世界を駆ける銀狼

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 女は三度、己の目を疑った。
 いつの間にこんな所に来てしまったのか、女はシルクの羽織を纏い、天蓋つきのベッドの中にいた。周りを見渡して絶句する。女が見たこともないようなきらびやかな装飾があちこちに施された、どこぞの金持ちの豪邸にでもいるかのような部屋だった。数度目を瞬いても、その光景が消えることはない。
(疲れているのかしら?それとも寝ぼけているのかしら……)
 再びベッドに倒れ込んで伸びをする。夢なら夢でいい。少しでも手持ちの問題児たちから解放される時間を楽しもうじゃないかと、女が目を閉じた時。
「おはようございます、―――――様」
 今度は三度、耳を疑った。聞き覚えのある声、しかも口調が全くと言っていいほど違う。布団代わりの薄い布を跳ね除ける勢いで飛び起きて、声の方に顔を向けた。
 声を掛けてきたのは、白い雲に乗った緑の鬼。おどろおどろしい顔をしているが、中身は子供のような奴だと彼女は思っている。その粗野な言動と行動で彼女の胃にいくつ穴をあけたか分からない、彼女の悩みの種であった。――はずなのだが。
「朝食を召し上がりますか?それとも、シャワーがお先で?」
 その言動は普段とは似ても似つかないほどに丁寧なものになっている。それだけならばまだしも、胸に手を当てて恭しく頭を下げたのである。ありえない、という言葉が、思わず口から零れ落ちた。
「あんた、ダズなの?」
「お忘れですか?あなたと出会った頃から、そう呼ばれていたではありませんか」
「酔っぱらった拍子に机の角で頭でもぶつけたのかしら」
「……?そのようなことはございませんが」
 疑ってかかっても、緑の鬼は首を傾げるばかり。
「とりあえず、着替えてからね」
「かしこまりました。……ロケット!」
 緑の鬼が呼ぶや否や、二足歩行のキツネポケモンが呼ばれた名を体現する勢いで現れた。それだけならば普段のキツネだったのだが――その両の手で女ものの服の肩を持ち、足をそろえてすまし顔という、これまたありえない光景。女の口は開いたまま塞がらない。
(まるでカートゥーンの世界だわ)
「私は外で待っております故、着替えが終わりましたらお呼びください」
 緑の鬼は深々と礼をして、部屋を出て行ってしまった。女性の着替えを覗こうとしないあたり、女が着替えている部屋にも平気で入ってくる普段の行動からは考えられない。
「自分で着替えられるわ」
 背後に回って服を着せようとするキツネから服を受け取って、女は着替えを始めた。元々着ていた羽織は、脱いでベッドに置くや否や、キツネによって目にもとまらぬ速さで回収され、丁寧に折りたたまれ、再びベッドの上に投げ出された。いつもなら女が綺麗に畳んだ服を滅茶苦茶にされるのが嘘のようだった。
(やっぱり、おかしい。いつもあれだけ暴れているからかしら。あまりにも不自然だわ)
 そんなことを思いながら橙色の目を見つめても、キツネは何も答えない。服を着て、腿に拳銃の入ったホルスターを隠す。いつ襲われても対処できるようにと、女はいつも
 そうこうしているうちに、どこからかどたばたと何かが走っているんだか暴れているんだかわからないような音がし始めた。女にとっては聞き慣れた音。しかし、その音を立てるはずのポケモンは目の前にいる。
「お客様、困ります。お嬢様は今、こちらで着替えておいでですので……」
 緑の鬼が誰かに語り掛けている声が聞こえた。いつもは暴れていてもおかしくないはずの鬼が立てている音ではなさそうだと分かった。続いて聞こえてきたのは、二発の銃声。直後、部屋の扉が開いて、黒ずくめのスーツを着た男がずかずかと入ってきた。右手には拳銃を持っており、銃口から白い煙が漂っているのが見えた。扉の向こうでは緑の鬼が血を流して倒れていた。ありえない、と思ったのはもう何度目だろう。普段ならば突風を巻き起こして敵を吹き飛ばしてしまうはずの緑の鬼が、日頃振り回していて危険性もよく分かっているはずの拳銃に、無抵抗のまま撃たれるなんて。
頭に血が上るようなことはなかった。逆に、轟々と音を立てて頭の中を巡っていた血液が、すとんと落ちたような心地がした。目の前が眩む。しかし、倒れることはない。女とほとんど変わらない背丈のキツネが、優しく背中を支えてくれていた。
「覚悟しろ、国家の犬め」
 どこかの国の言葉でそんなことを捲し立てながら、男は女に銃口を向けた。
 あまりにも見慣れた光景だった。同時に、無防備な状態ならば間違いなく死を覚悟するべき状況だった。にもかかわらず、不思議と女の心は落ち着いていた。今ならよく見える。銃を構えた男の一挙一動が。
無意識のうちに、右手が腿のホルスターに収められた拳銃に伸びる。早撃ちの必要はない。何故かは分からない。が、男の弾は誰にも当たらないと分かる。確実に狙いを定めたところで、親指が撃鉄を起こす。人差し指が引き金にかかって、そのまま引かれる。銃口がぶれる。










