Page 56 : 疑問

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 利用することも無く必然的に車の知識が無いクロ達でも、エクトルが運転してきた黒塗りの車が高級車であることはなんとなく察することができた。見えない圧力で半ば強制的に車内へと誘われたクロ達は、強張った姿勢で低反発の後部座席に腰かける。その後部座席も二列になっており、それぞれ足を存分に伸ばすことが可能な程十分な広さを保っている。前方にクラリスとラーナーの女性組が、後方にクロと圭の男性組が座ったことを確認すると、エクトルは慣れた手つきで作業を進め、車をゆっくりと発進させた。エンジンの音も殆どせず、静かに、揺れもほとんどない。初動だけで、彼の運転技術と車の性能が露わになる。
 車内は息の詰まるような沈黙に包まれていた。助手席にはネイティオがいるために異様な雰囲気も佇んでいる。そして一言も喋らず視線を落としているクラリスが更に空気を重くする。スバメはクラリスのスカートの上に足を乗せると、影が色濃く反映されている彼女の表情を心配そうに見上げていた。
 横に長い窓から覗くことのできる景色は次々と過ぎ去っていく。爽やかなキリの風景。しかし楽しむような気持ちの余裕は勿論無い。
「もっと楽になさってはいかがですか」赤信号で停まった時、呆れたようにエクトルはバックミラーを覗きながら声をかける。「御心はお察しいたしますが、こちらとしてもあまり緊迫した状態では話し辛いので」
 返事は無い。
 エクトルの溜息が小さく零れた。
「そうですか。まあ、いいでしょう。では、車内から失礼いたしますが、先程の話の続きをしてもよろしいでしょうか」
「――顔も向き合わず、というのは失礼でしょう、エクトル」
 閉口を貫いてきたクラリスが言葉を刺す。ミラー越しにエクトルの表情が僅かに歪む。
「……そうですね。しかし」
「失礼をしているのはこちらなのですよ」
「最後まで人の話は聞くものですよ、お嬢様。しかしながら、彼等の危険要素は拭いきれておりません」
 クラリスの目が一気に丸くなり、身を僅かに乗り出す。
「危険だなんて、エクトル!」
「私だって子供相手にこんなことは言いたくありませんよ。しかし、その端的例が」
 怒号を無理矢理押さえつけるように、すかさず冷静沈着な声。
「オレンジ色の髪の御方の持つ、それは物騒な凶器に間違いないのでは」
 クラリスは口を閉じ、思わず後方にちらと目をやる。突然話題を振られ、目を丸くしている圭へと。
 鮮やかな夕日の色をした瞳は、座るのに少々邪魔であるが故に今は座席から床にかけて立てかけている自分の刀、五月雨を見やる。
「……やっぱり目立つのかな」
「当たり前だ」
 ひそり声で尋ねてきた圭に、クロは肩を落としながら返答する。
 さすがにこの会話までは聞き取れなかったエクトルは不穏な表情を見せながら持論を続ける。
「これ見よがしに巨大な刃物を持ち歩いている点で、少なくともただの一般人とは言えないでしょう。髪の色も常識では考えられないものですし」
「髪の色なんて、どうでもいいでしょう。中身には関係ない。そんな人達じゃないです! 私が保証します!」
「何も知らないのにそんなこと言えないでしょうが」
 瞬時に激昂はすぐに沈黙に呑み込まれる。
 心の中でそっとクロはエクトルの言葉に同意した。実際彼等にクラリスに危害を与えようという気など微塵も無いが、客観的なエクトルの意見は正しい。クラリスに警戒心が無さ過ぎるのだ。
 成程、ネイティオをボールに戻さない理由も察せる。助手席に居るのは、鳥ポケモンを象ったエクトルの警戒の心。エアームドを強制的に引き戻すほどの力を持ったネイティオならば、車内で何が起ころうと瞬時に対応できる。無言の威嚇、表情の無い抑圧。勿論、ネイティオが居なくともここで暴れたところでなんの意味もメリットも無いのだけれど。
 警戒しているのはクロや圭も同じだが、このままでは埒があかない。
 クロは意を決し、唇を動かし始める。
「俺達はかまわないです。それよりさっさと話を進めてくれた方が嬉しい」
 淡々と、しかしそれ故に棘があるようにもとれる言い方。ラーナーが不安そうに横目をよこしたが、クロの瞳はむしろ以前のように強く鋭く光っていた。
「……だそうですよ、お嬢様」
 クラリスは無言を貫きながら、唇を噛みしめて渋々といった風に頷いた。
 アクセルが再び車にかかり始める。
