救いの夢から償いの未来へ

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 一年前、この旅の始まりは。リーグチャンピオンの女性と殺人鬼の少年から始まった。


「……ねえ、お姉さんって、人を殺してるでしょ? 自分も人殺しなのにのうのうと他人の罪を責めるってどんな気持ち?」


 殺人の罪で四葉に捕らえられ、独房に入れられた少年が問う。どれだけ凶悪な殺人鬼でも、独房の中で真っ白な拘束服を着せられ相棒であるオオタチとも隔離した彼は無力だ。四葉は素直に答えた。

「何を言っているんだい? 僕は君のように、人間を真っ二つに両断したことなどないよ」
「……でも、殺したのはほんとでしょ?俺、今までもたくさん殺したし殺す奴も知ってるから。お姉さんの顔を見れば人殺しってわかっちゃうんだよね。なあダチ……は、いねえや」
「……なるほどね」

 四葉は顎に手を当て、少年を見つめて考える。

「えっと……何? 地雷踏んだ? 君のような勘のいいガキは嫌いだよとか言って死刑を待たずに今消しちゃう?」
「いいや、むしろ察しのいい人間は大好きだよ。そう……君になら、頼めるかもしれないね」
「……冗談でしょ? 俺みたいな平気で人を殺す奴に何を頼むのさ」

 考えがまとまったのか、四葉は檻のカギを開け、少年の前まで近づく。少年の体が自由ならこの隙に四葉の体を羽交い絞めにして、脆いほど細い体を折ることも出来ただろう。でも、今は文字通り手も足も出ない。四葉は躾の為に口輪をつけた飼い犬を見るような眼をしていた。少年の体がぞわりと震えた。

「怖がらなくていいよ。今から君は、人間をとる漁師になる」
「はっ……?」

 かつて罪人を許した聖なる人の言葉。四葉は拘束した少年を自らの細い腕で抱きしめる。綺麗に伸ばした髪が少年の顔にかかる。そこへ少年への警戒や恐れはない、敵意もない。乱暴な弟を窘める姉のようにその身を寄せて、囁く。

「これから僕の言うことを聞いて、あるトレーナー達の前に立ちはだかってほしい。君は君らしく、自分が生きるために人を殺すことを厭わず、他の誰にも省みない屠殺人として。ただし、彼らだけは殺しちゃダメだ。君の想いを伝えて、戦って、子供でも分かるような悪として彼らの記憶に残ってほしいんだ」
「そんなことして、俺に何の得があるのさ?」
「君の友達を返してあげる。僕の用事が終わったら自由をあげる。……君が望むなら、僕が君を赦してあげる。」

 そう言って四葉は、少年の頭を撫でる。表情は優しく、少年が殺人鬼であると明白に理解し、自分の妨げになったことを承知の上で柔らかく千屠を包んだ。

「……ダチと、自由だけでいいよ。俺、他人に許してほしいとか思ってないしね」

 でも、少年は四葉の要求を呑んだ。呑まなければどのみち死刑でもあるのだが、彼は打算とは関係なく頷いたように見えた。

「……僕はね、昔いつ死んでもおかしくないような病人だった。治療にはたくさんのお金がかかって、それでも意味がないかもしれなかった」
「?」

 唐突に語り始める四葉に千屠が首を傾げる。

「今はチャンピオンの地位にいるけど、君の言うとおり人を殺して無理やり手に入れた結果論さ。僕は両親の財産を食いつぶして、倒れる度につきっきりで看病をしてもらって迷惑をかけて、周りに気味悪がられて生きてきた。昔は、こっそり薬を飲み忘れて死んだ方がずっと両親を幸せに出来るんじゃないかと思っていたよ。でも、死ぬのは怖かった。そんな僕を、両親とたった一人の友人が赦してくれたよ」
「……殺したのって、その友人ってやつ?」
「当たらずも遠からずだね。やはり君は察しがいい。……だから、人に迷惑をかけ続けた人殺しだって、赦されたっていいはずさ。周りや君がどう思おうと、僕はそう思う。だから君が、僕のお願いに協力してくれるなら、今までの君の罪を全て赦してあげる。君の免罪符になってあげる」
「……あはっ。お姉さんって、変な人だね」

