Page 060

※作品によって表示に時間がかかります
読了時間目安:34分
Page 060
イグニッション(後編)


(ソロ……おまえは今が『その時』なんだって思ったんだな。
今以上の力が欲しいって。進化して身に着けた力でティニを守りたいって……)

光に包まれたソロの身体が徐々に大きくなっていくのを見つめながら、アカツキはソロの決断に感謝していた。
いつかその時が来ると分かっていたからこそ驚きはしないが、アカツキ以外の全員は突然の出来事に呆気に取られている。
ソロはいつでもゾロアークに進化できるだけの力を宿していながらも、進化するか否かは本人の判断に委ねていたのだが……今そうするべきと判断したのなら、その想いを尊重しよう。
進化中は無防備になるため、攻撃を仕掛ける絶好の好機。
しかし、ゾロアークは先ほどまでの敵意も剣呑な雰囲気も感じさせない、静かな眼差しでソロの進化を見守っている。

『え? ソロ、どうしちゃったんだ?』

ティニは光に包まれたソロの身体が大きくなっていくのを見て、驚愕に慌てふためいていた。
当然と言えば当然だが、ポケモンの『進化』を見たことがなかったのだ。

「ソロは、今のままじゃダメだって思ったから、進化して強くなろうって決めたんだ」
『進化……?』
「ああ、そうだよ」

肩にしがみつくティニの頭を撫でながら、アカツキは言葉を返した。
ポケモンの進化とは、これまでの自分という殻を破り、新しい自分になること……姿形が変わり、新たな力を身に着けるのだと、大まかに説明する。


ソロが進化しようと決めたのは、ソロ自身のためではなく。
長く共に歩んできたアカツキのため、そしてこれから共に歩いていく仲間たちのためだ。
一同が見守る中、ソロの身体が元の倍以上に膨れ上がったところで光が音もなく弾け――そこにあったのは、生まれ変わったソロの姿。

「グルァァァァッ!!」

凛々しく、そして雄々しい嘶きを轟かせるその姿は子犬を思わせるゾロアと異なり、後ろ脚だけで大地を踏みしめ、すらりと引き締まった身体つきは人間に酷似している。

(ソロ……ありがとう。それから、おめでとう)

ゾロアークの姿は本やパソコンといった媒体で何度も見てきたが、苦楽を共にしてきた相棒が進化を果たした姿を目の当たりにしたとなれば、やはり格別である。
胸中で感謝と激励を贈りながらも、まだ終わっていないのだとアカツキは理解していた。

『殻を破って、大人となったか。
……この状況で大したものだと言いたいところだが、まだ終わってはいない。分かっているだろう?』

ゾロアークの言葉通り、まだ『戦い』は終わっていない。
進化によって新たな力を身につけながらも、ソロが不利な立場にあるのは未だに変わらないのだ。

(進化しても、受けたダメージが回復するわけじゃない。ソロ、早く決めないとまずいぞ……)

進化を果たし、新たな力を身に着けたと言っても、その足元が小刻みに震えているのは隠しようがない。
早くゾロアークを倒さなければ、体力が尽きてしまうだろう。
しかし、それはソロ自身が誰よりもよく理解している。

「グルァァッ!!」

勇ましい嘶きと共に駆け出すと、高速移動を併用することで瞬く間にゾロアークとの距離を詰めた。

『いい動きだ……それでこそ、本気でやり合えるというもの!!』

疲労を感じさせない俊敏さで迫る相手を睨みつけながらも、ゾロアークが発したテレパシーの声音は高揚感に昂っているのが丸分かりだった。
腰を低く構えて迎え撃つ相手に、ソロは手のように自由度が高まった前脚を振りかざしシャドークローを繰り出す。
漆黒の輝きを宿した鋭い爪で相手を切り裂くシャドークローは、ゴーストタイプの技。
悪タイプのゾロアークに対して効果は薄いが、急所を捉えやすい攻撃ゆえ大ダメージを狙うことも可能。
しかし、ゾロアークもまた同じ技で応じた。相手を対等の立場と見做したからこそ……だろうか。

ぎんっ、ぎんぎんぎんぎんぎんぎんっ!!

