Page 26 : 料理

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 夕日は沈み、辺りが暗闇に包まれていく。西に残る光がかろうじて町を照らしているが、真っ暗になるのも時間の問題だろう。
 オーバンの薬屋も店を閉める時間になった。それを示す為にアランは正面の扉を開き、扉に付いた紐がかかった小さな木の看板を回す。「OPEN」と書かれたものが引っくり返って「CLOSE」の文字を示す。
 それから扉の近くにある電灯に手を伸ばすと上にある大きな黒いネジを回す。するとそれに合わせて淡い白い光が灯った。
 電灯を付けると、アランは扉を開けて家の中へと戻る。
 中ではラーナーがせっせとカウンターを布巾で拭いているところだった。
「ラナちゃん、それはもういいからさ、そろそろ夕食だ」
「あ、うん」
 ラーナーはアランに言われると布巾をカウンターの端に置く。
 その後アランはカウンターの後ろに回ると奥の部屋を覗き中を見回す。
 六畳程のその部屋の壁は沢山の木の棚がおおい尽くしていて、大きな木のテーブルが真ん中に置かれていた。
 そのテーブルの上には様々な草や紙、小鉢などが乱雑としていた。独特の鼻をつく匂いが漂っており、机の向こう側で椅子に座りながら居眠りをしている、白いTシャツと黒いジーンズを履いた中年の男性がいた。
 しっかりと掃除をされた床をアランは歩き、その男性の元へと近づく。木を歩く音が響くが、男性は小さないびきをかいていて気付かない。
「師匠いつまで寝てるんですか、夕食です!」
 大きな声を張り上げるアランだが、その言葉を吐くと同時に狙ったのではというぐらいのタイミングで大きないびきを男性はあげた。そのおかげでアランの声は男性に届かなかったようだ。
 その様子を覗き見していたラーナーは苦笑いをする。
 アランは全く起きる気配がないことを確認すると溜息を吐き、その後思いっきり息を吸った。
「師匠、夕飯ですよ!!」
 男性の耳元でアランは叫んだ。その途端男性の目がはっきりと開き、次の瞬間男性は椅子から転げ落ちていた。
 絵に描いたようなオーバーリアクションにラーナーは思わず顔を引きつらせた。が、それに動揺することなくアランは手を腰に当てて男性を見下ろす。
「疲れても食べないとエネルギーは出ないっていつも言ってるじゃないですか。早く食べましょう」
「……あ、ああ……耳がジンジンする」
「おばさんが待ちくたびれますよ」
「す、すぐ行く。ちょっと待て」
 少し慌てたように男性は立ち上がり、机の上を軽く片づけ始める。目に眠気は欠片も消えていた。
 アランも続くようにその片づけを手伝う。
 思わずラーナーは口元で笑い、身をひるがえすとその部屋を後にし廊下を歩く。途中でまた別の部屋に入る。大きなテーブルがまず目に入るダイニングルームだ。
 濃厚な匂いがラーナーの鼻を通り、一気に空腹感が増した。
 白いテーブルクロスがかかったテーブルの上には既にいくらか食事が並んでいる。
 キッチンからエリアが出てくると手に食事の乗った皿を持っている。その顔は上機嫌であった。
「手伝いますよ」
「ああ、いいのラーナー。これでもう終わりだし」
 そう明るく言うとエリアは皿をテーブル上に置いた。ラーナーは改めて今夜の食事の献立を見回し歓喜をあげた。
「これは何のお肉なんですか?」
「鴨肉よ」
 ラーナーが指差した先にはソースのかかった少し薄めに切ってある鴨肉があった。傍にはレモンや鮮やかなハーブも添えられ彩りもばっちりである。
「このソースはお隣さんから貰ったものなんだけど、ぴりっとしてるんだけどちょっと甘くて、美味しいの」
「へえー」
 他にはスモークサーモンと様々な菜っ葉のサラダやコーンスープ、カットされたフランスパンなど色取り取りな食事である。
