第29話 “The Genocide”

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 アルトマーレに鐘の音が鳴り響く。
 嵐に鐘に、静かな夜はやがて騒々しくなっていく。それを破らんとして、彼は叫んだ。

「一斉攻撃! 撃てー!!」

 部隊長の命令で、魔獣たちが空に向かって次々と得意な遠距離攻撃を放っていく。果敢に勇む魔獣も、すっかり恐怖に取り憑かれて発狂する魔獣も、光線、炎、水、電気、多様な攻撃を繰り出した。
 だが天に唾を吐いても意味がないように、それらの攻撃も勢いを失くして逸れていく。空に浮かぶ、島を包み込んでも余りあるほどの巨大な鉄の怪物は、あまりに遠すぎた。
 奇跡的に届いた光線も、怪物を包む透明な泡のようなものに阻まれてしまった。

「ダメだ、効いてない!」
「何なんだあれは」

 岬に立つ兵士たちに動揺が広がる。
 不気味な怪物は沈黙を通していたが、それが惨劇の予兆である予感がした。事実、怪物はただ攻撃を甘んじて受けた訳ではなかった。静かに、淡々と、死の照準を定めていた。
 黒い結晶体のような誘導弾が、怪物から雨霰のように降り注ぎ始めた。

「総員退避だ!!」

 部隊長の叫び声は、一帯の絨毯爆撃にかき消された。


挿絵画像








 沿岸部への空爆は、始まりは極めて限定的な攻撃だった。岬の兵士を容赦なく焼き尽くし、やがて悲鳴が他の沿岸部へと広がっていく。それを待つまでもなく、アルトマーレ全土を揺るがすほどの衝撃とエネルギーが最初の一撃で響き渡った。
 王が眠る大聖堂にも、それが伝わってきた。

「国王陛下!」

 王の寝室に慌ただしく立派な甲冑とマントをまとった大男が駆け込んできた。
 アルトマーレの軍を束ねる将軍だ。今宵は治水の絡繰を調整するため、錬金術師たちと共に忙しい夜を送っていた。しかし嵐に混じって聞こえてきた鐘の音、そして遠くに見える怪物の集中砲火が、彼を王の寝室へと走らせた。
 既に鐘の音を聞いて豪華絢爛なベッドを出ていた、立派な白ひげを蓄える王は、ちょうどガウンを羽織ったところだった。

「将軍、何事だ!?」
「空に巨大な怪物が現れ、国中を攻撃しています。最初の攻撃で北の岬はおそらく全滅です、急いでここから避難してください! 南の港に船を配備するよう命令を下しました、怪物の攻撃が来ないうちに早く!」

 言うが早いか、窓の外から轟音が響く。
 王が窓辺から見渡すと、まさに荒れ狂う嵐だった。神の所業、裁きと言ってもいい。怪物の腹から落ちる無数の黒い結晶体が、空で無数に分裂して降り注ぎ、城下の街を、水の都を、火の海に変えていた。
 あれほど常日頃から血気盛んな将軍が、既に戦う意思を放棄している理由が分かった。これは神に戦いを挑むようなものだった。人や魔獣に、敵う道理などない。
 石の階段を下りながら王は言った。

「国民たちの避難は済んだのか?」
「避難中です、兵士たちが時間を稼いでいる間に急ぎましょう」

 大聖堂の広間に出ると、大理石の床を走る傍ら、銅製の絡繰が王の視界の端に映った。あれが使えれば、あるいは……。
 大聖堂を守っていた兵士たち、錬金術師たち、そして魔獣たちもが、雪崩打って門に押し寄せ、我先にと飛び出した。だが大雨の下で、歩幅がだんだん短くなる。やがて誰もが立ち止まり、呆然とその光景を眺めていた。

「おい、どうしたんだ!」

 将軍が王を連れて人をかき分け、皆の前に躍り出る。そこで、彼らは恐るべき光景を目撃する。
 運河が。潮が、凄まじい勢いで引いていく。
 それは幾度となくアルトマーレを襲った悪夢の襲来を予兆していた。

「アクア・アルトが……来る」

 数十年に一度の異常高潮、アクア・アルト。海が引いてしまえば、もはや船は使えない。絶望が、広がっていく。
 王は覚悟を決めて、将軍に振り返った。

「将軍、国民たちを南の港に集めよ。わしは錬金術師を集い、大聖堂に戻る」
「治水の絡繰なら、えぇ確かに、アクア・アルトを止められるかもしれませんが、しかし!」
「わしには国を守る責務がある。大聖堂の防衛に第1から第3小隊を回せ、残りをお主が率いて国民の避難と防衛に当たらせよ!」

