Page 62 : 時間

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

「……まあ、事情は大体呑み込んだ」
「さすが、呑み込みは早い」
「気持ちは分かる。けど……なんでわざわざもう一泊してしかも一緒に泊まることに……」
「まあまあいいじゃないか。キャンプっつうのは人数は多い方が楽しいぜ」
「……そうだな」
 流石のクロもクラリスに同情したのか、無駄に燻ることなくあっさりと了承した。
 キリ郊外の林にある、湖から伸びた川の傍にあるミニバンガローが点在したキャンプ場に彼等は来ていた。
 夕日が沈んでいこうとしている時間帯だった。バンガローといっても寝泊りをするためだけの四畳半ほどの木造のテントのようなもので、とても小さなものだ。その傍には据え置きの木造のテーブルと椅子が丁度四つ、地面に打ち付けられた状態で用意されている。クロと圭はその椅子に座り、ラーナーとクラリスは少し離れた炊事場で夕食作りにとりかかっている最中だ。
「それにしても、よくあの執事がここまで許したな」
「ああ。流石に車をこんなところまで持ってこれないみたいだけど、相変わらずネイティオがずーっとこっちを観察してっからな……あっちは車で何やら仕事を進めているらしい。御苦労なこった」
「まあ、最初からこうなることを予想していたのかもな」
「……そうかもなー。まあ、ここの手配とか諸々やってくれたのはさすがに有難く思うしかねえというか」
 キャンプをしてみたい、というのは言うまでも無くクラリスの要望だった。やはり旅に憧れは強いらしい。
 ただあまりにも急な話であり、クロ達もコップや小さな片手鍋といったある程度のキャンプ用品は持ち合わせているが、テントは持ち合わせていない。なるべく設備が揃ったところを探し、毛布のような寝具や足りない食器は借り、御飯の材料はさっと買い揃えて今に至る。その殆どをエクトルがクラリスに頼まれててきぱきとこなしたことだった。宿泊費も元々そこまで高くはなかったが、クラリス側が払うことになった。
 空は随分と暗くなってきていた。ぼんやりとした暗闇の中で、高くそびえる木々の向こう側に一等星が瞬き始めている。
「……わざわざもう一泊して、っていうことは、もうさっさと出ていくつもりだったのか?」
「ああ。大して有力な情報も得られなかったし、ポニータも治療してもらった。もう、留まる理由もないと思ってたから」
「じゃあ、今頃また電車に揺られている可能性があったのか……考えるだけでも気持ち悪くなりそう」
「いや、歩いていこうと思う」
「……おお?」
 歓喜を含んだ声が飛び出す。
「お前のその酔い癖も怖いし、首都まではそう遠くない。ポニータのリハビリもさせたいし、丁度いい」
「……首都? 首都にいくのか?」
「ああ。あそこは危険も大きいけど情報の吹き溜まりだ。行けば何か得られるはず」
「俺は首都に行ったら、そこに入院してるソフィの妹の看病に行きたいな」
「勝手に行ってくれ」
「おうよ」
 にかっと笑い視線を遠くに投げると、丁度よくラーナーとクラリスが二人並んでやってきているところだった。大きな両手鍋をラーナーが、食器類をクラリスが持っている。既に予告されていたことだが、今夜の夕食はカレーだ。これもクラリスの要望で、キャンプといったらカレー、カレーといったらキャンプ、というくらい大事、らしい。クラリス自身に料理経験はほぼ無いに等しいそうだが、昔から家事をこなしていたラーナーがついているのだから、味が悪いことも恐らく無いだろう。
 圭が真っ先に立ち、彼女たちの元へ向かう。
「おつかれ! 俺、こっち持つよ。ほら、クロも!」
「はいはい」
「!? クロは、手が――」
 女性陣が言いきる前に圭がクラリスの食器を、クロはラーナーの鍋をひょいと軽々持つ。一瞬クロの顔が歪んだが、無理矢理平然を保つようにそれを持ち運び机に置く。その後まるで少しこった程度であるように彼は右手を揺らす。ラーナーは肩を落とした。どういう感覚をしているのだろう。いつもクロはラーナーの予想の範疇をなんでもない顔で越えていく。
 鍋の蓋をゆっくりと開いた瞬間、カレーの濃厚で食欲をそそる匂いが噴き出し、一瞬にして周囲を満たしていった。
「うっわあ、こりゃ美味そうだ!」
「ラナさん、まだ炊事場に御飯が残ってますよね」
「俺が取ってくるよ!」
 軽快な動きで圭は走り出し、炊事場へと向かう。無意識的な気遣いもあるが、動いていないと落ち着かないタイプなのだろう。