「では」エクトルは運転を続けながら切り出す。「あなた方の素性をお尋ねしたい。名前……そして、キリ在住の方であるか」
 沈黙が流れ、慌てたようにラーナーが姿勢を正す。
「ラーナー・クレアライトです。……キリには今日初めて来ました。ウォルタ出身です」
「おや、そうですか」エクトルはやや拍子抜けたような声音をあげる。「それは遠いところから。観光にでも」
 先程までより案外物腰が柔らかくなったエクトルに、かえってラーナーは面食らってしまう。
「いや、観光目的ではないんですけど……なんというか……」
「ちょっと立ち寄った、みたいな感じだよな」
 圭が身を乗り出して話に口を挟む。そこでラーナーは、キリに来たのは圭の電車酔いが原因だったということを思い出した。
「そうだねそんな感じ。……今話したのが紅崎圭くんで、リコリスから。それでもう一人が藤波黒で……、……」
 あれ。
 ラーナーは口を思わず止めた。ふっと頭のてっぺんが真っ白になる。
「……後ろの男性お二人は、李国の方でもあるのですか?」
 僅かに低くなった。
 リコリスで圭とソフィと初めて出会った時、ソフィがクロに同じような質問を投げかけ、そしてクロが曖昧な答え方ながらも肯定した記憶がラーナーの頭によぎった。クロの名前も圭の名前も、彼等が李国に関することをそのまま紹介しているようなものなのだ。
「……まあ、そうっすね」
 軽やかな舌を持つ圭も、この質問には返答を淀ませる。
「そうですか。李国、ですか」
 僅かな言葉。しかし意味深げな含みを感じさせるような厚み。再び訪れた沈黙の間に、エクトルは何か考え込み始めたように表情に影を落とした。それは後方から見えるはずもなく、そして彼が何を考え出したのかも当然誰に解るはずもなく、時間が経つにつれてクロと圭の戸惑いは増幅されていく。これほど詮索の意志を全面に出してくる相手だ、踏み入ってほしくないところに質問をぶつけてくる可能性がある。
 身構えても、しかしエクトルはなかなか動きを見せない。
「……あまり干渉すべきところではないのでしょうね、それは」
 漸く出た結論にクロと圭は思わず顔を見合わせ、表情を変えながら前を見る。
 その時彼等はエクトルに対して嫌悪感以外の感情を向けた。遥か後方からもよく分かる彼の背中が、ふと更に大きいものに見えた。
「複雑な国ですから、あなた方の境遇もまた、大変なものでしょう」
「……李国のこと、知ってるんですか?」
 不思議に思ったラーナーが尋ねると、エクトルは首を軽く横に振る。
「詳しくは存じません。しかし、様々な文献を通して入ってくる情報は、正直に申せばあまり気持ちが良くなるものではありませんし、ここで言うものではないでしょう。こちらにいる李国出身者は、苦労人ばかりですし、子供相手に、これ以上それに関して尋ねるのは野暮というものかと」
「そういうことにしてもらえると、有り難いっす」
 圭が苦々しい表情を浮かべながら言うと、クロも黙ったまま同意の相槌を打った。
「しかし、だからといってお嬢様と共に行動していたことについては説明がつきません。経緯を説明していただきたい」
 場が少し緩みそうになったところを、すかさず彼は締める。張りつめた空気をまた作りだしていく。
「ええっと……病院で偶然出会ったんです」
「病院――ああ、エアームドですか」
 ラーナーの言葉ですぐに察していくエクトル。先程も李国という小さな単語から膨らましている。頭の回転の良さと、想像力、それを作りだす知識が詰め込まれているのだ。
「はい。それで、私達も病院に用があって、クラリスさんから話しかけられて、ちょっと話もしたりして……流れで観光案内していただけることになって……」
 ポニータのことはあえて伏せる。クロがポニータに関してひどく落ち込んだことも勿論話そうとはしない。
 エクトルも話の飛躍は無言になったが、ふと誘拐されたのは自分達の方であるというクロの発言を思い返す。
「観光で来たわけではないんでしょう。偶然出会っただけでなぜそんなことに」
「あー、しいて言えば、気分転換というか」
「はあ。それをお嬢様が提案したので?」
「はい――あっでもそれはすごく有難かったんですよ!」
「それはまあ、良かったですが」
 エクトルの表情に疑問符が浮かぶ。
「お嬢様にそれほど土地勘があるか甚だ疑問ですがね」
 しん、とまた静寂。
 その中で、スバメが大きな目を窓の外に向けて言及を回避しようとする。
