第17話 “仮面のビシャス”

しおりを挟みました
しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
読了時間目安:17分
 ガラの悪いハッサムに後ろからせっつかれて、リースはドアをくぐった。

 名目上、ここは大企業コーダイ・ネットワーク社の本社、その社長室ということになっている。
 内装はドアの前までは豪華絢爛そのものだったが、社長室は意外にも散らかっていた。古いゲームセンターにあるような電子ゲームの台、小さなパターゴルフ用のマット等々、オフィスというよりは遊び場だ。

 コーダイは部屋の奥のデスクにいた。カタカタとキーボードを叩き、熱心に仕事をしている。
 怪訝そうに近づいてきたリースには目もくれず、作業を止めることなく彼は言った。

「セレビィ、時渡りポケモン。32世紀のお尋ね者。そしてディアルガの2番目の資産(・・・・・・)でもある」
「……あんた小生のファン?」

 軽口が返ってきて、コーダイはニヤリと笑った。

「似たようなものだ。お前のおかげ(・・・・・・)で、今の私があるのだから」

 コーダイはしばらくキーボード入力を続けた後、ようやく手を止めて、リースに向き直った。
 そして咳払いをひとつ。背筋を伸ばして、胸を張る。

「既にご存知だと思うが、私の名はコーダイ。ビジネスマンだ。ひとつ私と取引しないか?」
「あいにく21世紀の野蛮な守銭奴と取引することは何もないね」
「愛する奥方のためでも?」

 リースの眉のあたりがピクリと動いた。
 経営者でもあるコーダイは好機には目ざとい。リースの反応を見るや否や、すかさず畳み掛けた。

「ディアルガに君の理想を叶えることはできない。だが我々が仕える神(・・・・・・・)ならば、それができる。今の状況をよく考えてみろ。TBIは役立たず、ロケット団はビシャスの支配下に置かれ、公然とギンガ団に手を貸し始めるだろう。止められる者はおらず、あとはギンガ団の新世界創造を待つだけ。頼みの綱でもあるディアルガは既にチェックメイト寸前だ。このままでは君もディアルガと一緒に共倒れになるぞ」

 リースも馬鹿ではなく、コーダイの狙いに勘付いた。
 ははあん、俗にいう引き抜きって奴ね。裏切りの動機を与えて、そっちの側につけようって魂胆か。安い作戦ですこと。
 せせら笑って返した。

「それは他に駒がいなかったらの場合だろ? ディアルガの資産は小生だけじゃないし、ゲームはまだ続いてる」
「ウェルズとチェイス、ニャビーの動きなら我々も気づいている。だがディアルガは身を潜め、しばらくの間はウェルズに協力できない。彼らには、もはや対処の必要もない。あんな子供たちに資産としての価値があるかどうかも疑わしいが……」
「へへへ……そこんとこにも異論はあるけど、今言ったことはあいつらのことじゃねえよ」

 初めてコーダイが表情を歪めた。
 今のところ認識しているディアルガの駒は、ウェルズ、チェイス、ニャビー、そしてこのセレビィだけだ。他にはいないはず。ハッタリだろうか。
 不審がるコーダイの前で、リースは余裕の笑みを浮かべて、窓の外の摩天楼を見やった。

「とっくの昔に種は蒔いてきた。そろそろ芽が出る頃さ……」





「囚人6375、出ろ」

 ヤマブキシティにある鉄線に囲まれた刑務所。数ある牢獄のひとつに、その男は収監されていた。
 ロケット団最高幹部、アルバート。
 いつもの洒落た中年紳士の姿はない。だがオレンジの囚人服を着てもなお彼は威厳を失わず、大物らしく堂々と、のんびりとベッドに寝そべって本のページをめくっていた。

