1話

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『わあー、生まれたのねー、ワタシと同じー、「ナナシ」の「ニョロモ」ー』

 生まれてから間もないボクにそう語りかけてきたのは、頭から二枚の葉っぱを生やしてふよふよ宙に浮いている、「ハネッコ」というポケモンだった。

『よろしくねー、ワタシと同じー、「ナナシ」さんー』

 よくわからなくて、ボクは返事ができなかった。ふわふわしたヤツは、勝手にぺらぺらと語りかけてきた。

『ななしー、ななしー、ななしさんー。いっしょにあそぼー、あそびましょー』
『ちょ、ちょっとまって』

 ふわふわしたままくるくると歌う「ハネッコ」に、ボクはたまらず声を返す。
 なんなんだ、「ナナシ」って。キミはいったい、なんなんだ。
 しかし「ハネッコ」はボクの言うことがわからないのか、相変わらずくるくる回って、歌うように語りかけてくる。

『あそばないー? あそばないのー? それならワタシはー、あっちで回るー。またねー、「ナナシ」の「ニョロモ」さんー』

 それだけ言って「ハネッコ」は、くるくるふわふわとどこかへそよいで行ってしまった。

 なんなんだ、いったい。わけのわからないヤツ。
 でも、ボクだってわからない。まだ生まれたばかりのボクには、ボクがなんなのか、よくわからない。

 そんなボクをひょいと抱き上げたのが、アマノちゃんだ。

「ニョロモ、こんなところにいたんだ。おかーさんが探してたよ。だめじゃん、勝手にいなくなったら」

 アマノちゃんはボクを両腕に抱えたまま、くるりと回れ右して歩き出した。どうやらアマノちゃんは、研究所からこの広い裏庭へやってきたボクを連れ戻しに来たらしい。

 ちがうんだよ、アマノちゃん。
 ボクはただ、気になっただけなんだ。
 だって、外はこんなに広い。
 ボクはそれが、ちょっと気になっただけなんだよ。

 ボクの言うことは、アマノちゃんには伝わらない。アマノちゃんは怒ってはいなかった。どちらかというと楽しそうで、それがボクにも、なんだかうれしかった。



 アマノちゃんは、ニンゲンだ。
 ボクはポケモンで、アマノちゃんとボクはちがう。

 ニンゲンっていうのは、ボクより何倍も大きな生き物。背が高くてひょろりとしていて、いろいろな「モノ」を作り出す、ボクたちポケモンとはちがう生き物だ。たくさんの種類がいるポケモンとちがって、ニンゲンはみんな同じような姿をしている。それでもボクには、アマノちゃんがわかる。いい匂いとか、髪が短いとか、笑った時にできるえくぼとか、そういうので。

 アマノちゃんは、生まれたばかりのボクの世話をしてくれていた。忙しそうなハカセの代わりに、アマノちゃんはたくさんボクといっしょにいてくれた。お腹が空くころにはゴハンを用意してくれたし、体が乾くと水に入れてくれた。
 実はてのひらがふれているだけでも体はちょっと乾くのだけれど、それでもボクは、アマノちゃんのてのひらが好きだった。あったかいてのひらをもっている、アマノちゃんのことが好きだった。



 生まれてからしばらく経って、ボクは少しだけ大きくなった。ハカセが許してくれて、裏庭にも遊びに行けるようになった。 そして仲良くなった裏庭のポケモンと、たくさん話をするようになった。

『ねえ、おっちゃん。「ナナシ」ってなに?』

 ボクはいちばん仲良くなったポケモンのおっちゃんに、気になっていたことを聞いてみた。いつだったか、あの「ハネッコ」が言っていたことだ。

『「ナナシ」かあ。そうだなあ。「ナナシ」かあ。うーん、なんだったかなあ』

 おっちゃんは、ふああと大きくあくびしながら、ぼんやりとそう言った。

 おっちゃんは「カバルドン」っていう種類のポケモンだ。ボクが好きなのは池の中だけど、おっちゃんは地面の上にいるポケモン。だからボクは朝か夕方、太陽がじりじりしない時間に、決まっておっちゃんに会いに行った。

