八年前

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 柔らかい日差しが降り注ぐ中、列車を見送った駅員は帽子を取って汗を拭った。
 冬は跡形もなく過ぎ去り、辺りには花の香りが漂う春の終わり。屋根が無いホームには直接太陽の光が差し、石と煉瓦を積み上げてできた地面には所々草花が蔓延っている。隙間に溜まった僅かな土にも根を生やし、発芽し、成長する姿は麗しさとともに逞しさも感じる。
 駅員は腕時計を確認した。十一時五十分、もう昼休みにしていい頃だろう。駅舎に戻るべく、ホームの先の方へと歩を進める。
 靴と石が触れ合う乾いた音に交じって、風のそよぎや鳥ポケモンの囀りが辺りを優しく包む。騒音などというものは一切存在せず、常に自然が織りなす音色があふれている。整備をしないとすぐに自然が侵食してくるので、時折草を刈ったり枝をどけたりしなければならないのは面倒ではあるが、この雰囲気は嫌いではない。人間が捨てたゴミや汚物の処理をさせられるよりよっぽどましである。
 ヒウンやライモン辺りの臨海部ではいざ知らず、ここカナワタウンでの勤務はアットホームで、忙しさとは無縁だった。一日の電車の本数も少なく、週末を除いて利用客も少ない。やや山間部なので冬は厳しい寒さに見舞われるが、それを除けば比較的過ごしやすい気温に恵まれ快適そのものだ。居住する人々も温和な人柄が多く、クレーム等も殆ど無い。初めは田舎への勤務に対する退屈さに懸念したものだが、どうやら自分は都会の喧騒よりも、自然の静けさを好む性格らしい。のんびりとしたこの職場に、ただ一言の文句もなかった。
 やや色あせた路線図と時刻表の看板の前を通り過ぎ、プレハブの簡易的な駅舎のドアノブを掴んで捻る。幾つかの書類や道具などをしまうための棚と、作業着や清掃道具、列車の点検の器具などが入ったロッカー。それに、灰色の事務机と黒っぽいキャスター付き椅子のセット。簡素な駅舎の中身も、やはり面白みがない普通の事務所のそれと同じ。薄暗い内部の光源は、窓から侵入する日光のみ。時折、机の上に放ったクリップ止めの時刻表を風が悪戯をするようにめくっていく。
 椅子を引き寄せて腰を下ろし、出勤時に机の横にかけたカバンから、途中フレンドリィショップで買ってきたアンパンと、新聞をつまみ出す。新聞の見出し記事にはロイヤルイッシュ号なる豪華客船の進水式が大々的に報じられ、端に冷凍コンテナでのちょっとした事故がちょこちょこ載っている。最近はヒウンシティがかなりの経済的成長をしているが、写真にある巨大な船はその象徴だろう。四番道路の整備は始まったばかりだし、少し前にはグローバル化の先端になるとも言われるユナイテッドタワーが完成間近とマスメディアが沸いていた。イッシュも変わりつつある。
 包装を破ってアンパンにかぶりつきながら、駅員はホームに繋がったレンガ橋の方を眺めた。
 約百年前のイッシュを走っていた蒸気機関車の路線の名残であるレンガ橋ホームは、今やカナワタウンの象徴的存在であり、重要な歴史の遺産でもある。赤茶色、時にお洒落にテラコッタなどと呼ばれる色の、いわゆる一般人が思い浮かべるレンガは焼成レンガという。今でこそ鉄筋コンクリートで建てるのが強固な建築物の基本であるが、昔のイッシュ地方の多くの建物は、その焼成レンガという土を焼いたレンガで建てられていた。イッシュの始まりは乾燥帯である今のヒウンからライモンの間と言われ、その時代に使用されていた乾燥レンガから発展したと、学校の教科書には記載されている。やがて時代の移り変わりとともにレンガ造りの建物は姿を消していったが、カナワタウンのレンガ橋やシッポウシティの倉庫、ソウリュウシティの一部やビレッジブリッジでまだその名残を見ることができる。この世には今と昔が共存する場所がまだまだ多いが、イッシュ地方もその一つと言えるかもしれない。
 そんな歴史の籠った建築物の石段で構成された階段を人影が一つ、下っている。ここからはあまり顔がよく見えないが、肩より少し長い程度の茶色い髪と、白いスカートの端をゆったりとなびかせているだけで、ほぼ毎日すれ違う少女だということはすぐにわかった。茶色いロングに、髪と同じ色の大きな瞳と少し高い鼻。華奢な体つきで、よく麦わら帽子を被っている。今日のように白を基調としたワンピースやスカートにパステルカラーのカーディガンやブラウスを合わせた普段着な事もあれば、紺色の制服に身を包んで電車に乗っていく事もある。すれ違って挨拶を交わす程度の関係なので名前すらわからないが、よくこの辺で植物やくさ、むしポケモンを観察したり、快晴の日には橋の上のベンチから電車を見たり、本を読んだりしている姿を見かける。