 どれも少しラーナーにとっては量が多めだが、アランは育ち盛りで非常によく食べるから問題は無い。
 それにしても、とラーナーは感服する。約二週間ここに身を置き当然の如く食事も食べさせてもらっているラーナーだが、勿論これまでも美味の料理であったが今日は一段と格別だった。上機嫌なエリアの様子がそのまま表れているように料理も生き生きとしているように見える。
 高揚した気分を少し押さえると、ラーナーは呆気にとられて思わず出たような小さな溜息をはいた。
「今日はなんか豪華っていうか、気合入ってないですか?」
「ふふ、ちょっといいことがあってね。腕によりをかけてみたって奴よ」
「そうなんですかー。でも、すごく美味しそうです!」
 ラーナーは再び目を輝かせ満面の笑顔を見せた。
 ウォルタでは料理を行っていたラーナーは料理の上手なエリアは尊敬している存在であった。時々手伝うが同時に彼女自身が学ばせてもらっている。
 と、足音がしてきてラーナーは部屋の入り口を見る。すると先程の男性と、少し遅れてアランがやってきた。二人はテーブルに並ぶ料理に目を配る。
「おおおっ!」
 真っ先に感激の声をあげたのはアラン。目を光らせてテーブルの傍に駆け寄ると自然と笑みがこぼれていた。
 キョロキョロと目を泳がせて視界がまるで定まっていない。今にもそのまま料理に突っ込んでしまうのではと思うくらい身を乗り出している。
「すごい! なんですかおばさん、今日ご馳走じゃないですか! こんな料理しちゃって家計は大丈夫ですか!」
「余計なお世話だよ、あんたは時々一言多いんだから」
「全くだ」
 男性は大きく頷きながらアランの頭を軽く叩く。男性の身長は180センチと高く、アランを完全に見下ろしていた。
 少し頭を押さえるアランだが全く痛そうではなく、むしろ顔は小さな少年のように笑っている。
「ガストン、ワイン飲む?」
 エリアは男性――ガストンに声をかける。
「ああ」
 即答であった。エリアはキッチンに入っていき、何度か音がするとすぐに戻ってくる。ワインの入った瓶とワイングラスを手に持っている。

「さ、人数も揃ったことだしそろそろ食べようか」
 エリアは笑顔を浮かべて手に持っているものを置くと、腰エプロンの後ろで結んでいた紐をほどく。
 アランは早く食べたいと言わんばかりに誰よりも早く席に着く。その様子を見て他の3人は大声をあげて笑った。


 *


 月光が部屋をさす中、少し寝がえりをうとうとするクロだったがやはり身体の痛みは続いている。めんどくさいものだな、と心の中で呟いた。強制的に動かせば全身の骨が折れるような痛みに見舞われそうな予感がしたから、さすがにそれはやめておくことにした。
 しかし余りにも長く寝過ぎてしまったせいで、もうこれ以上眠れなくなってしまった。これ以上ないくらい暇で、苦痛である。
 どんなに目を閉じてもまるで寝れる気がしないのだ。静かで気温も適度で、布団がどこか埃っぽいことを除けば寝るには快適なのだが。
 若干布団のせいで暑く感じられてきた。が、それをどけることもやはり叶わず、クロは溜息をついた。
 どうにか頭は動かせるから首を回して部屋を見る。相変わらず汚い部屋だと彼は毒づいた。何も変わっていない。積み重なった本や壁の角の蜘蛛の巣が目についた。今にも壊れそうな小さな扇風機が回る。
「掃除しろよ」
 思わずクロはぼそりと言葉に出していた。
 と、ドアをノックする音が部屋を叩き、クロは思わず身を固める。
 軋みながら開いた扉から入ってきたのは彼が予想していた人物ではなかった。エリアが右手にスープの入った皿、左手にはスプーンを持って入ってくる。
「クロ、本当に起きたのね。良かったわ」
 柔らかく笑うエリアの姿を見て、クロは自然と心が安堵する。
「エリアさん、お久しぶりです」
「もう、そういう敬語はいい加減やめなさいっていつも言ってるのに。あなたはもう家族みたいなもんなんだから」