「ポケモン達が食べても十分なくらいいっぱい作ったの!」
「せっかくなので全員大集合、で食べましょう?」
「……そうだな」
 満足感でテンションが上がっている二人に押されるように、クロは了承する。そこからそれぞれ持ち合わせているポケモン達を次々に外へ出していく。薄らとした夜の中に白い光がいくつも弾け、ポニータ、アメモース、エーフィ、ブラッキー、エアームド、スバメ――スバメは元々外にいたが――計六匹のポケモンが一同に揃い、一気に場は賑わいを見せる。
「豪勢だねえ!」
「ああ」
 クロの口元にも笑みが浮かんだ。珍しくわくわくするような胸の高鳴りが沸き起こってきたのだろう。
 それぞれに声をあげて気ままに行動を開始するのをラーナーは眺めていると、ふと昼間の会話が頭の中に蘇ってきた。
「そういえば、今日エクトルさんが、ポケモンのせいかくと味の好みは関係があるって話をしてくれたよ」
「何それ?」
「なんだかいろいろ話し込んでいると思ったら、そんな話をしていたんですか」
「うん。なんか性格診断みたいで面白かった! それによると、ブラッキーは学問的には苦いものが好きで渋いものが嫌いなしんちょうなせいかくで、エーフィは渋いものが好きで酸っぱいものが嫌いなおっとりなせいかくに分類されるんだって。合ってるでしょ?」
「へえ」
 短い言葉だが、珍しく強い興味を示しているようだった。瞳を丸くして、自慢げに出てくるラーナーの話をじっくりと聴いている。
「それ、能力の伸び幅にも関係があるんですよ!」
「あーそういえば、そうだってちらっと言ってたような気がする。……って、クラリスも解るんだ?」
「でも、内容がどうだったかまではっきりと覚えてないですね」
 クラリスは力無く苦笑する。
「そっかあ……でもエーフィもブラッキーも充分強いから、伸び幅って言われてもぴんと来ないかも。ポニータとアメモースはどうなんだろうね。スバメとか、エアームドは?」
「ポニータは……こいつ、未だに掴めないやつだから」
 クロは少し重々しげな口調で呟く。ポニータに対する戸惑いは、まだ抜けきっていない。
「アメモースは自由で気まぐれだよね」
「間違いないな」
「ちょうどきまぐれっていう分類もありますよ」
「決定だね」
 ポニータやアメモースに目を向けてみると、勿論声が聞こえていたようで、不思議そうにこちらを見ている。アメモースはカレーの匂いに惹かれるように鍋の傍に身を置いている。どうやら随分お腹が空いているらしく、要求するように大きな触覚をぱたぱたと動かしている。
「可愛らしいですねえ。……ちなみに、スバメはがんばりやで、エアームドはやんちゃっていわれてます」
「やんちゃ!? そうは見えないけど」
「ちゃんと躾けられて、大人しくなりましたからね。でも、他の鳥ポケモンと遊んでいるところとか見てるとよく分かりますよ」
「へえ~」
 感心した後に、ふふ、とラーナーは笑う。
「なんか、また一つポケモンのことよく知れたみたいで面白い」
「そうだな……」
 クロは柔らかく笑って、ポニータの額を撫でる。
 ポニータと目が合えば意志疎通ができる、そんな話を圭にされたことをクラリスは思い出し、自然とその様子をじっくりと見てしまう。
 しかし、自分にまっすぐ注目が浴びせられているのに敏感なクロが気づかないはずがなく、振り返ってクラリスを見やる。
「……なんか言いたいことがある?」
「いっいいえ!」
 不審な表情で伺っていたクロだったが、ふうと息をついてすぐに戻る。頬を赤くしたクラリスは、そのまま俯いてしまった。
 間もなくして意気揚々とした顔で「どれが俺達のやつなのかいまいち分かんなかったから手間取った」と笑いながら御飯をつれてきた圭を迎え、騒がしくも楽しいキャンプの夜が始まろうとしていた。


 *


 木々の向こう側で遠くで星が無数に瞬いている。手を伸ばせば届いてしまいそうな程それは鮮明だ。川を流れる水の音が空気を震撼させる。
 ミニバンガローを音を立てないように出たのはクラリスだった。中にいる人は起きていないようだ。寝ていても物音に反応しやすい圭も、随分疲れたのか快眠の世界に委ねられたままだ。ほっと小さく安堵の息をつき、手元のボールのスイッチを押す。しばらく休んでいたスバメが顔を出し、そのまま定位置である肩の上へと足を乗せる。
 数刻前の賑わいがまるで嘘のような静寂。クラリスは暫くスバメと共に空を見上げ、風を全身に吹き受ける。彼女の口元には満足そうな笑みが浮かんでいた。
