第32話 “Deadline”

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 運河の水が、引いていく。海も徐々に水位を下げて、アルトマーレの周辺から海底が浮かび上がってきた。
 異常高潮の前触れだ。間もなく島が大水害に見舞われることになる。いよいよタイムリミットが迫ってきた。同時に、これが事態を好転させる最大のチャンスでもある。『心の雫』さえ間に合えば。
 治水装置のコックピットに待ちかまえているチェイスの頬に、冷や汗が一滴流れた。



 スクーティは風のように走った。
 混沌とした人混みの中から、わずかに漂う一筋の臭いを辿る。空から黒い弾頭の雨が降り注いできても、彼は気にも留めずに小さな運河を飛び越え、街の迷路を駆け巡る。
 空は気にしなくていい、まだ大丈夫だ。待機していたアルトマーレ水軍のポケモンたちと、TBIの仲間たちが、空中で弾頭を撃ち落としている。敵の狙いは一撃で島を焦土に変えることじゃない、じわじわと虐殺を広げていくことだ。敵が火力を一気に上げることはない。少なくとも、こちらの意図がバレるまでは。
 しかし、この臭いだけは止めなければならない。こいつはヤバい。仲間の頭や胸を吹っ飛ばした。放っておけばこっちの作戦自体がぶち壊されてしまう。他の誰かでは止められない、チームの中で最も足が速い俺がやらなければ!

「ハァ、ハァ……くそっ、どうしてた!?」

 通路の角を蹴って直角に曲がり、逃げ惑う人々の頭上を飛び越えて、スクーティは叫んだ。
 おかしい。もうとっくに敵を追い越してもいいはずだ。なのに敵の姿は見えないどころか、臭いが徐々に遠ざかっている。

「上か!」

 スクーティは見上げて、跳んだ。壁を蹴り、さらに高く跳躍して、並ぶ家々の屋根に立った。そして臭いをより鮮明に拾うために、鼻を高く掲げて嗅いだ。
 ちょうど彼の真上をラティオスとラティアスの群れがジェット機のように通り過ぎて、突風が吹き荒れた。その後ろを、さらに倍ほどの数の結晶ミサイルが執拗に追いかける。彼らは『心の雫』を持つラティオスではない。その神々しい光を携えたラティオスは、遥か上空で仲間に囲まれながら、襲いくる無数の結晶ミサイルに抵抗していた。とても降りられない。
 不意に、鼻をつく臭いが強くなった。
 黒衣の大男が同じ屋根の先端に立ち、空を仰いでいた。

 バカな!? いつの間に現れた!?

「お前ッ!!」

 言うが早いか、スクーティは駆け出した。岩タイプ最速の突進攻撃、《アクセルロック》。先手必勝の一撃だ。
 だが攻撃を繰り出したのは大男が先だった。銀色に輝く銃を、振り返り際に寸分の狙い違わず、スクーティの脳天めがけて発射した。
 スクーティの瞳に死が映る。とっさに体を丸めて、空気抵抗を最大限に受けて、自らの勢いを殺した。屋根の上を転がり落ちていく間際、スクーティは、先ほどまで自分がいたところを光弾が貫いていく様を見た。

 何なんだ、今の反射神経は!?
 まるで俺が攻撃することを分かっていたかのようなカウンター、それに銃の臭いに気を取られていて気づかなかったが、奴から漂うこの臭いは……!

 瞬間、転がるスクーティの体が止まった。
 《サイコキネシス》だ。
 スクーティは目を見開いて驚愕したものの、頭はやけに冷静だった。敵の正体、タネがすべて分かった以上、これは驚くことでもない。それよりも。

「……何でだ? お前、何でこんな残酷なことができるんだ? ここは、アルトマーレなんだぞ?」
「違う。ここはアルトマーレじゃない、偽物だ」

 地を這うような声で、大男は銃を構えて言った。

「俺がこの罪深き街を清算する。そしてこの街を守るなどという愚かな目的のために戦う兄妹に見せてやるのだ、己の過ちを、無力さを!!」

 引き金にかかる指に、力がこもる。
 ここまでか……スクーティは覚悟を決めて、目を閉じた。

「ボーマンダ、《火炎放射》!」

 赤い翼を広げて、ヒガナを乗せた青い竜が風を切る。そして屋根に立つ大男めがけて、紅蓮の炎を吐きつけた。
 炎は容赦なく大男を呑みこんだ。たまらず、大男は屋根の上を転がり、表皮を焼かれる強烈な苦痛に悶え苦しんだ。
 とたんにスクーティを包んでいた《サイコキネシス》が解除される。スクーティは空を飛ぶボーマンダを見上げ、礼のかわりに遠吠えをした。

