エピローグ

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『おとなしくせんか。舌を噛みきるぞ』

 そんな怖いことをいわれても、じっとなんてしてられるわけない。じいさんの爪が食い込んで痛いし、風に引っ張られて体がちぎれそうだ。空気はぴりぴりと冷たくて、感覚もあいまいになってくる。

『まったく、なんでわしが、外に出る手伝いなど』

 じいさんはぶつくさいっているけど、送ってくれなんて頼んでない。ハカセは用事があるっていうから、仕方なくだ。こんなことなら、ひとりで歩く方がずっといい。
 だけどそんな考えごとも、じいさんが風を受けて羽ばたく度に、心ごとどこかへ吹き飛びそうだ。

 ふと、覚えのある匂いがした。
 風に流されながら目を凝らすと、どこまでも続く青がみえた。ボクはつい見とれそうになって、でも思い直して目をそらす。自分だけこの不思議な匂いの風にいるのが、なんだかずるい気がしたからだ。
 でも。

『むおっ!?』

 突然風が強くなって、じいさんが慌てたように羽ばたく。その拍子に、掴まれた頭の痛みが消えた。その意味を考えようとしたときには、ボクはひとりで空を飛んでいた。
 そんなわけない。落ちていた。

 やっぱり、ずるいとかじゃない。
 今度はぜったい、歩いてこよう。



「おーい! ここやでー!」

 ぴょんぴょんと跳ねながら、大きく手を振っているのがみえた。近づくごとに、うれしそうな顔がくっきりしてくる。
 音のない翼でじいさんが降りて、あの子が、シイが駆け寄ってきた。

「いらっしゃい! ていうのもなんかヘンやね。あれ、なんか元気ない……? 体もからからやん、ちょっと待って、水、すぐ持ってくるね!」

 あわただしくシイがどこかへ行って、ボクはようやくため息をついた。ぐるぐるの内蔵が逆回転でもしてるみたいだ。気持ち悪い。
 当の「ヨルノズク」のじいさんは、金属の柵にひょいととまって、ひとりで居眠りを始めてしまった。文句をいう元気もないから、別にいいけど。

 ビョウインはあのときと同じだった。ざらざらの床。ここでは消毒の匂いはしない。
 ここはオクジョウというらしい。海はほとんど見えないけれど、シイの好きな場所なんだって。

 あの日、ボクたちはものすごく怒られた。
 ボクも、おっちゃんも、それからシイも。
 怒られたことが多すぎて、なにを怒られたのか覚えていない。
 けどあのときのことを思うと、なんだか笑ってしまうんだ。
 すごい冒険をしたこととか、あのときシイといっしょにみた、海や空のこととかで。

 バケツを抱えたシイが戻って、ボクはなんとか元気になった。急いで走ってきたみたいだから、また倒れないかと心配になる。でも今日のシイは元気そうだった。

 ボクとシイは話をした。といってももちろん、シイが話すのを聞くだけだ。森の中で初めて会ったときとおんなじ。
 シイが柵に身を預けて、ボクはシイの腕の中。体は乾いてしまうけど、こうしてるのも悪くない。風でぱたぱたと揺れるたび、髪が触れてくすぐったかった。

『ちょっと、いつまでくっついてますの。いいかげんに離れなさいな!』

 いつからいたのか、頭にやかましい声が響いた。またか、と思って、ボクはうんざりしてしまう。あの「チリーン」がぷりぷり怒って、ボクらの周りをふよふよしていた。

 相変わらずボクは目の敵にされている。一度ビョウインでケンカをしたら、あの白い服のヒトにおもいっきり怒られた。それ以来ボクらは、ことあるごとにこうして睨み合っている。
 うるさいしうっとうしいけれど、シイはなんだかうれしそうだった。困った顔なのにうれしそうなんて、シイはやっぱりヘンテコだ。でもそんなだからボクも、たまになら、ほんの少しなら、これも悪くないと思ってしまう。だって、

「いつまで油売っとんねん、仕事戻らんかい!」

 あんまり賑やかにしていると、こうして白い服のヒトが「チリーン」を呼び戻しにくるからね。

『わかってますの? その子にはあなたなんかより、ワタシの癒しの力が必要ですのよ! 旅立つときには、ぜったいワタシも』
「さわいどらんと早よしいや!」

 白い服のヒトにひらひらのしっぽを掴まれて、浮いたままずるずると引っぱられていく。ボクがあかんべをしてやると、ものすごく悔しそうにやり返してきた。
 あんなことをいっているけど、ホントについてきたらどうしよう。ボクとしてはちょっと気が気じゃない。

「ねえ、——」

 シイが口を開きかけて、ボクはぱしゃっと水をかけた。ちょっと顔がぬれるくらいだけど、シイは不機嫌そうに頬を膨らませる。

「もう、どうして『ナマエ』呼ぼうとするとさえぎるんや。なかなかええと思うんやけどな、——」

 ぱしゃ、ともう一度。シイはますます膨れてみせる。

 シイが「ナマエ」をくれたとき、ボクはボールの中にいたんだ。だから知らないふりをしている。
 旅がはじまるまで、受け取ってやらない。
 それまでは「ナナシ」でいてやるんだ。
 ボクは勝手にそう決めていた。

「あら、今日も仲良しでいいわねえ」

 さっきの「チリーン」たちと入れ替わるように、車輪の付いた椅子に座った、ニンゲンのおばあちゃんがやってきた。おばあちゃんの膝の上には、なにを考えてるかわからない目をした、小さな丸いポケモンがのっていた。「あなたたちを見ていたら、会いたくなって来てもらっちゃった」とおばあちゃんはにこにこしていた。
 そのポケモンはじっとボクたちを見ていたかと思うと、突然おばあちゃんの膝から跳んで、ボクたちの周りを飛び回りはじめた。赤い飾り羽を揺らしながら、小さな翼でぱたぱたと羽ばたく。

「あらあら、なにか、素敵な未来でもみたのかしらねえ」

 おばあちゃんがそんなことを言った。
 ボクとシイは顔を見合わせる。
 シイがうれしそうに「えへへ」と笑った。



 ボクたちの旅は、まだはじまらない。

 いつになるかも、わからない。

 だから、これは。

 ボクと、キミの。



 いつかはじまる、モノガタリ。




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