音楽家たち

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 その日は、ひときわ強い風が吹いていた。朝からどうしようもないほどの砂嵐が舞い込んで、視界は一気に悪くなった。フライゴンの目のカバーと、砂塵に強い皮膚のおかげで身体に傷は付かないが、見晴らし岩の上からの景色は悪く、とても遠くまで見えそうになかった。
 今日は何も期待できないな、とスターはざらざらの台座に横たわりながらため息をついた。あきらめと同時に、まだ何かを探している自分に戸惑う。自分は一体何に期待しているのだろう、と呆れた。未来のことを考えてみても、目の前の砂嵐のように先は霞んでいくばかりだった。
「ん?」
 スターは首を上げた。地上に、見慣れない黒い影を見つけた。ぼんやりとして分かりにくいが、その数は三つと言うところか。動きはないが、きっと砂漠を渡る旅人なのだ、と思った。昨日までその姿がなかったこと、影が身体を寄せ合いしゃがみこむような動きを見せたことが、その根拠だった。運悪く砂嵐に巻き込まれたのだろう。その場でやり過ごそうとしているようだった。
 旅人の姿を見つめているうちに、スターの胸は再び高鳴った。偶然訪れた旅人に会ってみたい、話してみたいと望む自分が、またしても現れた。
 しかしスターは首を振り、目を閉じた。もう同じ事を繰り返すのはやめよう、会いに行ったところで結局待つのは同じ結末ではないか。それでは、自分も相手も悲しいだけだろう。いったい自分は、いくつの命を望まずに奪っているのか。忘れたわけではないはずだ。そうやって、自分自身に何度も何度も諦めようと言い聞かせた。
 日が落ちるころに、砂塵は鳴りを潜めた。
 それと同時に、旅人たちが動き始める。どこだかは分からないが、きっと彼らにも行くべきところがあるのだろう。星を見て、方角を確かめながら。僕が彼らの姿を眺めているだけなら、きっと彼らは無事に目的地へ辿り着けるのだろう。
 ところが、旅人たちは歩みを進めず、何かを始めるようだった。スターの距離からはよく見えなかったが、何か荷物を取り出しているようだった。
 彼らの準備が整うと、不思議な音が鳴り始めた。
 規則正しいリズムの上に、弦を弾く音が乗る。それに合わせてはじける、声のハーモニー。三つの影は互いに語り合うように、一つの音を作り上げていく。
 スターは彼らをじっと見つめた。野営の火も焚いていないのに、彼らの中に光が見える。まだ自分がナックラーだった、遙か昔の記憶が蘇る。自分に名前をつけてくれたあの人が好きだったもの。これは、音楽だ。
 本当に音楽の良さを分かっているのか自信はないが、スターは自分の心の底が震えるのを感じた。頭の中で、何かが結びついたような感覚。その正体が知りたくて、身体が自然と動き始める。羽ばたいて大きな体を宙に浮かせ、彼らの奏でる音楽へと近づいていく。だが、空を飛ぶと己の身体に砂嵐を纏うことになる。会いたい気持ちと、彼らを傷つけたくない気持ちがせめぎ合い、僅かずつ彼らのもとへと近付いていく。
 彼らとの距離を半分まで詰めたところで、あっ、と、スターは呟いた。彼らを傷つけずに済む方法。ひどく簡単なことに気付いてしまった。むしろ、今までどうして気付かなかったんだろう、と呆れてしまうほどだった。
「歩けばいいんだ」
 相手は地を歩く者達だ。空を飛んで会いに行かなくても、この足で歩けばいいではないか。三つの影は、幸いまだ砂嵐を浴びずに済んでいる。スターはすぐに羽ばたきをやめ、地上に降りて駆け出した。
 短い足で、身体を引きずりながら進む。空を飛んで移動するフライゴンの身体は、砂地を走るには不向きで、あまりに遅い。それでも旅人たちの元へと向かいたいスターは、滅多にないくらい息を切らして走り続けた。彼らは待ってくれるだろうか。三つの影があるのは砂丘の頂上である。彼らのもとに至るまで延々と上り坂が続いたことも、スターの道のりをさらに遠いものにした。
「おーい」
 手を振りながら、スターは叫んだ。気が付くと、旅人達の演奏は止まっていた。突然の来客に戸惑ったのかもしれない。それでもスターは叫びながら走り続けた。歩みが遅いせいで、彼らのもとに辿り着くまで何度叫んだかは分からない。それでも叫ばずにはいられなかった。正体の分からない不思議な感情が体の中を駆け巡り、いてもたってもいられなかった。
スターが彼らの元へ到着する頃には、体力はほとんど残っておらず、息は切れ、俯いた顔を上げることができなくなっていた。
「あのー、大丈夫ですか」
「大丈夫です、あ、ありがとう」
 ヒヤッキーの女の子が心配そうに声をかけて来た。やっとの思いで顔を上げると、ようやく彼らの姿を見ることができた。
 旅人は、ヤナッキー、バオッキー、ヒヤッキーの三匹だった。本来森の中で暮らすポケモンであり、砂漠で暮らすには向かない者達だ。どういった理由でこんな砂漠まで来たのだろう、とも思ったが、今スターが最も気になっているのは。