『ねえ、おっちゃん、寝ぼけてないでさ。教えてよ、「ナナシ」のこと』

 ボクがなおも聞くと、おっちゃんは突然、ぶはあっくしょーいとくしゃみをした。おっちゃんはいつも、なんの前触れもなくくしゃみをする。するといっしょに、背中の穴から砂をいっぱいまき散らす。おかげでおっちゃんの周りはすぐ砂だらけになるのだけれど、砂に触っているとボクは体が乾いてしまう。

 それでもボクは、おっちゃんが好きだ。のんびりや過ぎてじれったいけど、ボクの話を聞いてくれるし、ボクにいろんなことを教えてくれる。

 おっちゃんは記憶を探るように黒いまぶたを閉じて、うーんと唸ると、ぱっと赤い目を開けた。

『思い出したの!?』

 けどその直後、おっちゃんはまた、ぶはあっくしょーいとくしゃみをする。危うく砂をかぶるところだったけど、そこは慣れたボクのうまいところで、とっさに飛び退いて砂を避けた。

『おっちゃん、気を付けてよ!』
『いやあ、すまん、すまん。でも、思い出したぞお』

 おっちゃんはそう言って、砂が飛び散らないようゆっくりと体を震わせると、語り出した。



『「ナナシ」というのはなあ、「ナマエ」のない奴らのことだよ、「ニョロモ」』
『「ナマエ」がない?』
『そうさ。この研究所にはなあ、「一年」の間に三匹だけ、そういうやつらがいるんだよ』
『ふうん。「ナマエ」がないって、どういうことなの?』
『そうだなあ。例えばだな、ハカセはワシを呼ぶとき、ポポタと言うだろう。これは「ナマエ」といって、んー、まあ、なんだ、要するに、ワシがワシであるっていうことなんだな』
『おっちゃんが、おっちゃんであるっていうこと? よくわかんないよ』
『そうだなあ。つまり、ワシの他にも「カバルドン」はいるだろう。でも、ポポタと呼ばれる「カバルドン」は、ワシしかいないっていうことなんだな』
『それが、「ナマエ」?』
『そうだ。だけどなあ、おまえさんは、ハカセに「ニョロモ」って呼ばれとるだろう。これは、「ナマエ」じゃあないんだな』
『ボクの他にも、「ニョロモ」がいるから?』
『そうだ。わかるのが早いな、おまえさんは。かしこいヤツだ』
『いいよ、ほめるのは後で。それで、ボクにはどうして「ナマエ」がないの?』
『そうだなあ。おまえさん、この裏庭と、研究所の外には、出たことがないよなあ。ここの外のポケモンたちには、みんな「ナマエ」なんてないのさ』
『え、どうして?』
『そりゃあな、「ナマエ」ってのは、ニンゲンが付けるもんだからさ。ニンゲンが、ワシらを呼び分けるためのもんだからなあ』
『ふーん。じゃあ、どうしてボクには「ナマエ」がないのさ。ボクだって研究所にいるのに』
『そこよ、おまえさんたちが「ナナシ」と呼ばれとる理由は。おまえさんたちは、ワシらと違う、特別なポケモンだってことなんだ』
『特別?』
『そうさ。つまりなあ、ハカセは、おまえさんに「ナマエ」を付けるわけにはいかないのさ。なぜなら、おまえにそれを付けるニンゲンは、別にいるからだ』
『別にいる? いったいどこにいるのさ、そんなニンゲン』
『今は、まだわからん。でも、季節が廻って、次の、雪がとける季節、そうだなあ、花の咲き始めるころには、きっと現れるだろうよ』
『ゆき?』
『ああ、もうしばらくするとな、降ってくるんだよ、そういうのが。真っ白でな、ふわふわしてて。そんで、そいつがあたり一面、真っ白に染めちまうのさ。おうおう、考えただけで、寒くなるなあ』
『寒くなるの?』
『そうさ。今は暑いが、じきに寒くなる。それが、季節が廻るっていうことよ。まあ、ともかくだ。季節がもうちょっと廻ったら、おまえさんに「ナマエ」を付けるニンゲンが現れる。そうしたらおまえさん、そのニンゲンといっしょに、ここを出てかにゃあならん』
『出てく? どうして?』
『そりゃあ、旅に出るからよ。ニンゲンの子どもがな、ポケモントレーナーっつうのになって、旅に出る。そんでおまえさんたちは、その子どもたちといっしょに、「セカイ」を巡るんだ』
『「セカイ」?』