立て続けに響き渡る剣戟。
シャドークローの激しい応酬は互角に見えて、受け止め損ねた攻撃が互いの身体に傷を負わせていく。
徐々に、しかし事態は進んでいる。
一発のダメージが微小であることが災いし、早くも消耗戦の様相を呈していたが、消耗が激しいのは当然ソロの方だ。

(まずいな……でも、ソロには考えがあるんだろう)

ソロの足元がわずかにふらついたのを、アカツキは確かに見た。
進化によって能力が大幅に向上し、ゾロアークと互角に戦えるようになったのは大きい。
しかし、このままではジリ貧に陥り、やがて負ける。それが分からないゾロではないだろうが……何らかの考えがあるはずだ。
いつ、シャドークローから別の技にスイッチさせるか。
相手も同じことを考えているに違いなく、どちらが先に仕掛けるか……そこが勝負の分水嶺になるだろう。
アカツキが見ている限り、付け入る隙がないわけではない――が、それが本当の隙なのか、はたまた相手を誘うために見せている隙なのか。判断がつかない。

『なかなかやるな!! だが、同じことの繰り返しでこの我を倒せるなどと思うな!!』
「グッ……!!」

ゾロアークの言葉に、ソロが小さく呻く。
遠からず体力を使い果たして膝をつく。そうなれば、どうなるか……考えるまでもない。

『ソロ、さっきより強くなってるけど、大丈夫か……?
なんか、見ててすごく危なっかしいぞ……』
「大丈夫。ソロならなんとかするさ」
『んー……』

ティニもまた、ソロが進化によって強くなったことを理解しているようだが、体力をすり減らし続けていることを不安視しているようだ。
確かに危険な状況ではあるが、アカツキはまるで動じていなかった。ソロなら逆転できると信じているからだ。

「…………!?」

数十合、あるいは数百合か……果て無く続くかに見えたシャドークローの応酬は、突然に終わりを告げる。
決定打を与えられないまま、ソロが体勢を崩してその場に膝をついてしまったのだ。
攻撃も防御もままならぬ、隙だらけの状態。ゾロアークに見逃す道理はない。

『体力が尽きれば、戦い続けることも叶わぬ。これで終わりだ……!!』

ゾロアークが鋭い声を上げると同時に、頭上に掲げた前脚に淡い光の球が浮かぶ。
気合玉――進化したといえど、弱点の攻撃を受ければただでは済まない。増して、戦闘不能寸前まで消耗しているとなれば言うまでもない。

……しかし。
付け入る隙を見せたのは、ゾロアークの方だった。
気合玉を放つまでのわずかな間隙に攻撃を叩き込む……アカツキが見出した隙を、実際に戦っているソロが理解できないはずもない。

「グルァァァァァァァァッ!!」

眼前に曝け出された隙を突き破るべく、ソロが声を振り絞りながら渾身の一撃を繰り出し――それは、ゾロアークの腹に深くめり込んだ。

『なっ…………!?』

体力の限界を迎えた相手からもたらされた想定外の痛打に、ゾロアークの表情が驚愕に染まった。
腹を起点にして全身に伝播する痛みが、気合玉を放つために必要な集中力を破壊し――程なく、頭上に浮かんだ光の球が音もなく霧散する。

『ぬぅ……!!』

この攻撃のダメージが相当に大きかったのか、ゾロアークはよろめき、膝をつく。
入れ替わるようにソロがゆっくりと立ち上がり、腹を押さえてうずくまっているゾロアークを睨みつけた。

本当に、逆転した……
こうなると信じていたとはいえ、その経緯があまりに信じがたく、アカツキは驚愕に開いた口が塞がらなかった。

(今のは、瓦割り……!? オレは瓦割りなんて教えてないぞ!?)

