第2話 “出航準備”(1)

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地球歴 2115.08.23


 連合艦隊司令部
 地球軌道上 第1宇宙ステーション

 濃緑色のガラスに神秘の宇宙を映して、ワインボトルがゆっくりと、無重力空間をくるくる回って漂う。中身の液体は拠り所となる重力もなく、ボトルの中で無秩序に暴れまわっている。
 やがてボトルはその役目を遂行し、生涯を終える。無限の宇宙に立ちはだかる巨大な金属の壁に衝突して、砕け散った。

 宇宙ドックに停泊している新造船、U.I.S.プロメテウスにワインボトルが当たると、発着場で見守っていた人々は一様に拍手喝采を浴びせた。
 まるで実用的な意味のない一連の出来事は、この新造船が新たに海の仲間に加わったことを海神ルギアに知らせるための儀式だ。もっとも、この宇宙空間にルギアなどいる訳がないのだが。

「ちょうど1年前の今日、オデッセイが偉大なる航海の旅を始めました。この記念すべき日に再び巡り合えたことは、私にとっては多大なる幸運です。長いようで短い1年間、いよいよ大規模な探査ミッション、『ディスカバリー計画』がスタートします。まずはこのU.I.S.プロメテウスが、そして今なお急ピッチで建造を進めているアカツキとエクスプローラーが、先陣を切ったオデッセイでも探査しきれなかった未知の領域に足を踏み入れる。そしていつの日か……」

 進水式のお祝いに来てくれたことはありがたいのだが、式典でのお偉方の眠くなるようなスピーチは勘弁だ。
 話をそこそこに聞き流しながら、その男(・・・)は窓の外に広がる宇宙と新造船を退屈そうに眺めていた。

 3時間にも及ぶ進水式と就任式を終えて、男はやっと自分の部屋に戻ってきた。
 真白のキュウコンが男の横を抜けて、「こん!」と鳴きながら真っ先にベッドにダイブした。男も青い礼服をソファにだらしなく脱ぎ捨てて、上半身が薄着姿のままデスクにつく。

 はぁ、やっと一息入れられる。
 しばらくの間、男はぼんやりと窓の外に浮かぶ地球を眺めた。
 この景色もいよいよ見納めとなる日が近い。もしかしたら、これが最後かもしれない。ならば見納めになってもいいように、この目に焼き付けておこう。

 やがて、デスクに置きっぱなしだったパッドに手を伸ばした。
 名前のリストが上から下までずらりと並ぶ。データの数にして1万を超える。ここから先、1週間でこのデータの数を200まで減らさなければならない。
 期待半分、憂鬱半分。U.I.S.プロメテウスの船長に就任した『ナサニエル=ウォーレン』の、最初の大仕事だった。

 名前のひとつひとつにドラマがあった。写真、出生地、経歴、病歴、上司からの推薦メッセージ等々。船に乗って何ができるか、何をしたいか。
 そのすべてに目を通して、判断しなければならない。
 こいつはプロメテウスのクルーとして相応しいか。共に旅する仲間として、安心して背中を任せられるか。

 だが作業は1日目にして早くも煮詰まっていた。夜中を過ぎて、明け方の4時を回っても、まだ誰一人として選ぶことができていなかった。全員に目を通してから決めなければ不公平だ、そんな正義感に阻まれて、なかなかコレと決められない。
 ウォーレンはとうとうパッドを置いて、うんざりした様子で部屋を出ていった。


 *


「別にお前が選んだから決まりって訳じゃないんだろ? もっと気楽に考えれば良いじゃないか」
「そうはいかない」

 月を見渡せる広い食堂に、客の姿はない。こんな時間にいるのは、奥の厨房で朝食の仕込みをしているシェフとそのルカリオぐらいだ。
 ウォーレンは困ったことがあれば足しげく厨房に通っていた。シェフのラクールとは無二の親友だ。12歳の頃、ヨスガシティにあるポケモン料理ハウスで因縁をつけてきたライバルが彼だった。開口一番「お前のポフィンはなってない」と言われたことを、今でも鮮明に覚えている。

 彼の良いところは、まさに率直な意見を言ってくれるところだ。
 ウォーレンは渋い顔つきで話を続けた。

「船長が提案する人事案だぞ? それだけに影響力が大きい。よほど構成がアンバランスなことも無い限り、評議会も素通りする。私の決定が、事実上の最終決定だ」
「U.I.S.オデッセイの時は評議会で相当揉めたそうじゃないか?」
「あれはエイミス船長が名簿外の問題児を乗せようとしていたからだ。結局エイミス船長が折れて、きちんと名簿から選んだ人事案を提出したら、すんなり通った」
「ふうん……名簿に載ってないのに、そんなに優秀な奴がいるのか?」
「いるんだよ。私も“彼”の名前が名簿に載っていれば、迷わず選んだだろう。だが無理だ。本人が名簿に載ることを拒んだらしい」
「気になるなぁ、そいつは何者なんだ?」
「あいにく機密情報だ」
「だと思ったよ」お決まりのやり取りをしながら、ラクールは相棒を見やる。「ルーク、アーカラカレーを頼む。火加減に気をつけろ」
「ぶるっ」