 エクトルの察した通り、地元でありながら土地勘に欠けたクラリスは旅人に道を紹介できるほどの力は無い。短時間ながら、小さなキリ観光を先行していたのは実はスバメだったといってもいい。クラリスの少し前を飛んで、彼女に声をかけながら先導していたのだった。
 彼には全てお見通しのようにクラリスには思えた。全てにおいて彼は疑っている。非の無い人たちに隠れ続けることはできない。そうしようとするずる賢さを彼女は持ち合わせていない。
 沈黙の中で彼女の小さな溜息が淡く溶けていった。
「エクトル、全部私が押し付けたことです」
 続けざまに力無く諦めの色に染まったクラリスの声が落ちる。
「この人達は……何も悪くないし何もしていないんです。本当に。こんな風に巻き込んでしまうなんて思ってもいなくて」
「では今度はお嬢様に質問しましょう。そもそも何故彼等を観光などに誘ったのです?」
「……」
「あなたの目的は先程の行動でよく解りました。退院したエアームドに乗って、キリから出ていくこと。出ていこうとしている町を案内しようとしていることも傍から見ればおかしい話ですし、あなたのその無謀な行為を少しでも成功させようと思えば、エアームドを引き取ってからさっさと飛び出すことは当然のこと。でも、あなたは彼等と行動することを選んだ。何を考えてのことです。まあ、町を出るなど所詮本気では無かったということなら納得ですが」
 クラリスは口を紡ぐ。
 隣に座るラーナーはじっとその横顔を見つめる。彼女にはなんとなく彼女の気持ちが理解できていた。自分たちへ対する異常ともとれる好奇心、そしてクロに対する視線の熱さ。話の全てが見えたわけではないが、元々計画していた「この町から出ていく行為」を後回しにしてでも、クラリスは今、あの瞬間の数々、クロ達との時間をとった。それほどに強い衝動、意志だった。今は弱弱しげに俯いているけど、彼女の内の心は強く激しいものであることを、僅かな時間ながら彼等は知っている。それをエクトルが充分に理解していないか。答えは勿論、否。出ていくことが本気でなかった? そんなわけがない。解っている。しかしだからこそ、その強い意志で導き出し挑戦したキリからの飛び出しを何故犠牲にしたのか、それほどにクロ達一行に惹かれるものはなんなのか、エクトルには解らなかった。
 彼は答えを待った。
 しんと考え続けたクラリスは、ようやく口を開く。
「……旅のお話を、聞きたかったんです」
 ラーナーは目を細めた。
 エクトルにとっては拍子抜けだったようで、はあとおぼろげな呆れた声が自然と零れていた。
「話、ですか?」
 一つだけ大きく頷くクラリス。
「旅の話……他の街の話、出会ってきたものの話、持っているポケモンの話も。旅をしていらっしゃるって聞いたら勝手に親近感が湧いて……いろんなことを話して、そしたら……なんだか、仲良くなれるような気がして……」
「……」
 エクトルは遂に相槌も聞き返しもお得意の溜息も何の言葉も出てこず、押し黙った。
 ――仲良くなれるような気がして。
 ふいに出てきた言葉が、少しだけラーナーの心を、揺らした。
 そして思っていたことの片鱗を見せたクラリスは口元だけ気恥ずかしそうに微笑んで、隣に視線を投げる。ちょうど目が合ったラーナーは頬が途端に熱くなるのを感じた。
「唐突ですが、皆さん、よろしければ私の家で宿泊されてはいかがですか」
 クラリスの提案に彼等は驚きの表情を露わにした。ラーナーに至ってはえっと思わず声をあげる。
「いろいろご迷惑をおかけしましたし……ぜひ」
 咄嗟に誰も返答することは無い。しかしエクトルがそれを咎めようとする気配も無い。エクトルはただ耳を立てながら、様子を伺うのみだった。
 落ち着かない沈黙の中で、圭はちらと目線を隣の少年に寄せる。
「どうする、クロ?」
 圭が尋ねる。クラリスとラーナーもつられるように後ろに目線を向ける。図らずも一気に注目を浴びたクロは考え込むように目を伏せる。
「ぜひ、来てください」
 念を押すようにクラリスは言う。語尾に先刻のような元気の良さはないけれど、押しの強さは残っている。否という答えは認めないとでも言いたげな鋭さ、強さ。彼女の心の強さをそのまま反映したようなそれ。
 しかし、意志の強さで言えば、クロ達もまた負けないものがある。
 そうして、彼が出した答えは。

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