「ははは」
 クロは苦笑する。
 エリアは左手で部屋の電灯をつけようとする。が、スイッチを入れても明るくならない。どうやら電球がエネルギーを使い果たしたようだ。
 思わずしかめ面になるエリア。スープの皿にスプーンを入れて机に置くと、机にあるランプをつける。小さな光が部屋をささやかながら明るくした。
 それから両手を腰に当てて大きな溜息をついてエリアは部屋を見渡す。
「ほんと、この部屋掃除しないと。よくこんなところで生活なんかできるわね、アランは」
「全くです」
 机の傍にあった椅子をベッドの傍までエリアは運ぶと、再び皿を持ってそこに座る。
 小さな虫の声が開いたままの窓の外から届いてくる。空高くで月がおぼろげに白く光っていた。
「起きれる?」
 エリアの問いにクロは軽く首を横に振った。
「首と指先しか今は動かないんです。ここまで痛いのは初めてなんですけど……」
「無茶をした証拠ね。身体は嘘をつかないってホントなんだから。じゃあ口を開けて」
「……えぇ」
 思わずクロは怪訝な表情を浮かべる。エリアはスープをスプーンで一掬いするとにっこりと笑う。スープを息で軽く冷まし、クロの口元に寄せた。
「え、あの、エリアさん、えっと」
「しょうがないでしょ、食べなきゃ治るもんも治らないわよ。プライドなんてどうでもいいじゃない。はい飲む」
「えぇ、わっ」
 もう一度不満の声を漏らした瞬間をエリアは逃さなかった。開いた口に無理矢理スプーンを入れると彼の口内に流し込む。
 直後、思ってもいなかったためにクロは思わず咳込んでしまう。が、温かさととうもろこし独特の甘さとが自然と舌に溶け込み、少しクロの顔が緩んだ。その美味しさに口は欲求を強くする。
 咳によって吐きだしたものの若干口の中に残ったスープを飲みこむ。
 エリアはふわっとしたロングスカートのポケットを探ると白いハンカチを取り出し、クロの口周りを拭く。その力が少し強いのもあってクロは露骨に嫌な顔をした。
 拭きとるとエリアは白い歯を見せた。
「動ければねえ、こんなこともしてもらわなくて済むわねえ。ま、今は我慢しなさい。美味しいでしょ、今日は気合入れたからね」
「……はい」
 クロは仕方なく諦めた。何しろ彼女の言っていることは残念ながら真実だし、何よりお腹がスープを欲している。
 おとなしく運び込まれたスープを力なく口の中に入れてもらうクロは、心の底から早く身体が動いてほしいと願った。彼の中に育っているプライドがこの状況を嫌がり、恥ずかしがっていた。そのため自然と頬も赤くなる。
 しばらく沈黙が続く。スプーンがスープをすくう度に金属音が時々跳ねる。扇風機の音が鼓膜をひっかくように鳴っていた。
 沈黙を破ったのはエリアの方だった。
「いつ頃動けるようになりそうなの」
 エリアは問いかける。それに対しクロは何度目かのスープを飲むと沈黙しながらも、口を開く。
「分かりません。こんなにきついのは初めてなので」
「そう……ラナちゃんにはまだ言ってないの、あなたが起きたって。早く報告できるようになりなさいね」
「はい」
 少し悲しそうに顔を俯かせたエリアは、スプーンを皿に置く。その中身は綺麗に無くなっていた。元々そんなに量は無かったために早い。
 エリアは椅子を立ち上がる。その動作からクロはスープが終わったのだと知り、ほっと息を吐いた。ようやく終わった、と。
「じゃ、後はゆっくり休みなさい」
 微笑みを浮かべるエリアにクロは大きく頷いた。
 エリアはランプを消す。途端に部屋が再び暗くなる。月の光でエリアの姿がなんとか見える状況だ。
 ドアを開こうとするエリアは思い出したように目をはっと開くと、くるりと振り返ってクロに向かってにやりと笑う。暗闇も手伝ってその笑みがどこか不気味なものに見え、クロは顔を引きつらせた。