 王の勅命。従う他はなし。将軍は拳を左胸に当てて、敬礼の意を表した。




 アルトマーレ中央区、すっかり引いてしまった大運河の跡に面して並ぶ住宅地。豪勢な神殿がところどころに鎮座するここの遠い背景を、爆炎が包み込む。
 泣き叫び、逃げ惑う人々。魔獣たちも死に物狂いで駆け抜ける。
 遠くで聞こえる爆撃の音が、悲鳴に紛れて少しずつ近づいてきていた。

「早く、こっちだ!」

 お爺さんは右手に剣を握り、左手にお婆さんの手を引いて走った。
 雨は止んでいる。正確には天を覆う怪物が雨を遮っている。今にも心臓を握り潰されそうな恐怖と戦いながら、お婆さんは時折後ろを振り返る。

「二人とも、早く! 早く!!」

 グランとレイナも老夫婦に続く。
 大運河に映る赤々と燃え盛る炎を見つめて、グランは苦悶の表情を浮かべる。レイナは天を見上げて、不安げに言った。

(お兄様、これは一体何なのですか!?)
(分からない、だが……!)

 逃げなければ死ぬ。それは自分たちだけではない。ここに近づいている仲間たちも危険だ。
 グランは人の流れに沿って走りながら、遠くへとテレパシーを送る。

(父さん、母さん、気をつけて! 空に現れた怪物が島を襲っている!)
(お前たちは無事なのか!?)

 父の慌てた返事にも、思わず安堵してしまう。

(はい、ですがこのままでは島に住む人々の命が……!)
(お前とレイナは今すぐにそこから離れろ! 人間に正体を見られても構うな!)

 はい。
 と、何故すぐに答えられなかったのだろう。グランの息が徐々に荒くなっていく。決して走り疲れたからではない。
 掟に従わなければならない。人間の争いに関わってはならない。ひょっとしたら、この事態は人間の戦いなのかもしれない。
 だが……。

(……できません、彼らは僕たちの命の恩人です)

 目の前を走る老夫婦の背中を見つめて、グランは目を細めた。
 父からの返事はすぐには帰って来なかった。怒るのか、咎めるのか。だがグランには、それを言った瞬間からお爺さんとお婆さんをなんとしてでも助けようと心に決めていた。
 やがて返事がきた。

(分かった。群れを連れてそっちに急ぐ、それまで必ず無事でいるんだぞ)
(っ、はい! ありがとう、父さん!)

 グランは嬉しそうに笑みを滲ませて、レイナに振り返った。

(父さんたちが来る。きっとあの怪物を倒してくれる!)
(よかった! ほんとに……!)

 突然お爺さんたちが足を止める。それにつられてグランたちも止まった。
 見れば、避難を誘導していた兵士が慌ててお爺さんに話している。

「国王陛下が大聖堂でお待ちです! 今、治水の絡繰を動かすために錬金術師たちも集まっています!」
「そうか、運河の様子から見て分かってはいたが、やはりアクア・アルトか……こんな時に」

 お爺さんは落ち着いて息を吐き、視線を伏せる。
 このまま船に乗っても、海が引いてしまえば船が動けない。怪物はどうにもできないが、船が逃げるためにも、アクア・アルトの対処は急務だ。だからこそ王も残ったに違いない。国を、民を、守るという責務を果たすために。
 お爺さんは険しい顔つきでお婆さんの肩を握った。

「わしはこれから大聖堂に行かねばならん。この子らを船に連れて行け、いいな」
「無茶ですよ! 私も残ります!」
「いかん! お前は逃げろ、そして子供たちを守るんだ!」
「そんな……」

 悲しむお婆さんの視界の端から現れて、グランはお爺さんの袖を握った。
 僕も一緒に行きます。そんな決意を込めた顔を浮かべていた。

「ダメだ、ダメだ! 危険すぎる! お前はすぐにお婆さんと……船に……」

 突然起こった出来事に、お爺さんは唖然としていた。お婆さんも、兵士も、周りを駆け抜けていた人々も、魔獣たちも。
 それまで人間の男の子の形をしていたグランが、光に包まれたかと思うと、その輪郭を変え始めたのだ。そして光が晴れると、そこには青き翼の白い竜が浮いていた。
 紛れもない、魔獣の姿。お爺さんは目を白黒させた。

「お、お前……!」

 奇跡を目撃して、皆の時間が止まる。
 だが、すぐに動き出した。とうとう爆撃の雨が中央区にまで広がってきたのだ。建物を結晶が穿ち、一瞬にして塵と化す。通路が割れて地盤が隆起し、沈下し、人々の行先を遮った。
 人々はすぐに悲鳴をあげて散り散りになった。

「いかん、急がねば!」

 お爺さんは混沌と化した辺りを見回して、最後にグランを見据えた。

「……力を貸してくれるか?」

 グランは力強く頷いた。
 崩れかかった橋の上を駆けるお爺さんに続きながら、グランは振り返る。

(レイナはお婆さんを守れ、僕はお爺さんを!)
(お兄様、どうか気をつけて……!)