 ちょうどそこへ看守の男がやって来た。警棒を鉄格子に叩きつけると、端的に命令を投げた。
 せっかく面白いところだったのに。アルバートは疎ましげに顔を上げた。

「まだ本を読んでいる途中だ。このところ忙しかったから読むのを楽しみにしていたんだぞ、少し待ってくれないか」
「移送命令だ。部屋の荷物は後で送る。早くしろ」

 やれやれ。
 アルバートはため息を吐きながら、本を閉じた。

「せっかちな若造め」


 手錠をかけられて、アルバートは看守の男に連れられていく。幾重にも張られたゲートで、看守はそのつど命令書を広げて確認をもらう。その間、アルバートはふてくされて突っ立っているしかなかった。
 退屈な手続きを終えて、ようやく堅牢な建物から出られた。陽の光を浴びて、新鮮な空気を肺いっぱいに取り入れる。刑務所の外で吸う最後の空気になるかもしれない。そう思って、息を吐いた後もしばらく放心状態が続いた。

「入れ」

 無粋な看守の声で目が覚めた。
 アルバートは仕方なく言われるままに護送車に乗り込んだ。だが、入った途端に彼の眉間にシワが寄った。

「他に移送する囚人はいないのか?」

 空っぽの護送車に彼の声が響く。
 2人の看守が運転席と助手席に乗って、ドアが閉じた。

「いいから、黙って座れ」

 助手席の看守に強い口調で言われて、しぶしぶ座席に座る。
 車のエンジンがかかった頃、格子の窓から外を見やると、何やら刑務所から慌ただしく看守たちが飛び出してきた。ぎゃあぎゃあ喚き立てている彼らが、何を言っているかは分からない。だが、何を言いたいのかはよく分かった。

「あぁ……そういうことか」

 アルバートは再び大きなため息を吐いた。

 車に揺られてしばらく経つ。初めは急発進したものの、ヤマブキシティの西のゲートを抜けてからは落ち着いた運転が続いていた。
 これなら本を持ってくればよかった。アルバートは外の景色を眺めながら思った。

「もう安心です、ボス。生意気な口を利いてすみませんでした」
「いいんだ」

 アルバートは助手席の看守、もとい看守に化けたロケット団員の男に返した。

「それよりも聞きたい。誰が私の脱獄を命じた?(・・・・・・・・・・・)
「え? これはボスが命じたことでは……私はそう聞いてますが?」

 怪訝そうに言った途端、銃声が響いた。助手席側のガラスにべっとりと血が飛び散る。撃ったのは運転席の男だった。右手はハンドルを握ったまま、隠し持っていた銃を抜いたのだ。
 やはり思った通りか。それにしても、なんと器用な真似をするのだろう。
 そんなことを考えて落ち着き払っているアルバートに、運転手の男は言った。

「ビシャス様の命令だ。お前をタマムシ基地まで連行する」
「そんなことだろうと思ったよ」

 アルバートは再びつまらない景色に視線を向けた。




 タマムシシティ、その地下深くにアイアントの巣のように張りめぐらせるロケット団の秘密基地があった。
 かつてはアルバートが統治していた基地である。だが彼が逮捕されてから、基地は彼のものではなくなった。

 今の新しい統治者の名は、ビシャス。はち切れそうなロケット団制服の上に硬いジャケットをはおり、口と頭を覗かせているフルフェイスの仮面をかぶった、がたいのいい大男である。
 ロケット団に置ける彼の地位は、アルバートを追い抜き、ボスのサカキに次ぐ第二位にまで上り詰めていた。

 ビシャスはそれまでのアルバートの色を全否定するように、次々と新事業に乗り出して行った。武器やポケモン、薬物の売買ルートを確保、さらには出資者を募って非合法な研究にまで手を出した。
 これもその研究のひとつである。

「なんと……素晴らしい」

 小柄な仏顔の老人は、台に飾られている黒いモンスターボールを見つめて感心していた。
 ビシャスはその傍らで得意げになって語り始めた。

「捕まえたポケモンに過剰なストレスを与え、大脳辺縁系(だいのうへんえんけい)を麻痺させて従順にし、さらに薬物で身体能力を大幅に強化する。それらをひとつのボールに統合したもの、それがこのダークボールです」