『ああ、そうさ。いいぞお、「セカイ」は。ここなんぞより、ずうっとずうっと広くてな、もっともっといろんなモノがあって、いろんなヤツがいる。そりゃあ、すんごいところよ、「セカイ」ってやつは』
『へえ、この裏庭より、広いところがあるんだ』
『そりゃあおまえさん、当たり前よ。「セカイ」からみたら、こんな裏庭なんぞ、ほーんのちっぽけな、粒みたいに見えるだろうよ。それくらい、でかいところなんだ』
『へえ、すごいなあ』
『おお、すごいんさ。おまえさんは、そこへ行くんだ。ポケモントレーナーになった、ニンゲンの子どもといっしょにな。まったく、おもしろいことよ』
『それが、ボクたちが特別だっていうこと?』
『そうだとも。そんなおまえさんたち三匹のことを、ここのポケモンたちは、「ナナシ」って呼ぶんだよ』
『ふーん。あれ、でも、三匹ってことは、ボクと、あの「ハネッコ」の他にも、「ナナシ」がいるの?』
『おお、いるとも。毎年、「ナナシ」は三匹って決まっとる。「ハネッコ」と、「ニョロモ」と、「ブビィ」さ。んん、いや、待てよ。今年はまだ、「ブビィ」が生まれちゃいなかったなあ。これから、生まれてくるんだな』
『これから生まれるヤツが、もう決まってるの?』
『おお、そうよ。おまえさんだって、決まってたんだぞ。「ナナシ」になる「ニョロモ」として、おまえさんも生まれてきたんだ』
『ふーん。ヘンなの。生まれる前から、決まってるなんて』
『まあ、なあ。ワシらニンゲンに飼われとるポケモンは、みんな、決められとることばっかりよ。「ジユウ」ってのは、なかなかないだろうなあ』
『「ジユウ」?』
『ああ、そうだ。なんにもしばられず、なんにも決められず。そういうのを、「ジユウ」っていうんだとよ。ワシはずいぶんとニンゲンに飼われとるから、もう、よくわからんけどなあ。それがいいことなのかも、悪いことなのかも。もう、よくわからんな』
『悪いことなの?』
『さあ、わからん。わからんが、ジユウがいいっていうヤツもいるからなあ。ワシはもう、欲しいとは思わんがね。ここの生活は、なかなか具合がいい。もう少し砂がたくさんありゃあ、他に言うことないわなあ』
『砂ならあるじゃんか、こんなにたくさん』
『いんやいや。こんなもん、ほーんのちょびっとだよ。ワシが生まれたところはなあ、あたり一面、岩やら砂やら、そればっかりだった。乾いた空気。体が沈んじまうほどの砂。んん、ありゃあ、いいところだった』
『うへえ、ボクだったらそんなところ、行っただけでからからになっちゃう』
『わっはっは。おまえさんは、そうだろうなあ。でも、行くかもしれんぞ、旅に出れば。ワシの生まれたところにも、行くことだってあるかもしれん』
『ふーん。おっちゃんは、そこに行きたいの?』
『んん。まあ、そうだなあ。だが、ワシも年だしな。ここも十分気に入っとるから、ワシはここで満足よ。でもおまえさんたち、若いヤツらは、もっとあちこち見てくるってのも、なかなかいいもんだと思うぞ。おまえさんも早く、旅に出られるといいなあ』
『旅、かあ。そうしたらもう、「ナナシ」じゃなくなるんだね』
『ああ、そうだなあ。おまえさんを連れていくニンゲンが、「ナマエ」を付けるだろうからな。そうしたら「ナナシ」はおしまいよ。まあ、どんなニンゲンについていくのかは、ニンゲンに決められることだがね。でも、おまえさんならきっと、そう、悪いことにはなるまいよ』



 おっちゃんの話を聞いてから、ボクはわくわくしっぱなしだった。
 でも、そのわくわくをもっと大きくする出来事がその後に起きた。
 アマノちゃんから聞いたんだ。次の花の咲く季節、アマノちゃんも、この研究所から旅に出るって。
 それを知ってボクは、ぐるぐるの内臓がまっすぐに伸びるくらいドキドキした。こんなドキドキは、たぶん生まれてから初めてだったろう。

 ボクは、アマノちゃんと旅に出る。
 このときボクは、そう決めてしまった。

 アマノちゃんと旅する「セカイ」。
 広くて、不思議で、すごい「セカイ」。
 それを毎晩、夢に見た。

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