 視線を交わした後、グランは風を切ってお爺さんを追った。
 お婆さんはまだ呆然としていたが、レイナに手を引かれて走るうちに、穏やかな顔に戻っていった。




 怪物は狡猾に攻撃を進めていた。
 アルトマーレ北部の徹底的破壊から始まり、隣接する港を空爆。船に乗り込もうとする人々は焼け死に、あるいは次々と海に吹き飛ばされ、アクア・アルトの前兆たる引き潮に飲み込まれた。
 次に中央区をじわじわと攻めていく。だが大聖堂だけは避けていく。それは目的を持った戦略のようにも思える。
 もしも怪物がアルトマーレを滅ぼすつもりなら、どうして島の全土を一気に攻撃しないのか。島を丸ごと包み込んで余りある巨大な怪物にしては、攻撃のスケールが小さすぎる。何が目的なんだ。
 南の港の巨大な帆船から望遠鏡を使って、火の海と化したアルトマーレを見渡しながら、将軍たる男は眉間にシワを寄せた。


 瓦礫を乗り越え、亀裂を飛び越え、時にはグランに引っ張ってもらって壁を登り、お爺さんは大聖堂前の大広場にたどり着いた。
 後ろを振り返り、遠い地平線を見つめて目を細める。暗くて分かりづらいが、海はすっかり消えてしまった。黒々とした大地が広がっている。何かが蠢いているのが見えた。地平線を覆う何かが。異常高潮、アクア・アルトだ。
 街が、沈む。
 そう考えただけでゾッとする。お爺さんは寄る年波には勝てず、息を切らしながらも、グランと共に大聖堂に続く広場を抜けた。

 辺りは嫌に静まり返っていた。遠くの爆撃と悲鳴を除けば、風の音がびゅうびゅうと聞こえるだけだ。既に人々が逃げた後なのだろう。
 大聖堂の門をくぐり、お爺さんは慌ただしく叫んだ。

「陛下! 陛下!! 治水の絡繰を動かすために、生贄の用意を……」
「そんなものは必要ない」

 聞き覚えのない、低い男の声が大聖堂に響き渡る。
 灯りひとつない真っ暗闇の大聖堂の奥、大理石の床に立つ一人の人間。お爺さんは怪訝そうに訊ねる。

「お前は誰だ? 陛下は、皆はどこだ!?」

 瞬間、空から降り注ぐ結晶の破片が大聖堂に落ちた!
 刹那の際にグランはお爺さんを抱え、大聖堂の奥に転がり込んだ。先ほどまで彼らがいたところは、一瞬のうちに爆発が広がり、大聖堂の一部ががらがらと派手な音を立てて崩れ落ちた。
 衝撃でおじいさんはグランの腕を離れ、床を転がる。その時、やたらと床が濡れていることに気がついた。
 軋む老体を起こしながら、辺りの水溜まりに手を伸ばす。
 違う、水溜まりじゃない。これは血だ!

「ま、まさかッ!!」

 とっさに振り返ったお爺さんの肩を、白い光弾が貫く。
 見ずとも分かる。お爺さんが短い悲鳴をあげた瞬間、グランは牙を剥いた。赤い目を光らせ、超能力を発動する。
 目標は暗闇に紛れた男。拘束すべく、グランは超能力の手で男を鷲掴みにした。
 はずだった。

「躾のなっていないペットだな」

 いとも簡単に超能力が弾かれる。そればかりか、逆にグランはピタリと動きを止めた。

(動けない! 縛られた!? ……いや待て、この感じ……違う、そんなはずは!!)

 目を見開いた。
 瞬間、凶弾がグランを襲う。


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 暗闇を裂く白い閃光。顎から頭へ一直線に開いた風穴。
 男が超能力を解くと、グランは力なく床に崩れた。




 大運河に沿って走るレイナの足が、止まった。
 何かが変わった。絶対に変わってはいけない何かが。
 空を見上げて、ぽつりと溢れる。

(お兄、様……?)