 少年は子供らしい笑顔を見せる。この顔だけ見れば、彼が殺人鬼だと言っても信じられないだろう。

「まあ、許したければ勝手に許せば? 別に姉ちゃんが俺をどう思おうと俺はどうだっていいからさー」
「……契約成立だね。もう一度言っておくけど、僕が殺してはいけないと言った人は決して殺してはいけないよ」
「……うん、わかった」
「さて、じゃあ君の名前を聞いてもいいかな?まだ聞いていなかったからね」
「セントだよ。でも、あんまり名前で呼ばれるの好きじゃないからさー、適当にあだ名つけてよ」

 少年の声が気まずそうに曇る。四葉は小首を傾げた。

「何故かな? 嫌な思い出でもあるのかい?」
「……俺、末っ子でさ。物心ついた時から家の中で一番いやな仕事ばかりさせられてて。小銭稼ぎだけしてくれればいいって言われた育ったんだ。それに嫌気が差したからダチと一緒に旅に出たんだけど」

 人を殺しても何の罪悪感もなく笑う少年が、心の底から辛そうな顔をする。できれば、思い返すことすらしたくなさそうに見えた。

「なるほど、小銭ね。それはいけない。名乗りたくなくなるのも納得だよ」

 四葉は外国にセント、という硬貨の単位があるのを知っている。一秒少年を撫でる手を止めて考える。

「なら、僕が君に相応しい名前を挙げよう。今日から君はこの国の名前で千屠だ」
「……変わってないじゃん」
「いいや、きっと気に入ってくれると思うよ」

 四葉が自分のトレーナーカードを開き、千屠という文字、そして文字の意味を教える。

「千もの命を当然のように屠る。人々が小銭を消費するのを気にしないように。君にぴったりの名前だと思わないかい?」
「……いいね。それ。ダチにも聞かせてやりたいな」

 この時だけは、少年は心の底から嬉しそうな声で言った。まるでずっと見つからなかった宝物を見つけたように『千屠』の文字を見る。

「よし、じゃあこれからよろしく頼むよ」

 四葉は立ち上がり、独房から出ていく。少年セント改め千屠の拘束服は、外さない。

「あれ、今から出してくれるんじゃないの?」
「まさか。そんなことをすれば君は名前だけもらって僕を殺すだろう?」
「……かもね?」
「自分より強い生き物を手懐けるコツはね。最初に僕には絶対に勝てないと思わせることだよ。……じゃあ、しばらく後でまた会おう。次に会う時は、そこから出してあげるよ」

 いつ出られるようにするのかは言わず、四葉は出ていく。そうして四葉と千屠の間に協力関係が生まれ、計画は動き出した。ああ、夢か。自分と千屠が出会った時の記憶を見て、四葉はぼんやりと自嘲する。結局自分には、千屠の罪を赦してあげることも、涼香の前で嘘を貫き通すことも出来なかった。チャンピオンになれるトレーナーとしての才能とこの地方を良くする頭脳は持っているつもりだったが、やはり友人の大事な人を死なせたことにすぐに言えなかった弱い自分には出来ないことの方が多いのだろう。

 四葉の記憶はここで終わり、次に千屠の声を聴くのは彼を独房から出してからだった。だが、夢の中の彼は四葉を見て囁く。

「……ありがとう、ちょっと嬉しかったよ。だから俺が……お返しに、四葉姉ちゃんを赦してあげる」

 それは四葉の脳が見せた泡沫の夢か。千屠が伝えたかった本心か。それを考えようとしたとき、彼女の意識は覚醒へと引きずられた。



 