 それ程存在感があるわけでもないし、寧ろ地味で目立たない印象なのだが、容姿を覚えてしまうほどよく見るということだろう。人口が少ないここならしょうがないとも言えるかもしれない。
 中身の無くなったアンパンの包装袋をまるめ、ごみ箱へと放り込んでから伸びをする。昼寝でもしたくなる陽気だが、勤務中に居眠りをするのは流石に呑気すぎるだろう。一応、線路にポケモンが飛び出したとか、トラブルも無いわけではないのだ。
 改めて窓の外眺めてみる。少女はホームに置かれたベンチに座り、持っていたバッグから本を取り出して読み始めている。世間では段々携帯電話からスマートフォンという端末に移行する人間が増えてきているが、そういえばあの少女が電子機器らしきものを持っている姿を見たことがない。いつも、本を読んでいるか、何かを眺めているか、陽だまりでまどろんでいるかのどれかだ。友達はいないのだろうか。
 ……いや、他人の、しかも子供とは言え女性のプライベートをあれこれ想像するのは下世話というものだろう。あまり良い趣味とは言えない。
 外に出て散歩でもするか。駅員は椅子から離れ、ぶらりと駅舎の外に出た。
 線路の隙間から生えた雑草が、そよ風に撫でられ揺れている。少女と軽い会釈を交わし、植物の擦れ合う音の中を歩く。薄い雲がかかった青空を、マメパトが数匹飛んで行くのを見送りながら、何をしようか思考を巡らせた。
 昼寝は今否定したばかりだし、勤務を始めたころは毎日見に行った転車台も、すでに飽きが生じてきている。さっきは田舎の雰囲気も良いとは言ったが、何も無さすぎるのは少し困りものだ。あとは精々その辺に生えている花を眺めるくらいか。
 駅員は一本の白っぽい花びらを持つ背の高い草に近づき、観察してみることにした。勤務地を離れずに暇をつぶすとなると、本当にこれくらいしかやることがないのである。
 目下にある花の名前はすぐにわかった。近頃よく生えている、ハルジオンという花だ。黄色い器官を、白色で細く薄い衣のような花びらが囲う様に並んでいる様子はとても可愛らしいのだが、非常に繁殖力の強い雑草である。しかも、土と水と種子さえあればどこにでも生え、種を飛ばすので非常に厄介な部類の草と言えよう。時折、秋になっても花を咲かせている事もあり、その生命力にはしばしば驚かされるが……
「ヒメジョオン、です。そのお花」
 突然響いた控えめな声音に、駅員は思わず声がした方を振り返った。持っている本から目線を外し、少女が首を傾ぐ様にしてこちらを見つめていた。
「……既知な事でしたらすみません。随分熱心に眺めていらしたので」
「いやいや、ヒメジョオンっていうのか。知らなかったよ。てっきりハルジオンかと思ってた」
 少女はにっこりと笑って立ち上がり、徐にヒメジョオンに近づいて花を一輪摘んだ。
「ハルジオンもヒメジョオンも近縁種なので、黄色い管状花に白っぽい舌状花と頭状花序もよく似てるんですけど、ヒメジョオンの方が小さくて舌状花が少し広いです。ハルジオンだともうちょっと大きくて、舌状花がもっと繊細なんです。あと、この花は結構背が高いけど、ハルジオンはもっと背が低いはず」
「ほぉ、花に詳しいんだね」
 感心しながら、改めて花を見てみる。
 ヒメジョオン、そんな花があったとは。ハルジオンと比べたことがないためあまりよくわからないが、背丈があり、白い花びらの部分が広いと言われれば、確かに目の前の草はその特徴に当てはまる。
「ハルジオンは春から春の終わりにかけて、ヒメジョオンは春の終わりから秋にかけて咲くので、丁度今は花が混同している時期なんですよ」
「へぇ、知らなかった」
 ということは、秋になっても花を咲かせている厄介な雑草は、ヒメジョオンということになる。今までずっと勘違いしていたわけだ。
「君、この辺の子なのかい。よく見かけるけど」
 駅員は、ふと思いついた様に少女に問いかけた。
「はい、町の少し奥の方ですが」
 そう言って笑うと、少女はポケットから白い折りたたまれた紙を取り出し、持っていたヒメジョオンの花をその紙に挟んだ。
 駅員は疑問とともに言った。「それ、どうするんだい」
「押し花にします。せっかく綺麗に咲いていたので」
 ヒメジョオンの花を挟んだ紙を持ってベンチに戻ると、少女は置いていた本を開き、その間に紙を置いて閉じた。本の表紙を覗いてみると、何やら難しそうな医療関係のものだった。