 てきぱきと鍋の準備から野菜刻みから調理をこなすルカリオを傍目に、ラクールは続ける。

「なあ、もしお前がただクルーを選ぶだけなら、俺に相談することなんて何もないだろ?」
「慎重に決めなければ公平性を欠く。このリストに載っている者は、誰もがU.I.S.プロメテウスに乗ることを夢見て頑張ってきた。彼らのチャンスを無下にしたくない、どう選べば皆が納得できると思う?」
「質問が違うね、一体何年の付き合いだと思っているんだ」

 親友にジロリと睨まれて、ウォーレンは思わず視線をそらした。
 見抜かれている。この罪悪感も、私が本当にやりたいことも。やはり彼には隠し事は通用しない。ウォーレンは内心ほっとして、思いのたけを語り始めた。

「私が連れて行きたいクルーは他にいる。エイミス船長でさえ引き抜けなかった“彼”と、それからもう3人」
「思い切ったことを言ってくれるな」ラクールは不敵に笑った。「評議会が荒れるぞ? それこそオデッセイの比じゃないくらいに」
「あぁ。その評議会を黙らせるには、まず大きな実績が必要だ」
「例えば“彼”のような?」

 言われて、ウォーレンの眉間にシワが寄る。

「やっぱりな……知ってて聞いたのか」
「俺はシェフだぞ? そこらのスパイより情報通さ。だが“彼”を引き入れるにはそれなりの交渉材料が必要だ。何か心当たりは?」

 ウォーレンはニヤリと笑った。

「……実は、ひとつある」








地球歴 2115.08.25


「本当に行くんですか?」

 転送係の男が怪訝そうに尋ねた。
 紺色の制服を着たウォーレンと白いキュウコンが、ちょうど並んで転送台に立った時のことだった。
 男が心配するのも無理はない。これから『シロガネ山』の最奥に降り立とうというのに、装備を殆ど持たずに行こうというのだから、無謀と言うほかない。最低限の食糧、最低限の装備。ポケットに収まる程度のそれらだけ。自殺志願も甚だしい。
 ウォーレンは自信ありげな笑みを傾けた。

「いいんだ、下ろしてくれ」
「コン」

 揃って肯定されると、なんとも言えない。
 転送係はため息を吐いて「一応言いましたからね」と置いて、転送装置を動かした。

「転送します」

 覇気のない呼びかけと共に、ウォーレン達は光の粒子に包まれて消えた。


 *


 カントー地方
 シロガネ山

 荘厳な白銀の雪が支配する王の居城。
 一切の人の手を寄せつけない過酷な大自然が生み出した地球最後のフロンティア。
 ここに足を踏み入れることを許された者は、時代を象徴する『王』と呼ばれた者たちのみ。
 伝説のポケモンリーグチャンピオン・レッド、チャンピオン・ゴールド、そして三度の大戦を戦い抜いた“彼”もまた。
 幾多の王者が、時代は違えどシロガネの山の頂から、この世界を見渡した。

 ウォーレン達は山頂手前に現れた。
 猛吹雪で視界が阻まれ、吹きすさぶ風の音で聴覚も潰される。正面にはうっすらと洞窟の入り口が見えるが、後ろを振り返れば何も見えない。今にも平衡感覚がおかしくなりそうだった。
 まったく恐れ入る。
 かつての強者達は、ここまでの道のりを大したテクノロジーも持たず、生身で切り開いてきたのだ。環境適応シールドがなければ今にも雪に埋もれ、二度と日の目を浴びることもなくなっていただろう。ウォーレンはキュウコンと視線を合わせ、互いに頷いてから入り口をくぐった。

 外と違い、中はとても静かだ。
 聴覚を潰していた風の音が急に遠くなっていく。歩を進めるたび、不気味な静けさが増していいった。
 まるで巨大なカイオーガの顎の中へ飛び込んでいくような感覚だ。得体のしれない不安がよぎる。

 どれだけの時間、どれだけの距離を歩き続けただろうか。代わり映えしない景色が感覚を狂わせる。
 本当にこの道で正しいのか、何か間違ってはいないか。まさか遭難したのでは。いや大丈夫だ、通信端末で救難信号を発すれば、『転送』であっという間に人里に降りられるのだから安全だ。
 心配すべきなのは、そんな事ではない。
 集中しろ。神経を張り巡らせろ。今から遭遇する相手の前に、そんな生半可な覚悟で立つ訳にはいかない。

 やがて、ようやく、洞窟の奥から一筋の光が見えた。
 狭い一本道を抜けた先、そこは神秘の光に溢れていた。空の隙間から差し込む陽光。それを浴びて星のように煌めく雪景色。息でさえキラキラと輝いて、穏やかな風と共に流れていく。
 紛れもない、ここがシロガネ山の頂上だ。

 何かを探すウォーレン達の目が、引き寄せられるように一点で止まった。
 彼らは伝説を目撃した。

「お前は何者だ」

 発せられる言葉が静かに駆ける。
 息をすることさえ忘れる。ただ見ることしかできない。

 頂点に立つ白き王は尾を揺らし、紫の瞳に彼らの姿を映して問うた。

「もう一度だけ聞くぞ。お前は、何者だ」

 王の名は、ミュウツー。
 かつて『復讐者』を名乗り、そして人とポケモンの戦争を治めた『英雄』である。
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