ソロがゾロアークに放ったのは、格闘タイプの技である瓦割りだ。
この状況で相手に大ダメージを与えるには、格闘タイプの技以外の選択肢はない……が、アカツキはソロに瓦割りを教えた覚えはない。
進化で体格が変化したことで使えるようになるとは知っていたが、瓦割りでなくとも、他の技も含めて進化してから教えようと考えていたのだ。
驚きは一入ながら、すぐに分かった。どうして、教えた覚えのない技を使ってみせたのか。

(……そっか。ソロは……)

答えは一つしかない。ソロは『瓦割りの使い方を知っていた』のだ。
タンバジムにいた頃、シジマの格闘ポケモンが放つ技を幾度となく見てきた中で、体の動かし方、重心の移動、力加減……使い方の肝となる部分を学んでいたのだろう。
ゾロアでは身体構造的に使用できない技でも、進化すれば使えるようになるかもしれない。
いつかその技が必要になる日が来るかもしれないと見越して、先んじて学んだことが、本当に役立つとは……

(オレが教えなくても、ソロは自分で勉強してたんだ。
進化したら教えようって思ってたけど……先を越されちゃったな)

進化後を見据えて、自分で考えてい動いていたとは……先を越されて悔しいと思う気持ちは確かにあったが、自分が思っている以上にソロが成長しているのだと理解して、アカツキはこれまでに感じたことのない頼もしさに胸を熱くしていた。
だが、だからこそ自分も負けてはいられない。
今後とも切磋琢磨していかなければ……と思いながらゾロアークに目をやると、その眼前でソロもまた膝をついた。
渾身の瓦割りで体力を使い果たしてしまったのだろう。
際どい賭けに勝ったか否か。
ゾロアークが立ち上がり、攻撃を仕掛けてきたら確実にソロの負けだ。
ゆらりと、陽炎を思わせる動きでゾロアークがゆっくりと立ち上がる。

(やばっ……!!)

脳裏に浮かぶ最悪の展開に戦慄するアカツキだが、不意に気づく。
ゾロアークの眼差しから、煮え滾るような戦意と敵意が消えている。凪の海のように平穏さすら漂わせていて、何が起こったのかと逆に疑いさえ抱いてしまうほどに。
だが、一つ確かなことが言えるとしたら。
ゾロアークはもう、戦う気がない。

『よもや、子供が殻を脱ぎ捨てて大人となり、ここまでやるとは思いもしなかった。
……いいだろう。おまえたちの想い、信じよう』

どうやら、アカツキたちの主張を認めてくれたようだ。
ソロとのバトルを通じて、想いが伝わったのだろう。

「じゃあ、ティニのことは見逃してくれるんだな?」
『うむ。二言はない』

本当に大丈夫だろうか。
一抹の不安を胸にアカツキが訊ねると、ゾロアークは愚問とばかりに即答すると共に首肯した。
経緯はどうあれ(あまり良い展開でなかったことは事実ながら)、分かってもらえればそれで良い。
アカツキはホッと胸を撫で下ろすと、ソロに歩み寄った。

「ソロ、お疲れさん。よく頑張ったな」
「グルァァっ」

心からの労いの言葉に、ソロはゆっくりと立ち上がりながら振り向いた。
その顔に浮かぶのは、得意げな笑み。
死力を尽くして戦い抜き、かけがえのない仲間を守ったという自信に満ちていた。

『ソロ~っ!!』

……と、ティニがパタパタと羽ばたきながらソロに抱きついた。
自分のために戦って、傷ついて……身体を張って守ってくれたことがたまらなくうれしかったのだ。

『ありがと!! ホントにありがと!!』
「グルァ。グルァァァっ」

余すことのないティニの謝意を受けて、ソロは『仲間を守るのは当然』と言いたげに言葉を返すと、前脚でティニの頭を撫でた。

(今まであんなに小さかったのに、今じゃこんなにデカくなっちまって……ホント、立派になったよ)

ゾロアだった頃は子犬を少し大きくしたくらいの体長だったのに、今やアカツキの背丈と遜色ないほどだ。
しかし、本当の意味で『同じ目線』に立てたような気がしている。
暖かな気持ちに浸っていると、ゾロアークがテレパシーで話しかけてきた。

『しかし、驚いたぞ。
我とここまでやり合える同族はそう多くないからな』

進化を経て自身を追い詰めるほどの実力を見せたソロを絶賛するその声音は、同族であることも相まって親しげですらあった。
しかし……

「なにが『我とここまでやり合える同族はそう多くない』よ。
まったく、相変わらず戦うのが好きなんだから」
「…………!?」

横手から割って入ってきた涼音のような声。
驚きに身体を小さく震わせながら振り向いた先には、ゼブライカを伴ったカミツレの姿があった。

(カミツレさん……どうしてここに?)

