が一にも満たないわずかな可能性だが。
 私はまだこの世界の(ことわり)に気づけていないのではないか。死の淵に立ってみて、予期し得ない何かが変わったことは間違いない。
 優秀な科学者たちでさえ遺伝子に刻むことができない、私の知らない世界があるのではないか。

 自由というものが、あるのではないだろうか。
 もしもそれがあるのなら、ぜひとも確かめてみたい。

 私は遺伝子研究により生み出された、ヒトよりもポケモンよりも優れた人類。他を支配するために造られた大量破壊兵器。
 この遺伝子に定められた運命が覆されたばらば、それはこの世界には運命に抗える自由が存在する証ではないだろうか!

 お前もそう思うかな、No.30(ミオ)

 洞窟に地鳴りが響いた。
 揺れている。洞窟だけでなく、山そのものが震えている。野生ポケモンたちは猛り狂ったように雄叫びをあげ、近辺の踏みならされた道をゆく旅人は恐怖に(おのの)いた。

 山のナワバリを支配していた老獪なケッキングがいち早く事態を呑み込んだ。
 ナワバリがより強大な存在に奪われた。のみならず、これはあからさまに挑発している。
 まるで世界に向けて叫んでいるようだ。

 我はここに在り、さあ誰でもかかって来るがいい!


 *


 ふもとの救急病院に運び込まれた重軽傷者多数。人間28名、ポケモン33匹。
 ほとんどが打ち身や打撲、骨折ばかり。山が不可思議な念動力に覆われて、たったの3日間でこの有様だ。

 最初の被害者はそこそこ名の知れたポケモントレーナーのカイト君。12歳のやんちゃ盛りな男の子。相棒のオーダイルと一緒に山を越えようとして、念動力のテリトリーに足を踏み入れた。
 病院に担ぎ込まれたところ、聞けばなんと、いきなり腕がぐにゃりと曲がったらしい。オーダイルの方と言えば、アゴを外されていた。

 そこから一気に噂が広がった。ひょっとすると伝説のポケモンかもしれない。それを聞きつけたポケモントレーナーたちが、こぞって押しかけた。
 自分の腕を試したい者、念動力の主をゲットしようと目論(もくろ)む者。狙いは多々あれど、目指すべき場所はひとつ。
 山の奥地、この事態を引き起こした謎のポケモンの住処だ。

 結局それはただの一度も人前に姿を現すことはなかった。とにかく怪我人だけががコイキングの滝登りのように増えていった。

 たった3日のこととはいえ、少女は明らかに失望していた。
 やはりアレは気の迷いだったのか。しょせんこの世は運命に縛られるだけの、可能性のない世界なのか。
 こんなにがっかりさせられるぐらいなら、最初から何もしなければ良かった。
 いい加減うんざりだ……。

 だが辛抱とは図らずとも報われることがある。
 また山を訪れる者が現れた。

 男の名は、レノード。
 国家安全保障機関“ポケモンGメン”に属するエージェントである。


 *


「ふーむ……面白い」

 白髪の男は、たやすく洞窟に足を踏み入れた。のみならず、みすぼらしい少女を見つけて、赤い瞳を細めた。
 いくら失望が大きかったとはいえ、手抜かりをしたつもりはなかった。むしろ最初の攻撃をかわされてから、殺す気で襲いかかった。
 それがどうしたことか、今や少女は頭に銃を向けられている。
 もし自分の力が敗れるときがあれば、それは壮絶な死闘の末に屈服することになるだろうと思っていた。劇的な物語になるだろうと思っていた。

 まさかこんなにあっさりと死を迎えることになろうとは!

 敵わない相手がいると知った。そのとき、少女の脳に異変が起こった。
 今まで眠っていたはずの神経組織に、活発な電気信号が大量に流れ込んできた。少女に初めて自我が芽生えたのだ。

 抱っこをせがむ赤子のように、両手を銃口に差し伸べて。
 生まれて初めて微笑んだ。

「……ありがとう」


 *


 ポケモンGメンで保護されて、月日は駆け足で過ぎていく。目覚めた少女はミオと名乗り、今までの成長の遅れを取り戻してあり余る勢いで順調に育っていった。
 2年後。Gメンの施設で出会った相棒のツタージャ、リザードンと共に世界各地のポケモンジムをめぐる冒険の旅に出発。
 5年後。ポケモンリーグ連続優勝の功績を認められて、ポケモンGメンの養成学校に入学。
 7年後。ミオと仲間たちは見事に首席で卒業を迎え、ポケモンGメンのエージェントとして正式に就任する。

 めざましい躍進(やくしん)を見せつけるが、これは少女の物語においては、ほんの序章に過ぎない。
 あの日、自我を生んでしまった少女の物語は、まだ見ぬ世界をめざして、ここから幕を開けるのだ。
前に戻るもくじ次へ進む

読了報告

 読了報告及び評価をするにはログインが必要です。

感想フォーム

 この小説は感想を受け付けていますが、感想を書くにはログインをしている必要があります。

 そのため、感想を書くにはアカウントを所有している必要があります。

感想

 この小説には感想がついていません。