 ゆっくりと草原を踏みしめ始めた――その瞬間。
「どこに行くわけ?」
 すぐ近くから声をかけられ、心臓が喉の奥から突き破って飛び出しそうになる。暗順応と星の光が利いて、暗闇の中でもぼんやり声の主の顔が視界に浮かんでくる。椅子に腰かけて、リラックスしていたらしい藤波黒の姿が、そこにあった。
「……クロさん、寝てなかったんですか?」
「なんとなく。……こんな夜中に、お嬢様がどこかに行こうとしている方がよっぽど不思議だ」
「それは……お手洗いに……」
 言い辛そうにクラリスが呟くと、クロは首を横に軽く振って否定する。
「トイレにしちゃ、ちゃんと荷物を揃えて、妙に灌漑に耽っていたじゃないか」
 クラリスは押し黙る。
「嘘をつくのが下手だな。そりゃあ、家の嘘つきようも許せないわけだ」クロは溜息をついた。「家に戻るつもりなんじゃないのか?」
 闇夜の静寂が、二人の間を流れていき、心の距離を縮ませるようだった。
「……クロさんは、まるで予知能力でも持っているみたいに、見通しますね」
「そんな大それた力持ってたら、苦労はしない」
 ふふ、と常夜に上品な微笑みが零れた。
 クロは机の上に置かれていた手持ちの電池式のランプを点けた。突然の光は目を眩ますが、すぐに慣れてきて、クラリスは完全に露わとなったクロの顔をまじまじと見つめた。
「じゃあ、気付かれてしまったついでに、少しだけお話をしていってもいいですか?」
「家の愚痴なら聞かない」
「違いますよ」
 苦笑しながらも、それ以外なら聞く、という彼の少し回りくどい発言の意図に気が付く。確かに、不器用な人だとラーナーの言葉を思い出した。彼の正面にあたる席に腰かける。スバメが身軽にジャンプして、机の上に乗る。その小さく丸い頭を愛しげに撫でると、ふうと息をついた。
「満足しました」
「それは良かった」
 ランプに照る彼の表情は殆ど変わらない。
「皆さん、本当に良い方々ですね。こんなの、私の我儘なのに」
「それなりに楽しかった時間を送れたんだ。今、我儘とかそういう言葉で片付けない方がいいと、思う」
「そうですね」
「……」
「あの、失礼ですけど、クロさんっておいくつなんですか?」
「歳?」
「はい。なんだか、すごく大人びていらっしゃいますし」
「さあ……」
「? どういうことですか?」
「生まれた日付が分からない。どこで、誰の子として生まれたのかも」
「……そんなことって、あるんですか」
 クロは視線を落とし、目の前のランプを見つめた。光に吸い寄せられるように、指の先程の小さな虫が寄ってきていた。
「アーレイスは治安がしっかりしてるしそういうことは殆ど無いだろうけど、李国では戸籍上生まれたことにもされてない人間が山ほどいる。今は知らないけど。俺もそうだし、圭だってそうだ」
「圭も……じゃあ、圭も年齢がはっきりとは分からないんですね」
「そう。でも俺も圭も、十八を超えてるってことは無いと思う」
「見た目はそうなんですけどね」
 すとんとクラリスは肩を落とし、それからゆっくりとはにかんだ。
「あと、もう一つ聞きたいことがあるんです」
「何」
「ポニータのことです」
 瞬間、クロの表情が固く変わる。大きく脈が打たれ、その音が耳の間近で聞こえてくるようだった。今はボールの中で休んでいる存在。彼とずっと歩いてきた相棒。目を合わせようとしない存在。
「あの、圭さんから聞いたんですけど……ポニータと意志疎通できるん、ですか?」
「……?」
 身構えていたクロは斜め上からの質問に、思わず怪訝な顔つきになった。それから数秒してから、圭という言葉から把握する。あいつ、勝手なことを喋ったな。そう心の中で舌打ちをしつつ、深い溜息をついた。
「分からない、そんなの」
「え?」
「なんでかは俺にも分からないけど、こう、目を見続ける。そしたら、自然と俺の思考がポニータに流れる。ただそれだけで、ポニータの方は何を考えてるか、分からない」
「そう……なんですか。……そっか」
 クラリスは力無い笑みを浮かべた。
「なんだか、もしかして私と同じ人なのかなって思ってました。だから惹かれたのかな、とか……。でも、違うんですね」
「俺は、あんたとは全然違う。そんなに……大切にされるようなものじゃない」
 大切、という言葉にクラリスは引っかかりを覚えたが、受け入れて呑み込む。これ以上の諍いは避けたかった。こんな夜中に、出ていく間際に小さなことに棘を向けても仕方がない。