「あの、さっき何か」
「さっきの砂嵐は、あんたか」
 後ろのヤナッキーが、遮るように口を開いた。心を見透かすような厳しい眼差しを、スターに向ける。
「砂漠の精霊、と呼ばれるポケモンのことを聞いた。砂嵐を起こし、砂漠を渡ろうとする者を飲み込むポケモンがいる、と。砂嵐が止んだと思ったら、一度だけ竜巻のような砂嵐が起こった。あんたはその方向から来た。お前がその砂漠の精霊で、俺たちを捕らえようとしているんじゃないかと思っている。もしそうならこちらにも考えがあるが」
 どうなんだ、と聞くヤナッキーは、完全にこちらを怪しんでいる。へびにらみ、と言う技が存在するが、それを受けると言うのはこういう気持ちなのかもしれない、と想像した。身体がすくんだ。
竜巻を起こしたのが自分であるのは間違いないが、捕らえるつもりなんてこれっぽっちもない。だが、スターは己の後ろめたさのせいで言葉に詰まった。事実上、そうなってしまったことなら過去に何度もある。彼の言葉を否定する権利が、果たして自分にあるのか。
行き詰る二人のやり取りの間で、バオッキーはみんなの顔を見回しながらオロオロとしていた。
「ジャンさん、そんなにはっきり言わなくても。ごめんね、君、ジャンさん結構きついこと言うから」
 バオッキーはおずおずと言葉を発した。少しでも空気を和らげようとしてくれたのかもしれないが、場を取り繕うような彼の言葉はジャンと名乗るヤナッキーにはまるで届かない。自分の質問に答えるまで絶対に逃がさないという力強さをひしひしと感じる。どんな言い訳をしたところで、きっと彼がその視線を外すことはないだろう。ここは下手に嘘をつかないのが一番いい。正直に話してみて、それでもダメなら諦めようと心に決めると、ようやく声を出すことができた。
「確かに、僕は砂嵐を起こせます。背中の羽根で飛ぼうとすると、どうしても砂嵐が起こってしまうんです」
 スターはほんの少しだけ羽ばたいてみせた。それだけでも、大量の砂粒が空に舞い上がる。
「でも、道行く人達を襲おうとしてるわけじゃないんです。ただ、誰かと話したくて。それに、さっき何かを演奏しているような気がして、とっても懐かしい気持ちになったんです。だからなおさら……会ってみたくて」
 会ってみたい。話してみたい。その気持ちだけでがむしゃらに先走って行き詰り、何度も望まずに見知らぬ命を奪ってきてしまった。スターの心の行きつく先は、いつだってやましさと後悔だけで、それ以外の結末を知ることができなかった。そのせいで、自分の気持ちがどこから来たのかも、どこへ向かおうとしているのかも分からなかった。これ以上の言葉を紡ぐことが出来ず、ぼそぼそと言葉が途切れていく。
 言葉が切れそうになった瞬間、ジャンが口を開いた。
「君は演奏に興味があるのか」
「えっ、は、はい」
 スターは戸惑った。ジャンの口調が先ほどまでとは打って変わって柔らかくなった気がしたからだ。
「それなら、聞かせてあげよう。ヌーシュ、ロマ、二人とも準備を。さっきの曲でいこう」
 驚くほど、話が早く進んでいく。ジャンは背負っていたバッグの中身をすぐさま取り出し、木星の箱の形をしたものを砂の上に置いた。
「しょうがないわね、分かったわ。お客さんがいるならやるしかないわね」
「ふふっ、僕もオッケーですよ」
 他の二人も頷いた。バオッキーはヌーシュ、ヒヤッキーはロマと言うらしい。ヌーシュは背負っていたバッグの中身を取り出し、ギターのような弦楽器を抱え込んだ。
 三人が目くばせをすると、辺りの空気がピンと張り詰めるのが分かった。風の音さえ消えてしまったような気がした。
 ロマがすぅ、と息を吸い込み、吐き出すと、不思議なほどの響きがスターの全身を包み込んだ。大昔から伝えられる物語が、メロディに乗せて歌い上げられる。深い響きは続き、彼女の歌声は一つの旋律を歌い上げる。そして、次に来る何かを予感させるビブラートのロングトーン。まるでロマが、「来て!」と、二人に呼びかけているようだった。ジャンとヌーシュの目が、ほんの一瞬だけ合う。呼吸を合わせるには、それだけで十分だった。スターにも、その瞬間が伝わってくるかのようだった。あとほんの少し、もう少し。まるで計り方を知らないのに、それが来るのがいつなのかが分かる。分かってしまう。
 スターの心の中で、ここだ、と思ったのと全く同じ瞬間、ジャンとヌーシュの音が弾けた。音楽がロマのものから三人のものになり、砂漠の乾いた空気を伝ってスターの元へと届けられた。
 スターは三人の奏でる姿を見つめた。今にも踊り出したくなるような血の騒ぎと、じっと全ての音を受け止めたいという思いが混ざり合う。
 そして、スターは思い出した。かつて出会った旅人とのひとときのことを。

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