「難しそうな本を読んでいるね。将来は医者を目指していたりするのかな?」
 何気なく、駅員はそう言った。本当に何気ないつもりだった。
 だが、何故か少女は一瞬だけ顔を強張らせた。まるで見られてはいけないものを見られてしまった様に、明らかに動揺している様子だった。
 しかし、それは本当に一瞬だ。次の瞬間には笑顔に戻り、静かな口調で答えていた。
「はい。将来、お医者さんとかになりたくて」
「それで今から勉強しているのか。感心だね」
「そんなことないです」
 照れたように頭を掻き、目を細める少女。その反応は、いたって普通なものだった。さっきの反応はなんだったのだろう。何か、聞いてはいけないことでも聞いたのだろうか。
「あのう」
「ん? 何かな?」
「もうそろそろ電車が来ると思うのですが」
 そう指摘され、はっとして腕時計を見る。確かに、もう次の電車が来る時刻が迫っていた。
「ああっ、すまない。よく気が付いたね。ありがとう」
 駅員は苦笑いを浮かべながら少女にお礼を言って、慌てて駅舎の方へ走り出した。呑気におしゃべりしていて準備ができていませんでした、などと上司に謝りながら言いたくはない。まだ、ここの職場から飛ばされるのは早すぎる。
 ちらりと後ろを振り返った時、あの少女は既に荷物をまとめていた。電車に乗るのだろうか。
 ……そういえば、あの少女とは何度も顔を合わせているが、会話を交わしたのはさっきのが初めてだ。幼い見た目に合わず、難しい言葉を使い、態度もどこか大人びていた。彼女は一体何歳なのだろう。そしてなによりも、一瞬だけ見せた動揺が気になる。医療を身に着ける事に対し、何か別の意図でもあるのだろうか。
 まあ、彼女にも色々事情があるのだろう。
 駅員はあまり気に留めることはしなかった。

 お医者さんになりたくて、か。そんな前向きな夢を抱けたらどんなに良かっただろうか。
 車窓の外に流れる風景を眺めながら少女はぽつりと心の中で呟いた。
 カノコ―ライモン間の線は、平日はいつもガラガラに空いている。今も、少女を含めて数人の客しか乗り合わせていない。九歳の子供の目からも、世界情勢を日ごろから眺めていれば日常の問題くらいは理解できた。イッシュの近代化に伴い、元からアクセスが電車くらいしかないカノコタウンは過疎化の一方を辿っている。人口の流失は著しく、特に若者世代は激しい。
 特に驚きはしない。生まれた時からそうだった。毎日挨拶していた人が、ある日大荷物を抱えて電車に乗り込み、それっきり二度と見かけなくなる、そんなことも多々あった。でも、寂しいと感じたことはない。
「はぁ……」
 少女はため息を吐いてから、身を埋める様に座席に寄り掛かった。
 この頃、気が付いたらため息をしている気がする。要因の一つは、この医学書だろう。
 今考えると、何故この本を買ったのかわからなかった。読んだところで何が変わるわけでもないのに。寧ろ、読まなければ幸せでいられたかもしれないのに。何故この本を買ったのだろう。何故知ろうとしたのだろう。現実から目を背けていればいいものを。
 そして今、また過ちを繰り返そうとしている。幼い自分にできることなど、たかが知れているのに。背伸びしてもどうにもならないことがあることを、わかっているのに。また知ろうとしている。僅かな可能性を求めている。
 しかし、どうしても失いたくない。活路を見出したい。
 そんな気持ちが、己を突き動かすのである。避け難い運命に抗うために、行動している。
 イッシュの経済の中心であり、かつ英知の結集する場所であるヒウンシティ。目指す目的地はそこだった。田舎の端くれに住む子供が、ヒウンに飛び込んだところでどうしようもないだろう。だが、避けたかった。ただ、運命を変えたかった。
 車窓が黒く染まり、レールと車輪の触れ合う音が大きく響く。列車は地下に入った。この後、ライモンのギアステーションを経由して、ヒウン行の車両に乗り換える。
 何度も何度も通った道。しかし、陰鬱な感情を共にせずに辿った日々は、すでに遠い過去のこと。未来に希望などない。あるのは、つらい現実。受け入れたくない運命ばかり。
 心の中に居座る濁ったものを抑えるように、少女はバッグを強く抱きしめた。輝きを失った茶色い虹彩は、ただ灰色の床を眺めるだけだった。
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