「良かったらお風呂入れてあげようか?おばちゃん頑張っちゃうわよ」
「いっいいです遠慮しときます!」
 クロは顔を真っ赤にして全力で否定したが身体に力がこもったせいで全身に大きな痛みが走った。その途端声にならない声をあげる。
 それを見てエリアは大きな声で笑う。冗談だよ、ゆっくり寝なさい、そう言うと部屋を後にした。
 痺れるような痛みを我慢しながらクロはほっと息をついた。エリアの冗談に聞こえる言葉は冗談でないことであることがしょっちゅうなのだ。クロは動けないのだから無理矢理連れていかれたら反抗しようがない。
 全身に疲労が圧し掛かってきたのをクロは感じる。けれどそれとは裏腹に気持ちが軽くなったのも事実だった。


 *


 キッチンで皿洗いを済ませ少し落ち着いてきた頃、裏の玄関から物音がしたのをラーナーは耳に入れてダイニングルームから出る。
 玄関の方へと向かっていくとアランが扉を開けて出ていこうとしている所だった。
「今日もバイト?」
 黒いショルダーバッグの中身を確認しているアランに向かってラーナーは声をかける。それに気付きアランは顔を上げて力無く笑う。
「まあな。そろそろ行ってくるよ。おばさんには言ってないけどまあいいや」
「聞かれたらそう言っとくよ」
「よろしく。まああの人も知ってるだろうから別に聞いてこないだろうけどな」
 そう言った後に思い出したようにアランはそうだ、と言うと傘立てから青い傘を適当に取る。
 ラーナーは首を傾げてアランの横を通り抜けて夜の空を仰ぐ。月が光り瞬く星が散らばっているが、民家の隙間の遠くの方で雲があるのが何となく分かった。
 それが雨雲なのかどうかは夜であるために判断しづらいが、アランが傘を持つということは恐らく水分を多く含んだ雲なのだろう。
「今日の天気予報で、夜に雨が降るって言ってたんだ。一応傘持っていっとく。じゃ、遅刻しないようにもう行くから」
 軽くラーナーに手を振るとラーナーはワンテンポ遅れてから頷いた。アランは軽く笑って右方向へと道を進んでいった。
 少し顔を曇らせるラーナー。前で組んだ手をもじもじと組んで、唇を噛みしめる。何かを迷っているように見える。アランの姿が十メートルほど遠くなった頃、思いきって口を開いた。
「アランくん!」
 叫んだ声は少し距離が遠くなったアランの耳に届き、アランは足を止めて振り返る。そこにラーナーは駆け寄った。
 何、と呟くように言うアランに対してラーナーは未だに迷いながら、顔を上げる。
「出掛ける時に言うのもあれなんだけど、その……クロは、まだ起きないの?」
「……」
 息を止めるアラン。沈黙が訪れ、その間に言葉を探るアランはまず深く頷いた。
「まあ、気長に待ちなよ。あいつなんだかんだで異常に丈夫なんだからさ」
 嘘をつくのは辛かった。誰が一番クロのことを心配しているかどうかなんていうことは比べるべきものではないが、ラーナーはいつもクロの様子を気にしていた。これまであまりそのことは言葉に出さなかったが。
 アランはじゃあ、と言ってその場を半ば逃げるように後にした。ラーナーはその背中を追いかけようとは思わず、その場に立ちすくす。
 溜息すらも出てこず自然と顔を俯かせる。風の無い静かな夜だった。大分夏の気が取れた夜は暑くなくかといって涼しくもなく、平温である。
 少し時間が経ってからラーナーの背後から足音が響く。ポニータが歩いてきていた。ずっと家の外で待機していて、ラーナー達の様子を観察していた。
「クロ、死なないよね……」
 ポニータとラーナーの距離が1メートルを切った頃にラーナーは呟いた。
 その言葉に思わずポニータは足を止めてしまう。
 ラーナーは両手を組み合わせて力を入れる。その身体は小刻みに震えていた。
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