 それを聞いて、老人はさらに喜んだ。
 ポケモンを道具に変える道具を作る事業には今まで散々投資してきた。そのいずれも大した成果が出せなかったが、これは間違いなく大当たり、革新的なアイテムだ。
 ついに待ち望んでいたものに巡り会えた!
 興奮を抑えきれずに、老人はやや上ずった声で言った。

「いくつかサンプルをいただけますかな? 持ち帰って、ぜひ試してみたいのですが」
「もちろん差し上げますとも。貴方の出資がなければ研究は完成しなかった。感謝しますよ、ミスター・デスゴルド」
「私がこの顔でいる時は、どうかメチャリッチと。そう呼んでください」

 これは失礼。
 と、ちょうどビシャスが小さく頭を下げた時、黒い制服のロケット団員の女が研究ラボに入ってきて敬礼した。

「ビシャス様」

 呼ばれて、ビシャスはメチャリッチに一言置いた。

「ちょっと失礼」

 メチャリッチはダークボールに夢中で、ビシャスには見向きもしなかった。
 その態度がやや不満ではあったが、頭を切り替えることにした。

「どうした?」
「アルバートを連行しました。尋問の用意はできています」

 ついにこの時が来たか!
 ビシャスの頭は、完全にダークボールのことから切り替わった。


 今まで、数々の敵と戦って来た。
 最初はロケット団に入ったばかりの頃、チームリーダーに気に入られるために、同じチームメイトである仲間たちを蹴落とした。幹部に取り入るために、私を引き立ててくれたチームリーダーが警察の密告屋(ガーディ)であることを偽証し、彼を永久追放にして後釜に座った。そうして私はロケット団の地位の階段を着実に上っていったのだ。
 サカキを引きずり下ろす算段はとっくの昔についていた。
 実質的には、アルバートこそが最後の障壁だった。ロケット団結成の最初期のメンバーでもある彼は、周りからの人望が厚く、経験と実績でのし上がって来た実力者だけに隙がない。

 だが、こうもあっさりと終わるとは思わなかった。
 アルバートが注意を怠った訳ではない。送り込んだスパイはことごとく処刑され、盗聴すらできない。何より、奴の隣りにいるアブソルの鼻が異常に利いていた。

 おかげで私にはまったく打つ手がなかった。
 未来人が語りかけてくるまでは。

 彼らの声は、アルバートが今後どう動き、何をするのか、その全てを語ってくれた。かわりにギンガ団の作戦を支援してくれればいい、たったそれだけの条件で私は敵の情報のすべてにアクセスすることができた。
 そして、ついに奴の王国を崩壊させることができる(くさび)を見つけた!

 タマムシ基地でのアルバートの失敗の後始末をし、奴の後方支援でもあるポケモンハンターをカントー地方から追い出し、奴の行動から先回りして警察に売る。
 失敗続きの奴をそれでも擁護(ようご)する奴はいるだろう、だがサカキはもはやアルバートを過去の遺物として見ている。組織としては奴を見捨てることになるだろう。

 崩れた城の主を(ひざまず)かせるこの瞬間。この時。
 私は、ずっと……。

「ずっとこの絵を思い描いてきた」

 タマムシ基地、支部長のオフィス。
 床には高級な赤い絨毯、壁には一面本棚が広がり、古今東西の名著が収められている。かつてはアルバートの部屋だったが、今は違う。
 椅子の後ろで手錠をかけられ、身動きが取れないかつての部屋の主を前にして、ビシャスはほくそ笑んだ。
 アルバートも同じ笑みを返した。

「夢で終わらずに良かったな。だが気をつけろ、いつ夢から覚めるとも限らん」

 おお、これが負け犬の遠吠えか。なるほど聞きしに勝る聞き苦しさよ。
 ビシャスは腕を組んで、アルバートの顔を覗き込んだ。

「以前会ったときはもっと威厳に満ち溢れていたのになぁ。だが今の貴様は、まったく恐るるに足らない。なんと哀れで惨めな男だ、サカキからの信頼を失い、無様に逮捕される様子をテレビに流され、その威信は欠片も残っていない。権威の衣を脱ぎ捨てた気分はどうだ?」
「おいおい、何だそのセリフは。せっかく勝ったというのに、まだ虚栄心を保つので精一杯か? 上に立つ男の器じゃないな」