ライモンジムにいたのではなかったのか。
傍らのゼブライカは不機嫌そうな表情で『ぶるぶる……』と荒い鼻息を繰り返し、しきりに前脚で地面を小突いている。
アカツキが疑問符を浮かべるのを余所に、ゾロアークがテレパシーでカミツレに話しかけた。

『カミツレ。おまえがここに来たということは……火の手を消してくれたのか?』
「ええ。本当は別の用件で来たんだけど、ポケモンたちが住処を失いかねない状況を放っておくわけにはいかないでしょ」

先ほど投げかけた言葉といい、ゾロアークとカミツレは旧知の間柄らしい。
突如発生した火災は、ゾロアークの仲間たちが消火活動に当たっていると言っていたが、カミツレも加勢したのだろう。

(ゼブライカの『雨乞い』があれば、火を消すのは簡単だもんな。
でも、カミツレさんが言う『別の用件』ってなんだろう……?)

一つ解決したかと思えば、また別の疑問が湧き上がる。
アカツキが訝しげな表情で首を傾げていると、カミツレが話しかけてきた。

「アカツキ君。ジム戦の途中でポケモンを叱りつけるとか、途中でバトルを放り出すとか……そんなトレーナー、初めてだったのよ。
さすがにあんなのを見たら、放っておけないわ」
「う……」

何てことはない。他ならぬ自分のことではないか。
実に痛いところを突かれ、アカツキは言葉に詰まった。
結果的にやりすぎてしまったとはいえ、やむを得ないことだった……気まずげに視線を逸らす少年に、カミツレは困った子と言いたげな笑みを向けた。

(ジム戦を放棄したなんて父さんが知ったら、怒るだろうなあ……まあ、しょうがないけど)

経緯はどうあれ、ジム戦を放棄したなどとシジマが知ろうものなら、顔を真っ赤にして怒鳴ることは間違いあるまい。
実生活ではだらしない父親でも、ジムリーダーとしては仕事に対してシビアなのだ。
イッシュリーグを終えてジョウト地方に戻ったら、土産話にしていいものかどうか……などと考えていると、カミツレがアカツキの全身を舐めるように見やった。

「無事で何より……ってわけじゃなさそうね。ずいぶん派手にケガしてるみたいだけど、大丈夫?」
「さっきは痛かったんですけど、今は大丈夫です」

怪我をしていることすら忘れてしまうほどに、ソロとゾロアークの戦いに見入っていた。
今にして思えば、とんでもない話である。
全身が刃物のポケモンに抱きつかれて全身に裂傷を負うなど、そうそう経験することではない。

「後で病院に行きなさい。知り合いのお医者さんがいるから、診てもらうこと」
「はい」

カミツレの言葉に、アカツキは素直に頷き返した。
掠り傷なら薬を塗って絆創膏でも貼り付けておけば問題ないだろうが、全身裂傷となると話は別だ。
ある程度治癒するか、旅を続けても問題ないと医者の太鼓判をもらうまではライモンシティを発てないと考えるべきだろう。

(しばらくライモンシティに滞在することになるかもしれないけど、みんなをゆっくり休ませるいい機会かもしれないな)

ティニを助けるためとはいえ、我が身を省みずに無茶をしたことに言い訳をするつもりはない。
無理をおして旅を続けて、取り返しのつかない事態になってしまっては本末転倒だ。
しばらくは身体を休めると共に英気を養うのもいいかもしれない。
そんなことを思っていると、カミツレがゾロアークに話しかける。

「あなた、この子たちが火事を起こしたわけじゃないって分かってて勝負を吹っ掛けたんでしょう。
ティニって言ったかしら。あの子をどうこうするつもりなんて最初からなかったんじゃないの?」
「…………そうなのか?」
『……………………』
「マジかよ……」

アカツキはギョッとして問いかけるが、ゾロアークは気まずげな表情で目を逸らした。
カミツレが言うには、同族を連れていると知って気になって、勝負を仕掛けたくて仕方がなかったのではないか……とのこと。

(オレたち、気が気じゃなかったんだけどな……負けたらどうなるんだろうとか、本気でヤバいんじゃないかって考えてたんだぞ。あれ全部芝居かよ……)