 それは彼女が見上げる遠い空の向こうでも同じことが起こった。
 グランとレイナを迎えるため、大海原の遥か上空、雲海の上を先陣切って飛んでいた一対のラティオスとラティアスは、呆然と目を見開いていた。

 グランの、テレパシーが、消えた。

 その意味することは、ふたつにひとつ。
 テレパシーが使えないほど深い眠りに落ちたか、または、死んだか。

 先頭のラティオスが怒り狂ったように咆哮する。続いて傍らのラティアスが。
 怒号は群れ全体に広がっていき、その飛行速度は、次々と空気の壁を破って、音速を超えた。


 アルトマーレを包み込んでいた分厚い雲が、二つに割れる。その裂け目からは神々しいほどの強く、優しい光が差し込み、空に浮かぶ怪物とずたずたに裂かれたアルトマーレを照らし出した。
 光は崩れた大聖堂にも差し込み、銃を握る男の姿を白日のもとに晒す。おびただしい数の死体も。王。優れた錬金術師たち。そして、グラン。
 お爺さんは神の光を浴びて、膝を崩した。

「どうして、こんなことを……」

 男は光を仰ぎ、大手を広げる。
 この世界のものとは思えない細かなデザインが加わった黒衣。逆巻く黒髪。悪魔の微笑み。
 聖戦の訪れを前にして、男は言った。

「これはお前たちが始めた、戦争だ」

 男はお爺さんの感想を聞くまでもなく、その顔を銃で吹き飛ばした。


 人々が思わず立ち上がり、両手を合わせて祈りを捧げてしまうほどの神々しい光の中から、無数のラティオスとラティアスたちが次々と舞い降りていく。その数、10、20、いや100を超えるだろう。そして神の光を携えた、最も大柄なラティオスがそれに続いた。
 しかし彼らは人々が頭に思い描くほど神聖な存在ではなく、むしろ怒りに身を任せるばかりの獣に過ぎなかった。

 先陣を切ったラティオスたちが口に光弾を溜めて、巨大な怪物に爆撃を加えていく。だが攻撃はひとつ残らず鉄の体に届くことなく、やはり見えない泡に遮られてしまう。無秩序に放たれる光弾が、決して泡を破ることはなかった。
 溜めていた光弾を吐き尽くして、一度休むためにラティオスたちが離れていく。だが、怪物は彼らを逃さなかった。
 黒い結晶体が怪物の体のあちこちから発射され、執拗にラティオスたちを追い回す。始めは超能力や光弾で撃ち落としていたラティオスたちだが、収まることのない砲撃の嵐にとうとう押し返される。そして、ついに誘導弾がラティオスたちを毒牙にかけ始めた。

 無数に分裂し、また新たに発射され、空を埋め尽くすほどの結晶弾を前に、1匹、また1匹と捕まり、または爆発に巻き込まれて粉々に砕け散る。
 群れの主たる光を抱えたラティオスが気づいた時にはもう遅く。彼らも下の人々と同様に、ただ逃げ惑い、死を待つだけの存在に成り下がってしまった。


(やめて……)

 人の流れに逆らい、レイナは空を見上げてふらふらと歩く。
 声が。仲間たちの声が、消えていく。堪え難い悲しみが押し寄せ、彼女の心を、蝕んだ。

(お願い、やめて……!)


 届かないはずの声。
 それを聞いて、光を携えたラティオスが首を傾けた。

(レイナ!!)

 刹那、ラティオスの脇を結晶弾が通り過ぎて行った。その軌道はまっすぐに南の港、レイナがいる場所に向かっていた。
 ラティオスは腕を畳み、超能力の手で光を掴んだまま、結晶弾を追って急降下した。
 その後ろを、さらに3発の結晶弾が追いかける。しかしラティオスは脇目も振らず、レイナに襲いかかるそれを追いかけた。

 口に光弾を溜めて、狙いを定める。一発も外せない。撃った瞬間に反動でわずかに速度が落ちて、後ろの結晶弾に追いつかれてしまう。
 地上が急激に迫っていく。目が乾くほど見開いたまま、凄まじい集中力を発揮する。
 そして、ラティオスは光弾を撃った。同時に抱えていた神の光が、ラティオスの超能力の手を離れた。

(レイナ!! それを持って逃げ)

 それが父から送られた最期のテレパシーだった。
 ラティオスの放った光弾は正確に結晶弾を射抜いた。レイナが見上げる空で爆発が起こる。だがさらにその上で、より大きな爆発が起こった。
 レイナの周りにぱらぱらと塵が落ちてきた。ガラスのように青く澄んだ宝玉と共に。
 おそるおそる、レイナは宝玉を持ち上げた。さっきまでこれを持っていた誰かの温もりが残っている。
 上の空だったレイナの心が、その温もりのせいで、戻ってきてしまった。

(ひっ……い、いやぁぁぁあああ!!!)