「でも……すごいと思います。目を合わせる、それだけで、そんなことができるなんて」
「すごくなんかない。今は、あいつの考えてることが知りたいから、こんなの意味がない」
 むず痒さが胸を刈り立てる。今まではそんなことにあまり重きを置かなかったしあまり気にしていなかった。傍にいるだけでよかったし、直接的に解らなくとも自然と理解できていたからだ。今は、気軽に隣にいられなくなったから急に不安になったのか。当たり前の存在が、当たり前ではなくなる存在になり得る恐怖なのか。
 何を考えてるんだ。
 ボールの中にいる存在に叫ぶように心の中で問う。当然返事はこなくとも。
「……私なら、お手伝いできるかもしれません」
 はっとクロは視線を上げる。そこにいたクラリスは上半身を前に寄らせ、胸に手を当てる。
「私は、ポケモンの言葉がわかります。ポニータが何を考えているか問うて答えがあれば……力になれます」
 クロは初めてクラリスの目を真正面から真摯に捉えたような気がした。闇夜と同じ色の両眼は真剣に光っている。僅かに釣り目になっているところも援けて、突き抜けるような瞳の強さ。純粋で穢れがない。唾を呑みこむ。彼の中で巻き起こる葛藤の渦。胸の高鳴りは一層激しくなっていく。彼女は本気だ。いや、造作もないことなのだろう。クラリスの助けを借りれば、悩んでいることは案外簡単に解決するかもしれない。
 しかし、彼の中でそれをよしとしない彼が、伸ばそうとする手を引き留める。
 思わず力のこもった右手に巻かれた包帯が、汗ばんで気持ちが悪い。
「……いや、いい」
 選択を迫られ、差し伸べられた希望の光のようなものを、彼は退ける道を選んだ。その顔には苦渋の感情が窺えた。
「どうしてですか?」
 予想の反対側へ向かったことにクラリスは鼻を挫かれた思いだったのだろう。
「……あんまり、人に頼りたくない。特に、ポニータのことは」
 クラリスは黙り込み、何か悔しいものを感じたが、それ以上入っていけない境界線を実感せざるを得なかった。
「でも、気持ちは受け取っておく」
 淡々と、しかし丁寧に出てきた礼の言葉にクラリスは目を丸くする。同時に、頬がまた熱くなってくる。舌が枯れて喉も渇く。ただその小さな言葉だけで翻弄される。そのことがなんだか恥ずかしくて、クラリスは唇を締める。数秒の刻を置いたのち、へへ、と彼女にしては子供らしい笑い声が漏れた。
「意外と、クロさんって喋られますね」
 急に彼の口は閉ざされる。からかったつもりはなかったが、クラリスには彼の単純さが可愛らしく映っていた。彼の中身もまだまだ未熟だ。
「ラナさんが誤解しないであげてって言ってました。その意味がわかります」
「……また、変なことを」
「ふふ」
 弄ばれているような感覚が否めなくて、そういった状況に慣れていないのかクロは逃げるように俯く。
「旅の中でいろんな人に出会ってきたけど、あんたはまた、その中でも特殊な人だったよ。いろんな意味で」
「じゃあ、覚えていていただけますか」
 切実な彼女の望みが顔を出す。クロは目線を上げた。光に照らされたクラリスの真っ黒な瞳は、弱々しく揺れていた。
 クラリスは誰かに記憶されているという事実が欲しかったのだろう。クロは察する。そうすることで、まるで自分は一人ではないかのような錯覚を得る。完全に外の世界と切り離されてしまうのを避けられる。
 記憶という曖昧なものの上でしか成り立たないけれど。
「……きっと」
「私も、絶対に忘れません」
「ああ」
「それと……ラナさんのこと、大切にしてあげてくださいね。じゃないと私、許しませんよ」
「……女はそういうところで怖いって知り合いに言われる」
「約束ですよ」
「努力する」
「……じゃあ、私、そろそろ行かなきゃ。エクトルが待ってますから」
「ああ」
「いろいろ、ありがとうございました。……私、幸せでした」
 クラリスはその場を立ち上がり、深く一礼し、そして、夜に輝く月のように美しく笑った。
「……頑張れ」
 最後にクロから告げられた言葉が、クラリスの胸を大きく弾いた。
 スバメの小さな声が漏れる。
 水泡のように淡く途切れていった会話を惜しみながら、彼女は潜む感情が崩壊する前にいつしかクロに背を向けていた。歯を食いしばって、逃げるように、後ろ髪をひかれる思いで、感謝の言葉を心にいくつもいくつも刻みながら。

 夏が、終わろうとしていた。

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