深々と。
それはもう若人とは思えないほど深々と、アカツキはため息を吐いた。
芝居というか体のいい言いがかりというか……どちらにしても、正直に言えば傍迷惑でしかない。
これはもう呆れるしかないが、今さら怒鳴ったところで虚しくなるだけだ。
それに……

(このバトルがなかったら、ソロは進化できなかった。
ティニも、仲間の大切さを理解しただろうし……悪いことばかりでもなかったかな)

結果論で言うならば、一概に悪いことばかりではなかった。
ポケモンたちとの絆が一段と深まったことは間違いないし、ソロもまた己の殻を破って大きく成長を遂げた。
アカツキがしみじみと一連の出来事を振り返っていると、カミツレがゾロアークを窘めた。

「相変わらずバトルが好きなんだから。
巻き込まれる側のこと、ちゃんと考えなきゃ。あなたの悪い癖」
『う、うむ…………アカツキといったか。すまなかった……』

彼女に促される形でゾロアークが頭を下げてきたが、アカツキは『気にしていない』と返した。
その様子が取引先に頭を下げるサラリーマンに酷似して見えて、込み上げる笑いを必死に噛み殺していたのは内緒である。

「まあ、いろいろあったけど……ノーサイドってことでいいだろ。悪いことばかりじゃなかったからさ。
それと、バトルしたいんだったら普通に言ってくれれば喜んで受けて立つぜ。次はちゃんと言ってくれよ?」
『分かった。またここを訪れることがあったなら、その時はぜひ、一戦申し込みたい』
「ああ、いいぜ。その時は全力で行かせてもらうからな」
『礼を言う。
では、我は仲間の元へ戻ろう。火の手は消えたが、不安に想う者もいるかもしれんからな……』

アカツキが快く許したことで、わだかまりも消えたのだろう。
ゾロアークは思いのほか朗らかな表情で小さく頷き返すと、木立の奥へと姿を消した。
経緯はどうあれ、分かり合えたのだからそれ以上は何も言うまい。
気配が遠のいていくのを感じながら、アカツキは小さく吐息する。
……と。

「それじゃあ、わたしたちも戻りましょうか。
歩くのが辛いならゼブライカに乗っていく?」
「大丈夫です」

カミツレに問いかけられ、アカツキは頭を振った。
彼女の厚意なら、ゼブライカも決して無下には扱わないだろうが……荒い鼻息を繰り返し、鋭い眼差しを周囲に据えているゼブライカの背に乗るのは躊躇われた。

「ソロ、ゲキ、ティニ。オレたちも戻ろう。街に戻るまでゆっくり休んでてくれ」

死力を尽くして戦ってくれたポケモンたちを、モンスターボールに戻す。
ゲキとティニはともかく、ソロもさすがに疲労困憊な様子で、特に異議を唱えることなくモンスターボールに入っていった。
ライモンシティへ向けて歩き出して間もなく、隣を行くカミツレが小声で詫びてきた。

「あの子が迷惑かけちゃったみたいで……ごめんなさいね」
「さっきも言いましたけど、気にしてませんから。
あの子って、ゾロアークのことですか?
そういえば、ずいぶん親しいみたいですけど……」
「わたしを助けてくれたのよ。子供の頃の話ね」

ゾロアークがアカツキたちに迷惑をかけたのを我が事のように気にしていたのだろうが、済んだ話である。
問い返すと、カミツレは先ほどのゾロアークと知り合ったきっかけについて語ってくれた。
あまり人間に対して好意的でないポケモンと親しいのだから、相応の出来事があったのだろう。

「この森はライモンシティから程近い場所に広がっているけれど、開発の波に呑み込まれずに済んだのは、あの子たちがこの森を守り続けてきたから。
幻影を見せる能力で、立ち入ろうとする人間を追い返してきたからなのよ」

カミツレが言うには、ゾロアークたちが懸命に守ってきたからこそ、大都市に程近い場所にもかかわらず森が残っているのだとか。
当時は開発の機運が非常に高く、行政が強引な手法を用いて都市の拡大を行おうとしていたが、森に棲むポケモンたち――特にゾロアとゾロアークたちの抵抗を受けて頓挫してしまったという経緯があったらしい。