「ちくしょう! よくもやってくれたな!!」まとわりついていた炎を払い、大男は叫んだ。「何故貴様がそっち側にいるんだ!! ヒガナァ!!」
「はぁ!?」ボーマンダの上で、ヒガナは怪訝そうに彼を見下ろす。
「テメーの相手はこっちだろうが!」と、スクーティ。

 叫ぶ男の腹に、スクーティの捨て身の一撃《アクセルロック》が刺さった。




 雫を抱えたラティオスは、雲のすぐ下で懸命に耐えていた。
 何百、何千と、まるで虫の大群のような結晶ミサイルに囲まれて、アルトマーレから見上げる人々には、太陽のごとき『心の雫』の輝きが黒い雲に覆われていくように見えた。それは神の救いの手を蝕む悪霊のように思えた。
 しかし彼らは無下に時間を費やしていた訳ではなかった。既に群れの中心を離れ、アルトマーレの空域にラティアス、ラティオスたちが十分に散らばっていた。
 そのことをテレパシーで感じ取って、雫を守るラティオスは意を決し、鳴き声を大きく張り上げた。

「クォオー!」

 呼応するように、彼の周りのラティアス、ラティオスたちが鳴いて、さらに散らばった仲間たちにもそれは広がっていった。
 とたんに、結晶ミサイルに覆われていたラティオスたちの群れが、ひとまわり激しく輝き始めた。そして結晶ミサイルの層を突き破り、次々と爆発を巻き起こしていくそれらの中を駆け抜けて、ラティオスたちが地上めがけて一直線に急降下していった。

 この強烈な必殺技は、そう何度も使えるものではない。《破壊光線》などと同じように、次の発動まで多少のインターバルを要する。したがって、光を失い、急降下する最中にあるラティオスたちは、他の結晶ミサイルの格好の的になっていた。
 しかし、それも作戦通りと言わんばかりにラティオスはにやりと笑った。そして、『心の雫』を持つ手を大きく振りかぶり、目に留まった遠くの仲間めがけて剛速球を投げた。
 群れに襲いかかってきていた結晶ミサイルが、一斉に方向を変えて、『心の雫』を追いかける。しかし、雫を受け取ったラティアスが、さらに別の仲間へと投げて回す。次々にパスを回して、翻弄していく。しかも、地上との距離は徐々に縮まっていく一方だった。
 これが『心の雫』を大聖堂に届けるための作戦だった。

 もっとも、結晶ミサイルが単純な追尾弾であれば、それは確実に成功していただろう。何世紀もかけて向上と学習を積み重ねてきた兵器にとって、それは付け焼刃の対処に過ぎない。
 結晶ミサイルは自ら学習する。敵の動き方。パターン。戦略。それらを分析した後、結晶ミサイル同士が互いに連携して、それを崩すための最適行動に出るのだ。
 そしてラティオスたちにとっては運の悪いことに、結晶ミサイルは、既に最適解を見出していた。

 ラティアスが雫を受け取り、さらに別のラティアスへ。
 それを見越していた4発の結晶ミサイルが、雫を受け取る寸前の彼女に襲いかかった。

「グゥゥ!?」

 鈍い悲鳴が空に響く。そして轟く爆音。
 とっさに回避行動に出たおかげで、致命傷は避けられた。しかし煙から飛び出したラティアスの片翼は跡形もなく消し飛んでいた。もはや雫をキャッチするどころではなく、激痛に悶えながら落下していった。
 即座にカバーに入ろうと、周りにいたラティオスが雫に手を伸ばす。だが、すぐにその身を引っこめた。
 結晶ミサイルが雫の周りにまとって渦を形成し、何人も近寄らせまいとしていたのだ。

(雫が奪われた!!)

 1匹のテレパシーの叫びが、アルトマーレ全土に衝撃を広げる。
 『心の雫』が無ければ、もはや戦いを続けることができない。ウェルズの予見の通り、全滅だ。
 結晶ミサイルが織りなす黒い竜巻は、さらに集まってその層を厚く固めていく。もう光を発する全力の突進でも破れるかどうか怪しい。手が届いたとしても、無数の爆発に巻き込まれて木っ端みじんになるだろう。目に見えて立ちはだかる死の恐怖に、ラティオスたちの動きが止まってしまった。
 ただ、彼を除いて。