「……ああ、この景色。久しぶりだね」

 四葉は病院のベッドで目を覚ました。チャンピオンになってからは体調を崩しても病院に行くことなく、治療を受けられるようにしていたから、一年以上前のことになる。だがそれ以上に、四葉はそれがずっと前のことのように感じられた。
 横たわる四葉の傍で、涼香が壁にもたれて目を閉じて自分の目覚めを待っていたからだ。

「……四葉!」

 自分が目覚めて少し体を動かした衣擦れの音を感じ取ったのだろう、涼香が目を開け四葉を見る。野生の獣のような鋭い感覚に懐かしさを覚えつつ、四葉は聞く。

「……君と僕は、生きてるんだね。あの子たちは?」
「明季葉と奏海は無事よ。……巡が身を呈して守ったから」
「……知ってしまった、だろうね」

 自分が人間ではなく、人間を模したメタモンでありフルートによる旋律が無ければ人間としての意志を保つことさえ怪しいという現実。それは受け止めがたい事実だろう。

「千屠は……あの子はあれから何か言っていたかい?」

 千屠はどうなったか、は自分と彼女が生きていることから聞く必要のないことだった。四葉はそう思っていた。

「ええ。自分からペラペラと話してくれたわ。自分が助かるためだけにあなたを唆して、その気にさせてこんな旅を仕組ませたって」
「えっ……?」

 四葉が小さくだが驚く。あれは自分から持ち掛けた話だ。彼がいなくても、何か別の人間を用意するなりして計画は動いていた。思わず言葉を止めて考える四葉に、涼香は首を振った。

「……なんであいつがそんなことを言ったかはわからないけど。あんたが子供一人に唆されたくらいで動くような衝動的な性格してないことくらいわかってる。ただ、あの子達にはそういうことにしておいて」

 何故、彼はそんな嘘を涼香達に話したのだろうか。自分の心臓を狙った時の千屠の殺気は本物だった。彼は彼らしく、千の命を屠る者として自分も涼香のことも殺そうとしたはずだ。

(彼が僕の罪を被ろうとした……?いや、まさか。それは彼という屠殺人への侮辱、かな……)

 真実はわからない。ただはっきりしているのは、自分には彼の罪を赦してあげることなど出来なかったばかりか更に罪をかぶせて死なせてしまったということだ。そう思うと自然と瞳に涙が溜まり、自分が千屠の死を悲しんでいることを理解した。

「……ごめんよ」
「何、今更」
「僕は……君が閉じこもった時、弟の死が悲しいことは理屈ではわかるけど、そこまで落ち込むなんて思ってなかった。塞ぎ込んで誰とも話さなくなるなんて想像もできなかった。君の気持がわからなかったんだ。でも……そう、こんな気持ちだったんだね」

 ぱたりぱたりと、四葉の手に涙が落ちる。自分が悲しいという気持ち、でも悲しむ権利などないのではという罪悪感。そしてそれでも止められない感情。涼香が塞ぎ込んだ時の恐れとは全く違う感情に、四葉は声を上げずにただ雫を落とす。
 涼香も、自分の弟の死を想ったのか、少しだけ顔を赤くして瞳を滲ませた。でも、既に向き合う覚悟を済ませた彼女はそれを軽く拭って。これからの話をする。

「……旅は続けるわ。明季葉や巡の意志も聞かないといけないけど……少なくとも、ヒトモシやヘルガーとの約束は果たす必要があるから」

 この旅の為に涼香が檻から出した二匹のポケモンが抱える人間への復讐は終わっていない。それを果たすのは、涼香の責任だ。巡や明季葉がまだ旅を続けるというのなら、それを引率者として見届けることもまた、罪を背負って生きる為にやらなければならない。それは四葉によって操られた強制的なものではなく、既に涼香自身の意志だ。

「私は弟の死を、昔応援してくれた人への裏切りを背負って生きる。だから四葉も……千屠の死を悲しいと、それが自分の罪だと思うなら。彼への贖罪として生きて。チャンピオンとしてこの世界を良くしてあげて」
「……うん、必ず」