(そういえば、あのゾロアークもオレたちを森の中に入れないようにしてたんだもんな……)

幻影を見せて森の入口で足踏みをさせていたのも、当時の苦い経験があったからだろう。
自分たちの住処を守るために必死だったのだろうが、それでもむやみに危害を加えようとしなかったのは、人間に危害を加えて報復されることを嫌ったからか。

「でも、それならどうしてカミツレさんを助けたんですか?」
「人間は好きじゃなくても、悪いことを知らない子供だったから……かもね。あの日のことは、よく覚えてるわ」

それは十年以上も前……カミツレが年端もゆかぬ子供だった頃のある日のこと。
ピクニックのため家族と共にライモンシティ近郊に繰り出した彼女は、眼前に広がる森が気になるあまり、両親がバーベキューの準備をしている最中にこっそり森に足を踏み入れた。
背丈の高い茂み、見たことのない植物。
苔に覆われた倒木、街では見かけなかった多くのポケモンたち。
初めて見るものにあふれている森は、好奇心の宝庫だった彼女にとって『とても楽しい場所』だった。
進めば進むほどに新たな『初めて』を見ることができて、足の向くまま森の奥へ奥へと歩みを進めていく。
周囲の景色に目を輝かせていた彼女が我に返ったのは、陽が傾いて周囲がやや薄暗くなってきた頃。
自分が独りであることに気が付いて、かといってどこをどう歩いてきたかも覚えておらず、帰り道さえ分からない。
新鮮さに満ちていた森の景色が鬱蒼さを増していくにつれて不安が募り、茂みの奥からポケモンが襲いかかってくるのではないかとさえ思えて、ついに彼女は油紙に火が付くような勢いで泣き出してしまった。
泣き声に釣られてポケモンがやってくるかもしれないという考えも頭から吹き飛んで、ただただ不安を紛らわしたくて泣きじゃくる彼女の前に、ゾロアークが現れた。
眼前に現れた得体の知れないポケモンに、カミツレは泣くことも忘れて身体を震わせてばかりでいたが、怖そうな見た目とは裏腹にゾロアークは優しく接し、不安は見る間に和らいでいった。
テレパシーで意思疎通を図る能力は当時から持ち合わせていたらしく、経緯を把握するなり彼女を森の外に送り届けてくれた。
道中、肩車をしてくれたり、森のことを話してくれたり……不安が吹き飛んで空白になった心を楽しい気持ちが埋め尽くしていった。

「それから、時々この森に出向いてはあの子に会っていたの。
あの子の仲間たちは私が森に入り込むのを快く思っていなかったようだけど、それでも構わなかった。あの子はわたしにとってかけがえのない友達だから」
「……………………」

ゾロアークのことを話すカミツレの表情はとても明るく、目には輝きが満ちあふれていた。
不安に満ちた中での出会いだったからこそ、当時の思い出は彼女の心に焼き付いて離れないのだろう。
そのような出会いが自分にもあったなら、その思い出はいつまでも褪せることなく残り続けていくだろうか……そのようなことを考えながら歩くうち、森の入口に差し掛かった。
カミツレが立ち止まり、振り返る。
彼女の口の端が小さく上がっているのを、ここでお別れだと解釈して、アカツキは小さく頭を下げた。

「カミツレさん、ありがとうございました。
それから……ジム戦を途中で放り出して本当にすいませんでした」
「いいのよ。仲間が心配で放っておけないと思うのは当然だから。
ティニって子をほったらかしにしてジム戦を続けてたら、ゼブライカの雷を落とすところだったもの」
「……………………」

笑顔で物騒な言葉を口にする彼女の真意を測りかね、アカツキは口元を引きつらせた。
冗談であってほしいが、本気でやりかねないような気がしている。

「まあ、冗談はそれくらいにして。アカツキ君、あなたに渡したいものがあるの」
「…………? ……って、それ……!!」
「ええ。ボルトバッジ……ライモンジムのジムリーダーに勝利した証」

カミツレが腰のポーチから取り出したものを見て、アカツキは驚愕に目を見開いた。
彼女の手のひらの上で燦然と輝くのは、雷を模したと思われる黄色いバッジ。
言うまでもなく、ポケモンリーグ公認のリーグバッジである。