 ズドン





 銃弾が銃口から勢いよく飛び出して。





 ガシャン





 どこかで何かが盛大に壊れる音がした。










 目を開けると、丸く切り取られた空がそこにはあった。本来ならばそこには木製の天井があったはずなのだが、今はそこに、何かに撃ち抜かれたかのような大穴が開いていた。
 起床早々とんでもないものを見てしまったと、国際警察官ベルディアは左の手のひらで目を覆った。犯人の目星はついている。いや、こんな事態を引き起こす輩を、彼女は一匹しか知らない。
「がははははっ!やっと起きたか!」
 騒々しい野太い声が耳を打った瞬間に、ベルディアの中で予想が確信に変わった。恐る恐る手のひらをどけると、今度は両手で頭を抱え込んでしまった。
 そこには先端から細長い煙を吐き出す銃を右手で弄びながら、勝ち誇ったような顔で彼女を直視する緑の鬼。イッシュ地方の伝説のポケモン、トルネロス。
「おいベルディア!飯はまだか!」
「ダズ!部屋の中で銃を撃つなとあれだけ言ったでしょう!」
 うんざりした様子でベルディアはトルネロスを怒鳴りつける。が、トルネロスは反省した様子もなく、むしろ不遜な態度で拳銃のトリガーガード(注:不慮に引き金を引いてしまわないために、引き金の周りを囲む安全部品)に指を通してくるくると回している。撃鉄こそ起こしていないものの、下手に扱えばいつ暴発したものか分かったものではない。
 ポンと音がして、枕元に置かれたモンスターボールからマフォクシーのロケットが飛び出した。キーキーと喚き声を上げながら、目にもとまらぬ速さでダズに突進してポカポカと殴り始める。
「おいやめろ!脳天ぶち抜かれたいのか!」
 ダズが銃口を向けても、ロケットの鳴き声とパンチはおさまるどころかむしろ激しさを増していく。ポケモン同士ならば会話が成立するのだが、ダズが喋る人間の言葉は分かっても、人間のベルディアにはロケットが何と言っているのか分からない。だからこそ大声で喚かれると困るばかりであり、その場の雰囲気で何となく察することができる時もある。今回は後者だった。誰だって気持ちよく寝ていたところを叩き起こされれば腹が立つだろう。おまけに、ロケットはただでさえ喧嘩っ早い。
「何?銃の音で目覚めた?そんなもん知るか。……分かった、分かったから、殴るのをやめろ!」
 案の定だった。朝からどたばたと暴れまわる二匹に、ベルディアは盛大に溜息をつく。別の部屋まで響いていなければいいなと心の中で願いつつも、この後始末書と請求書にサインをしなければならないと思うと頭が痛くなる。やはり、執事のように礼儀正しくおとなしいトルネロスもマフォクシーも、何もかも夢だったのだ。
「ベルディア!いい加減こいつを止めてくれ!」
 それ以上暴れられても困るので、ベルディアはロケットが入っていたボールの開閉スイッチを押した。赤い光線が放たれ、ロケットの体が縮んでボールの中に納まった。
「やっぱりあんたらは変わってなかったか……」
 失望したように、しかしどこかほっとしたように呟いたベルディアに、トルネロスのダズは首を傾げて見せた。





 これでいいのだと、この時ばかりはそう思った。





噛みタバコさんのキャラクター、ベルディアさんをお借りしました。ありがとうございます。

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