 かつて同じ町から巣立った二人は、近しい者の死と裏切りを背負って、生きていく。背負うよりも記憶の中に葬り去ってしまった方が楽なのかもしれない。関係ないと、絶ち切ってしまえば自由になれるかもしれない。
 だけど、それは死者だけではなく今生きている人との繋がりも捨てることだ。塞ぎ込んで廃人同然の生活をしていた時のように、生きている時間を食いつぶすだけ。
 背負うことは辛くても、今いる大事な人と、これから会う誰かと巡り合っていく方がずっと生きている意味がある。そう――



「涼姉!入っても大丈夫!?」
「……巡、声が大きい。病院は静かに」
「いいわ。四葉も起きてるけどそれでもいいなら」

 
 そう言うと、巡がゆっくりとドアを開けて、続いて明季葉が四葉に一礼して入ってくる。明季葉の手には、奏海とは別のフルートが握られている。

「……大体の顛末は涼香から聞かせてもらったよ。君達を騙していたこと……済まなかったね」
「いいん……です。四葉さんが何もしてなかったら……そもそも『俺』は生まれてなかったんだから」

 本当の海奏の兄は千屠が殺害していて、今ここにいる巡はそれを模したメタモンによる模造体だった。自分が人間ではないことを巡はどれだけ受け入れられているのか。今は落ち着いているようだが、これから先そのことに悩まさせることも必ずあるだろう。
 
「とても怖かったし、そんなことを考えていて明季葉たちに何も言わなかったことは思うところがあるけど……巡がいるのは、四葉さんのおかげだから」
「教えてください、お願いします!俺……人間じゃないかもしれないけど、人間として生きていたい!旅を続けて、そのあとは家を継いで……俺の生まれた意味を全うしたいんだ!」
「お願い、します」

 巡と明季葉は二人で四葉に頭を下げる。

「……わかった。僕から説明はするけど、一番詳しく知っているのは奏海だからね。……彼は?」
「しばらく一人にしてくれって……旅も、もう続けたくはないって言ってた。俺と、どんな顔をして話せばいいかわからないって……」

 奏海も、巡達をある意味では騙していた。自分の目標の為に欺いていたことへの罪悪感があるのだろう。彼のこともゆっくり導いてあげる必要がありそうだ、と四葉は思う。

「二人は、旅は続けるってことでいいのね?」
「続けるよ!涼姉も、来てくれるよね?」
「勿論、引率のトレーナーとしてついていくわよ。……明季葉は、それでいいの?」
「うん。明季葉も……そうしたい」

 涼香は明季葉の旅の目的を聞いている。巡が実は家の長男でなく、人間でさえないのなら彼女が旅をする理由はなくなったことになるが……奏海のフルートを握り締め、巡を見る彼女の顔を見ればそれとは別に、旅をする理由が出来たということだ。それについて言及するのは、野暮というものだろう。

「……ありがとう、四葉」
「いいんだよ。それは君の旅が終わってからでも、ゆっくり聞かせてくれ」
「そうね。じゃあ巡、明季葉。出ましょう。まだ意識が戻ったばかりだからあまり長居はしない方がいいわ」
「あっ、そっか。またね、四葉さん!」
「……失礼します」

 巡と明季葉が先に出ていき、涼香も続いて行こうとする。その背中に、四葉は最後にこう声をかけた。

「また会おう。僕の一番の友よ」
「ええ、いつでも会いにいくわ。四葉は私の……一番の、友達だから」

 四葉は平然を装って。涼香は照れくささを隠せずに。ずっと久しぶりに交わせた友としての言葉。もう二人はライバルでも、騙し偽った怨敵でもない大事な友人として生きていける。二人の人生にこれから何が待ち受けていようとも、それだけは変わることはないだろう――



 
 

 



 

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