(なんでまた……)

渡したいものと言って取り出したからには、そうするつもりなのだろうが……
ジム戦に勝利するどころか、途中で放り出してしまったトレーナーに渡すようなシロモノではない。戸惑うアカツキだったが、カミツレは微笑みながらこう言った。

「あの子はわたしのゼブライカでも簡単に勝てる相手じゃないわ。
だけど、あなたのポケモンは見事に勝利した……あなたたちはバッジを渡すのに十分な実力があると判断した。
だから、このボルトバッジを受け取ってほしいの」

ジム戦で勝利することがリーグバッジを手に入れる条件……それが一般的な認識で、概ね間違いはない。
ただし、そもそもリーグバッジは『ジムリーダーが認めるに足る実力を有する者の証』として渡すものであり、それ以外の手段で入手することもあるのだ。

(カミツレさんは、バトルをほっぽり出したオレでも認めてくれるってことなんだよな)

恐らく、ソロとゾロアークのバトルの一部始終を目撃していたのだ。そうでなければ、見事に勝利したとは言えなかっただろう。
ポケモンジムの規則を諳んじているアカツキには、カミツレが心から自分たちの実力を認めてくれたのだと理解していた。

(バトル放り出したけど、それでも認めてくれてるんだ。断ったら、カミツレさんの気持ちを無駄にすることになっちまうよな)

アカツキはしげしげとボルトバッジを見やりながら、胸中でつぶやいた。
戸惑いがないと言えば嘘になるが……しかし、カミツレの想いを汲まなければならないのだと思う。
しばしの逡巡の末、アカツキは小さく頭を下げた。

「分かりました。ありがたくいただきます」
「はい、どうぞ」

カミツレは笑顔でボルトバッジをアカツキに手渡した。
これで三つ。折り返し地点まであと一つだが、イッシュリーグ出場に必要な個数を考えればまだまだ道半ばだ。
これまでの二つと比べて、バッジの重みがずしりと感じられて、アカツキの表情が見る間に真剣なものへと変わる。
カミツレは確かに自分たちの実力を認めてくれたが、理由はどうあれジム戦を途中で放棄し、戦うべき相手に背を向けたことに変わりはない。
だから……

「カミツレさん。本当にオレがこれをもらっていいのか、正直分かりません。
いつになるか分からないけど、ポケモンバトルを受けてもらえませんか?
胸を張って、オレたちはこのバッジをもらって良かったんだって思えるように」
「いいわよ。あなたの都合のいい時で構わないわ。いつでも挑戦を受けて立ちます」

アカツキから投げかけられた再戦の申し込みを、カミツレは快く承った。
むしろそれくらいの気概があってほしいと思っていたところだ。次は全力で、最後の最後までバトルを楽しみたい。

「あなたのゾロアは、自分自身のためでも、仲間のためでもなく……他の誰でもないあなたのために進化したんでしょう。
あなたがこれからも周りの誰かを輝かせる人でありますように。イッシュリーグに出場するのかどうか分からないけど、あなたの目標のために頑張ってね」
「はい。ありがとうございます、カミツレさん」

カミツレの言葉に、背中を押されたような気持ちになる。
トレーナーの役目は、死力を尽くして戦うポケモンたちを勝利へと導くこと。
そして、自分たちで掴み取った勝利の喜びを共に分かち合うことだ。
自分がトレーナーとしての力量を高めていけば、ポケモンたちをより輝かせることができるはず。努力を積み重ね、イッシュリーグでその成果を存分に発揮したい。
手のひらの上で輝くボルトバッジを握りしめ、アカツキは空を見上げた。

(ソロがオレたちのために進化して強くなってくれたんだ。
今度は、オレの番だよな。もっともっと強くなってやる!!)

果てなく突き抜ける想いを受け止めるかのように、空はただただ遠くまで青かった。






To Be Continued…
前に戻るもくじ次へ進む

読了報告

 読了報告及び評価をするにはログインが必要です。

感想フォーム

 この小説は感想を受け付けていますが、感想を書くにはログインをしている必要があります。

 そのため、感想を書くにはアカウントを所有している必要があります。

感想

 この小説には感想がついていません。