 にやにやして挑発をしてくるこの男は、まだ何も分かっていない。私がどんなカードを握っているのか。これから貴様にどんな地獄が待ち受けているのか。
 その時の顔を想像するだけで、私は興奮のあまりに震えてしまうよ。

「今のうちに吠えていろ。すぐにお前は私の前に、心の底から跪くことになるのだから」

 一方で、アルバートは呆れかえっていた。
 ここを劇場か何かと勘違いしているんじゃないか。さっさと済ませて、道に放り出すなり処刑するなりして欲しいものだ。こいつの傲慢なセリフは聞くに堪えん。

「まだ聞いてないぞ」

 アルバートはため息を吐いて、続けた。

「何故私を牢から出した? 用件は何だ、自己満足のためか? まさか処刑のためじゃないだろう、こんな下手くそな演出は見たことがない。もっとロケット団らしい上手なやり方がある。後学のために教えてやろうか?」
「結構だ、アルバート。私が知りたいことはただひとつ」

 ビシャスは改まった態度で訊ねた。

金剛玉(こんごうだま)はどこにある?」

 それはまるでアルバートが予期していなかった質問だった。
 思わず表情が歪み、疑問符が浮かぶ。

「何の話だ?」
「とぼけても無駄だ。お前がサントアンヌ号から盗み出した金剛玉(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)のことを聞いている、あれをどこに隠した?」

 隠した、だって? 隠す余地がどこにあったと言うんだ?
 金剛玉は既に未来人の手に渡っている。未来人と通じているはずのこいつが、それを知らないはずはない。
 何か変だぞ……。

 アルバートは疑念を悟られないよう、毅然(きぜん)とした態度で言い切った。

「報告書を読んでないのか? あれはこのタマムシ基地から捕虜が脱走した時に奪われた。私の手元にはない」
「あくまで無いと言い張るのか……それもいいだろう、楽しみ甲斐がある」

 ビシャスは肩をすくめて、デスクの受話器を取った。

「あれを持ってこい」

 命令を伝えてからしばらく経って、オフィスのドアが開いた。
 何やら希望の品が届いたらしい。ビシャスは喜んで出迎えていたが、アルバートは椅子に固定されたままドアに背を向けているせいで見えなかった。
 だが、それが何なのかはすぐに分かった。

 背後からの荒い息遣い、匂い、そして弱々しい鳴き声。
 アルバートは一瞬だけ目を見開いて、そして細めた。

「セツナ……」

 アルバートの前に放り出されたセツナは、4本の足を手錠のような拘束具で縛られて身動きを封じられているのみならず、既に無残な姿を晒していた。
 さらさらと流れる白い体毛が赤く薄汚れている。表面に傷こそ見えないが、土が付いているところもある、おそらく複数人に囲まれて蹴られたのだろう。立派な三日月の角にいたっては、根元から完全に折れていた。

 あれほど美しいポケモンをよくここまで……なんと愚かなことを。
 哀れな相棒の姿を見せつけられて明らかに勢いを失ったアルバートに、ビシャスは得意げに語った。

「ポケモン保護施設からさらってくる際に暴れるものだから、少し痛めつけてしまった。あぁ可哀想に……こいつを救えるのはお前だけだぞ、アルバート。いつも彼女には助けられてきただろう、今度はお前が助ける番だ」

 アルバートは目を閉じた。
 未来人でなくとも、この先の運命はもう見えた。セツナ共々、いつか終わりが来ることは覚悟していた。それが今訪れただけの話。
 あとはもうどうでもいい。ささやかな復讐(・・・・・・・)のチャンスがあるだけだ。それを楽しんで終わるとしよう。

「地獄に堕ちろ」

 目尻にシワを寄せて放った挑発は、簡単にビシャスの仮面の裏に青筋を作った。

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想