「クォー!!」

 若く勇ましい鳴き声が轟いた。
 それはグランだった。全身を輝かせて、どす黒い竜巻に決死の覚悟で突撃した。光が暗黒を貫き、その中にある希望を、掴んだ。巻き起こる爆発の連鎖を彼はものともせずに貫き、そして突破した。
 だが、結晶ミサイルは狡猾にすべての動きを読んでいた。出遅れた他のラティオスたちには構いもせず、すべての結晶ミサイルがグランを取り囲むべく、まるで津波のように四方八方から襲いかかった。
 グランは巧みにかわしていく。旋回し、下降し、あるいは上昇し、高度な飛行技術を披露して、黒雲のように群がる結晶ミサイルから逃れて空に出た。
 息を整えて、つかの間の猶予を手に入れる。辺りを見回す。群れの仲間たちが懸命に結晶ミサイルを攻撃しているが、なにぶん視界を埋め尽くすほどに数が多すぎる。もはやパスを回す方が危険だ。

 心臓の鼓動が速くなる。体が急に冷たくなって、手足の先が震えている。
 どうしよう。見えてしまった。あれを突破する道筋が。『心の雫』を大聖堂に届ける方法が。だが、それをすれば、僕は確実に死ぬだろう。
 グランはぎゅっと目を閉じた。


 お爺さん、お婆さん。
 アルトマーレのみんな。
 ここまで手伝ってくれた予言者たち。
 父さん、母さん。

 レイナ……。


 グランは、穏やかに目を開けた。

「クォォオオ!!」

 喉が張り裂けんばかりに叫び、真下に向かって急降下した!
 そして再び体がまばゆい光に包まれて、さらに速度が増していく。ほぼ無敵に近いこの状態で、グランは結晶ミサイルの層に突っ込んだ。巻き起こる大爆発。その衝撃に追いつかれる前に、グランは先を飛んでいく。
 迷うな。恐れるな。少しでも気を緩めれば、技が解けて爆発に呑みこまれる。ここを抜ければ大聖堂は目の前だ。そこまで行けばいい、そこまででいい!

 空を覆う黒い結晶の層を、グランは爆発に押されて突破した。
 すぐさま光を解いて、『心の雫』を手放し、《サイコキネシス》をかけて大聖堂の大きな門に向かって一直線に投げ飛ばした。

 落ちてくる無数の結晶に背を向けて、グランは安らかに微笑んだ。
 これでいい。雫が彼らに届いた。あとを頼みます。
 心の中で呟いて、グランは空を見上げた。そして、高らかに叫んだ。

「クォォー!!」

 僕は誇り高きラティオスの戦士、グラン!
 何人たりともこの先へは行かせない!!

 腕をたたみ、歯を食いしばり、グランは黒い結晶の空へと飛んだ。
 この命ある限り、一発でも多くの結晶を撃ち落とす。人間たちの絡繰が発動するまでの時間を1秒でも稼ぐ。そのための、決死の特攻だった。

 寸前、怪音波が空に広がり、音の振動を浴びた結晶が次々と爆発していった。
 呆然と目を丸くしているグラン。その眼前を悠々と過ぎていく黒い翼。
 パルスだった。


 大聖堂の前で空を見上げるウェルズと、空のパルスの視線が交差する。ウェルズはその左手にしっかりと『心の雫』を抱えて、右手の親指を力いっぱい高く掲げた。
 パルスの高らかな鳴き声を背に、ウェルズは大聖堂の奥へと走った。

「来たよ! お待ちかね、心の雫!!」
「それを増幅装置に! 急いで!」

 チェイスに言われるがまま、ウェルズは治水装置から伸びるアームのひとつに駆け寄った。そして、のアームの先にある台座のくぼみに、そっと『心の雫』を置いた。その時の涼しい音が、耳に心地よく響いた。
 雫の存在に呼応して、機械が唸り始める。そして円形の模様の上に佇んでいたレイナも、異変を感じ取った。少しピリッと痺れるような感覚、そしてわずかな疲労感を覚える。模様から金属の輪が浮かび上がり、彼女の身を包んだまま複雑に自転し始めた。
 レイナから吸い出したエネルギーが、床の伝導線を伝い、治水装置へ。その根元から異音と光を発して、装置が動き出した。
 周りに構えていたTBIのポケモンたちが口々に続けていく。

「エネルギーレベル上昇中。ラティアスの生命反応は安定している」
「増幅率350パーセント、360パーセント……凄いぞ、まだ上がる!」
「主要システム、オンライン。いいぞ、インターフェースを起動!」

 チェイスの座るコックピットに、ホログラムのスクリーンが浮かび上がる。チェイスは得意げに両手をポキポキと鳴らして、スクリーンの表面に手を置いた。

「さあて、心の雫の力、存分に試させてもらうよ!」
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