 その場に泣き崩れたレイナを見つけて、お婆さんが駆け寄っていく。

「そっちは危ないわ! 早くこっちにィッ」

 視界を塞いだレイナの後ろで、何かが崩れる音がした。
 涙に濡れた顔を上げて、振り返る。お婆さんだ。首から上がないけど、お婆さんだ。ふふ、ふふふ。また、大事なものがひとつ、壊れた。

「心の雫をこっちに渡せ」

 低い男の声が聞こえてきた。
 見上げると、銃を握る黒衣の男が壁のように立ちはだかっていた。


 背中から無数の叫び声と爆撃の音が聞こえる。
 ラティオスとラティアスを狩り尽くした無数の結晶弾が、その行き場を求めて数多の帆船に降り注いだ。海上に一気に火の手が上がり、人々も魔獣も等しく焼かれていく。

 レイナは虚ろな目で男を見つめていた。
 声はもう、ひとつも聞こえない。この人間が誰で、何のために一族の秘宝たる心の雫を求めるのかは分からない。誰に聞いても、答えてくれる者はいない。
 私は、独りぼっちになってしまいました。グラン兄様。お父様、お母様。お婆さん。そして、きっとお爺さんも。
 みんな、私を独りにしないで……私もみんなと同じところへ……。

 暗く沈みきった彼女に、男の手が伸びる。
 その手が心の雫に届く。寸前。
 レイナは声を聞いた。
 正しくは、思い出した。

 それを持って逃げろ!!

 父の遺した、最期の言葉。
 そうだ、思い出した。心の雫は、私たちの尊い祖先の命の結晶。神聖な意思と覚悟で作られた宝玉。何人も穢すことは許されない、私たちが私たちである象徴。
 お父様が、そんな大切なものを私に託してくださった。なのにこんな邪悪な人間に奪われたら、私はお父様に顔向けできない! ううん、お父様だけじゃない。お母様やお兄様、お爺さん、お婆さんにも!
 だから……!

(……さない)

 青い宝玉が再び輝き始める。ラティオスが持っていた時ほど激しい輝きではない。優しく、辺りを包み込む霧のような輝きだ。
 併せて、レイナの体も光に包まれた。兄のように形を変えて、赤い翼が現れる。その光はさらに激しさを増して、無限の輝きを放った。

 男はそれを前にして、恐れるでもなく、ただ静かに銃を向ける。
 太陽のごとき輝きを携え、レイナは男に突進した。

(絶対に、心の雫は渡さない!!)

 銃声と共に、光が破れた。
 光弾が過ぎた後には何も残らない。光も。レイナの心臓も。
 首筋から始まり、ヒレのような足にかけて、一直線に穴が通る。レイナは地面に落ちる前に、こと切れた。

 レイナの手を離れた心の雫が、涼しい音を立てて転がる。
 男は軽々と拾い上げて、呟いた。

「くだらん」


 男は消えて、天空の怪物も共にいなくなった。
 わずかに生き残った人々は空を見上げて歓喜する。先ほどの神の光が怪物を討ち払ってくれたのだと。しかしすぐに、そうではないのだと理解する。
 押し寄せたアクア・アルトが、アルトマーレのすべてを綺麗に洗い流していく。生き残った人々はもちろん、老夫婦、グランとレイナ、天より舞い降りし魔獣たち、その死骸も一緒に。汚れはすべて海の底へ。

 その日、アルトマーレは世界から姿を消した……。






 世界が歪む。
 静けさを取り戻した大海原が、すっかり晴れた夜明けの空が、どこかへ吸い込まれて消えていく。かわりに別の、もとい、元あった光景が戻ってきた。

 ここは大聖堂、王の寝室。
 集うは異国の魔獣たる四足のルガルガンを連れた、背の小さな預言者たち。王と将軍。そして、人間の姿を借りたグランとレイナ。
 グランとレイナが光る目を閉じて、ひどく疲れたように絨毯の上に座り込んだ。

 王も将軍も、今まで見たことのない光景に、体感したことのない感覚に、言葉を失っていた。しかし何よりも彼らを絶句させたのは、今しがた見たばかりの夢の中身。

「これが……7日後のアルトマーレに起こる惨劇の全てです」

 麻布のローブをまとう預言者、ウェルズが言った。

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